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『学生ラグナロク教』編

第54話《拳》

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 マルコフ家のだだっ広い一室にて、二人の親子が妙に落ち着かない様子で話していた。
「ねえパパ。大丈夫なのかな?」
 オカッパ頭の少女がやはり落ち着きのない声で言う。
 少女の名はカナメ・マルコフ。セリア・マルコフの妹である。
 対して、貫禄のついたいかにも傲慢そうな男が、なだめるように、
「心配するなカナメ。父さんが必ず何とかしてやる。だからお前が気にすることはないんだ」
「でも………………………」
「それにもう3年前の出来事だ。今さらどうにかできるものか」
 そう、この男はマルコフ家の当主、クモリアス・マルコフである。つまりはセリアに父親に当たる。
 彼が言っている『3年前の出来事』というのは、を指し示している。
 オカッパ頭のカナメはしくしく泣くような素振りで、
「でもまさか……………あんな事件がまた話題に出てくるなんて……………パパ、私は何も悪くないんだよぉ」
 今さら少女は言い訳染みた事を言い始めた。
「あのフレイヤとかいう女がいけなかったんだよぉ。天才の私に偉そうに口出しして、挙げ句の果てに『お前は人として最低な奴だ』とか言い出したんだよぉ? だから仕方なくあの女を
「あぁ、分かってる。分かってるよ。お前は何にも悪くない。悪いのはお前にバカなことを言った小娘と、告げ口をしたあの愚かなお前の姉だ」
「うん! あのバカ姉、私より頭悪いくせに、運動も出来ないくせに、出来損ないのくせに………………」
「本当だ。まったく、一族の恥さらししかしないなあの出来損ないは………………」

 今から3年前のことだ。
 天才と呼ばれていた少女、カナメ・マルコフは裏でその権力と人脈等を使い、周囲の人間全員を貶すような態度を取っていた。大人の前では猫を被り、裏では同世代の前で権力というムチを持った女王様となり、毎日下劣極まりない事を行っていた。
 カナメ・マルコフの信頼度は絶大であった。
 生徒たちが教師や親に訴えても、「まさかあのマルコフさんの娘さんがねぇ…………」と言って取り合ってくれるわけもなかった。
 そして、そんな横暴極まりない態度を寛容していたのは、他でもない。
 彼女の父、クモリアス・マルコフである。
 クモリアスにとって、カナメは一族繁栄の重要な鍵となる存在であった。姉のセリアは出来損ないの娘だし、クモリアスとしては一族以外の人間は全員敵と見なしている。
 だから、彼は娘の『不祥事』をすべて権力でねじ伏せてきた。
 権力ある彼にとって、そんな事は箸を持つより簡単なことで、警察関係にも上層部に金を握らせ、不都合なことを闇に葬ってきた。
 そんなある日。
 マルコフ家の権力を前にしても、黙っていない者が現れた。
 、セリアやカナメと同じ女学院に通う高校生で、
 フレイヤはセリアから妹の横暴な態度や権力でねじ伏せてきた罪状を全て話したらしく、会ってそうそう、カナメは強い言葉で責められた。
 初戦はカナメが泣きながら逃げていくことで終わったが、その後からがカナメの反撃戦であった。
 カナメはその権力というムチを使い、集中的にフレイヤを攻撃していった。
 どんな内容だったかは、ここでは敢えて筆を置こうと思う。少女が受けた仕打ちは、言葉で到底書き尽くせないものだからだ。兎に角、普通の人間には出来ない、醜く、残酷なものだということは言えるだろう。
 フレイヤは徐々に精神を削られていき、そして────


 その日。フレイヤ=ルイスは自殺した。


 勿論、警察はマルコフ家を徹底的にマークした。死んだ少女がマルコフ家の娘二人と深く関わっていたからだ。
 しかしそれも問題はなかった。
 クモリアスにかかれば、その捜査も中止に追い込むことができたからだ。
「噂によれば、警察の連中が事件を詳しく洗い直してるらしい。下手をすれば、お前にたどり着くのも時間の問題かもしれん」
「そんなぁっ!? パパ、パパ。何とかしてよぉ」
「………………そうだな。では、こういうのはどうだ?」
 すがり付く娘を引き剥がし、クモリアスは邪悪な笑みを浮かべて言った。
「3年前の事件の主犯を。全てはセリア1人が引き起こした愚かな事件として、この騒動を収めれば…………………」
「け、けど出来るの? あのバカ姉がいなくなるのはスゴイ嬉しいけど……………」
「なに、私の権力さえあれば造作もないことだ。セリアとは縁を一切切り、奴さえ地獄に落ちれば、我々一族の名に傷がつくこともないだろう」
 そう言い切ると、クモリアスはフカフカなソファに身を委ねる。
 ギシッと。音が鈍く鳴る。
「これは良い機会かもしれん。正直奴がラサール学校に通い始めてからどう悩んでいたところだしな。これを機に奴を一族から永久追放しよう」
 キャッキャッと。カナメ・マルコフはさも嬉しそうにはしゃいだ。
「やったぁー! これであの目障りなバカ姉を『姉』って呼ぶ必要はないんだよね! さっさと捕まえちゃおうよ、パパ!」
「そうだな。話によればセリアは今病院に入院しているらしいし、身動きも取れんだろう。いやぁ、つくづく運が良い。逃げられては困るからな」
 そこでクモリアスは愉快な笑い声を上げた。


      *


 これほど異常な人間がいるだろうか。
 その悪魔の会話を立ち聞きしていたは唇を噛み締めていた。
 二人がいる一室の外で、その様子を観察していた。
 悪魔が、そこにいる。
 全員がそう思ったに違いない。
 だからこそ、だ。
 彼女たちは、行かねばならなかった。
 この争いの終止符を打つために。
 この悪魔たちが仕掛けようとしている『罠』を阻止するために。
 そして─────。


 

 少女はそこで力強く、その部屋の扉を開けた。


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 クモリアスはギョッとした。
 突然部屋に誰かが入ってきたからだ。
「ん………………あれは………………」
 見知らぬ少女たちだった。大人も数人混じった小さな集団が突如、背筋が凍るような雰囲気をまとって姿を現したのだ。
 その中には、セリアも混じっている。
「き、君たちは一体誰だ? 我がマルコフ家に許可なく上がり込んでくるとは良い度胸だな」
 クモリアスはセリアにも目を配る。
 しかし、猫を被ったように、
「おおセリア! 心配したぞ! さぁ早くこちらに来なさい。何故お前はその者たちと一緒にいるのだ?」
 クモリアスは演技俳優ではない。
 だがその豹変ぶりと言ったらこの通りだ。先ほどまで悠々ゆうゆうと罪の擦り付け計画を話していたのは、一体何処の誰というのか。
「……………セリア? なぜ黙っている?」
 セリアはなにも答えなかった。淀んだ空気をすべて無視するかのように、セリアはその場で自分の存在を確立していた。
 黙っているだけだが、クモリアスはいつにない『出来損ない』の強い思いを感じとった。
 その時。
 セリアに代わって、まったく知らない少女が前に出てきた。
 歳は15歳くらいだろうか。茶髪の美しいロングに、白く透き通る肌にはあちらこちらに包帯を巻いていて痛々しい。
 少女はラサール学校の制服を着ていた。つまりはセリアの友人だろうかと、クモリアスとカナメが頭を捻っていると、
 突然。
「セリア、グレー=ルイス。よく見とけ」
 口を開いた少女は、瞳の奥深くに燃えたぎる炎を宿し、右手を力強く握ると、
「この世で最もえげつない復讐っていうのは、身内の人間や関係者が起こす復讐じゃねぇ」
 そして、足で床を蹴り、クモリアスのもとへ走って行き、
「…………………!? な、なにを───」
 クモリアスがそう言いかけて、


 少女の右手の拳が、悪魔の顔面に突き刺さった。


 クモリアスの体は無重力状態にあるかのように、勢いよく後方に吹き飛ばされた。床を無惨にも転がり、権力者は地に伏した。
 がぁ、がぁ、と悪魔はうめき声を漏らす。
 そんな悪魔を見て、右手を握りしめた少女はこう言った。


「まったく無関係な奴が横槍を入れて、ムカつく奴をぶん殴ることだ」
 

 
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