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第一章 Malbenica Nokto(マルベニカ・ノクト)
Malbenica Nokto.1
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たとえ、何処から来たかを知る術がなくとも、
何処へ行くのかを定めるのは、汝自身の足である。
自らの足を運命の枷に繋ぎ、奴隷の身に貶めることなかれ。
─── 聖霊教会祈祷書 晩祷より
新月の夜に沈む深く暗い辺境の森は、赤々と燃える業火に彩られて不気味に影を揺らしている。
広大な糸杉の森、そのそこかしこで高らかな火柱が立ち昇り、逃げ惑う烏や狼のけたたましい叫びが、木々の爆ぜる音に混じって木霊していた。凍える程に澄み切った、禍々しい穢れの夜を彩るに相応しい騒乱は、明らかに神や自然の為せる業ではない。
石の油が燃える不愉快な臭い。そして、立ち昇る黒煙をものともせず、臙脂色の詰襟武装神服の上に羽織った短い黒い外套の裾を靡かせ、硬い軍靴で荒れた土を踏みしめながら、鋭い眼光持つ短い小麦色の金髪をした若い神父は、怨嗟を孕んだどす黒い声を限りに、大声で咆哮した。
「姿を見せろ、吸血鬼──!神と精霊の聖名の許に、我が手で貴様を葬ってやる──!」
火影揺らめく濃青の睛に燃えるのは、揺るぎない憎悪と、純然たる殺戮の意思。身の丈を超える鋼鉄の長棍を片手に握り締めて森を往く若い長身の神父は、必ずや手に掛けると誓った『獲物』の気配を探して、獣が作った道なき道を夜風のように進み続ける。
不意に、その行く手を阻むが如く、高い糸杉の木が軋む音を立てながら倒れてくる。足元を揺るがす地響き。人一人の力では到底切り倒すこともできない若い糸杉の大木を易々と薙ぎ倒してのけた者の存在を具に感じ取り、恍惚にも似た感情と共に若く逞しい神父の蒼い瞳孔が大きく開かれた。
「──不快、だよ、実に。──ああ、不快だ。」
背後に飛び退り、倒れくる大木の幹の下から敏捷に距離を取った神父の前方から、ややしわがれた低い声が、さも憎々しげに響いてくる。力の限りに振り抜けば大熊の頭蓋をも一撃で砕く鋼の長棍を真横に構え、若い神父は、遠く炎が照らし出す禍々しいその姿を、まじろぎもせずじっと凝視していた。
*****
時は、聖教会暦1358年。創世の神が、天上より精霊を遣わして人間の魂を聖なる方角に導くという『聖霊教会』の、最初の教えの一文字が石板に刻まれてから、実に千年以上にわたって、人は常に『人ならぬモノ』との対峙を余儀なくされていた。
それは夜の闇を這いずり、飛び回り、或いは平然と人間になりすまして何食わぬ顔で街に紛れ込む闇の眷属。吸血鬼、食人鬼、そして意思を持たない屍人の群れが、強大な力で人間を翻弄し、餌と為し、また同族に貶めることで、死後の安息から遠ざけようとしてくる者共だった。人々は神に祈り、神が遣わし給うた精霊を宿した者を聖人と崇め奉り、その聖なる力と奇蹟に縋った。
そして、時と共に次第に破邪の技は発展を遂げ、やがては祈りと共に邪悪なる魂に打ち勝つ力を持つ『武装司祭』がという役が誕生し、邪な存在や異端から領地と信徒を守り抜く聖職に従事するようになる。敬虔な信仰心に加え、人並み外れた武芸の腕を必須とする武装した司祭たちは、その訓練を担う聖都の大教会から送り出されて聖都の剣となり、盾となり、あるいは邪な存在が多く存在する辺境の地に配備された。
司祭には、『武装神父』として人々の弛まぬ信心と敬意を受け取る代わりに、その土地に住まう敬虔な信徒たちを邪悪なる者共の手から命懸けで守り抜く必要があった。
殊に、凶つ暗闇、新月の夜には。
何処へ行くのかを定めるのは、汝自身の足である。
自らの足を運命の枷に繋ぎ、奴隷の身に貶めることなかれ。
─── 聖霊教会祈祷書 晩祷より
新月の夜に沈む深く暗い辺境の森は、赤々と燃える業火に彩られて不気味に影を揺らしている。
広大な糸杉の森、そのそこかしこで高らかな火柱が立ち昇り、逃げ惑う烏や狼のけたたましい叫びが、木々の爆ぜる音に混じって木霊していた。凍える程に澄み切った、禍々しい穢れの夜を彩るに相応しい騒乱は、明らかに神や自然の為せる業ではない。
石の油が燃える不愉快な臭い。そして、立ち昇る黒煙をものともせず、臙脂色の詰襟武装神服の上に羽織った短い黒い外套の裾を靡かせ、硬い軍靴で荒れた土を踏みしめながら、鋭い眼光持つ短い小麦色の金髪をした若い神父は、怨嗟を孕んだどす黒い声を限りに、大声で咆哮した。
「姿を見せろ、吸血鬼──!神と精霊の聖名の許に、我が手で貴様を葬ってやる──!」
火影揺らめく濃青の睛に燃えるのは、揺るぎない憎悪と、純然たる殺戮の意思。身の丈を超える鋼鉄の長棍を片手に握り締めて森を往く若い長身の神父は、必ずや手に掛けると誓った『獲物』の気配を探して、獣が作った道なき道を夜風のように進み続ける。
不意に、その行く手を阻むが如く、高い糸杉の木が軋む音を立てながら倒れてくる。足元を揺るがす地響き。人一人の力では到底切り倒すこともできない若い糸杉の大木を易々と薙ぎ倒してのけた者の存在を具に感じ取り、恍惚にも似た感情と共に若く逞しい神父の蒼い瞳孔が大きく開かれた。
「──不快、だよ、実に。──ああ、不快だ。」
背後に飛び退り、倒れくる大木の幹の下から敏捷に距離を取った神父の前方から、ややしわがれた低い声が、さも憎々しげに響いてくる。力の限りに振り抜けば大熊の頭蓋をも一撃で砕く鋼の長棍を真横に構え、若い神父は、遠く炎が照らし出す禍々しいその姿を、まじろぎもせずじっと凝視していた。
*****
時は、聖教会暦1358年。創世の神が、天上より精霊を遣わして人間の魂を聖なる方角に導くという『聖霊教会』の、最初の教えの一文字が石板に刻まれてから、実に千年以上にわたって、人は常に『人ならぬモノ』との対峙を余儀なくされていた。
それは夜の闇を這いずり、飛び回り、或いは平然と人間になりすまして何食わぬ顔で街に紛れ込む闇の眷属。吸血鬼、食人鬼、そして意思を持たない屍人の群れが、強大な力で人間を翻弄し、餌と為し、また同族に貶めることで、死後の安息から遠ざけようとしてくる者共だった。人々は神に祈り、神が遣わし給うた精霊を宿した者を聖人と崇め奉り、その聖なる力と奇蹟に縋った。
そして、時と共に次第に破邪の技は発展を遂げ、やがては祈りと共に邪悪なる魂に打ち勝つ力を持つ『武装司祭』がという役が誕生し、邪な存在や異端から領地と信徒を守り抜く聖職に従事するようになる。敬虔な信仰心に加え、人並み外れた武芸の腕を必須とする武装した司祭たちは、その訓練を担う聖都の大教会から送り出されて聖都の剣となり、盾となり、あるいは邪な存在が多く存在する辺境の地に配備された。
司祭には、『武装神父』として人々の弛まぬ信心と敬意を受け取る代わりに、その土地に住まう敬虔な信徒たちを邪悪なる者共の手から命懸けで守り抜く必要があった。
殊に、凶つ暗闇、新月の夜には。
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