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試練・精霊契約編

第15話《虚ろな少女》

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  俺は今、あのカオスから帰還して、マリナーラと一緒に下校している。
  学校を出るまで気づかなかったが、俺は今、あの丘から見えたガラス張りのドームの中にいるのだと言われた。たしかに空を見上げれば、太陽の苦い放射線は遮られ、ちょうどよい適応の斜熱が降りかかる。
  最近異常気象で死にそうな俺たちにとっては勿体ない環境であった。是非とも日本国民の皆さんをここに一度ご招待したい。
「アヤノンちゃんは、『モール都市』は初めてなのですか?」
  彼女は唐突に、しかしトクトクの人形のように歩きながら尋ねてきた。
「モ、モールとし? なにそれ芸名?」
「売れなさそうな芸名なのです。そうじゃなくて、この都市の名前なのです」
「へぇ…………ここモール都市っつーんだ」
「…………アヤノンちゃん。ホントに何も知らないのですね」
「う、うん…………」
  そりゃあ異世界の人間ですから、ね?
  と、つい口に出しそうになるのをどうにか抑えた。あまり騒ぎ立てたくないし、隠した方がいいだろう。
「アヤノンちゃんは、どこに住んでいたのですか? モール都市ここを知らないなんてアリぐらいなのです」
「い、田舎だったんだよ田舎。ホント閉鎖的なところのね!」
  とっさに嘘をついた。みえみえだろうが。
「相当な田舎なのですね………。分かりました。私が色々と教えてあげるのです!」
  この少女にはみえみえではなかったらしい。俺はひそかにラッキーだな、と思った。
  俺が小心者でいると、マリナーラは自慢気に語ってくれた。

  ここモール都市は人口約4500万人の大都市で、世界からあらゆる商品、農作物、科学技術、ファッションを取りそろえた、別名『世界マーケット』と呼ばれているところらしい。
  面積の細かな数値は存じないが、広さは東京の何倍もありそうだった。
  俺たちが今歩いている『モールB号線ごうせん』という国道付近は、繁華街の聖地で、向いて北西の方向には繁華街が集合している。
  いまは昼の1時らしい。人が多そうだ。そこまでは目視でだいぶ距離がある。
「そうだ!」
  もう驚いた。いきなりマリナーラが声をあげた。何か合点した様子だ。少女はこちらに向き直り、
「アヤノンちゃん、今日はお昼まだでしたよね?」
「あ、………そういえばそうだね、………」
「なら、一緒にあそこに行くのです!」
  指を指した先に有ったのは、俺が見つめていた繁華街のそれだった。マリナーラは俺の手を取り、無理やり引っ張った。

  樹木に挟まれたモールB号線をしばらく突き進み、途中の三手の分かれ道で左のモールB-1号線に入った。
  そこからでもすでに見たことのない料理店があるのだが、マリナーラは見向きもせず、ただまっすぐ。目的地はあの繁華街の中のようだ。というか、有無を言わせない彼女の性格に、俺は少し戸惑っている。
「ちょっ………自分で歩くからいいよっ………!」
「そうなのですか?」
  ならば、と言わんばかりに俺は急遽きゅうきょ突き放された。バタンと尻餅をつく。
「い、いきなり放さないでよ………」
「ご、ご免なさいなのです………」
  うーん、何か調子が狂う。
  とにかく俺は立ち上がった。
「繁華街に行くの? 俺今日金持ってきてないよ?」
  それ以前に、今俺は『野口先輩』すら持っていないのだ。
「大丈夫なのです! 今日はアヤノンちゃんと親しくなる記念日! 私が奢るのです!」
「記念日って………」
「さぁさぁ、行くのですよ~!」
「あ、ちょっ………待てよ、速い速い!」
  モールB-1号線をさらに奥へ。その先は繁華街と接続されていた。

  俺の印象は、どこか懐かしい感じの………そう、現代で言えば、商店街アーケードの、あの雰囲気。あれがさらに拡大して、巨大な一つのショッピングモールになったような………。
  いや、これだと分かりにくいな。とにかく商店街アーケードということだ。ただし、今みたいに店にシャッターがしかれてるような現状は全くなくて、どの店も好きなだけ繁盛しているように見える。
「ほらほらアヤノンちゃん! こっちなのですよー!」
「いや、………マジで………速いからっ………!」
  俺をおいて、マリナーラはさっさと中へ入っていく。俺は見失わないよう、何とか足を速めた。
  ホントに走るのはキツい。何故なら俺は刀を腰からぶら下げているからだ。それにもとよりそれほど体力のない俺には、この女体化した体は、ある意味コントロールしずらいのだ。まぁもっと言えば、胸にぶら下げたこのプルんとしたヤツが邪魔で………。
  おっと、走りながら鼻血が出てきた………!

  そんな時である。

  俺は視線をそらしていたため、バタンと通行人と衝突してしまった。
  作用反作用により、互いに正負の力が働き、そして尻餅をついた。本日二度目だ。
「いったたた………あ、すいません! 大丈夫ですか!?」
「……………」
  相手は、虚ろな目をした女の子だった。目元にはクマができていて、けどそれとは関係なしに青い髪が透き通るように美しい。若干日本人のハーフを思わせるその均整な顔立ちは、俺の心を若干揺らがせた。
  少女は何もしゃべらない。口も開かない。ただボーっと上の空。
  これは怒ってるなぁ――――と、そう認識した。
「あの…………ホントすみません! 俺が前を見てなかったばっかりに…………」
「………………、」
「あのー…………?」
「………………はっ!?」
 少女は今気づいたように、目を見開いた。虚ろの瞳に光が戻ってきていた。
  ということは、今まで無意識だったということなのか………?
  少女はビックリした顔で、俺からスリスリと離れていき、すぐに立ち上がって去っていってしまった。
「え? …………あっ、これって…………」
  唖然と立ち尽くす俺の視界に、何かが入り込んだ。すぐ右下。アスファルト状の歩道の上に、目立つ赤色のハンカチが。
「これ………きっとあの子のモノだよな………」
  サッと手に取り、再び視線をもとに戻した。

  少女の姿はもうどこにもなかった。

「………どうしよっかな。このハンカチ………」
「何がどうしたのです?」
「うわっ!?」
  背後からの不意討ち。俺は何故かくるりと回転して再び尻餅を。本日三度目だ。尻が痛い。流石に涙目ものである。
「………っ。マリナーラ。いきなり声かけんなよ。驚いたじゃないか」
「アヤノンちゃんがいつまでも来ないのが悪いのです。私、繁華街を5周するくらい待ってたのですよ?」
「落ち着けよ。てかあの短時間で5周ってやベーなお前」
「なに、魔法を使っただけなのです」
  たしかにマリナーラの手元には例の魔法書がある。ちなみに【初級】レベルのやつだ。
「魔法だなんてずりーぞお前。どおりで速いわけだ」
「ちなみに使った魔法は、『ナンバー761,スピードランニング』なのです!」
「英会話のセールス商品にありそうな名前だな」
「これは、秒速、分速、時速、マッハ関係なしに、その人の平均のスピードの数値をたった1だけしかあげられないザコ魔法なのです」
「うん、地味にスゴいなそれ。なに、これで初級編なわけ? 結構体力数値をあげてるような………」
  これは地味に素晴らしい。しかしそのスゴさを等の本人は理解してないようだ。無垢な瞳を傾げているだけである。
「あ、ほらアヤノンちゃん!」
  手をいきなり握られた。少しドキッとする。
「早く行くのですよ! そうしないとお昼ご飯遅くなっちゃうのです!」
「分かった分かった! 分かったから引っ張るなっ!」

  今日はとりあえず、この少女に振り回されそうである。
  俺は例のハンカチを落とさないよう、とりあえずバックの中にしまい込んだ。

  



  

  
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