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曽根川君と加賀さん
5.再会リフレクソロジー
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■□■
そしていよいよ、あの日から二週間後の週末が訪れる。
今日はノー残業デーにしたから、と言っておき、部下と共に定時で退勤打刻をした。会社の前で部下たちと別れ、一人で最寄り駅の方角に向かって歩いていく。
正直、一年で最も多忙な時期を過ぎても、経理部経理一課長としての加賀の業務は、決して楽なものだけではない。持ち込まれる書類は多く、会議資料の作成、他社との応対、他部門からの質問、その合間を縫って部下の指導や人事考課を行うものだから、会社にいる間は、正しく心身の休まる暇がなかった。
それでも、独り身で仕事に打ち込む分には、何の問題もない。仕事そのものは充実していたが、スーツと、糊のきいたシャツとネクタイ、革靴に包まれている身体に疲れが溜まっているのだけは、誤魔化すこともできなかった。
その疲れを、神業のようなハンドテクニックで癒してくれる存在がいる。昨晩も、スマホに、店で撮ったのであろう生成りのシャツ姿の笑顔の写真と共に、『明日はお待ちしてますからね!』というメッセージが送られてきていた。
年甲斐もなく、浮つく心を抑えきれない。家に向かう電車を途中で降り、繁華街の裏路地にある曽根川の店に向けて、真っ直ぐに歩く。居酒屋やキャバクラの客引きを巧みにかわし、目印にしている赤い看板のラーメン屋の角を曲がって、古びた雑居ビルの前に辿り着く。
年季の入ったエレベーターのボタンを押して、信じられないほど大きな機械音を立てて上昇していく鉄カゴの扉が開けば、そこはもう、『Prana Loka』の看板が掛かった扉の目の前だった。
きゅ、とネクタイのノットを締め直し、柄にもなく緊張している自分自身に気付く。通話機能のないシンプルな呼び鈴を押すと、古く頑丈な鉄の扉が、すぐに内側から開いた。
「はぁい。どうぞ、加賀さん。お待ちしていましたよ──」
「……あぁ」
加賀を出迎えたのは、写真ではない、本物の曽根川だ。
モデルかホストのように綺麗な顔立ち、インナーに赤いメッシュを入れた茶色い髪、派手なピアスを付けた彼は、生成りのシャツと黒のタイパンツという仕事着に身を包み、満面の笑顔で佇んでいた。
後ろ手に重い鉄扉を締め、靴を脱いで上がり込むと、そこはもう都会の喧騒とは切り離された、ジャスミンのアロマオイルが香る落ち着いた一室だ。控えめな音量で流される落ち着いたBGMも、この店の空気全てが訪れた客を癒してくれる。
少し目を細め、部屋の空気を堪能していると、不意に長くしなやかな腕が伸びてきて、両側から背中をぎゅっと抱き寄せられた。咄嗟のことに、目を白黒させながら、加賀の額の上に鼻を押し付けて深呼吸を繰り返す曽根川の腕の中で硬く凍り付く。
「……会いたかった、ハニー。…んー、シャンプーとスタイリング剤と、加賀さんの匂い、大好きですよ…」
「…ちょっ…、ハニーって…!…曽根川君、恥ずかしい!恥ずかしいから…!」
体温の高い身体に思い切り抱きすくめられて、全身の血がざあっと頬に集まってくるのを感じる。流石に、歩いているだけで汗を掻くこともないほど寒くなってきた時期だが、それでも仕事帰りの汗臭さや、年頃的に加齢臭などは充分に気になるものだ。
しばらく抱き締めて、やっと加賀を解放してくれた曽根川は、まるで何事もなかったかのようにへらりと明るく笑いながら、いつものように加賀の鞄を受け取り、代わりに着替えやタオルの入った脱衣カゴを渡してきた。
「お仕事、お疲れ様でした。…まずはしっかり温まって、血行をよくしてきてください。今日も、腕によりをかけてたっぷり気持ち良くしちゃいますから…ね」
色っぽく目を細めながらそう囁かれると、背筋に甘い痺れがぞくんっ、と走ってしまう。普段受けているリフレクソロジーの気持ちよさ、何より思い出してしまうのは、その指が下半身に降りてきて与えてくれる、あの禁断の快楽のことだ。
火照った頬を曽根川に気付かれはしまいか、否、この至近距離では、そんなものはもうとっくに気付かれてしまっているだろう。
脱衣場で服を脱ぎ捨てると、きちんと暖房の効いたユニットバスの中に足を踏み入れる。温度調整をしながら温かなシャワーを浴び始める加賀は、ふと握り締めたシャワーヘッドを見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「──男同士で…する、なら。…必要なこと、なんだろう……?」
そして、備え付けの、オリーブオイルの入ったボディソープのボトルを、決意と共に口を引き結んで、取り上げる。
手のひらの上に多めに流したボディソープは、とろりと淡いクリーム色をしていた。
そしていよいよ、あの日から二週間後の週末が訪れる。
今日はノー残業デーにしたから、と言っておき、部下と共に定時で退勤打刻をした。会社の前で部下たちと別れ、一人で最寄り駅の方角に向かって歩いていく。
正直、一年で最も多忙な時期を過ぎても、経理部経理一課長としての加賀の業務は、決して楽なものだけではない。持ち込まれる書類は多く、会議資料の作成、他社との応対、他部門からの質問、その合間を縫って部下の指導や人事考課を行うものだから、会社にいる間は、正しく心身の休まる暇がなかった。
それでも、独り身で仕事に打ち込む分には、何の問題もない。仕事そのものは充実していたが、スーツと、糊のきいたシャツとネクタイ、革靴に包まれている身体に疲れが溜まっているのだけは、誤魔化すこともできなかった。
その疲れを、神業のようなハンドテクニックで癒してくれる存在がいる。昨晩も、スマホに、店で撮ったのであろう生成りのシャツ姿の笑顔の写真と共に、『明日はお待ちしてますからね!』というメッセージが送られてきていた。
年甲斐もなく、浮つく心を抑えきれない。家に向かう電車を途中で降り、繁華街の裏路地にある曽根川の店に向けて、真っ直ぐに歩く。居酒屋やキャバクラの客引きを巧みにかわし、目印にしている赤い看板のラーメン屋の角を曲がって、古びた雑居ビルの前に辿り着く。
年季の入ったエレベーターのボタンを押して、信じられないほど大きな機械音を立てて上昇していく鉄カゴの扉が開けば、そこはもう、『Prana Loka』の看板が掛かった扉の目の前だった。
きゅ、とネクタイのノットを締め直し、柄にもなく緊張している自分自身に気付く。通話機能のないシンプルな呼び鈴を押すと、古く頑丈な鉄の扉が、すぐに内側から開いた。
「はぁい。どうぞ、加賀さん。お待ちしていましたよ──」
「……あぁ」
加賀を出迎えたのは、写真ではない、本物の曽根川だ。
モデルかホストのように綺麗な顔立ち、インナーに赤いメッシュを入れた茶色い髪、派手なピアスを付けた彼は、生成りのシャツと黒のタイパンツという仕事着に身を包み、満面の笑顔で佇んでいた。
後ろ手に重い鉄扉を締め、靴を脱いで上がり込むと、そこはもう都会の喧騒とは切り離された、ジャスミンのアロマオイルが香る落ち着いた一室だ。控えめな音量で流される落ち着いたBGMも、この店の空気全てが訪れた客を癒してくれる。
少し目を細め、部屋の空気を堪能していると、不意に長くしなやかな腕が伸びてきて、両側から背中をぎゅっと抱き寄せられた。咄嗟のことに、目を白黒させながら、加賀の額の上に鼻を押し付けて深呼吸を繰り返す曽根川の腕の中で硬く凍り付く。
「……会いたかった、ハニー。…んー、シャンプーとスタイリング剤と、加賀さんの匂い、大好きですよ…」
「…ちょっ…、ハニーって…!…曽根川君、恥ずかしい!恥ずかしいから…!」
体温の高い身体に思い切り抱きすくめられて、全身の血がざあっと頬に集まってくるのを感じる。流石に、歩いているだけで汗を掻くこともないほど寒くなってきた時期だが、それでも仕事帰りの汗臭さや、年頃的に加齢臭などは充分に気になるものだ。
しばらく抱き締めて、やっと加賀を解放してくれた曽根川は、まるで何事もなかったかのようにへらりと明るく笑いながら、いつものように加賀の鞄を受け取り、代わりに着替えやタオルの入った脱衣カゴを渡してきた。
「お仕事、お疲れ様でした。…まずはしっかり温まって、血行をよくしてきてください。今日も、腕によりをかけてたっぷり気持ち良くしちゃいますから…ね」
色っぽく目を細めながらそう囁かれると、背筋に甘い痺れがぞくんっ、と走ってしまう。普段受けているリフレクソロジーの気持ちよさ、何より思い出してしまうのは、その指が下半身に降りてきて与えてくれる、あの禁断の快楽のことだ。
火照った頬を曽根川に気付かれはしまいか、否、この至近距離では、そんなものはもうとっくに気付かれてしまっているだろう。
脱衣場で服を脱ぎ捨てると、きちんと暖房の効いたユニットバスの中に足を踏み入れる。温度調整をしながら温かなシャワーを浴び始める加賀は、ふと握り締めたシャワーヘッドを見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「──男同士で…する、なら。…必要なこと、なんだろう……?」
そして、備え付けの、オリーブオイルの入ったボディソープのボトルを、決意と共に口を引き結んで、取り上げる。
手のひらの上に多めに流したボディソープは、とろりと淡いクリーム色をしていた。
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