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写本師日記【序】 -エル・ジャグビラまでの道中のこと-
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「荷馬車でワイン樽と一緒に揺られる旅程はお世辞にも快適とは言いがたかったが、なかなかに趣のあるものではあった。上を見れば夏特有の濃い青空、そこに夕方にはにわか雨をもたらすであろう入道雲が湧き上がっていて、横はこの蒸し暑さをもたらす原因であるところのピアガルッア山脈が聳えているのが見えた。
燦々と照る日は光暈を起こさんばかりで、『こんなに暑い日は魔物も出てこないのでは』と隊商長は呑気なことを言っていたが、それは全くの見当違いだった。
そろそろ今日の目的地、エル・ジャグビラが見えてこようかという頃、突然黒曜狼が馬車の前に飛び出してきたのだ。
真っ黒で、自分と同じほどに大きい狼。驚いた馬が立ちあがり、馬車から振り落とされそうになったところを座席にしがみついて耐える。後方からも叫び声が聞こえてきたのは、そちらにも狼が出たことを示していた。
『大丈夫です! 馬車から出ないで!』
叫びながら私は杖を出し、商隊の周囲に防御障壁を張った。
『この暑いのに元気なこって』
横に座っていたダイモンが大きく伸びをし、背中で括っている黒褐色の髪の毛を払いながら剣を抜いた。幌から顔を出すと、彫りの深い顔にはっきりと陰影がつく。
『ま、いっちょ後悔させてやりますかね』
にやりと笑って振り向く顔に背伸びをし、軽く唇を合わせる。魔力を吹き込んでやると、ダイモンが持った剣の刃先が青い炎を纏った。
『前足の爪には毒があるぞ、気をつけろ』
『りょーかい』
そう言ったダイモンは軽く腰をかがめたかと思うと、馬車の荷台を蹴って大きく跳び上がった。青緑色のマントをはためかせたかと思うと、私が空中に浮かせた荷物を足場にし、障壁を容易く飛び越えていく。
『おらっ、魔剣士エウダイモノス様と魔術師コーディエライト様のお通りだぜ、道を開けろ犬っころどもっ!』
そう叫びながら、ダイモンは一番手前にいた狼を切り伏せ――」
「なあ、まだ仕事終わんねえの?」
コーディエがノートから顔を上げると、ベッドに転がったダイモンがコーディエを見ていた。簡素だが掃除の行き届いた宿屋の一室。退屈そうな仏頂面を、机の上に置いたランプが照らしている。
「明日は早いんだし、さっさと寝ようぜ」
コーディエとダイモン、二人は今ワイン商の隊列の護衛をしている。最終的な目的地は「美食の国」ガレーアだが、それまでにいくつもの街や国を回り、仕入れや販売をする予定だそうだ。雇い主たちが街で商いをしている間は休暇となるので、明日はこの町の名物だという朝市を冷やかしに行く予定だった。
ここしばらくはずっと荷馬車生活だったから、宿屋のベッドに入れるのは久しぶりである。早く寝たいのはコーディエも同じだった。
「いや、これは仕事じゃないよ」
軽く頭を振り、コーディエはまた続きを書く作業に入った。旅に出るときに写本師としての仕事の大部分は減らしてきたのだが、それでも「ぜひあなたに頼みたい、時間はいくらかかっても構わない」と言ってくる客はちらほらいるのだ。
「じゃあ何だよ」
「日記だ」
「へえ、『今日はどんな体位で、何回イかされました』とか書いてんのか」
「そ、そんなこと書くわけないだろ⁉ そうじゃなくて、今日あったこととか、食べたものとか、そういうのに決まってるだろ!」
ふうん、と相変わらず面白くもなさそうな響きの相槌が聞こえてくる。
「こうしておけば……君がいなくなっても、ずっと思い出を残しておけるからな」
コーディエが言うと、ばさりとダイモンが起き上がる音がした。足音が近づいて来たかと思うと、伸びてきた大きな手に日記帳がばたりと閉じられる。
「ちょっと、ダイモン! 何するんだ!」
文句を言うと、「うるせえ」と言いながらダイモンはインク瓶に蓋をした。コーディエが持っていたペンも強引にもぎ取り、その腕を引っ張る。
「まだ途中なんだが!」
ランプも消され、強引にベッドに引きずり込まれたコーディエがさらに声を上げると、「うるせえつってんだろ」と再度唸ったダイモンが、その上に跨ってきた。
ぎらりとした、昼間見た狼のような瞳に見下ろされる。暗い中でも見えるほどの輝きにコーディエは体の芯がぞくりとした。
「俺がいるうちはな、俺だけ見てろ、ばーか」
「なっ……ん」
横暴ともいえる言葉に抗議しようと開いた口は、ダイモンのキスに塞がれた。
「やっ、あ……」
その吐息が甘い嬌声になり、そしてそこにベッドの軋みと濡れた音が加わるようになるまで、幾分の時間もかからなかった。
【終】
燦々と照る日は光暈を起こさんばかりで、『こんなに暑い日は魔物も出てこないのでは』と隊商長は呑気なことを言っていたが、それは全くの見当違いだった。
そろそろ今日の目的地、エル・ジャグビラが見えてこようかという頃、突然黒曜狼が馬車の前に飛び出してきたのだ。
真っ黒で、自分と同じほどに大きい狼。驚いた馬が立ちあがり、馬車から振り落とされそうになったところを座席にしがみついて耐える。後方からも叫び声が聞こえてきたのは、そちらにも狼が出たことを示していた。
『大丈夫です! 馬車から出ないで!』
叫びながら私は杖を出し、商隊の周囲に防御障壁を張った。
『この暑いのに元気なこって』
横に座っていたダイモンが大きく伸びをし、背中で括っている黒褐色の髪の毛を払いながら剣を抜いた。幌から顔を出すと、彫りの深い顔にはっきりと陰影がつく。
『ま、いっちょ後悔させてやりますかね』
にやりと笑って振り向く顔に背伸びをし、軽く唇を合わせる。魔力を吹き込んでやると、ダイモンが持った剣の刃先が青い炎を纏った。
『前足の爪には毒があるぞ、気をつけろ』
『りょーかい』
そう言ったダイモンは軽く腰をかがめたかと思うと、馬車の荷台を蹴って大きく跳び上がった。青緑色のマントをはためかせたかと思うと、私が空中に浮かせた荷物を足場にし、障壁を容易く飛び越えていく。
『おらっ、魔剣士エウダイモノス様と魔術師コーディエライト様のお通りだぜ、道を開けろ犬っころどもっ!』
そう叫びながら、ダイモンは一番手前にいた狼を切り伏せ――」
「なあ、まだ仕事終わんねえの?」
コーディエがノートから顔を上げると、ベッドに転がったダイモンがコーディエを見ていた。簡素だが掃除の行き届いた宿屋の一室。退屈そうな仏頂面を、机の上に置いたランプが照らしている。
「明日は早いんだし、さっさと寝ようぜ」
コーディエとダイモン、二人は今ワイン商の隊列の護衛をしている。最終的な目的地は「美食の国」ガレーアだが、それまでにいくつもの街や国を回り、仕入れや販売をする予定だそうだ。雇い主たちが街で商いをしている間は休暇となるので、明日はこの町の名物だという朝市を冷やかしに行く予定だった。
ここしばらくはずっと荷馬車生活だったから、宿屋のベッドに入れるのは久しぶりである。早く寝たいのはコーディエも同じだった。
「いや、これは仕事じゃないよ」
軽く頭を振り、コーディエはまた続きを書く作業に入った。旅に出るときに写本師としての仕事の大部分は減らしてきたのだが、それでも「ぜひあなたに頼みたい、時間はいくらかかっても構わない」と言ってくる客はちらほらいるのだ。
「じゃあ何だよ」
「日記だ」
「へえ、『今日はどんな体位で、何回イかされました』とか書いてんのか」
「そ、そんなこと書くわけないだろ⁉ そうじゃなくて、今日あったこととか、食べたものとか、そういうのに決まってるだろ!」
ふうん、と相変わらず面白くもなさそうな響きの相槌が聞こえてくる。
「こうしておけば……君がいなくなっても、ずっと思い出を残しておけるからな」
コーディエが言うと、ばさりとダイモンが起き上がる音がした。足音が近づいて来たかと思うと、伸びてきた大きな手に日記帳がばたりと閉じられる。
「ちょっと、ダイモン! 何するんだ!」
文句を言うと、「うるせえ」と言いながらダイモンはインク瓶に蓋をした。コーディエが持っていたペンも強引にもぎ取り、その腕を引っ張る。
「まだ途中なんだが!」
ランプも消され、強引にベッドに引きずり込まれたコーディエがさらに声を上げると、「うるせえつってんだろ」と再度唸ったダイモンが、その上に跨ってきた。
ぎらりとした、昼間見た狼のような瞳に見下ろされる。暗い中でも見えるほどの輝きにコーディエは体の芯がぞくりとした。
「俺がいるうちはな、俺だけ見てろ、ばーか」
「なっ……ん」
横暴ともいえる言葉に抗議しようと開いた口は、ダイモンのキスに塞がれた。
「やっ、あ……」
その吐息が甘い嬌声になり、そしてそこにベッドの軋みと濡れた音が加わるようになるまで、幾分の時間もかからなかった。
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