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『学生ラグナロク教』編

第34話《突然の来訪者──①》

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  虹色に光る空間の先にはとある少女の世界がある。そこは魔法という概念がなく、科学で満たされた世界。ドラゴンもいなければ危険捕食種のようなモンスターもいない。そんな世界。

  福本アヤノンはもとの世界へと帰還した。

「はぁ…………はぁ…………ふぅ」
  息を切らすと、ポチャンと垂れ流れた汗が自分の逃走劇を物語っていた。彼女はその場で腰を降した。暑さに熱せられたコンクリートが下着を隔てて熱を伝えてきたが、正直そんな事に気を配る余裕はなかった。
「はぁ………助かった………これのおかげで」
  手に握られたスマホのような板状の装置。これは彼女の母親が渡した、『好きな時に元の世界へ帰ってこれるもの』らしい。用途は簡単だ。真ん中にある小さな赤いスイッチを押すだけで、その場から瞬時に世界を行き来できる。ただしその逆には使えないため、登校にはバンジージャンプが付き物なのが不満点だが。
  しかし今回は、これに彼女は救われたのだ。
  向こうの世界と同じように夕日が傾き、彼女の揺れ動く影を作り出した。影は何度も小刻みに脈打った動きをし、やがて平常になった。
  息を整えながら、アヤノンはのことを考えていた。
  
  学生ラグナロク教───
  今までの情報からすると、駆逐制度の社会に不満を持った学生たちによる宗教集団らしいが、細かい目的等は不明の集団である。
  交戦の末、アヤノンは逃走を図り、彼らの目を盗んだ隙に例のワープ装置を使用したのである。
  ワープ先は必然的に彼女の玄関前になるようだが、何とまぁ便利な道具だとアヤノンは思った。
  あのあと彼らはどうしたのだろうか───そう考えると、身体中から嫌な汗が出てくるのを感じた。今回はとっさに一般人を巻き込むような行動を取ってしまい、アヤノンは酷く自分を責めている。あのまま誰かが犠牲になっていたらどうしようか。例えば取り逃がしたショックで発狂し、誰彼構わず攻撃する───そんな事態が起こってはどうしようか。
  いけないなぁ───と深いため息をついた。
  気にしたり反省する事は大切だが、被害を妄想で押し固めては失礼だ。
  アヤノンは空を見上げ、静かに、
「───キレイな空だなぁ」
  と言った。
  時は夕方であるから、午後5時くらいだろう。カラスがけたたましく鳴き声を漏らし、その朱色の空に向かって翼を広げ、飛び立った。
「………たっく、さっきとは対照的に平和なこったな………」
(そういえばジェンダーくんはどうしたんだろうか。逃げ切れたかな?)
  ふと友人の存在を思い出した彼女だったが、すぐにかぶりを振る。
(いや、大丈夫だろ。ラグナロク教徒アイツらは俺をターゲットにしてたし。ジェンダーくんの帰り道とは反対だし)
  目の前にはいつもの玄関が。今頃彼女の友人もこのように扉の前で思考にふけってるのだろうか。
  それにしても───とアヤノンは再び思考に入る。
  気になるのはやはりあの宗教集団ラグナロク教である。彼らの目的は一体何なのか。何のためにその声を張り上げ、武器を手にしたのか。単にという目的で動いているのだろうか。
(でもどうやっても、暴力はいけないことだよな…………)
  彼らの言いたいことはアヤノンにも理解できた。しかし、それを盾にして暴力を振るおうとする彼らの考えにはどうしても納得がいかなかった。
  彼らとは、またどこかで衝突する気がする───アヤノンは無意識にフラグを立ててしまっていた。
「…………ん?」
  そんな彼女だが、この時予測しなかったことが一つだけあった。
  彼女が握った自宅の玄関は、鍵がかかっていなかったのだ。
「母さん閉め忘れたのかな。不用心ぶようじんだなぁ…………」
  しかし意外である。アヤノンの母はああ見えて防犯意識はスゴく高い。この前もCMの影響で自宅セキュリティを強化したばかりなのだ。そんな母親が鍵を閉め忘れた、なんていうのは考えにくいのだが。
「いつもいつもうるさく鍵を言うくせに自分はこれかよ…………少し強めに言ってやろうかな」
  いたずら好きそうな顔になるアヤノン。玄関をゆっくりと開き、母親を驚かしてやろうと思った。
  ぎぃ。ぎぃ。
  なるべく摩擦音は小さくして侵入する。足音にも注意である。かかとに力を入れ、忍び足で中に入る。
  ドアは音なく閉めることができた。
  だがそこでアヤノンの目に見慣れない物が映った。
(なんだこれ……………)
  女物のサンダルであった。コルク色の厚底で暑い夏に合わせたデザインの物だ。しかしこれは彼女や母親の私物ではない。
  全く知らない誰かのサンダルのようだ。
(誰か…………来てるのか?)
  するとリビングから、
「…………いや、それはちょっと…………なぁ、母さん?」
「そ、そうよねぇお父さん。それは少し……………」
  と、切羽詰まったような二人の声が飛んできた。あのバカで能無し夫婦がこのように戸惑うことはほぼ無に等しい。恐らくだが、この女物サンダルの来客と話をしているのだろう。
  アヤノンはこのままここで聞き耳を立てようかと思ったが、それからは小さく蠱惑的こわくてきな音量で会話が進み始めてしまった。これでは内容が聞き取れない。
  ボソボソ───ボソボソ───
  焦れったいような小ささだった。まるではやくこちらに来いと言わんばかりの。
(…………仕方ない。行ってみるか)
  無性に気になるアヤノンは靴を静かに脱ぎ、リビングへと足を進めた。リビングからは明かりが微かに漏れていた。
  そして───その中に足を踏み入れ、顔を出した。
「母さん、父さん? 今帰っ───」

  アヤノンの口許はピタリと止まった。目先の光景に唖然と口を開いたまま。
  リビングのテーブルで、父と母が危険反応のような顔でこちらに気づいた。だがアヤノンを驚愕させたのはそれではない。なのだ。

  来訪者はアヤノンに背を向けて座っていたが、彼女はその人物を
  性別は女性。職業学生。制服はアヤノンがで、その後ろ姿を、彼女はには毎日のように直視していた。そう、───

「…………あの」来訪者が口を開く。
「どう………なさいました? 私の後ろばかり見て───」
  来訪者が振りかえる。髪が柔らかく浮き上がり、目元から口許まではっきり見えた。
「あ……………あぁ……………」
  その時。アヤノンはゴトンと鞄を落として目を大きく見張り、口をそのままで。


「き………………北華きたばな


  アヤノンのかつての幼なじみ、北華恭子きたばなきょうこがそこにいたのだった。


      *


「…………………」
「…………………」
  福本アヤノンと北華恭子は互いに向かい合い、一時も視線を移さずじっとしていた。両親はキッチンの奥に一時待機…………いや逃げ隠れしている。
  キッチンから、やかんが猛烈に笛を吹く音が聞こえた。さらに次いで水を注ぐ音が。
(あ、まさか茶を淹れてくれてるのか? これはチャンスだ! ナイスフォロー母さん!)
  いつ切り出せばいいか途方にくれていた所だった。こんな気まずく目を離せない沈黙はさっさと振り払いたい。
  しかし待てども待てども望みの品はやって来なかった。
  まさかとは思うが…………。
「あ、あの…………」
「は、はい!? なんでしょうか?」
 北華は我に帰ったように声を張り上げ、顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい! 私ったら、いきなり大声出して…………」
「い、いや別に………それより、ちょっとここで待っててくれる?」
「えっ…………あ、はい」
  アヤノンは席を立ち、扉の向こうに広がるキッチンという世界に足を踏み入れ、扉を閉じた。するとしばらくして───

「なんでそっちはのんきにティータイム始めてんだこのバカの能無し夫婦が!」
「や、やめるんだアヤノン!お客さんがいるじゃないか。それにこれはティータイムじゃない。ただの『おやつの時間』だ」
「『おやつの時間』とっくに過ぎてるよ! もう夕飯ごろだよ!」
「こらこらアヤノン、女の子がみっともなく怒鳴るんじゃありません。それだから貴方あなたは昔からずっと『マジで男か女かハッキリさせろよゴラ』って言われるのよ」
「言われた覚えねーよそんなの! つーか今のは母さんの本音だろ!?」

  怒声に続くのらりくらりとした返答。あの可愛らしい容姿からは、彼女の怒ってる姿など全く想像がつかなかった。
(い、意外と男勝りな子なのね…………)
  北華が苦笑いを浮かべていると、アヤノンがスタスタと戻ってきた。その手にはお盆が。
「いや、ごめんよ。今お茶持ってきたから」
  お盆の上には急須きゅうすと可愛らしい湯飲みがあった。
「そんな…………悪いですよ」
  北華は遠慮がちに言う。
「いや、お客さんには茶を出すのが筋ってもんだよ。まぁとりあえず、気楽にいこうよ」
「え、えぇ…………そうね」
  出されたお茶は出来立てで、湯気に乗った葉の香りが北華の鼻腔びこうをくすぐる。
「これ………いい香り………」
  その時、バタンと激しい物音がした。ビクッと反応し振りかえると、キッチンから恐ろしい顔をしたが。
「返せぇ…………返せぇぇ…………!」
「え、えぇなに、何なの!?」
  老婆は大気汚染のような息を吐きながら北華の元へ、ゆっくりと───ゆっくりと───
「い、イヤァァァァ!?」
「なにやってんだあんたはぁぁぁぁ!」
  その時北華を庇うように現れたのはアヤノンだった。彼女はバカぢからをキッチンに投げ込み、ドアをバタンと閉じた。そしてすぐに本棚や何やらでドアをふさぎ始めた。
  ドアの前が完全に通せんぼ状態になると、アヤノンは深い吐息をついた。
「さぁ、気にせず座って座って」
 振り返ると、明るく少女は言った。
「はぁ……………え、でも今のは…………」
「気にしないで気にしないで。最近家の中でポルターガイストが流行っててね。よくあんな化け物が出没するんだ」

「ガアァァァァァァァ! 私の…………私の最高級のお茶ぁぁぁぁぁ!」

「───ね?」
「いや今の完全に女の人の声じゃありませんでしたか? しかも結構聞き覚えのある」
「気のせいだよ。あなた耳大丈夫ですか? 耳鼻科に行くことをオススメするよ」
「………何だろ。今わたしからすんごくバカにされてる気がする」
「そうですか。じゃあ耳鼻科と精神外科に相談してくださいね。ではどうぞお帰りください」
「いや帰りませんよ!? なんかサラッとそんな流れ作らないでください!」
「えぇ? そうなの? せっかくレッドカーペットを敷いて見送ろうと思ったのに」
「私はどこのハリウッド女優ですか!?」
「え? 最近アカデミー賞を受賞したんじゃあ………」
「してません! というか、からかうのはいい加減にしてください!」
  露骨に帰らせようとする少女の誘導を一蹴し、北華はテーブルのイスに腰かけた。その手には先程の茶がある。ゆっくりとすすると、固い表情を浮かばせて言った。
「………今日は本来のご両親に聞いてみようとやって来たわけだけど………」
  顔を見上げ、アヤノンを見据える。その顔があまりにも厳しいものであるから、アヤノンは少し身を引いて、
「な、なんでしょう…………?」
  と型通りの口調で言った。
「実は私…………の自宅であるここを訪ねようとはるばるやって来たんです」
?」
  アヤノンは完全完璧なではない。何となくもう分かっていた。
「そうです。それでについてご両親を追及したんですが、中々口が堅くて………でも」
  そこで逆接を設置すると、北華は刹那せつなに立ち上がり、
「その必要はなくなりました………まさかずっと不審に思っていたに会えるなんて」
「えっ? 俺に?」
「そう…………単刀直入に聞くわ」
  威厳の光のような振る舞いで、北華恭子は目の前の少女に指を突きつけて、そして言った。

「あなた………私の幼なじみのと………どういう関係なの?」


  


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