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病める日も天使と共に。
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「うぁー…。これはダルい──。」
何せ、気候が秋という概念を無視していきなり寒くなるものだから。
「ううぅ…。」
俺は、ティッシュのビニールパッケージから更に一枚のティッシュペーパーを取り出し、思い切り鼻をかんでそのままゴミ箱にダンクシュートを決めた。
ロフトの上に敷かれた布団に、ただただ仰向けになっているしかない、ブザマな風邪っ引きの俺。幸いなことに流行病の類ではないということだけは解ったが、悲しいかな、医者に行ったとしても風邪に対する特効薬などないというのが現実だ。処方された漢方薬を飲んで安静に、という先生の言葉通りに、バイトを休んで一日布団の中にいたが、今年の風邪も例に漏れず、かなりしつこいらしい。
「大丈夫かい?ハルトくん。何か飲んだり食べたりできそうかな?」
今日はBARでのバイトは休みのユキヒトさんが、俺のうめき声を聞きつけてキシキシとハシゴを軋ませながら様子を見に来る。灰色の垂れ目を心配そうに細めて顔を覗かせるユキヒトさんに、完全に大丈夫ではない病んだ表情で咳をしながらヒラヒラと手を振って見せた。
「食欲、無くはない。けどさっき薬飲んだばっかりで、まだ腹減ってないんだ──。ユキヒトさん、あんまり近寄ったら伝染るよ?」
「天使に、病気なんて概念はありません。」
キッパリと言い切られ、そうだった、と思い直す。彼は夜の街でバイトをしているただのしがない壮年男性ではなく、実は背中に灰色の大きな翼を持つ、れっきとした天使なのである。
「そう。じゃあ、もうちょっとしたら卵雑炊でも作ろうか。確か、冷凍庫にラップした余りご飯があったはずだからね。」
「…ユキヒトさん、なんか最近すっかり…所帯じみたよね…。」
簡単な料理を覚え、少しずつ安い調理器具を買い揃えていった天使は、仕事場の店長に教わったことを的確に実践し始めていた。休みになれば何件かのスーパーを回って、少しでも安い、しかし品質の良い食材を捜してくるのが密かなマイブームらしい。
もっとも、彼自身に食事という概念は必要ない。もっぱら俺を食わせ、かつ、気まずくならない程度に一緒に出来栄えを楽しむのが目的で食事をしている。ご飯と味噌汁から始まり、豚キムチ、カレーライス、野菜炒めなどなど、ユキヒトさんの腕前は確実に上がり、レパートリーも増えてきていた。
少ししたら出来るのだろう卵雑炊の味を想像しながら、こういう時は寝るに限ると思って掛け布団を掛け直すのだが、安くて薄い掛け布団では寒さの方が貫通してくる有り様だ。
「布団…あったかいのをもう一枚買ってればよかったよ…。羽根布団とか…。」
「──羽根布団?」
ぱちぱちと瞬きしながら首を傾げるユキヒトさんは、何を思ったか、突然ハシゴを登りきってロフトの上に上がり込んでくる。元々大して広くはないロフト、ただでさえ長身のユキヒトさんが入れば、もうそれでスペースは一杯一杯だ。
「ユキヒトさん──?」
「うん。簡単な料理以外なんにもできない厄介者で穀潰しのぼくだけど、ひとつだけすぐに出来ることがあったな。」
いや自分を悪く言いすぎでしょ!とツッコもうとしたが、激しい咳が出てしまってそれどころではなかった。
布団の上で芋虫になる俺の真横に、ユキヒトさんはごろりと横になる。尋常じゃなく近いところに彼の整った顔があり、あまりの気まずさに、近い!と叫びそうになった瞬間、バサリ、と軽い音がして、何か温かなものが寝込む俺を真上から完全に包み込むのを感じた。
「え──。」
呆気に取られた俺を近いところから見つめ、彼は軽く微笑んだ。その背中から生えてピッタリと俺を覆った、灰色の大きな翼。おとぎ話のようで信じられない、でも確かに本物の、温かな感触。片方の翼だけを大きく伸ばして、その下に俺をすっぽりと包み込んでいる。
「ほら、これで寒くないだろう?こんなに人の多い大都会では空を飛ぶこともできないけど、こういう時には役に立つもんだね。」
「…そりゃ、このスマホ時代に空なんか飛んだら、かなりちょっとした大騒動だわ…。」
親鳥の羽根の下に仕舞われたヒヨコの気分を味わいながら、気まずさより快適さが勝つのを感じて、全身の力をくったりと抜いた。軽くて体温の高い翼に包まれた身体は、確かに、ものすごく温かいのだ。
天使の羽根布団。そんなものがこの世の中にあるなんて。
男同士の普通じゃない距離感とかそういうものより、病気の今は、ユキヒトさんのシンプルな気遣いに素直に甘えることにした。
「…いやコレ、本当に画期的にあったけぇわ──。」
「本当?よかった。今日はBARの仕事も休みだし、熱が下がるまで、こうしてきみの布団になっているよ。」
じんわりと身体を温める体温の中で、なんとも言えない不思議な幸福感に包まれて、素直に眠くなってきた。
「それで、そのうち、ちゃんとした掛け布団を買わないといけないね。ぼくが傍にいない時に、ハルトくんが寒い思いをしないように。」
「…それって、一緒にいる時にはいつでも布団になってくれるって意味でいいの──?」
心配そうなユキヒトさんを横目に、俺はひとつ欠伸をして、熱のある身体を彼にぴたりと添わせる。普段ならそんな甘ったれたことなんか絶対に考えられないけど、コレはきっと熱で心が弱っているせいだ、きっとそうだと思うことにした。
風邪薬の眠気成分が効いたのか、はたまた天使の優しい羽根布団が効いたのかは解らない。でも、もう少ししたらたぶん良くなると確信して、俺はそのまま温かな翼の下で深く寝落ちすることを選んだのだった。
何せ、気候が秋という概念を無視していきなり寒くなるものだから。
「ううぅ…。」
俺は、ティッシュのビニールパッケージから更に一枚のティッシュペーパーを取り出し、思い切り鼻をかんでそのままゴミ箱にダンクシュートを決めた。
ロフトの上に敷かれた布団に、ただただ仰向けになっているしかない、ブザマな風邪っ引きの俺。幸いなことに流行病の類ではないということだけは解ったが、悲しいかな、医者に行ったとしても風邪に対する特効薬などないというのが現実だ。処方された漢方薬を飲んで安静に、という先生の言葉通りに、バイトを休んで一日布団の中にいたが、今年の風邪も例に漏れず、かなりしつこいらしい。
「大丈夫かい?ハルトくん。何か飲んだり食べたりできそうかな?」
今日はBARでのバイトは休みのユキヒトさんが、俺のうめき声を聞きつけてキシキシとハシゴを軋ませながら様子を見に来る。灰色の垂れ目を心配そうに細めて顔を覗かせるユキヒトさんに、完全に大丈夫ではない病んだ表情で咳をしながらヒラヒラと手を振って見せた。
「食欲、無くはない。けどさっき薬飲んだばっかりで、まだ腹減ってないんだ──。ユキヒトさん、あんまり近寄ったら伝染るよ?」
「天使に、病気なんて概念はありません。」
キッパリと言い切られ、そうだった、と思い直す。彼は夜の街でバイトをしているただのしがない壮年男性ではなく、実は背中に灰色の大きな翼を持つ、れっきとした天使なのである。
「そう。じゃあ、もうちょっとしたら卵雑炊でも作ろうか。確か、冷凍庫にラップした余りご飯があったはずだからね。」
「…ユキヒトさん、なんか最近すっかり…所帯じみたよね…。」
簡単な料理を覚え、少しずつ安い調理器具を買い揃えていった天使は、仕事場の店長に教わったことを的確に実践し始めていた。休みになれば何件かのスーパーを回って、少しでも安い、しかし品質の良い食材を捜してくるのが密かなマイブームらしい。
もっとも、彼自身に食事という概念は必要ない。もっぱら俺を食わせ、かつ、気まずくならない程度に一緒に出来栄えを楽しむのが目的で食事をしている。ご飯と味噌汁から始まり、豚キムチ、カレーライス、野菜炒めなどなど、ユキヒトさんの腕前は確実に上がり、レパートリーも増えてきていた。
少ししたら出来るのだろう卵雑炊の味を想像しながら、こういう時は寝るに限ると思って掛け布団を掛け直すのだが、安くて薄い掛け布団では寒さの方が貫通してくる有り様だ。
「布団…あったかいのをもう一枚買ってればよかったよ…。羽根布団とか…。」
「──羽根布団?」
ぱちぱちと瞬きしながら首を傾げるユキヒトさんは、何を思ったか、突然ハシゴを登りきってロフトの上に上がり込んでくる。元々大して広くはないロフト、ただでさえ長身のユキヒトさんが入れば、もうそれでスペースは一杯一杯だ。
「ユキヒトさん──?」
「うん。簡単な料理以外なんにもできない厄介者で穀潰しのぼくだけど、ひとつだけすぐに出来ることがあったな。」
いや自分を悪く言いすぎでしょ!とツッコもうとしたが、激しい咳が出てしまってそれどころではなかった。
布団の上で芋虫になる俺の真横に、ユキヒトさんはごろりと横になる。尋常じゃなく近いところに彼の整った顔があり、あまりの気まずさに、近い!と叫びそうになった瞬間、バサリ、と軽い音がして、何か温かなものが寝込む俺を真上から完全に包み込むのを感じた。
「え──。」
呆気に取られた俺を近いところから見つめ、彼は軽く微笑んだ。その背中から生えてピッタリと俺を覆った、灰色の大きな翼。おとぎ話のようで信じられない、でも確かに本物の、温かな感触。片方の翼だけを大きく伸ばして、その下に俺をすっぽりと包み込んでいる。
「ほら、これで寒くないだろう?こんなに人の多い大都会では空を飛ぶこともできないけど、こういう時には役に立つもんだね。」
「…そりゃ、このスマホ時代に空なんか飛んだら、かなりちょっとした大騒動だわ…。」
親鳥の羽根の下に仕舞われたヒヨコの気分を味わいながら、気まずさより快適さが勝つのを感じて、全身の力をくったりと抜いた。軽くて体温の高い翼に包まれた身体は、確かに、ものすごく温かいのだ。
天使の羽根布団。そんなものがこの世の中にあるなんて。
男同士の普通じゃない距離感とかそういうものより、病気の今は、ユキヒトさんのシンプルな気遣いに素直に甘えることにした。
「…いやコレ、本当に画期的にあったけぇわ──。」
「本当?よかった。今日はBARの仕事も休みだし、熱が下がるまで、こうしてきみの布団になっているよ。」
じんわりと身体を温める体温の中で、なんとも言えない不思議な幸福感に包まれて、素直に眠くなってきた。
「それで、そのうち、ちゃんとした掛け布団を買わないといけないね。ぼくが傍にいない時に、ハルトくんが寒い思いをしないように。」
「…それって、一緒にいる時にはいつでも布団になってくれるって意味でいいの──?」
心配そうなユキヒトさんを横目に、俺はひとつ欠伸をして、熱のある身体を彼にぴたりと添わせる。普段ならそんな甘ったれたことなんか絶対に考えられないけど、コレはきっと熱で心が弱っているせいだ、きっとそうだと思うことにした。
風邪薬の眠気成分が効いたのか、はたまた天使の優しい羽根布団が効いたのかは解らない。でも、もう少ししたらたぶん良くなると確信して、俺はそのまま温かな翼の下で深く寝落ちすることを選んだのだった。
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