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31(終)
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九月の午後の九十九里浜は早くも閑散としており、ちらちらと黒い波間にサーファーが見え隠れしている以外に人影はなかった。
「あー、遅かったかぁ」
すでに撤収の終わった海の家跡地を見て、若葉マークの付いたレンタカーから降りた樹は項垂れた。
「せっかく実家まで来たから焼き蛤したかったのにな~、暑いからまだやってるかと思ったのに」
はあ、とため息をついていると、後ろからサクサクと砂を踏む音が近づいてきた。振り向くと、淳哉がジャケットの裾と髪を潮風に吹かせながら呆れ顔で立っている。
「海の家の営業期間は気候で決まってるわけじゃないからな」
「そうなの⁉」
「確か組合とかで決められてて……基本的に海開き期間だけだったと思う」
「ええっ、なんで教えてくれなかったのさ」
「教えるも何も、蛤焼きたかったって今聞いたんだが。まあ、近くの店でも浜焼きはできるから、海の家にこだわりないならそっち行こうぜ」
「お、さすがです」
「……食べたいならそれくらい調べとけ」
ふん、と不機嫌そうに照れる様子は、付き合って半年になるがいまだに変わらない。考えてみれば知っている限りずっと淳哉はこんなんだし、多分一生変わらないと樹は思っている。
「店どこ?」
「すぐそこ。来るとき前通った」
話しながら車に戻る。教習車にないキーレス操作に違和感を覚えながらエンジンをかけると、助手席に乗り込んだ淳哉が「……よかったのか、本当に」と低く呟くのが聞こえた。
「え、なに?」
短時間で車内に籠った熱を追い出すために窓を開け、樹はすぐにエンジンを切った。深い会話をしながら運転する自信は、まだない。
「いや……」
指を組んだ淳哉は遠浅の海を眺め、それからぽつぽつと言葉を続けた。
「俺のこと、お母さんに彼氏って紹介したりなんかして……よかったのかなって。今日はキャパオーバーしてたのか静かだったけど、絶対あれ後でうるさいだろ」
春から半年。バイトのお金を貯めた樹は当初の心積もりより大分早く免許を取得した。近距離での走行には慣れてきたこともあり、夏休みの終わりに練習がてら実家まで運転してみることにしたのだ。
淳哉と一緒に。
「んんー……そうだね……」
自分も白く泡立つ波を見ながら、樹は腕を組んだ。
確かに今日の母はおとなしかった、と思う。バイトをしていたこともそのお金で免許を取ったことも言っていなかったので、車で実家に乗り付けた時点でかなりショックを受けていたようだ。
淳哉の想像のとおり、しばらくして元気を取り戻したら何か言ってきそうな気はする。
「でもさ、うちの母さん、どんな人をいつ連れてっても絶対文句つけてくると思わない?」
「それは……そうかもしれないが」
「だから、なんか、別にいいかなって、逆に。いつ誰を連れて行っても文句言われるなら、自分の好きな時に好きな人連れていけばいいんじゃないかなって思ったんだよね」
そこまで言った所ではたと気づく。
「あ、でもそうか、必ずなんか言われるってわかってる時点で嫌か! ごめんジュン、その点については何も考えてなかった」
「いや、そこらへん織り込み済みでついて来たから、イツキがいいなら俺はいいけど。今までだって俺の居ないところでいろいろ言われてたんだろうし」
「そんなことは、まあ……あるけど」
あるんだ、と口元を変な風に曲げた淳哉が、面白そうに眉毛を上げた。後ろめたさに駆られた樹が返事に窮する。
ざあ、ざあ、と寄せては返す波の音が車内に大きく響いた。
「ジュン、今日は……それなのに来てくれて、ありがとう」
素直な気持ちを言葉にして、隣に座る淳哉を振り向く。いつの間にか淳哉も樹の方を向いていて、眼鏡の奥で錆色の瞳が微笑んでいる。
「俺こそ、紹介してくれてありがとう。あのお母さん相手だと、そういうのは一生無理かな、とか思ってたから」
「えー、そんなことないよ」
否定したものの、以前の樹ならきっとそうだっただろう、と樹自身も思った。
もう一度視線が合う。傾けた樹の頭を淳哉が引き寄せ、軽く唇を重ねる。微笑みを交わした樹は、よし、と声を出して前に向き直った。そうでもしないと、もっと淳哉が欲しくなってしまう。
「それじゃあとりあえず浜焼きいこ! お店案内してよ」
「おっけ。駐車場出たら右で、次の角を左ね」
エンジンを掛け、駐車場から車を出す。
「浜焼き食べたら……どうする? まだ早いからどっか寄る?」
「そうだなあ、来る途中ショッピングモールとかスーパー銭湯とかあったよな」
「あ、いいねスーパー銭湯」
言いながら樹は三叉路を直進した。
「イツキ! 『次の角を左』って言ったろ!」
「え? あ、ごめん」
「まあこの次の角左に曲がればいいよ」
わかった、と言ったときにはもう遅く、二個目の三叉路も樹は直進していた。
「え、これどうしたらいい?」
「……イツキの好きなところで曲がればいいんじゃないか?」
とりあえず左折すればいいから、と隣の淳哉が脱力したように上を向いた。くく、と笑い声が響いてくる。もー、と言いながら樹もつられて笑い出す。
窓から吹き込んできた海風が、二人の声を乗せて吹き抜けていった。
【終】
「あー、遅かったかぁ」
すでに撤収の終わった海の家跡地を見て、若葉マークの付いたレンタカーから降りた樹は項垂れた。
「せっかく実家まで来たから焼き蛤したかったのにな~、暑いからまだやってるかと思ったのに」
はあ、とため息をついていると、後ろからサクサクと砂を踏む音が近づいてきた。振り向くと、淳哉がジャケットの裾と髪を潮風に吹かせながら呆れ顔で立っている。
「海の家の営業期間は気候で決まってるわけじゃないからな」
「そうなの⁉」
「確か組合とかで決められてて……基本的に海開き期間だけだったと思う」
「ええっ、なんで教えてくれなかったのさ」
「教えるも何も、蛤焼きたかったって今聞いたんだが。まあ、近くの店でも浜焼きはできるから、海の家にこだわりないならそっち行こうぜ」
「お、さすがです」
「……食べたいならそれくらい調べとけ」
ふん、と不機嫌そうに照れる様子は、付き合って半年になるがいまだに変わらない。考えてみれば知っている限りずっと淳哉はこんなんだし、多分一生変わらないと樹は思っている。
「店どこ?」
「すぐそこ。来るとき前通った」
話しながら車に戻る。教習車にないキーレス操作に違和感を覚えながらエンジンをかけると、助手席に乗り込んだ淳哉が「……よかったのか、本当に」と低く呟くのが聞こえた。
「え、なに?」
短時間で車内に籠った熱を追い出すために窓を開け、樹はすぐにエンジンを切った。深い会話をしながら運転する自信は、まだない。
「いや……」
指を組んだ淳哉は遠浅の海を眺め、それからぽつぽつと言葉を続けた。
「俺のこと、お母さんに彼氏って紹介したりなんかして……よかったのかなって。今日はキャパオーバーしてたのか静かだったけど、絶対あれ後でうるさいだろ」
春から半年。バイトのお金を貯めた樹は当初の心積もりより大分早く免許を取得した。近距離での走行には慣れてきたこともあり、夏休みの終わりに練習がてら実家まで運転してみることにしたのだ。
淳哉と一緒に。
「んんー……そうだね……」
自分も白く泡立つ波を見ながら、樹は腕を組んだ。
確かに今日の母はおとなしかった、と思う。バイトをしていたこともそのお金で免許を取ったことも言っていなかったので、車で実家に乗り付けた時点でかなりショックを受けていたようだ。
淳哉の想像のとおり、しばらくして元気を取り戻したら何か言ってきそうな気はする。
「でもさ、うちの母さん、どんな人をいつ連れてっても絶対文句つけてくると思わない?」
「それは……そうかもしれないが」
「だから、なんか、別にいいかなって、逆に。いつ誰を連れて行っても文句言われるなら、自分の好きな時に好きな人連れていけばいいんじゃないかなって思ったんだよね」
そこまで言った所ではたと気づく。
「あ、でもそうか、必ずなんか言われるってわかってる時点で嫌か! ごめんジュン、その点については何も考えてなかった」
「いや、そこらへん織り込み済みでついて来たから、イツキがいいなら俺はいいけど。今までだって俺の居ないところでいろいろ言われてたんだろうし」
「そんなことは、まあ……あるけど」
あるんだ、と口元を変な風に曲げた淳哉が、面白そうに眉毛を上げた。後ろめたさに駆られた樹が返事に窮する。
ざあ、ざあ、と寄せては返す波の音が車内に大きく響いた。
「ジュン、今日は……それなのに来てくれて、ありがとう」
素直な気持ちを言葉にして、隣に座る淳哉を振り向く。いつの間にか淳哉も樹の方を向いていて、眼鏡の奥で錆色の瞳が微笑んでいる。
「俺こそ、紹介してくれてありがとう。あのお母さん相手だと、そういうのは一生無理かな、とか思ってたから」
「えー、そんなことないよ」
否定したものの、以前の樹ならきっとそうだっただろう、と樹自身も思った。
もう一度視線が合う。傾けた樹の頭を淳哉が引き寄せ、軽く唇を重ねる。微笑みを交わした樹は、よし、と声を出して前に向き直った。そうでもしないと、もっと淳哉が欲しくなってしまう。
「それじゃあとりあえず浜焼きいこ! お店案内してよ」
「おっけ。駐車場出たら右で、次の角を左ね」
エンジンを掛け、駐車場から車を出す。
「浜焼き食べたら……どうする? まだ早いからどっか寄る?」
「そうだなあ、来る途中ショッピングモールとかスーパー銭湯とかあったよな」
「あ、いいねスーパー銭湯」
言いながら樹は三叉路を直進した。
「イツキ! 『次の角を左』って言ったろ!」
「え? あ、ごめん」
「まあこの次の角左に曲がればいいよ」
わかった、と言ったときにはもう遅く、二個目の三叉路も樹は直進していた。
「え、これどうしたらいい?」
「……イツキの好きなところで曲がればいいんじゃないか?」
とりあえず左折すればいいから、と隣の淳哉が脱力したように上を向いた。くく、と笑い声が響いてくる。もー、と言いながら樹もつられて笑い出す。
窓から吹き込んできた海風が、二人の声を乗せて吹き抜けていった。
【終】
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