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『学生ラグナロク教』編

第37話《不登校児》

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  夜の職員室は、何かとにぎわいの場である。普段から堅い顔をした職員も、この時だけは顔を柔らかくしている。特に羽目を外しているのは女性職員だ。どうせ自宅に帰還しても独りなのだから、ここでのガールズトークは欠かせないのだろう。
  そんな風景を客観的に観察していたクロ先生は、まず始めにこう思った。
(早く仕事すればいいのに───)
  ガールズトークがしたいならお好きなように、とは言えないのだ。提出用の書類や、成績等の入力、次の授業に使うプリント作成、そしてそれをコピーと───
  つまり、やるべき事が山のようにあるのだ。
  生徒との交流が終わると、教師というのは本来の仕事場へと還元される。勿論、ここが異世界だから───とかではなく、次元を越えた先の世界だろうが何だろうが、教師という職業は、そういったものなのだ。
  だからこそ、クロ先生は悩んでいた。
  落ちこぼれと言われるY組の担任である彼が、じっと睨み付けている書類は、Y組の出席日数に関するものだ。
  どこであろうが、学校において出席日数が足りないというのは、目をつむれない問題である。特に成績配点において、平常点等は『態度』が大幅に起因してくる。いくらテスト結果が良かろうが、平常点が減点では笑い話にもならない。
  彼は本気で笑えなかった。
  彼の悩みの種───それはずばり、『不登校児』の存在である。
  Y組には、以前から学校に一度も顔を出さない生徒が、一人だけいる。

  マリア・ルートピアという、赤髪の少女である。

  彼女の実態については、彼も完全には把握しきれていないが、どうやら彼女は姉と同居しているらしい。
  らしい───というのは、クロ先生は実際にその姉には会ったことがなく、個人の家族構成にはそう書かれていたからだ。
  数日前───クロ先生は少女の自宅を訪ねた。しかしノックをしても返事は来なかった。鍵はかかっていたから、おそらく外出してるのであろう。
  情けない話だが、クロ先生はそのマリア・ルートピアに会ったこともない。顔写真と個人情報が簡易に分かってるだけで、今彼女がどこにいて、何をしてるかだなんて、皆目見当がつかない。
「なーに書類をジト見してんのですか、クロ先生」
  破天荒で癖のある声に、彼はハッと振りかえる。
  いたのは隣の席の女教師、水玉杏菜みずたまあんなである。杏菜は職人のような動きやすい格好をしていて、いつも腰にはバールやらドライバーやらをぶら下げた出で立ちだ。
「杏菜先生………生徒指導は終わったんですか」
  杏菜は生徒指導の教師である。
「ええ、終わったわですよクロ先生。ちょっと骨のあるやつだったけど…………」
「杏菜先生にかかればどんな生徒も悲鳴をあげますもんね」
  なんせこの女教師は随時武器を装備してるのだから。
「それはクロ先生、すこし失礼じゃないのよですか。私はこれでも女性だってのですよ」
「いいじゃないですか。おかげで誰もやりたがらない生徒指導という仕事に就けてるのだから」
「それ良くないわよ。私、結果的に厄介事を押し付けられてるだけじゃねーかですか」
「生徒指導というのは、誰かそれに見合った人じゃないとダメですからね。それに、Y組担任の私なんかがやっても意味がない」
「はぁ…………上手い言い訳をもってんなですね」
  クロ先生にとってY組はある意味後ろ楯でもある。こう言えばどの職員も口を出すことはできないからだ。
  それよりも───と、杏菜先生は職員室のテレビを指差す。
  テレビには現在のニュース等が流れている。アナウンサーの快活な解説とともに映されているのは、『今日の特大ニュース』というものだった。
  クロ先生は基本集中型であるから、作業中は環境音がほとんど遮断される。故に彼は知らなかった。
「これは───近くのあの繁華街ですね」
  生中継で映ったのは、パトカーで埋め尽くされた繁華街の出入口だった。中には救急車がサイレンを鳴らしてもいる。
  杏菜先生は、どこか遠い景色を見てるような顔で言った。
「夕方ごろ、あの繁華街でとある団体が暴走したって話よですよ。怖いもんだわですね」
「とある団体とは?」
「なんでも───『学生ラグナロク教』とか言う、胡散臭い宗教集団らしいわよですよ」
「───ラグナロク教?」
  はて、聞き慣れない宗教であった。
「───なんで暴走なんてしたんでしょうね」
「さあ? 宗教集団なんて皆イカれた奴等しかいないと思うですがね───これはあくまで、私の持論よですよ」
「わ、分かってますって…………そんなガチな目しないでください。本気で怖いです」
  その一方で───Y組の生徒たちはその暴動に巻き込まれていないだろうかと、小さく心に思うクロ先生だった。


      *


  マリア・ルートピアは久しぶりに悩んでいた。
「うーん…………」
「マリアちゃん、どうする? 早く決めなよ」
「う~ん…………!」
  髭を少々はやした中年の男性に催促され、マリアはさらに深く唸った。
  目の前にあるのは2つの弁当箱。
  1つは肉野菜炒め弁当。程よく炒められた野菜と肉が、付け足されたタレで素晴らしいコンビネーションを発揮している。
  もう1つはメンチカツ弁当。マリアの大好物であるメンチカツがドンと米に盛られたもので、マリアも大好きである。ちなみにこのメンチの原材料は『シャプレ』というモンスターの肉である。
「…………店長。この2つ両方をいただくというのは、のは?」
「ダメダメ。一方は俺の晩飯エサになるんだからな」
「え~……………」
「ダメなものはダメ! 欲張りはダメだからね」
「う~!」
  地団駄を踏んでみるが無駄足だと分かると、ころっと態度を変えて、
「───なんだよケチくせぇジジイだなオイ」
「あ?」
「え? いや、何でもないです、です~」
  マリアはとっさの対応力を発揮し、その反応をかわすと野菜炒め弁当を手に取る。
「あれ、メンチカツ弁当はいいのかい?」
「私、今ダイエット中なんですよ、ですよ~」
「十分痩せてると思うけどなぁ…………」
  そう言って羨ましそうに見つめる彼の腹回りは貫禄が付いている。
「女の子は細かい所にまで気を配るんですよ。体重は最大の天敵なんだもん、もん~」
「それはいいが、マリアちゃん学校はいいのかい?」
「ふえ?」
  マリアの表情が固まる。
「いや、だってマリアちゃんぐらいの年頃は、学校に行ってるもんでしょ? なのに朝からずっと働いてるから…………」
  マリアはこの店長が開いている店で働いている。それこそ、朝から休まず夜までだ。店長である彼が疑問に思わないわけがない。
  マリアは憂い顔で視線を片隅にずらす。
「───もしかして、学校行ってないの?」
「いや、ちゃんと入学はしてますよ、ますよ? ただ生活が厳しくて…………」
「生活って…………ご両親は?」
「小さい頃に事故で亡くなりました、ました…………」
「それは…………悪いこと訊いたな」
「いいんですよ。もう昔のことですから、から」
「それじゃあ、今は独り暮らしなのかい? 大変だな」
「…………いいえ」
  間を置くと、マリアはそう答えた。
「同居人なら───いますよ」
「同居人? もしかして、兄妹かなにか?」
「ええ………私の姉がいます………」
  何故だろうか。その時の少女の目は、薄く濁っていた。


  夜の街灯ほど自分に見合ったものはないと、マリアは小さい頃から思っていた。その街灯に群がる夜光虫を見つめながら、マリアは夜の道を歩く。
  時折都市部───つまり、国道B-1号線の繁華街にあたる───からパトカーや救急車のサイレンが波で伝わってくるが、正直気にもしなかった。
  自分が住んでるのは明るい場所そっちじゃない。だからどうでもいいんだ。
  そんな風に考えてしまう自分が嫌で、何度その頭を潰してやろうと思ったことか。
  自分は悪い人間だ───だから自分には、この街灯が寂しく照らす歩道を歩く位がちょうどいい。
  マリアは自宅に到着した。
  死んだ両親が一戸建てを買っていたので、狭苦しい思いだけはせずに済んでいる。
  その玄関口を通り、ドアを開けようとしたところで、ふと自分の存在を確かめたくなった。

  
   自分たち姉妹は不幸者だ。
  早くに親を亡くし、それからは姉が生活を支えてくれていた。
  生活は貧しかった。
  当時はまだ姉は高校に入るか入らないかの年齢で、まともに仕事に就けるわけがなかった。それでも、学校を中退して、すこしでも稼ぎを良くするために、獅子奮迅ししふんじんであったのは間違いない。
  そんな姉がマリアは大好きだった。
  なのに───それなのに───


  気づけばマリアは自宅に入っていた。
  リビングからは照明の光が微かに漏れている。姉がいるようだ。
「ただいま」
  入ると、姉であるシーナがソファに座って、腕に包帯を巻いていた。シーナはマリアと同じく赤髪である。
「お帰り、我が妹よ」
  見向きもせずに、無感情な返答を寄越してくる。キッチンに荷物を下ろすと、呆れ顔で、
「お姉ちゃん………また何かやらかしたの、したの?」
  シーナは無言で包帯を巻き続ける。
「………さっき繁華街あたりからサイレンが鳴りっぱなしなんだけど、まさか………」
「───テレビをつければ分かる」
  そう言われ、すぐにテレビをスイッチを入れた。画面にはニュース番組の中継映像が流れる。

『えー、今から約5時間ほど前、ここ繁華街で謎の集団による暴動が起きました。情報によりますと、彼らは全員二十歳前後の若者で、自らを《》だと豪語していたそうです。警察は、何らかのテロリスト集団だと見ているようで、《緊急テロリスト対策本部》を設置した模様です───』

「お姉ちゃん………まだあの宗教に入ってたの、たの?」
「…………」
「黙ってるってことは、認めてると取っていいんだよね、よね?」
  シーナは固く口を閉ざす。彼女は妹の言葉に耳を傾けてはいなかった。ただ光を失った瞳で、そこに居座ってるだけ。
「ねぇ…………なんで? ラグナロク教あんなものは辞めるって約束したよね?」
「………そんな約束はしていない」
「したよっ!」
「したとしても、私は抜けるつもりはない」
  シーナは立ち上がり、妹に向き合う。
「マリア………すまないが、私にはあそこしか居場所がないのだ。あそこが私のいるべき場所なんだ」
「な、なに言ってんのよ…………」
「あそこにいると、自分に素直になれるんだ。今まで殺してきた思いを吐き出せる場所なんだ。だからいくらお前からの頼みでも、私は───」
  その時。
  パチン───
  マリアは姉に平手打ちを食らわせた。  
  シーナが驚いた顔でマリアを見る。
  彼女の妹は泣いていた。
「───マリア?」
「───お姉ちゃん、何も分かってない。全然分かってない!」
「───何を言ってるんだ」
  するとマリアはシーナにすがり付いた。
「ねえ、なんで、なんで? どうしてそうなっちゃったの? 何がお姉ちゃんを変えたの?」
「やめろ、やめるんだマリア───」
「あっ………もしかして、のせいになの、なの!? あの日、お姉ちゃんに近づいた───」
「っ…………!」
  シーナは血相を変えて、妹を突き飛ばす。食器棚に衝突し、皿が何枚も落ちてくる。
「がはっ───お姉───ちゃん」
  皿の瓦礫がれきの中で、マリアは姉を覗き見る。
  シーナはいつの間にか槍を取り出し、マリアの首もとに矛先を添えていた。
「───なにしてんのよ、のよ」
「………例え妹であれど、我がラグナロク教の神を侮辱することは許さない。分かったな?」
  その意は本気であっただろう。彼女の目には殺意が浮かんでいた。
  あと少し───あと少し動けば、マリアの首に槍が突き刺さる。
  マリアは心臓を大きく鳴らした。鼓動が速くなるにつれて、冷や汗がどっと溢れでてくる。
  しかしシーナは槍を仕舞うと、小さく身支度を始めた。手軽なバックに着替えや何やらを詰め込んで。
「…………何してるの?」
「…………しばらく家を留守にする」
「…………またあの宗教のやつ?」
「そうだ………。いつ帰れるか分からんから、飯の心配はしなくていい」
  バックを背負うと、シーナは少し寂しい声で言った。
「じゃあね」
  それからは無言で家を出ていってしまった。
  取り残されたマリアは、割れた食器を片付けながら、
  目に涙を溜めていた。
  
 
  





  

  






  
  



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