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大魔法士グレン
大魔法士グレン.1
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その晩は、丁度一週間の終わりの夜だった。
明日は授業がない。だから、今夜は少しだけ夜更かしをしてもいい。
食堂で夕食を終えれば、生徒たちはめいめいに部屋で話をしたり、古いラウンジでカードゲームをしたり、図書館で本を読んだりして時間を過ごす。いつものユーミルならば、気が向けば気の合う大人しい生徒何人かと話をし、そうでなければ今週の課題の復習に精を出している筈だった。
だが、どうにも手足を動かす気力がない。手足は重く、まして頭はもっと重たく感じる。魔法薬学の教授に提出するポーションの作り直しも、書かなければいけないレポートも溜まっているというのに、そこから逃げようとしている自分自身がいることに、ユーミルはとっくに気がついていた。
『こんな自分は自分らしくない、そうじゃないか?ユーミル・ル=シェ。でも……』
特待生として寮費は免除されていたが、それでも、全く追加の支払いをしていないユーミルに宛てがわれたのは、学生寮の屋根裏にある狭い一部屋だった。夏は暑く、冬は寒く、屋根の形に斜めになった壁の一面には、申し訳程度に採光用の窓がついている。通常は物置部屋として使われるという、他の生徒の部屋とも離れた、長い階段を使わなければ辿り着けないユーミルの部屋を訪れる生徒や教師など、年に数人いるかいないかだった。
最初の頃は、ここはここで静かに勉強に打ち込める環境だと前向きに考えていたのに、今はこの侘しい部屋の静寂が、見えない刃となって出来損ないのユーミルの素肌を切り刻むようだった。勉強のための机は、月の出る夜はランプがいらないだろうという理由で、斜め屋根の内側に取られた小さな窓の前に置いている。
今夜は満月。古来より魔法と相性のいい月の青白く優しい光は、手元を見るには充分過ぎるほど明るく、窓の中から部屋一面に差し込んで、屋根裏の狭い空間を煌々と照らしていた。しかし、そんな月明かりに照らされることすら、今のユーミルには苦痛でしかない。
まるで、出来損ないの自分を、頑張るべきところで頑張れない自分の怠惰を暴かれ、落ちこぼれだと責められているようで。
窓の反対側、壁沿いにあるベッドの上で膝を抱えて蹲り、小刻みに肩を震わせて啜り泣くパジャマ姿のユーミルの繊細な心は、今にも砕け散ってしまいそうなほど軋んで、歪んで、文字通り限界を迎えようとしていたのだ。
その時である。
あまりにも唐突に、普段は誰の訪れもないはずのユーミルの部屋の扉を、コツコツと叩く規則正しい音が聞こえた。
ビクリ、と肩を震わせて顔を上げるユーミルの前で、古い扉の蝶番が、キィ…と鳴き声を立てながら開いた。確か、扉にはしっかりと鍵をかけていたはずなのに。
呆気にとられて瞬きを繰り返すユーミルの前にひょっこり現れたのは、十九歳になった今も身長165フィディッドの小柄なユーミルより遥かに小さな、背中の曲がった長い顎髭の老人だった。
「フォッフォッフォッ、いい月夜じゃなあ…ちょいと、お部屋にお邪魔するとしようかねぇ…」
「え……?」
眼鏡越しに、泣き腫らした緑色の瞳を大きく見開いて、ごく普通に部屋に入ってきた皺だらけの不思議な老人を呆然と見つめた。校章の縫い取りが入った雑用係の服装からすると、この学園の用務員か何かなのだろうか。しかし、三年以上この学園の寮で暮らしているユーミルの記憶に、こんな皺くちゃな老人の姿はない。威厳ある学園長よりも遥かに年上に見える、眉も顎髭も白く長い老人は、まるで小人の長老のような身形をしている。
「あの…?」
「あぁ、ええからええから、ワシのことは気にせずに。ワシゃあ、ちょっーとお節介なだけの、この学園でひっそりと働く用務員さんじゃよ…。フォッフォッフォッ」
曲がった腰で、ベッドの上で三角座りをするユーミルにつかつかと近付いてくる老人は、見た目とは不釣り合いな程に動作が軽く、動きが速い。突然現れた正体不明の老人を、糸のように細めた胡乱な目つきで見つめた。
笑い方も、口調も、登場の仕方も、何もかもがどう考えても不自然で怪しい。だというのに、その老人からは、不思議と悪い気配だけは感じられなかった。
────────
1フィデッド:およそ1cm
1フィッド:およそ1m
明日は授業がない。だから、今夜は少しだけ夜更かしをしてもいい。
食堂で夕食を終えれば、生徒たちはめいめいに部屋で話をしたり、古いラウンジでカードゲームをしたり、図書館で本を読んだりして時間を過ごす。いつものユーミルならば、気が向けば気の合う大人しい生徒何人かと話をし、そうでなければ今週の課題の復習に精を出している筈だった。
だが、どうにも手足を動かす気力がない。手足は重く、まして頭はもっと重たく感じる。魔法薬学の教授に提出するポーションの作り直しも、書かなければいけないレポートも溜まっているというのに、そこから逃げようとしている自分自身がいることに、ユーミルはとっくに気がついていた。
『こんな自分は自分らしくない、そうじゃないか?ユーミル・ル=シェ。でも……』
特待生として寮費は免除されていたが、それでも、全く追加の支払いをしていないユーミルに宛てがわれたのは、学生寮の屋根裏にある狭い一部屋だった。夏は暑く、冬は寒く、屋根の形に斜めになった壁の一面には、申し訳程度に採光用の窓がついている。通常は物置部屋として使われるという、他の生徒の部屋とも離れた、長い階段を使わなければ辿り着けないユーミルの部屋を訪れる生徒や教師など、年に数人いるかいないかだった。
最初の頃は、ここはここで静かに勉強に打ち込める環境だと前向きに考えていたのに、今はこの侘しい部屋の静寂が、見えない刃となって出来損ないのユーミルの素肌を切り刻むようだった。勉強のための机は、月の出る夜はランプがいらないだろうという理由で、斜め屋根の内側に取られた小さな窓の前に置いている。
今夜は満月。古来より魔法と相性のいい月の青白く優しい光は、手元を見るには充分過ぎるほど明るく、窓の中から部屋一面に差し込んで、屋根裏の狭い空間を煌々と照らしていた。しかし、そんな月明かりに照らされることすら、今のユーミルには苦痛でしかない。
まるで、出来損ないの自分を、頑張るべきところで頑張れない自分の怠惰を暴かれ、落ちこぼれだと責められているようで。
窓の反対側、壁沿いにあるベッドの上で膝を抱えて蹲り、小刻みに肩を震わせて啜り泣くパジャマ姿のユーミルの繊細な心は、今にも砕け散ってしまいそうなほど軋んで、歪んで、文字通り限界を迎えようとしていたのだ。
その時である。
あまりにも唐突に、普段は誰の訪れもないはずのユーミルの部屋の扉を、コツコツと叩く規則正しい音が聞こえた。
ビクリ、と肩を震わせて顔を上げるユーミルの前で、古い扉の蝶番が、キィ…と鳴き声を立てながら開いた。確か、扉にはしっかりと鍵をかけていたはずなのに。
呆気にとられて瞬きを繰り返すユーミルの前にひょっこり現れたのは、十九歳になった今も身長165フィディッドの小柄なユーミルより遥かに小さな、背中の曲がった長い顎髭の老人だった。
「フォッフォッフォッ、いい月夜じゃなあ…ちょいと、お部屋にお邪魔するとしようかねぇ…」
「え……?」
眼鏡越しに、泣き腫らした緑色の瞳を大きく見開いて、ごく普通に部屋に入ってきた皺だらけの不思議な老人を呆然と見つめた。校章の縫い取りが入った雑用係の服装からすると、この学園の用務員か何かなのだろうか。しかし、三年以上この学園の寮で暮らしているユーミルの記憶に、こんな皺くちゃな老人の姿はない。威厳ある学園長よりも遥かに年上に見える、眉も顎髭も白く長い老人は、まるで小人の長老のような身形をしている。
「あの…?」
「あぁ、ええからええから、ワシのことは気にせずに。ワシゃあ、ちょっーとお節介なだけの、この学園でひっそりと働く用務員さんじゃよ…。フォッフォッフォッ」
曲がった腰で、ベッドの上で三角座りをするユーミルにつかつかと近付いてくる老人は、見た目とは不釣り合いな程に動作が軽く、動きが速い。突然現れた正体不明の老人を、糸のように細めた胡乱な目つきで見つめた。
笑い方も、口調も、登場の仕方も、何もかもがどう考えても不自然で怪しい。だというのに、その老人からは、不思議と悪い気配だけは感じられなかった。
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1フィッド:およそ1m
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