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試練・精霊契約編

第19話《事件へのプロローグ》

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      8


  俺は異世界へと繋がるホールを抜け、地に降りたった。
  場所は、国道B―1号線である。
「丁度いいところに降りたったな。母さんの話だと、この辺りらしいけど………」
  正直の所、あまり当てにはしていない。
  昨日来たのとなんら変わりはない町並み。店の風景。
  ここは異世界。こっちとは違った世界。
  このどこかに、精霊とやらがいるのか………。
  朝となると、流石にあの繁華街も静けさを漂わせていて、新鮮さがあった。ざわつく人盛りも見当たらない。
  俺は歩道の時計を見上げた。
  時刻は、丁度8時である。まだ生徒の登校時間の範疇はんちゅうだ。
  もし今日のうちに見つけ出すとしたら、早めの行動が重要になってくるだろう。
  しかし、そう簡単にはいかないのが現実。
  何故なら精霊は人とは区別がつかないからだ。翼が背中に付いてるとか、耳がピョーンと尖っているわけでもないらしい。だから校長は半ば諦め気味だったろうと、今更ながら思う。
  B―1号線のどこかに、周辺の地図を載せた看板があると、昨日マリナーラから教えてもらった。俺はそれを探す。
  それは日光をキラキラと反射させた美しい川の近くにあった。
「こいつか…………えっと、『カリマ国立図書館』は………」
  カリマ国立図書館―――。
  このモール都市最大の図書館で、あらゆる歴史的文献の書や、買いそびれた本まで何でもござれな所である。
  まずはそこで、精霊のことについて調べてみようと俺は思っているのだ。
  昨日、マリナーラ(酔っぱらう直前の)は言っていた。

『精霊を探すなら、まずカリマ国立図書館に行くべきなのです。あそこなら、きっと精霊に関する有益な情報があるはずなのです!』

「………見つかればいいんだがなぁ………」
  看板で行き先を覚え、早足で目的地に急いだ。
  B―1号線を抜けて、一旦B号線に逆戻り。いつもならこのままラサールの方へ行くところを、その逆方向に突き進んだ先に、それはある。
  植木に囲まれた、灰と黒が交互に塗り変わった装飾の建物で、頭にはソーラーパネルが設置されている。
「ここが………カリマ国立図書館か………」
  巨大。いや、巨大すぎる。
  俺の世界でも、これでもかという図書館は有るにはあるが、これはその何倍もありそうだ。圧倒的存在感で目立っている。
  ガラス張りの出入り口前に立った。自動で開いたそれは、俺を中へいざなった。
  中は中世のヨーロッパのイメージがにじみ出ていた。人朝だから人数は少ない。いや、広すぎて、少なく感じるのかもしれない。

  精霊に関する本はいったいどこだ?

  俺は近くの店員に尋ねた。どうやら三階のフロアにあるとのこと。
  天へ続いてそうな螺旋階段らせんかいだんを登り、三階に足を踏み入れた。
  三階は主に、歴史書や文献を納めたコーナーらしい。残念ながら、そこに人の気配はなく、大量に納まった中からひとりで探し出す必要がありそうだ。
  朝日がステンドグラスに当たって、周辺は神聖染みた空間になっている。こういう所は俺は好きだ。
  俺は近場の棚から見上げて、精霊項目を探す。
  歴史―――文献―――童話―――
「あ、あった!」
  『精霊』。確かにそう書いてある。
  精霊が占めてるスペースは本棚のわずか1パーセント程度で、どれだけ情報が少ないかが伺えた。
  俺は念願の眼差しをそこに向けながら、とりあえずすべて取り出した。すべてと言っても、たった3冊である。しかも結構薄い。
  3冊を持って読書スペースに移動した。
  そこに足を向けると、一人の女性が顔をうつ伏せていた。古びた感じの容姿をしている、奇妙な人だった。しかも背中に大剣を背負ったまま。
「…………な、なんだこの人…………」
  『大剣』からとっさに俺は、オンラインゲームに出てくる主人公を連想した。すると突然、
「どりゃあぁぁぁぁ!?」
「へ!?」
  女は大剣を抜き取り、勢いよく斬りかかってきたではないか。鈍い反射神経を屈指し、俺は刀を抜いた。
  ガシン―――と受け止めた。
「はっ…………はっ…………あれ? 私はいったい………」
「ちょ。ちょっとあんた、 なにしてんですか!?」
「うん、君だれ?」
「それより剣を退かしてくれ!」
「うん、ゴメンゴメン」
  火花を散らして、剣は納められた。俺も刀を納める。
  だ、ダメだ………腕がプルプルと震えている。あの時少しでも反応が遅かったら…………と、イヤな想像が頭に沸きだしてしまう。そんなことを知らない大剣の女は、呑気な顔で、
「あれー、おかしいなぁ………。さっき念願のを見つけたとおもったんだけどなー…………」
「あ、あんた誰ですか! しかもいきなり斬りかかって来て………!」
「うん、私はフレーベ。精霊を研究している人間だよ」
  精霊………!? 俺は女の顔を見直した。
「うん、さっきのはどうやら夢みたいだね。見つけたと思って斬りかかったら、そこにあなたがいた。ただそれだけのことだよ」
「それだけって…………」
  なんだこの人。バカなのか?
「こっちは死ぬかもしれなかったんですよ!?」
「うん、分かってる分かってる。だからそれは本当に申し訳ない…………おや、この本は」
  大した礼儀も弁えず、そそくさにフレーベが興味を移したのは、俺が持ってきた本である。
  いくつか手に持ち、表紙を睨み付ける。
「あなたが持ってきたの?」
  唐突に尋ねられた。
「そうですけど………それがなにか?」
「あなた、精霊に興味があるの?」
「興味があるとか、そういう訳ではなくて…………」
「ふん、くだらないわ」
 そう言って、フレーベは大剣で本をまるごと切り裂いた。
「ちょっ、えぇぇぇぇ!?」
「あなた、こんな本よりも私に頼りなさい」
  切り裂かれ、ズタボロになったそれを無惨にも蹴り飛ばしながら、フレーベは言った。
「私は精霊を研究している身。そこら辺のにわか知識しかないバカと比べたらたいそう知ってるわ。だから、私があなたの疑問に答えてあげる」


      *


  気づけば朝だった。
  透き通った青髪は、この劣悪な環境下においても、決して鮮度が落ちることはなく、むしろ反比例して輝いていた。
  少女はくるまった毛布の中で、目を覚ました。
  外界とを隔てた鉄格子の向こうからまぶしい光線が、こちらまで伸びている。
  もう、朝か。
  少女はそう思った。
  そういえば…………は? 
  ポケットを探ったが、やはりなかった。少女はすぐにかげりに満ちた表情を浮かべた。
  ハンカチ…………。
  産みの親から貰った、唯一の品だった。
  産みの親―――つまり両親だが―――の顔を、少女は何度思い描いたことか。顔の輪郭から思い描き、続いて目を――――とはいかなかった。
  
  なぜそうなったのか? それは少女自身にも理解できなかった。自分がいったいどこで、誰と、どんな風に暮らしていたか。小さい頃はどんな子だったのか。  
  少女を構成するための、根本の部分がそもそも欠けているのである。
  ただ、。それだけは知っていた。
  母親の形見である―――それだけは記憶に焼き付いていて―――ハンカチは、少女への慰めでもあった。今は切り傷の止血に使って、真っ赤に染まってしまったが、元々は無色で柔らかいそれだったのだ。
  あぁ、ハンカチが、ハンカチが恋しい…………。
  外部と隔てた鉄格子の先を見つめ、涙を流しながら思った。その姿はまるで、愛しい恋人と離ればなれとなった織姫のようである。
  しかし、彼女の周辺にいるのは、彦星ではない。
「うぅ…………あぁ……………」
  隣から聞こえてくるうめき声。少女はビクッと怯え、毛布を抱え込んだ。
「ひっ…………非非非非非非非非非非ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
  今度は正面の牢屋から不気味な女の笑い声が。
  すると…………。
  トク―――トク―――トク―――。
  足音がする。この音、このリズム、この時間帯。
  ―――間違いない。
  
  男は正面にやって来た。しかし少女ではなく、不気味な女の方を向いて。
「おい麻薬女。てめぇの飼い主が見つかったよ。よかったなぁ?」
非非非ヒヒヒっ! クスリ、クスリ、クスリクスリクスリ、ハヤクハヤク!」
「わっ! くっつくな気持ちわりぃ!」
  なんのためらいも無く、男は厚底の靴で蹴り飛ばした。それも一度や二度ではない。鈍い音がしばらく続く。少女は頭を抱えた。 
  怖い…………。
  少女は唇を噛み締めた。
  ようやく男は蹴りをやめると、
「チッ…………これだから“売れ残り”の麻薬中毒者はキライなんだ。さっさと消えねーかなコイツ」
「クスリ…………クスリ…………」
  消えそうな声で、なおも女は求めた。懇願した。
「はぁ…………おい、商品ナンバー『213』」
  男は振り返らずに言った。商品ナンバー『213』―――それが少女の名前である。
「はっ、はい…………」
「今日からお前も。よかったな」
「え…………?」
  頭が追い付かなかった。男の発言が、スローで頭に流れ込んでくる。
「だから………が見つかったって意味だよ………へへっ、やっぱ
  その手には札束が一束………いや二束握られている。

  ………

  ガンガン―――ガンガン!―――
  隣から不意に鳴り響く、鉄格子を引き揺らす音。少女は端っこに後退した。
「だ、出して…………ここから出してよぉ…………!」
  隣の住民は、枯れ果てた生命の源を最大限に活用し、彼に助けを求めた。祈願した。
  ガンガン―――ガンガン―――。
「…………っ! うるせぇぞてめぇ!」
  ヤバイ―――
  少女は本能的に察知した。男は隣の鉄格子に駆け込み、そして―――
「い、いやあぁぁぁぁぁぁぁ…………あ、ぁぁぁ、………」
  そこで奈落からの叫びは…………途絶えた。 
  次にやって来たのは、血まみれになったあの男だった。しかしその面は昨夜と何ら変わりはなかった。
  少女は微かに、彼を睨み付ける。自然と怒りと憎しみが沸き起こった。
「………あいや? なんだその顔は、ナンバー『213』?」
「……………」
「………また黙りか。まぁいい。さっきのウザイてめぇのお隣さんを誤って死なせちまったら、自然と怒りも収まったわ」
「………死なせたの?」
「おうよ。を死なせちまったのは、正直後悔で気が動転しそうだが、お前ら二人分の買い手が見つかったからな。それでチャラにするわ」
「………あなたは、なんなの?」
  去っていこうとする男に、少女は投げ掛けた。
「………そりゃあお前、どういう意味だ?」
「………そのままの意味よ。こんなに人を貶して、殺して、あなたは楽しいの? 何が…………目的なの?」
  男は口を開かなかった。ただその気違い染みた視線を送ってくるだけである。
  しばらく沈黙が流れて、男はポツリと言った。
「………
「え…………?」
  少女は顔をあげた。その男の背中はデカく、しかし内面は小さく見えた。
  気弱そうに男は言う。
「お前………これがまさかだと思うなよ。そこは大きな勘違いだからな」
「な、なんですって…………!?」
「俺は単なる下っ端にすぎない。上を見上げれば、まだ遠くに俺を操るヤツは沢山いる。俺はそいつらの命令に従ってるだけだ」
「これが………その上の奴らの命令だというの? いったい何のために………!?」
「さぁな」
  男は少女の囲った檻の鎖を外した。ガチャン、と開くと、中にスタスタと入ってきた。
所詮しょせん俺は。だからそういうやつらには、“目的”ってのは知らされねーわけよ」
  腕を掴まれた。少女は立ち上がらせられた。
「………出ろ、商品ナンバー『213』。てめぇを今から買い手に引き渡す」
  その時………どこからかカモメが飛んできて、男の頭の上に乗った。

  


  





  

  
  
  
  







  
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