マルコシウスと滋ヶ崎

にっきょ

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マルコシウス、おしごとをする

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 20分ほど運転し、一軒の民家の前で場所を確認してから滋ヶ崎は車を停めた。トランクからバケツや養生テープ、高圧洗浄機を取り出し、横のマルコシウスに押し付ける。

「いいか、ここお客さんの家だからな? 分かってるよな? 普段みたいな態度取ったら二度と口利けなくするからな? 客は長命種だと思って極力黙ってろよ?」
「何回言うんですか……分かってますって」
「怪しいから言ってんだよ」

 まあマルコシウスが喋れなくなったところで困るのは本人だけだし、大人しくなって好都合かもしれない。滋ヶ崎がインターホンを鳴らすと、家の中からちょこちょこと老婆が出てきた。小さい体と丸っこい体形、少し曲がった腰。にこにこと笑う様子は「おばあちゃん」という表現がぴったりだ。

「どうも、なんでも屋滋ヶ崎です」
「あらあ、お待ちしてましたよ。本日はお願いしますね」
「4箇所あるとのことですが、どちらから始めましょうか」
「それじゃあ、リビングからお願いしましょうかね」

 今日の依頼は「エアコンクリーニング」だ。先導されてリビングに向かい、作業内容と手順を説明してからエアコン回りを養生する。のたのたと養生テープを貼るマルコシウスをどつきたくなるが、そこは客先だし、キレたマルコシウスが騒ぎはじめる方が面倒なので我慢する。

「んぁっ!?」

 マルコシウスが変な声を上げたのは、3つ目のエアコンがあるという娘の部屋に入った時だった。驚いて振り向いた滋ヶ崎に、持っていたテープやビニールを押し付けてうずくまる。

「な、なんだ、どうした、え?」

 滋ヶ崎が慌てて覗き込むと、マルコシウスの顔は真っ赤になっていた。潤んだ目と蕩けるような表情は、昨晩滋ヶ崎が布団の中で見たものと同じである。

「えっお前女性の部屋入っただけでそんな興奮すんの……きもちわる……」
「違っ……そうじゃなくて、これっ……」
「あら、どうしたの?」

 首を振るマルコシウスの後ろから、依頼人が顔を出す。

「すいません、持病の性欲です」
「なっ」

 滋ヶ崎の身も蓋もない表現にマルコシウスが目を剥く後ろで、笑みを崩さぬまま愛嬌たっぷりに老婆は首を傾げた。どうやら驚くようなことではないらしい。

「あらま、Ω性の方だったのね、ごめんなさいね、言っておけばよかったわね。うちの子αの中でも強いみたいで、たまーにそうなっちゃう人がいるのよ」

 滋ヶ崎が気にしていなかっただけで、第二の性持ちというのは実はそこら辺にゴロゴロしているのかもしれない。
 残り香的なものに反応しているのだろうかと部屋の匂いをそっと嗅いでみたが、かすかに石鹸の香りがするだけだ。

「お前薬飲んでんじゃないのか」
「なんですか、康弘は痛み止めさえ飲んでいれば大怪我していても走れるってんですか」
「できるかできないかで言ったら走れるけど……いや、言いたいことは分かるぞ」

 確かに、以前のように理性が吹っ飛んでいないあたりに薬の効き目は現れているのかもしれない。

(車に戻らせて……いや俺の見てないところで勝手に交尾しかねないな)

 行きずりの相手との子供を「それでもマルコシウスの子供だから」と育てるような包容力は滋ヶ崎にはない。相手を厳選したうえで種付けさせるならともかく、そうでなければ普通に嫌だ。
 数秒考え込んだ滋ヶ崎より先に、依頼人であるところのお婆さんが口を開いた。

「じゃあなんでも屋さんの助手さん、こっちでしばらく私のお話相手してくれるかしら。追加料金になります?」
「それは掛かりませんが……あの、どうぞお気になさらないでください」
「私も娘のこと伝え忘れちゃってましたし、たまにはお茶の相手が欲しかったところなんですよ。イケメンとお話しなんて久しぶりだから嬉しいわ~」

(ううん……いいのか……?)

 仕事を教えなくてはいけないとは思うが現状マルコシウスはただの邪魔者でしかない。ありがたいけど、と迷っているうちにマルコシウスは連れ去られてしまった。

(まあいくらなんでも婆さんは襲わないだろ……襲わないよな?)

 不安にかられながらエアコンのカバーを開けていると、階下から弦楽器の音色が聞こえてきた。バイオリンより低くエキゾチックで、どこか夕日を思わせる淋しげな趣がある。それに合わせて、澄んだソプラノの歌声も響いてきた。

(もー、勝手に何やってんだ)

 だが脱いだりはしていないようだ。手早くエアコンの中を洗浄し、残りの1台も片付ける。その間も曲を変えつつ、歌はずっと聞こえてきていた。意図的に魔法を切っているのかそれとも歌には働かないのか、恐らくマルコシウスの母国語だろう耳慣れない言葉で、一定の長短のリズムと韻を踏んでいる。滋ヶ崎が荷物を抱えてリビングに戻ると、ちょうど長い余韻を残しつつマルコシウスが弾き語りを終えるところだった。こちらに背中を向けて老女が座っている。

「あ」
「あらあ、終わったんですね、ありがとうございます」

 だぼだぼのTシャツにカーゴパンツという出で立ちで椅子の上に片膝を立て、胡弓のような楽器を抱えたマルコシウスと目が合った。同時に、扉の音に気づいた依頼人も振り向く。その目は赤く、零れてきた涙をハンカチで拭っていた。

(う、わ……! 何しやがったクソ穴!)

 これは声を潰すだけでなくて両手ももぎ取っておいた方がいいのだろうか。滋ヶ崎の形相に怯えたのか、マルコシウスはびくりと体を震わせた。

「違うんです、助手さんにリュリィミタラの演奏をお願いしたのは私なんですよ」
「るりいたら?」
「この楽器です」

 老女はマルコシウスが膝に乗せていた胡弓だか馬頭琴だか、とにかくその類の弦楽器を手で示した。

「妻の形見なんですよ、これ。なもんだから、弾いてもらっていたら色々と思い出してしまってつい……嫌ですね、歳取ると涙腺が弱くなっちゃって」

 依頼人の後ろに立つマルコシウスも必死の形相で頷き、「私、これ、弾いただけ」というようなジェスチャーをしている。どうやら本当のようだ。両腕をもぎ取るのは延期としよう。

「……奥様は、異世界からいらした方だったんですか」
「ええ。多分助手さんと同界か近いところじゃないかしら。吟遊詩人だったんですけどね、ある日『ちょっと出てくる』って言ってそれっきりですよ」

 潜水艦乗りじゃないんですから辞めてほしいですよねえ、と少し腫れた目で微笑む老婦人。

「何か……事情でもあったんじゃないでしょうか。事故とか」
「そうだといいんですけどねえ」
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