30 / 58
曽根川君と加賀さん
2.二週間の始まり
しおりを挟む
■□■
プラナ・ローカに通い始めてから、加賀の体調は劇的に改善した。寝つきも寝起きもよく、疲れが身体に溜まりにくい。加賀自身が鏡に向かってシェーバーを使う度に感じるのは、顎周り、そして目許口許のハリの良さである。
ワントーン明るくなった顔色や若々しくなった表情を、加賀より先に目敏く見抜いたのは、おしゃべり好きな若い女性社員たちである。いつも綺麗なネイルを付けている二十代の派遣社員、それに、まだ入社したばかりの新卒社員や、育児休業から戻ってきた三十代の主任まで、何気ないことで加賀に声を掛けてくる機会が増えた。不思議なことに、外見が変化すると、部下とのコミュニケーションの頻度や内容まで違ってくるものだ。
「加賀課長、まだ通ってるんですか?前に言ってた、あのエステ…」
今日も、デスクで伝票を手渡しがてら、愛嬌のある派遣の女子が、長い睫毛の大きい瞳をくりくりさせながら話し掛けてくる。
「最近、信じられないくらい元気になりましたよね、課長。それとも、何かいいこととか、あったんですかぁ?」
「ははは…エステじゃなくて、リフレクソロジーね。エステなんてそんなオシャレなところ、おじさんにはハードルが高すぎるよ。でも、マッサージって、続けてみるものだね…首肩が軽くて調子がいいし」
すっかり眼精疲労も軽減し、溌剌とした目尻に薄い皺を寄せて微笑する。前髪の一部分が白く染まった白髪交じりの髪さえなければ、もう数歳はサバを読んでも通用するのではないだろうかと、最近は自分でもそう思うようになっていた。
横で話を聞いていた女性主任が、羨ましそうに溜息を吐く。
「そこ、丹羽さんが前に紹介してたところですよね…?いいなぁ。産後って、どうしても肌が荒れやすくって…私も行きたいけど、お客さんは男性オンリーなんでしょう?」
「うん、そうみたいだね。曽根…、…セラピストさんが男性だから、じゃないかな」
うっかり口を滑らせそうになって、慌てて取り繕う。幸いなことに、女子社員達は誰も気がついていないらしい。
「私は腕がいいなら気にしないけど、最近は色々ありますからね…。お話聞いてると、羨ましくなっちゃう。旦那に子供預けて、美容整体にでも通ってみようかなあ…」
「仕事と子育てを両立してるんだ。たまにはリフレッシュもいいんじゃない?…あぁ、そうだ…」
和やかな雑談の中で、加賀はふと、とあることを思い出す。この流れであれば軽い乗りで聞けるのではないかと思って、少しばかり声のトーンを潜めて、ゆっくりと口を開いた。
「──今の若い子たちって、SNSとかメッセージとかを気軽に送り合ったりするじゃない?ああいうのって、どう返事すればいいのかな?」
にわかに、話に聞き耳を立てていた部下たちが、一斉に顔を見合わせる。物怖じせずに先陣を切ったのは、興味津々を隠そうともしない、最年少の派遣社員だ。
「え!?なになに、課長、コイバナですか!?もしかして、マッチングアプリとか、やってます?」
「いや!そういうのじゃくて!…あー、うん、プライベートで知り合った男性と、たまたま…アカウントを交換したんだけど、どうも使い方がわからなくてね…」
「なぁんだ、男の人かぁ…」
露骨に残念そうな表情の若い女性が、言葉の裏を探ろうとしなかったのは幸いだった。それも、当然と言えば当然かもしれない。まさか、俳優並みに綺麗な顔でスタイルもいい曽根川という男が、加賀とどういう関係にあるのか、他人は想像すらしないだろう。口で説明したところで信じないかもしれない。
硬い作り笑いを浮かべながらも、皆一様にあてが外れたと言わんばかりの部下たちを、内心安堵しながら見渡す。最初に口を開いたのは、三十代になったばかりの女性主任だった。
「そうですね…男性と女性とでは違うかもしれませんけど、私は友達には、お出かけした時の情報とか、ペットや家族の記念写真を共有したりしますね…」
「そうそう、あと、ランチやディナーの写真とかぁ、コンサート会場で自撮りしたやつとかぁ…特に何もないときは、風景とか、上手くできたお弁当とか、晩ごはんの写真とか、なんか見せたいやつを適当に送っちゃいます」
「晩御飯の写真、か…」
ふむ、と顎に触りながら、若者の意見を頭に入れる。聞いたところで、どのようなやり取りがされていて、何が楽しいのだかは未だによく分からなかったが、少なくとも参考にはなった。
「あっ、課長、写真盛るアプリとか入れてます?写真送るなら、ちゃんと加工して映えさせた方がいいですよぉ?」
「……いや、まだそこまでは理解が追いつかないかな…。ありがとう、参考にさせて貰うよ。さ、仕事に戻ろうか…」
食い気味の若い女性陣の勢いに半ば気圧されながら、加賀は苦笑いでデスクトップのモニターに視線を戻した。
次に曽根川からメッセージが来たら、何を送り返そうか。まだ分からないことが多すぎて、もどかしいほどであったが、ひとつひとつ手探りで向き合っていくのは、不思議と楽しいことだった。
プラナ・ローカに通い始めてから、加賀の体調は劇的に改善した。寝つきも寝起きもよく、疲れが身体に溜まりにくい。加賀自身が鏡に向かってシェーバーを使う度に感じるのは、顎周り、そして目許口許のハリの良さである。
ワントーン明るくなった顔色や若々しくなった表情を、加賀より先に目敏く見抜いたのは、おしゃべり好きな若い女性社員たちである。いつも綺麗なネイルを付けている二十代の派遣社員、それに、まだ入社したばかりの新卒社員や、育児休業から戻ってきた三十代の主任まで、何気ないことで加賀に声を掛けてくる機会が増えた。不思議なことに、外見が変化すると、部下とのコミュニケーションの頻度や内容まで違ってくるものだ。
「加賀課長、まだ通ってるんですか?前に言ってた、あのエステ…」
今日も、デスクで伝票を手渡しがてら、愛嬌のある派遣の女子が、長い睫毛の大きい瞳をくりくりさせながら話し掛けてくる。
「最近、信じられないくらい元気になりましたよね、課長。それとも、何かいいこととか、あったんですかぁ?」
「ははは…エステじゃなくて、リフレクソロジーね。エステなんてそんなオシャレなところ、おじさんにはハードルが高すぎるよ。でも、マッサージって、続けてみるものだね…首肩が軽くて調子がいいし」
すっかり眼精疲労も軽減し、溌剌とした目尻に薄い皺を寄せて微笑する。前髪の一部分が白く染まった白髪交じりの髪さえなければ、もう数歳はサバを読んでも通用するのではないだろうかと、最近は自分でもそう思うようになっていた。
横で話を聞いていた女性主任が、羨ましそうに溜息を吐く。
「そこ、丹羽さんが前に紹介してたところですよね…?いいなぁ。産後って、どうしても肌が荒れやすくって…私も行きたいけど、お客さんは男性オンリーなんでしょう?」
「うん、そうみたいだね。曽根…、…セラピストさんが男性だから、じゃないかな」
うっかり口を滑らせそうになって、慌てて取り繕う。幸いなことに、女子社員達は誰も気がついていないらしい。
「私は腕がいいなら気にしないけど、最近は色々ありますからね…。お話聞いてると、羨ましくなっちゃう。旦那に子供預けて、美容整体にでも通ってみようかなあ…」
「仕事と子育てを両立してるんだ。たまにはリフレッシュもいいんじゃない?…あぁ、そうだ…」
和やかな雑談の中で、加賀はふと、とあることを思い出す。この流れであれば軽い乗りで聞けるのではないかと思って、少しばかり声のトーンを潜めて、ゆっくりと口を開いた。
「──今の若い子たちって、SNSとかメッセージとかを気軽に送り合ったりするじゃない?ああいうのって、どう返事すればいいのかな?」
にわかに、話に聞き耳を立てていた部下たちが、一斉に顔を見合わせる。物怖じせずに先陣を切ったのは、興味津々を隠そうともしない、最年少の派遣社員だ。
「え!?なになに、課長、コイバナですか!?もしかして、マッチングアプリとか、やってます?」
「いや!そういうのじゃくて!…あー、うん、プライベートで知り合った男性と、たまたま…アカウントを交換したんだけど、どうも使い方がわからなくてね…」
「なぁんだ、男の人かぁ…」
露骨に残念そうな表情の若い女性が、言葉の裏を探ろうとしなかったのは幸いだった。それも、当然と言えば当然かもしれない。まさか、俳優並みに綺麗な顔でスタイルもいい曽根川という男が、加賀とどういう関係にあるのか、他人は想像すらしないだろう。口で説明したところで信じないかもしれない。
硬い作り笑いを浮かべながらも、皆一様にあてが外れたと言わんばかりの部下たちを、内心安堵しながら見渡す。最初に口を開いたのは、三十代になったばかりの女性主任だった。
「そうですね…男性と女性とでは違うかもしれませんけど、私は友達には、お出かけした時の情報とか、ペットや家族の記念写真を共有したりしますね…」
「そうそう、あと、ランチやディナーの写真とかぁ、コンサート会場で自撮りしたやつとかぁ…特に何もないときは、風景とか、上手くできたお弁当とか、晩ごはんの写真とか、なんか見せたいやつを適当に送っちゃいます」
「晩御飯の写真、か…」
ふむ、と顎に触りながら、若者の意見を頭に入れる。聞いたところで、どのようなやり取りがされていて、何が楽しいのだかは未だによく分からなかったが、少なくとも参考にはなった。
「あっ、課長、写真盛るアプリとか入れてます?写真送るなら、ちゃんと加工して映えさせた方がいいですよぉ?」
「……いや、まだそこまでは理解が追いつかないかな…。ありがとう、参考にさせて貰うよ。さ、仕事に戻ろうか…」
食い気味の若い女性陣の勢いに半ば気圧されながら、加賀は苦笑いでデスクトップのモニターに視線を戻した。
次に曽根川からメッセージが来たら、何を送り返そうか。まだ分からないことが多すぎて、もどかしいほどであったが、ひとつひとつ手探りで向き合っていくのは、不思議と楽しいことだった。
45
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる