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春待つ者.1
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「──あ…。」
予め告げられていた通り、目覚めるなり力強い腕に引き寄せられ、ムラサキは小さな驚きの声を発した。夜行性の蜘蛛と、昼の太陽の下で生きる蝶とでは身体に刻まれた眠る時間が異なる。先に昼寝から目覚めたのはムラサキで、暫く、眠るシノノメの横でじっと目を細め、頬杖をつきながら、暗がりでその寝顔を微笑みと共に飽かず見詰めていた。恐ろしい毒蜘蛛も、こうしてまじまじと見ればその面輪に随分とあどけなさの名残を留めているものだ。今のムラサキには、それが愛らしくてならない。すれば、唐突に腕を掴まれて、若い雄蜘蛛の胸の中に落とし込まれたのだ。
まだ瞼の上に残る眠気を振り払うように桃色の頭を揺らすシノノメの青い瞳は、夜の暗闇を全て見通す瞳だ。ムラサキにとっては灯りのない薄暗がりでしかない寝床の中でも、辺りの様子が手に取るように解るのだという。
今となっては恐れも嫌悪もなくなったシノノメの背に素直に腕を伸ばして抱き着きながら、軽く頤を傾いで柔らかく唇を重ねた。若い雄が取って見せた急な悪戯を咎めるように、クスクスと幽かな笑声を立てる唇で、幾度も念入りにくちづける。胡蝶を少しばかり驚かせた仕返しを甘んじて受け止めた毒蜘蛛は、ふとムラサキの首筋を見遣り、顔を顰めて舌打ちを鳴らした。
「…あの野郎。痕を付けやがったな──。」
シノノメの温かな指が触れてきたのは、甲虫の手で締め上げられていたムラサキの細く白い首筋だ。つと目を遣れば、力任せに掴み締められていた両方の手首にも、赤黒い不気味な痕跡が痣となって残っていた。道理に反して他人の命を奪おうとする者は、逆にそれを奪われたとて文句は言えぬ。そうは解っていても、その痕は、消えず纏わり付く亡霊のようで、大層気味が悪かった。
と、シノノメが、横たえたまま引き寄せたムラサキの首筋に唇を押し当てる。曇った蝶の表情を見て何を想ったのだろう、彼は、首筋に残る鬱血した痕に沿って、ピチャ、と柔らかな舌を這わせ始めたのだ。
「──あ。」
再び、驚きと擽ったさで小さな声を上げる。翅を震わせて身動ぎするムラサキの嘆息に構うことなく、シノノメは淡々と首の痕跡を舐め続けていた。そこに残されている幻の腐肉の甘ったるい匂いを打ち消すかの仕草は、まるで刻まれてしまった瑕疵を癒やしているように見えた。或いは、これが己のものであると確固と主張する為に、ムラサキの手首にまで唇を押し付けて、ゆるりと丹念になぞってくる。
蜘蛛の舌は濡れて熱く、少しだけざらついて、熱心に舐められれば舐められる程、そこから蕩かされていきそうだった。
「──ん……っ…。」
固めた糖蜜を味わうように、ムラサキの指を一本ずつ口に含んで舌を這わせるシノノメの口角は、少しだけ意地悪に持ち上がっていた。関節をなぞり、爪の隙間にさえ忍び込むように這い回って確かめる舌の動きが、ムラサキの背筋を撓らせ、息をも熱くしているということを、彼は知っている。
少し前ならば、このまま指先を噛み千切られ、肉を喰らわれるのではないかという恐怖で竦み上がっていたであろう蝶の身体は、怯えの代わりに不自然な体温を掻き立てられて微かに震え、酷い焦れったさを覚えていた。
困ったように眉尻を下げ、甘く鼻を鳴らして、シノノメの桃色の髪に顔を埋めて小さな声で囁く。
「…後生だ、シノノメ。もう許してくれ…。君にそうされると、堪え切れなくなりそうだ──。」
「指だけで感じたのか。お前は、本物の雌よりよっぽど雌らしいな。だが、全く嫌いじゃねえ。」
「私をこんな風にしたのは、君だろう…?」
抱き寄せられたムラサキの下腹は、どう取り繕うこともできないほど熱を集めている。
シノノメの手で暴かれ、シノノメの為に造り変えられたこの肉体は、その乱暴な愛撫の手管にすら容易く靡いてしまうというのに。
ムラサキの甘い恨み言を聞きつけ、シノノメはにやりと笑いながら蝶を捕まえて身体を反転させる。あっという間に、仰向けになったシノノメの身体の上に乗せられる格好になり、姿勢を崩しそうになった弾みで反射的に背中の翅を軽く拡げてしまった。鮮やかな斑模様の、大きな翅。
途端に、翳りある青い目が露骨に曇りを浮かべる。
「──傷が、増えたな。」
ほんの無意識に広げた斑の翅の淵を、シノノメの手がそっと撫でる。首を絞められ、瀕死の瀬戸際で足掻いた時に、壁に打ち付けたせいでまた少し鱗粉が擦れたのだろう。こうして色鮮やかさを喪っていく蝶の翅もまた、森に生きる蟲人の理であるのだ。
「──あ…。」
予め告げられていた通り、目覚めるなり力強い腕に引き寄せられ、ムラサキは小さな驚きの声を発した。夜行性の蜘蛛と、昼の太陽の下で生きる蝶とでは身体に刻まれた眠る時間が異なる。先に昼寝から目覚めたのはムラサキで、暫く、眠るシノノメの横でじっと目を細め、頬杖をつきながら、暗がりでその寝顔を微笑みと共に飽かず見詰めていた。恐ろしい毒蜘蛛も、こうしてまじまじと見ればその面輪に随分とあどけなさの名残を留めているものだ。今のムラサキには、それが愛らしくてならない。すれば、唐突に腕を掴まれて、若い雄蜘蛛の胸の中に落とし込まれたのだ。
まだ瞼の上に残る眠気を振り払うように桃色の頭を揺らすシノノメの青い瞳は、夜の暗闇を全て見通す瞳だ。ムラサキにとっては灯りのない薄暗がりでしかない寝床の中でも、辺りの様子が手に取るように解るのだという。
今となっては恐れも嫌悪もなくなったシノノメの背に素直に腕を伸ばして抱き着きながら、軽く頤を傾いで柔らかく唇を重ねた。若い雄が取って見せた急な悪戯を咎めるように、クスクスと幽かな笑声を立てる唇で、幾度も念入りにくちづける。胡蝶を少しばかり驚かせた仕返しを甘んじて受け止めた毒蜘蛛は、ふとムラサキの首筋を見遣り、顔を顰めて舌打ちを鳴らした。
「…あの野郎。痕を付けやがったな──。」
シノノメの温かな指が触れてきたのは、甲虫の手で締め上げられていたムラサキの細く白い首筋だ。つと目を遣れば、力任せに掴み締められていた両方の手首にも、赤黒い不気味な痕跡が痣となって残っていた。道理に反して他人の命を奪おうとする者は、逆にそれを奪われたとて文句は言えぬ。そうは解っていても、その痕は、消えず纏わり付く亡霊のようで、大層気味が悪かった。
と、シノノメが、横たえたまま引き寄せたムラサキの首筋に唇を押し当てる。曇った蝶の表情を見て何を想ったのだろう、彼は、首筋に残る鬱血した痕に沿って、ピチャ、と柔らかな舌を這わせ始めたのだ。
「──あ。」
再び、驚きと擽ったさで小さな声を上げる。翅を震わせて身動ぎするムラサキの嘆息に構うことなく、シノノメは淡々と首の痕跡を舐め続けていた。そこに残されている幻の腐肉の甘ったるい匂いを打ち消すかの仕草は、まるで刻まれてしまった瑕疵を癒やしているように見えた。或いは、これが己のものであると確固と主張する為に、ムラサキの手首にまで唇を押し付けて、ゆるりと丹念になぞってくる。
蜘蛛の舌は濡れて熱く、少しだけざらついて、熱心に舐められれば舐められる程、そこから蕩かされていきそうだった。
「──ん……っ…。」
固めた糖蜜を味わうように、ムラサキの指を一本ずつ口に含んで舌を這わせるシノノメの口角は、少しだけ意地悪に持ち上がっていた。関節をなぞり、爪の隙間にさえ忍び込むように這い回って確かめる舌の動きが、ムラサキの背筋を撓らせ、息をも熱くしているということを、彼は知っている。
少し前ならば、このまま指先を噛み千切られ、肉を喰らわれるのではないかという恐怖で竦み上がっていたであろう蝶の身体は、怯えの代わりに不自然な体温を掻き立てられて微かに震え、酷い焦れったさを覚えていた。
困ったように眉尻を下げ、甘く鼻を鳴らして、シノノメの桃色の髪に顔を埋めて小さな声で囁く。
「…後生だ、シノノメ。もう許してくれ…。君にそうされると、堪え切れなくなりそうだ──。」
「指だけで感じたのか。お前は、本物の雌よりよっぽど雌らしいな。だが、全く嫌いじゃねえ。」
「私をこんな風にしたのは、君だろう…?」
抱き寄せられたムラサキの下腹は、どう取り繕うこともできないほど熱を集めている。
シノノメの手で暴かれ、シノノメの為に造り変えられたこの肉体は、その乱暴な愛撫の手管にすら容易く靡いてしまうというのに。
ムラサキの甘い恨み言を聞きつけ、シノノメはにやりと笑いながら蝶を捕まえて身体を反転させる。あっという間に、仰向けになったシノノメの身体の上に乗せられる格好になり、姿勢を崩しそうになった弾みで反射的に背中の翅を軽く拡げてしまった。鮮やかな斑模様の、大きな翅。
途端に、翳りある青い目が露骨に曇りを浮かべる。
「──傷が、増えたな。」
ほんの無意識に広げた斑の翅の淵を、シノノメの手がそっと撫でる。首を絞められ、瀕死の瀬戸際で足掻いた時に、壁に打ち付けたせいでまた少し鱗粉が擦れたのだろう。こうして色鮮やかさを喪っていく蝶の翅もまた、森に生きる蟲人の理であるのだ。
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