23 / 24
佑妃は、もういない
しおりを挟む
椎名が来たのは、もう春も終わり、大分暑くなってきた日の午後だった。
灸のために筵の上に転がった椎名は、奥で薬を量る良夜を見るなり「聞いたよ!」と喋りはじめた。
「君の葬儀、大変だったらしいね」
「俺の葬儀じゃないですけど……まあ、そうらしいですね」
殯の期間を経て、佑妃の棺が墓地へと正式に埋葬されたのはつい先日の話だ。しとしとと雨が降る日のことで、そのせいで持ち手の一人が転んでしまったらしい。それだけでも十分大変なことなのだが、はずみでしっかりと閉めてあったはずの棺の蓋が外れてしまったという。
すわ一大事、と慌てて閉めなおそうとしたが――なんと、中には誰も入っていなかったそうだ、という話が、最近城下町ではまことしやかに囁かれていた。
「『人間界を恋しがる妃を哀れに思った竜王様が、こっそりと親元に返してあげたんだ』『本当は佑妃は天女で、正体を知られてしまったから天に戻ったんだ』なんて言われてるわよ」
「噂……でしょう、そんなの」
「ええそうね、まあ噂よね」
にやにやと笑った椎名が尻尾を振る。横で灸を据えていた明月が「邪魔」とその尻尾を手でどかした。
「どっかの診療所で薬を挽いているとは、まあ思わないよねえ」
「……水芭蕉の宮は、お亡くなりになられたんですよ」
微笑みながら返すと、「もーう」と良夜を見上げて上体を起こした椎名が首を傾げる。その肩を明月が押さえ、筵の上に押し付けた。
「動かないで、って言ってるだろ」
「なにさ」
文句を言いながらも、椎名はぺたりと伏せた。その首の後ろあたりに置いたもぐさに、線香で明月が火を点ける。
「あーっつ! 何これ、私の体焼けてない?」
「焼けてない焼けてない。じゃ、そのまましばらくじっとしてて」
ぱきりと折り取った線香の先端を、火の消えた囲炉裏に放り込む明月。それを横目で見た椎名が「あ、そういえばさあ」と次なる話題を口にした。常に喋っていないといけない質だとみえる。
「今度病院できるんでしょ? そこの佑妃の遺言とやらで。あんたなんか聞いてないの、明月」
「ああ、施療院ね」
夭折した佑妃は、「自分のように病に苦しむ人が一人でも減りますように」と今際の際に願った……らしい。良夜は知らないが、竜王が言うのならそうなのだろう。その想いを汲んで、誰でも無料で治療を受けられる施療院を作ることにした、と先日発表があった。
「まあ、そこで働かないか、みたいな話は来たよね」
「へー、やっぱり? こんなとこで開業してるよりお給金いいでしょ」
「知らない」
明月は若干顔を顰めながら、もぐさを片付けていく。人の多いところで働きたくないのだ。だが、竜王野分直々の指名とあっては、辞退するのも難しいだろう、と良夜は思う。嫌がらせなのか配慮なのか分からない。
その後も義弟に配達を任せたら道に迷った話や店に来た客同士が恋に落ちた話などをひとしきり喋りきった椎名が帰っていくと、しん、と診療所の中が静かになった。
「ふう……」
なんだかどっと疲れたような気がして、座り込んだ良夜は足を崩した。
「わかる、椎名といると疲れるよね」
「違いますよ、っていうかなんでいつもそう椎名さんに辛辣なんですか」
横に来た明月は、大きな兎の姿をしていた。もう今日の診療は終わり、のつもりらしい。
白いふわふわの毛に寄りかって、頭をもたせかける。甘苦い香りがもう感じられないのは、多分自分も同じ香りを纏っているからだ。
「うーん……じゃあ、昨日無理させすぎたかな?」
「なっ、いや」
昨晩の痴態を思い出し、良夜の頬が赤くなる。肉球のない手で良夜の右腕を取った明月は、脈を診て「あ」と小さな鼻を動かした。
「えっ、な、何か病気とか?」
「いいや」
慌てた良夜が体を起こすと、慈雨のような笑みを浮かべた明月は良夜の腕から手を離した。ふすふすと動く鼻先が、優しく良夜の下腹部をつつく。
「えっ、何です……?」
訳が分からないまま、良夜はその頭に自分の手を乗せた。お腹? と聞き返しそうになり、ある可能性に思い至る。
「あっ、も、もしかして、その……赤ちゃん……?」
「うん」
「えっ……えっ」
紅い目を細める明月と、その鼻先が示す自分のお腹を交互に見る。戸惑いに遅れて、じんわりとした喜びが胸に広がってきた。
「め、明月さん、俺」
動揺のあまり良夜の声が震える。嬉しい、とやっと言葉にできた時には目から涙が零れていた。
明月の舌先が良夜の涙を拭う。柔らかな鼻先が触れ合った。
「僕も」
開け放された障子の向こう、診療所の庭では、鉢に植えられた桔梗がぷくりと風船のような蕾をつけていた。
【終】
灸のために筵の上に転がった椎名は、奥で薬を量る良夜を見るなり「聞いたよ!」と喋りはじめた。
「君の葬儀、大変だったらしいね」
「俺の葬儀じゃないですけど……まあ、そうらしいですね」
殯の期間を経て、佑妃の棺が墓地へと正式に埋葬されたのはつい先日の話だ。しとしとと雨が降る日のことで、そのせいで持ち手の一人が転んでしまったらしい。それだけでも十分大変なことなのだが、はずみでしっかりと閉めてあったはずの棺の蓋が外れてしまったという。
すわ一大事、と慌てて閉めなおそうとしたが――なんと、中には誰も入っていなかったそうだ、という話が、最近城下町ではまことしやかに囁かれていた。
「『人間界を恋しがる妃を哀れに思った竜王様が、こっそりと親元に返してあげたんだ』『本当は佑妃は天女で、正体を知られてしまったから天に戻ったんだ』なんて言われてるわよ」
「噂……でしょう、そんなの」
「ええそうね、まあ噂よね」
にやにやと笑った椎名が尻尾を振る。横で灸を据えていた明月が「邪魔」とその尻尾を手でどかした。
「どっかの診療所で薬を挽いているとは、まあ思わないよねえ」
「……水芭蕉の宮は、お亡くなりになられたんですよ」
微笑みながら返すと、「もーう」と良夜を見上げて上体を起こした椎名が首を傾げる。その肩を明月が押さえ、筵の上に押し付けた。
「動かないで、って言ってるだろ」
「なにさ」
文句を言いながらも、椎名はぺたりと伏せた。その首の後ろあたりに置いたもぐさに、線香で明月が火を点ける。
「あーっつ! 何これ、私の体焼けてない?」
「焼けてない焼けてない。じゃ、そのまましばらくじっとしてて」
ぱきりと折り取った線香の先端を、火の消えた囲炉裏に放り込む明月。それを横目で見た椎名が「あ、そういえばさあ」と次なる話題を口にした。常に喋っていないといけない質だとみえる。
「今度病院できるんでしょ? そこの佑妃の遺言とやらで。あんたなんか聞いてないの、明月」
「ああ、施療院ね」
夭折した佑妃は、「自分のように病に苦しむ人が一人でも減りますように」と今際の際に願った……らしい。良夜は知らないが、竜王が言うのならそうなのだろう。その想いを汲んで、誰でも無料で治療を受けられる施療院を作ることにした、と先日発表があった。
「まあ、そこで働かないか、みたいな話は来たよね」
「へー、やっぱり? こんなとこで開業してるよりお給金いいでしょ」
「知らない」
明月は若干顔を顰めながら、もぐさを片付けていく。人の多いところで働きたくないのだ。だが、竜王野分直々の指名とあっては、辞退するのも難しいだろう、と良夜は思う。嫌がらせなのか配慮なのか分からない。
その後も義弟に配達を任せたら道に迷った話や店に来た客同士が恋に落ちた話などをひとしきり喋りきった椎名が帰っていくと、しん、と診療所の中が静かになった。
「ふう……」
なんだかどっと疲れたような気がして、座り込んだ良夜は足を崩した。
「わかる、椎名といると疲れるよね」
「違いますよ、っていうかなんでいつもそう椎名さんに辛辣なんですか」
横に来た明月は、大きな兎の姿をしていた。もう今日の診療は終わり、のつもりらしい。
白いふわふわの毛に寄りかって、頭をもたせかける。甘苦い香りがもう感じられないのは、多分自分も同じ香りを纏っているからだ。
「うーん……じゃあ、昨日無理させすぎたかな?」
「なっ、いや」
昨晩の痴態を思い出し、良夜の頬が赤くなる。肉球のない手で良夜の右腕を取った明月は、脈を診て「あ」と小さな鼻を動かした。
「えっ、な、何か病気とか?」
「いいや」
慌てた良夜が体を起こすと、慈雨のような笑みを浮かべた明月は良夜の腕から手を離した。ふすふすと動く鼻先が、優しく良夜の下腹部をつつく。
「えっ、何です……?」
訳が分からないまま、良夜はその頭に自分の手を乗せた。お腹? と聞き返しそうになり、ある可能性に思い至る。
「あっ、も、もしかして、その……赤ちゃん……?」
「うん」
「えっ……えっ」
紅い目を細める明月と、その鼻先が示す自分のお腹を交互に見る。戸惑いに遅れて、じんわりとした喜びが胸に広がってきた。
「め、明月さん、俺」
動揺のあまり良夜の声が震える。嬉しい、とやっと言葉にできた時には目から涙が零れていた。
明月の舌先が良夜の涙を拭う。柔らかな鼻先が触れ合った。
「僕も」
開け放された障子の向こう、診療所の庭では、鉢に植えられた桔梗がぷくりと風船のような蕾をつけていた。
【終】
1
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
俺の顔が美しすぎるので異世界の森でオオカミとクマから貞操を狙われて困る。
篠崎笙
BL
山中深月は美しすぎる高校生。いきなり異世界に跳ばされ、オオカミとクマ、2人の獣人から求婚され、自分の子を産めと要求されるが……
※ハッピーエンドではありません。
※攻2人と最後までしますが3Pはなし。
※妊娠・出産(卵)しますが、詳細な描写はありません。
【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい
雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。
延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。
悪役令息物語~呪われた悪役令息は、追放先でスパダリたちに愛欲を注がれる~
トモモト ヨシユキ
BL
魔法を使い魔力が少なくなると発情しちゃう呪いをかけられた僕は、聖者を誘惑した罪で婚約破棄されたうえ辺境へ追放される。
しかし、もと婚約者である王女の企みによって山賊に襲われる。
貞操の危機を救ってくれたのは、若き辺境伯だった。
虚弱体質の呪われた深窓の令息をめぐり対立する聖者と辺境伯。
そこに呪いをかけた邪神も加わり恋の鞘当てが繰り広げられる?
エブリスタにも掲載しています。
異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話
深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
既成事実さえあれば大丈夫
ふじの
BL
名家出身のオメガであるサミュエルは、第三王子に婚約を一方的に破棄された。名家とはいえ貧乏な家のためにも新しく誰かと番う必要がある。だがサミュエルは行き遅れなので、もはや選んでいる立場ではない。そうだ、既成事実さえあればどこかに嫁げるだろう。そう考えたサミュエルは、ヒート誘発薬を持って夜会に乗り込んだ。そこで出会った美丈夫のアルファ、ハリムと意気投合したが───。
王子様と魔法は取り扱いが難しい
南方まいこ
BL
とある舞踏会に出席したレジェ、そこで幼馴染に出会い、挨拶を交わしたのが運の尽き、おかしな魔道具が陳列する室内へと潜入し、うっかり触れた魔具の魔法が発動してしまう。
特殊な魔法がかかったレジェは、みるみるうちに体が縮み、十歳前後の身体になってしまい、元に戻る方法を探し始めるが、ちょっとした誤解から、幼馴染の行動がおかしな方向へ、更には過保護な執事も加わり、色々と面倒なことに――。
※濃縮版
【完結】異世界転移で落ちて来たイケメンからいきなり嫁認定された件
りゆき
BL
俺の部屋の天井から降って来た超絶美形の男。
そいつはいきなり俺の唇を奪った。
その男いわく俺は『運命の相手』なのだと。
いや、意味分からんわ!!
どうやら異世界からやって来たイケメン。
元の世界に戻るには運命の相手と結ばれないといけないらしい。
そんなこと俺には関係ねー!!と、思っていたのに…
平凡サラリーマンだった俺の人生、異世界人への嫁入りに!?
そんなことある!?俺は男ですが!?
イケメンたちとのわちゃわちゃに巻き込まれ、愛やら嫉妬やら友情やら…平凡生活からの一転!?
スパダリ超絶美形×平凡サラリーマンとの嫁入りラブコメ!!
メインの二人以外に、
・腹黒×俺様
・ワンコ×ツンデレインテリ眼鏡
が登場予定。
※R18シーンに印は入れていないのでお気をつけください。
※前半は日本舞台、後半は異世界が舞台になります。
※こちらの作品はムーンライトノベルズにも掲載中。
※完結保証。
※ムーンさん用に一話あたりの文字数が多いため分割して掲載。
初日のみ4話、毎日6話更新します。
本編56話×分割2話+おまけの1話、合計113話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる