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『学生ラグナロク教』編

第32話《爆死》

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  花崎病院―――
  花崎女医の父親、花崎トオルによって建てられた、モール都市でも巨大な病院である。この時期、ここには多くの患者が集結し、治療に励んでいる。
  そんな中―――

  誰かの奇声が病院中に轟いた。

「…………っ、なんだなんだぁ?」
  カクテル刑事は不機嫌そうに呟いた。花崎女医の方を振り向き、
「花崎先生よぉ。ここには精神患者もいるのかえ?」
「いないわよ。でも、今のは………まさか………」
「なんでぇ。心当たりがあんのかよ」
  その時。花崎女医の小型無線機に緊急連絡が入る。
『応答お願いしますっ。応答お願いしますっ!』
「はい、こちら花崎です。どうしましたか?」
『それが………の部屋から奇声が飛んできまして………』
「さっき私も耳にしたわ。やっぱりだったのね」
「おいおい、俺わけ分かんねーぞ。誰だい声の主ってのは?」
  刑事は分からず口を挟んだ。花崎女医は無線機から口を離して、
「あなただってよく知ってる人よ。さっきだってその人の話をしてたじゃない」
「さっき………って、まさかフレーベ・カロライナのことか!?」
  刑事の目がすぐに険しい物になる。
  フレーベ・カロライナが―――今の奇声を? 何故だ?
「そいつは一体、どういうこったぁ………」
  花崎女医はすぐに無線機に語りかけた。
「聞こえるかしら。今そちらはどうしてるの?」
『はいっ。現在複数人で病室に向かってるところです!』
「そう、分かったわ。では、患者がきっと暴れてるだろうから、押さえつけて、精神安定剤を打ってちょうだい。私もすぐに向かうわ」
『了解しました』
  無線機はそこで切れた。
  花崎女医は白衣を改めて着こなし、カルテや何やらを持って。
「刑事さん。あなたもついでに来てくれないかしら?」
「なんでぇオレガ?」
  思わず声が裏返る。女医は少し笑みを含ませて。
「私達だけじゃどうにもならないかもしれない。だから手伝いだと思って来てほしいの」
「なんだいそれはよぉ。まるで何かが起きるみたいな言い草だなぁ」
「私はそう考えてるのよ―――刑事さん」
  女医は不自然な目付きでカルテをペラペラとめくる。
「今までまともに診断なんてできなかったけど―――あの患者はヒステリーみたいな事なんて起こしたことないわ」
「けど散々なことしてきたんだろぉ?」
「それは反抗心ね。私達に身の安全を預けたくないという表れだったのよ。だから精神に異常を来してはいなかった。今の叫びもそう―――気の狂った奇声というより、私にはに聞こえたわ」
「悲鳴…………ねぇ…………」
「だとしたら、少しはあなたの助けも必要になるかもって思ったのよ」
「ふぅん」
  刑事は例によってカクテルを飲み干した。しかし、それは日常と非日常を切り替える儀式であった。飲み干した刑事の顔は、だらしなく溶けたような顔ではなかった。
「やっとやる気になったようね」
  女医は知っていた。こういう時、刑事は本職に復帰できるのだと。
「それじゃあ………行こうか、花崎先生」
  カクテル刑事は本当の意味で刑事となっていた。彼は飲んだカクテルの空き瓶をゴミ箱に捨ていれた。


      *


  向かうにつれて、患者近くの住民はザワザワと騒いでいた。中には奇声に怖がって泣き出している子供もいる。
  花崎病院の回廊は、ちょっとした混乱を招いていた。
  花崎女医の右腕的存在の森下疾風もりしたはやては足を速めた。背後には看護婦も数名連れている。
「君、花崎先生はなんて言ってた?」
  走りながら、疾風は尋ねる。
「先ほど無線機で連絡したところ、精神安定剤を打てと…………」
「精神安定剤か…………君たちは持ってる?」
  看護婦たちはかぶりを振った。  疾風は軽く舌打ちをする。
「仕方ないな…………君たち、先に行って患者を押さえておいてくれ! 僕はその間に、精神安定剤を取りに行くから!」
  看護婦たちと疾風は二手に別れた。折り曲がった回廊を渡り、疾風は薬剤室に立ち寄った。すぐさま目当てのそれを探した。
  急がなければ。部屋がそこまで離れてないとはいえ、看護婦だけでは、あの患者を取り押さえることは出来ないかもしれない。
  再び軽く舌打ちをした。誰か一人にこちらへ来させればよかったか。薬剤室は疾風か花崎以外は入ってはいけないという規則ルールに従ってしまい、一番効率的な選択を捨ててしまったのではないか。体力のある男の自分が病室あっちに行くべきではなかったか。いや、この部屋の薬剤配置は彼がよく知っている。逆にこれが最善策なのではないか。
  彼の頭の中で様々な感情と所存とが交錯し、ついには彼はこんがらがってしまう。
  いけないいけない――――疾風は気を落ち着かせた。
  大丈夫だ。今は落ち着け。こんなことで頭を働かせてる場合じゃない。今必要なのは―――精神安定剤だ。
  それは確か右棚に有ったと、彼は徐々に調子を取り戻した。
  右棚の端に、確かにそれは存在していた。
  手にとり、改めて間違いがないか確認する。

  K-358aqアクア・精神安定剤―――

「よしっ!」
  割れないように瓶を掴み、すぐに部屋を後にした。患者の一人にぶつかりそうになるのを回避しつつ、患者の部屋へと急いだ。
  さっき来た道を曲がり、病室に接近する。ゴールはもう目の前である。

  しかし、その時。ゴールの病室から人間のが壁越しに飛んできた。

「なんだ!?」
  他の患者たちも驚いてその部屋を凝視する。疾風は彼らを後ろに下げ、少し耳を傾ける。
  ドン―――
  ドン―――
(なんだ、この音は……………)
  空気を蹴ってるような、それでいて鈍く物理的な音。それに微かに混じっている、声にならないうめき声。
  唾をごくりと飲み込む。ゆっくりと戸に手をかけ、引こうとした―――その時。
  ゴオォォン―――
  と、爆裂音と猛烈な爆風を伴って、
  病室は突如爆破した。



  疾風が意識を取り戻した時、彼はまぶたを閉じていた。ゆっくりと開く瞼には気がのし掛かったような重みがあった。
  一体―――何があった?
  視界はまだボヤけていて、現状が全く掴めない。しかししばらくすれば立ち込めた煙は去っていき―――
  疾風はその世界を目にした。
  そこに広がっていたのは―――

  爆破で粉々になった病室。
  背後で倒れた他の患者たち。
  病室の中で倒れている、負傷した先ほどの看護婦たち。

  疾風はフラッと立ち上がり、破壊された病室の中へと急ぐ。体は奇跡的にかすり傷程度しかなかった。だがそれとは反対に中は酷いほど崩壊していて、ちぎれた電気ケーブルからは火花がバチバチと散り、ひびの入った壁から、時折瓦礫がれきの欠片が落ちてくる。
  うつ伏せに倒れた看護婦たちに夕日は美しく日を浴びせていて、ある意味愛しい雰囲気になっている。
  疾風は屈んで、看護婦たちの脈を測った。
(生きている……………)
  幸い、死んではいないようだ。全員が気を失っているだけである。
(たしか、ここはの病室…………)
  ならば、その患者はどこに?
  生憎、ボロボロに崩壊したベッドには誰もいない。
  疾風が立ち上がったその時、右横の奥でガサッと物音がした。
  フレーベ・カロライナであった。
  髪を乱し、死に損ないのような顔をこちらに向けている。体は傷だらけで、今にも倒れそうだった。
「あ、あんた! 一体これはどういうことだっ!?」
「あ、あぁ……………あぁ……………」
  彼女は疾風には目もくれず、じっと見つめる。
「あぁ……………うん、ちょっと、止めてよ、ね…………」
  初めて言葉を発した。しかし、その目には涙が溢れている。変わらずそこを見つめながら、
「あん、た…………私と……の………仲でしょ? また………だから、やめてよ――――」
  その時。フレーベの体に異変が発現し始める。
「あ、あぁ…………! だから、ごめんって! 私、今まで以上に遊ぶからぁ………! あなたとずっと遊ぶからぁ…………!」
(えっ…………………)
  彼女の体が徐々に。風船に空気を入れるように、少しずつ、少しずつ膨張し―――体は風船のように膨らんで―――
「あ、あぁぁぁ――――」


「アあぁあぁああぁあァアあぁぁアァァアあぁ!」


  フレーベは断末魔を上げて――――
  パアァァァン―――と疾風の目の前で爆死した。

  疾風の顔に彼女の爆死による血飛沫ちしぶきが降りかかる。
  ベチャベチャと吹き出した赤い血が一帯を絶望色に染める。
  フレーベ・カロライナは今、死んだ。
  彼の目の前で。
  謎の言葉を発しながら。
  彼の頭は、もうそこに赤い何かがあるとしか認識できていない。
  信じられない。目の前で―――一体今何が起こった?
  目を死んだように見開き、口を開けたまま膝をついた。
(…………これは、血か?)
  床を浸しているこの赤い液体は――――血か?
(これは―――血、なのか?)
  再確認を行う。手で触れれば、べっとりと絵の具のような感触を得た。
(そうか…………あの患者は、死んだ…………のか)
  そうして『死』という一つのカテゴリーを、彼はようやく頭に発現したのだった。
  フレーベ・カロライナは今死んだ。
  それが恐ろしいことに、自分の目の前で。
「…………一体、何が起こったんだ……………」
  口にそう出したその時。
「あ~あ~! 終わっちゃった!」
  背後上辺りからが聞こえてくる。女の子だ。
  なぜこんなところに女の子がいるのだ――――
  そう考えるひまはなかった。
  風が背後からものすごい勢いで吹いてきた。体が飛ばされそうなくらい強いものだ。
  その時、風に乗って小さな女の子が疾風の前に降り立った。
  ペチャッと血溜まりを踏んだその子は、歳は推定12歳くらいだろうか。純潔の象徴である白のワンピースに、白銀の頭の上には麦わら帽子。疾風に幼女趣味はないが、このままでも十分可愛いらしい子だった。
  疾風はすぐにハッとして、
「君、今すぐここから離れなさい! ここは危険だから!」
  しかし少女はイヤだと答えた。
「わたしねわたしね、今すんっごくひまなの! だからお兄さん。わたしとあそんでほしいの!」
  この状況で少女は眩しい笑顔を見せる。
「なに言ってるんだ…………いつここが崩れてもおかしくないのだから、君ははやく――――」
「むぅ~。あそんでほしいのっ!」
  するとおかしな現象が起こった。麦わら帽子の少女がプイっと指を動かすと、疾風は腹を下からで打ち付けられ、空を舞った。  腹を殴られた時と同じ苦痛が体に染み渡る。
「ぶ、ふがっ―――!」
「あ、やっぱりあそんでくれるんだね!」
  嬉しそうに、さらにプイプイと指を動かす。
  すると次は背後から打ち付けられ、地面に叩きつけられる。休まず横腹、鳩尾みぞおち、頬と、連続してから攻撃をくらう。
「はぁ…………うごっ…………ぅぅ…………」
「ワーイ! お兄さん、スゴくおもしろいね! わたし、お兄さんともっとあそびたいなぁ」
  少女は再び指を構えた。
「ま、まてまて!」
「うん、なに?」  
「今…………僕が受けたのは…………君がやったこと、………なのか………?」
  少女はウンと首を縦に振る。
「わたしだよ! これでいつもみんなとあそんでるの!」
「あ、あそぶ…………?」
「そうだよ! みんなをこんな風にとばして、たっのしいことしてるんだよ!」
  これのどこが楽しいというのか。
「でもね、つまんなくなると、みんなさっきみたいに
「け、消してる………だって………!?」
  彼の脳にフレーベが爆死した瞬間が、走馬灯のように甦る。
「それじゃあ、さっきのも…………!」
「あのお姉さん、もうつまらなかったから消したの。せっかくあそんでいいよって言われてたから、ちょっとかなしいの……………」
「だから…………殺した消したって言うのかっ!?」
「お、怒らないでよ! わたしも、もっとあそびたかったんだから…………」
  ようやくそこで疾風は気づいたのだ。
  部屋に入る前に聞こえた、あの鈍い物理的な音―――
  あれはおそらく、少女の言う『あそび』にフレーベが付き合わされていた音だったのだ。何度も身体中を叩きつけられ、挙げ句の果てに爆死に追いやられたのだ。
  では、もしかしたらこの部屋の爆破もこの少女の仕業では、という可能性が出てくる。
  おかしな話だ。こんなか弱そうな少女によって死人が出ているなんて。
「さてと…………お兄さん、もっとわたしとあそぼうね♪」
  悪魔の指が動き出す。再び自分はあの謎の猛攻を受けるのか。そして死んでいったフレーベ彼女のような展開に行き着くのか。
  脳が逃げ出せと緊急信号を放つ。しかし体は動かない。痛みに苦痛の顔を浮かべながら、疾風は涙を流した。
  死にたくない――――死にたくない!
  彼が死を恐れたその時、

「おいおい、こりゃあ酷いなぁ」

  知らない男の声がした。足音が近づいてくる―――二人だ。足音は二人分ある。
  うつ伏せの状態からではその二人を目にできない。だが疾風を庇うようにして、薄汚れた革靴が目の前に現れた。
  男が疾風の前に立っていたのだ。
  少女はすぐさま顔をしかめた。
「ちょっとおじさん! 今わたしとお兄さんであそんでるの! ジャマしないで!」
  しかし男はヘラヘラ笑ってこう言い放った。

「悪いがお嬢ちゃん…………ここからはお巡りさんの仕事があるんだ。お家に帰ってくれねぇかな?」





  

 

  
  
  
  
  






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