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 話は、五年程前にさかのぼる。

 若きベンチャービジネスの成功者としてそれなりの富を得た雅臣は、取引先を通じて、とある商社勤めの男と出会った。
 物静かな風貌に笑みを絶やさず、いつもきちんとスーツを着こなして商談の場に現れる一人の男、それが文哉。色の淡い焦茶の虹彩と、やや色素の淡い茶色の髪を持つ男とはどういう訳か趣味や好みが似通っており、初対面で会話を弾ませて以来、プライベートでも頻繁に付き合いを持つようになる。

 出会いから二年が経過し、互いに気の置けない存在になった時、雅臣は自分の性癖を男性にしか興味の持てないゲイだと明かし、戸惑いながらもそれを受け容れてくれた文哉とその場で関係を持った。

 以来三年間、温和な性格の文哉に支えられての関係は崩れることもなく続き、やがては同じ部屋で生活するようになり、そして出会いから丁度五年が経過した記念日に、雅臣はひとつの提案を切り出す。

 『同じ苗字にならないか?』

 養子縁組。それは同性同士での結婚を禁じた現行の法律の中で、男性カップルの絆を強固なものにするためのひとつの儀式である。

 流石に文哉も難色を示した。どちらがどちらの苗字になるのか、そもそも養子という関係で構わないのか。世間には何と言い訳をするのか。
 半ば文哉が言いくるめられる形ではあったが、様々な困難をひとつひとつ乗り越えるべくして話し合った結果、表向きには親戚内での相続問題で揉めているということにして、天涯孤独で比較的融通の利く雅臣が文哉の籍に『弟』として入るという形で決着が付いた。

 初めのうちこそ戸惑いを隠せなかった文哉だが、いざ手続きとなるとそれなりに心が弾んできたのだろう。あれこれと手を回して世話を焼くようになった文哉の様子を見守りながら、雅臣は人知れず、長年の悲願を成就させる時期の到来が近いことを知る。


 六月。それは雨の好きな二人が出会った季節であり、初めて身体を重ねた季節であり、そして幸福な花嫁の伝承を持つ季節でもある。
 その時期を敢えて選んで、雅臣は文哉に願い事をした。彼が断れないのを知って、仕事が忙しいので自分の代わりに書類を取りに役所に行って欲しい、と…。




 「だから?」

 どこまでも平然とした雅臣の口調に、文哉の表情が歪んで凍り付く。

 「だからどうしたって言うんだよ、文哉。元々ひとつだったものが、やっとあるべき姿に戻るだけの話じゃないか。本当の兄弟なら、姓は同じであるべきだ。違うか?」
 「狂ってる…!」

 信じ難い発言をまことしやかに述べる恋人だった存在、血の繋がった実弟を見上げ、驚愕に震える文哉の唇が掠れ声で吐き棄てる。
 その声を聞いて、雅臣は笑った。焦茶色の虹彩を持つ眸を細めて肩を揺らがせ、実に愉しげに淡々と響く笑声を耳にして、眉を吊り上げる文哉の顔にさっと怯えの色が走る。

 「そんな顔するなよ、大した事じゃないだろう?元々何もかも似通ってる二人なんだ、俺たちは絶対に上手く行く。今までだってそうだっただろうに。」
 「…まさか、知っていたのか、お前…。五年前から知っていて、それで俺に…?」

 文哉の双眸にありありと映し出された色は、何だろう。
 知らず知らず背徳を押し付けられたことへの恐怖、嫌悪、そして酷い裏切りへの絶望。
 この五年間見ることのなかった負の感情が交じり合い、蝋人形の様な顔を強張らせている。そんな彼を見て、只穏やかに笑い続ける雅臣。

 それは、文哉にとってはあまりに残酷な、血を吐くような問いへの『肯定』である。


 兄弟同士でそれと知りつつ身体を重ね、心を交わし合うという行為。その事実が孕む禁忌の意味を兄は只管ひたすらに忌避し、そんな兄を淡々と眺める弟は、同じ色の瞳で穏やかに笑う。
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