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 何時いつの頃からか、雅臣は知っていた。

 自分には、止むに止まれぬ事情で赤ん坊の頃に養子に出された兄がいるのだと。
 決して幸福とはいえない冷淡な家族関係の中で、何時の間にか思い描いていた兄の存在。
 会ったこともない、顔も知らない兄の偶像を心の中に描き続け、妄執に近い歪んだ願望を加えて組み立てた理想の存在は時と共に一人歩きし、そして雅臣が社会の中で確とした地位を手にしたとき、妄執は金の力を借りて速やかに具現化されていく。

 居所を突き止め、接触し、そして気の遠くなるような長い時間を掛けて。

 全ては、雅臣の中の壮大な妄念を現実のものにし、完成に導くためのパズルのピースに過ぎなかった。



 「なあ、初めてセックスした時のこと、覚えてる?」

 唐突に切り出す弟の顔を、兄は空恐ろしいものを見る目付きで見上げた。

 「文哉は初めてだったんだよな。泣いて、縋って、でも最後にはちゃんとキスをくれた。不器用だけど抱き締めて、時間は掛かるけど俺を受け容れてくれるって言ったよな。俺がその時、どれだけ嬉しかったか解る?」
 「雅臣…!」

 歪んだ両眼に薄ら涙を纏わせ、嫌々と首を振る文哉。
 それ以上の背徳を吐いてくれるな、五年もの間無知の内に交わしてきた甘い想い出をその軌跡ごと覆してくれるな、とでも言わんばかりに掌で両耳を塞ぎ、言霊の束縛を逃れようと足掻いているかに見える。

 「やっとひとつになれた…そのことだけで、泣きそうなくらい嬉しかったよ。本当はあの時にこう呼びたかったんだ。」

 弧を描く紅い唇を実にゆっくりと開き、禁忌の一言を発する。

 「…兄さん。」
 「止めろッ!」

 微笑みながらささやかれる、とどめのような背徳の単語に、文哉の喉から絶望に掠れた悲鳴が迸った。
 未だ掴まれたままの拳を振り解こうと必死で腕を振り、身を捩る。兄でありながら頭一つ分は背丈の低い文哉の腕を軽く捻り上げ、力一杯ソファに突き飛ばして、雅臣は天を仰いで嗤った。

 「今更だろ?さあ、じっとして。抱かせろよ、初めて本当の『兄さん』になった文哉を。」
 「雅臣ッ!…狂ってる、お前は狂ってる!」
 「さぁ。狂っているのは世界と俺と、どっちだと思う…?」

 三人掛けの広いソファの上に押さえ付けられ、かつて恋人だった存在、実の弟の狂気を見詰めて心底からの恐怖に顔を歪める文哉。
 身を捩り、叫びながら暴れ続けるその頬を乱暴に張り飛ばして抵抗を封じた。
 鉤爪の様な指で力任せにシャツを引き裂いて、雅臣は恍惚と双眸を細める。

 「ずっとこうしたくて仕方がなかったんだよ…、いつもみたいに受け容れてよ?キスして、脚を開いて、甘く鳴いて。これだけ長いこと一緒に居たじゃないか…そうだろう?文哉兄さん。」
 「止めてくれ、頼むから止めてくれ…ッ!」

 乱暴に肌を弄り、充分に知り得た性感帯をひとつひとつ探り当てて辿る指。
 兄と呼ぶ度に、何処となく自分に似た文哉の顔は悲痛な程に歪む。殴った時に咥内が切れたのだろう、口端から伝わる一筋の血潮を舐めて、その鉄錆をじっくりと味わった。

 「同じ味がする…。俺たちは、やっぱりひとつになるべきなんだ。」
 「雅臣っ…!」

 生まれてから今まで、こんなに悲痛な声で名前を呼ばれたことがあっただろうか。

 何よりも麗しい、待ち望んでいたその声で。
 歪んだ憧憬を抱いていた、血を分けた兄の声で。
 身体の下に組敷かれ、望まない行為に怯えながら息を喘がせる兄の姿は確かに美しく艶を帯び、何者にも替え難く手離し難い、いとおしいものであるように感じる。
 同じ血を分けるが故に、尚更。

 そして、絶望に身悶える兄の苦痛の中で、雅臣の悲願はようやく成就した。


 「ひ…ッ、痛…、痛い……ッ……!」
 「ほら、解るか…?俺が中に居るの。狭くて…とても暖かいよ、兄さん?」

 繋がった部分から伝う、同じ遺伝子を持つ真っ赤な血。無理矢理に繋げた身体を揺さぶって傷を深め、遂に文哉の最奥へ辿り着いたその瞬間、深い溜息と共に、雅臣の目許から一筋の透明な雫が零れて落ちる。

 何よりも心地良い背徳の快楽に身を委ねながら、痛みに喘ぎ泣く唇に唇を寄せ、吹き入れる言葉は果たして罪なのだろうか。

 解らない。本当に長い時間を掛けて培われた妄執が雅臣の心を焼き尽くし、それは文哉の身体と心にも燃え移って、じりじりと灼き焦がしていった。
 

 絶望と苦痛に喘ぐ兄の身体を精一杯優しく抱き締め、頬と頬を摺り寄せて、実に無邪気な声色で雅臣は囁く。

 「ずっと一緒に居よう、兄さん…。」



 窓の外では、雨がしとしとと降り続いていた。


-FIN-
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