17 / 24
まつ
しおりを挟む
死ななければ、きっとここから出られない。
ならば、死んでしまえば――正確に言えば、死んだことにすればいい。
麻酔薬で佑を仮死状態のようにしてしまい、その間に明月が「佑は死んだ」と診断する。貴人の遺体はすぐに埋葬されるわけではないから、その後佑が棺に入れられたところですり替えるか、逃げ出すかすればいい。死んだことになっていれば、今度こそ連れ戻されることはないはずだ――言葉通り翌日に薬を届けに来た明月にそう計画を説明すると、「稚拙な上に杜撰だ」と明月はそれを断じた。
「じゃあ、他に何か案でもあるんですか! 正面から逃げ出せってんですか、見たでしょう、ここの警備の厳重さを。あれ明月さんのせいですからね」
「ない。ないけれど……」
思わず佑が声を荒げてなじると、ぺたりと耳を伏せた明月は首を振った。
「それに、その計画は……危険すぎる。数日は眠っていることになるし、そうなるときちんと目が覚めるか、目が覚めても無事かどうか保証ができない」
「……反対するなら、それでもいいです」
佑は胸元から、小さな紙包みを取り出した。中にある胡麻のような種を見せる。
「明月さんが処方してくれないなら、俺はこの種を自分で飲みます」
奪い取ろうとする明月の手が伸びてくる前に、種をまた胸元に戻す。
「それは……やめろ。やめなさい」
宙ぶらりんになった手を彷徨わせながら、明月は目を泳がせた。
「落ち着いて。待っていればきっと好機もあるだろうから、今そんなに――」
「じゃあそれはいつなんですか! 本当に来るんですか? 俺はいつまでここに軟禁されていればいいんですか!」
「分からない、けど、でも君をそんな危険な目に遭わせるわけには」
「そんなの待ってられません!」
佑は叫び、強く目を瞑った。そうしなければ、涙が零れてきてしまいそうだった。自分はこんなに泣き虫な人間ではないはずなのに。
「……もう嫌なんです。あなたに会えないのも、こうやって、終わりの見えない日々の中、何もせず時を過ごすのも」
「……良夜」
頬に触れた、明月の手を握りしめる。
「だから、だから……お願いです、明月さん。失敗したとしても、あなたの手で死ねるなら本望です」
大きく息を吸い、覚悟を決めて目を開ける。思ったより近くにあった明月の顔は歪んでいて、熱く煮えたぎっているような頭とは裏腹に佑の心は冷たく締め付けられた。その奥にある優越感に戸惑っていると、明月が佑の手を握り返してきた。
「僕は……随分と、罪深いことをしてしまったみたいだね。君をこんなに苦しませるなんて……」
もう片方の手が、佑の背中に巻き付く。抱き寄せる力に逆らわず、佑は明月の胸にしなだれかかった。
「……分かったよ、良夜」
落ち着いた声とは裏腹に、佑に伝わってくる明月の心音は早鐘のように打っている。
「少しだけ、時間を貰ってもいいかな。数日も眠らせる薬は……経験がないから」
「……はい!」
頷いた佑が見上げると、その唇に明月の唇が重なった。
「ん……」
少しざらりとした舌先が、佑の口内を優しく愛撫する。頭が蕩けていくような感覚に呆けていると、やがて顔を離した明月が耳元で小さく囁いた。
「大丈夫、絶対に成功させるよ」
佑というよりも自分に言い聞かせているようなその言葉に、佑は小さく頷いた。
そして、待つことしばらく。佑のもとに松の枝と薬が届けられたのは、しんしんと雪の降る年明けのことだった。
(……ついに、来た)
疑われるといけないから、と明月とはあれから一切の連絡を取っていなかった。久しぶりの連絡なのに、松に結びつけられた文には「寝る前にお飲みください」としか書かれておらず、それがまた明月らしいと言えばらしかった。
就寝前、こたつに入った佑が松の葉を撫でまわしていると、行火を持ってきた半崎が小さく噴き出した。
「殿下、そんなに松をいじめてはなりませんよ。……お手紙に何か嬉しいことでも書かれていましたか?」
「そう見えますか?」
「ええ。少しお元気になられたようで、半崎は嬉しゅうございます」
それでは、と去って行こうとする半崎を佑は呼び止めた。
「はい、何でございましょうか」
「半崎さん、あの……今まで、ありがとうございました」
「……どうなされました、佑殿下」
「いえ、なんとなく……ただ、それだけです」
「……はあ」
釈然としない顔のまま去って行く半崎の足音が聞こえなくなってから、佑は湯呑に入った水を手に取った。明月から届いた薬を開けると、絡みつくような匂いが広がった。
薬包紙の端が震える。自分の手が震えているのだと気づくまでに少しかかった。
(……これを、飲んだら)
二度と目が覚めないかもしれない。あるいは、目が覚めたとしても無事ではいられないかもしれない。
どうなるにしても、もう元には戻れない。
(ここにきて、何を弱気になっているんだ、俺は)
佑は大きく息を吸った。自分が言い出したことではないか。明月は佑の気持ちに応えてくれたのだ、なら、それを信じるしかない。
水を口に含み、粉を口の中に入れる。むせかえりそうな苦さだったが、佑にとってそれは甘い砂糖菓子よりも更に美味だった。
上を向き、一気に飲み下すその瞬間。誰が何と言おうとも――佑は、今までで一番幸せだった。
ならば、死んでしまえば――正確に言えば、死んだことにすればいい。
麻酔薬で佑を仮死状態のようにしてしまい、その間に明月が「佑は死んだ」と診断する。貴人の遺体はすぐに埋葬されるわけではないから、その後佑が棺に入れられたところですり替えるか、逃げ出すかすればいい。死んだことになっていれば、今度こそ連れ戻されることはないはずだ――言葉通り翌日に薬を届けに来た明月にそう計画を説明すると、「稚拙な上に杜撰だ」と明月はそれを断じた。
「じゃあ、他に何か案でもあるんですか! 正面から逃げ出せってんですか、見たでしょう、ここの警備の厳重さを。あれ明月さんのせいですからね」
「ない。ないけれど……」
思わず佑が声を荒げてなじると、ぺたりと耳を伏せた明月は首を振った。
「それに、その計画は……危険すぎる。数日は眠っていることになるし、そうなるときちんと目が覚めるか、目が覚めても無事かどうか保証ができない」
「……反対するなら、それでもいいです」
佑は胸元から、小さな紙包みを取り出した。中にある胡麻のような種を見せる。
「明月さんが処方してくれないなら、俺はこの種を自分で飲みます」
奪い取ろうとする明月の手が伸びてくる前に、種をまた胸元に戻す。
「それは……やめろ。やめなさい」
宙ぶらりんになった手を彷徨わせながら、明月は目を泳がせた。
「落ち着いて。待っていればきっと好機もあるだろうから、今そんなに――」
「じゃあそれはいつなんですか! 本当に来るんですか? 俺はいつまでここに軟禁されていればいいんですか!」
「分からない、けど、でも君をそんな危険な目に遭わせるわけには」
「そんなの待ってられません!」
佑は叫び、強く目を瞑った。そうしなければ、涙が零れてきてしまいそうだった。自分はこんなに泣き虫な人間ではないはずなのに。
「……もう嫌なんです。あなたに会えないのも、こうやって、終わりの見えない日々の中、何もせず時を過ごすのも」
「……良夜」
頬に触れた、明月の手を握りしめる。
「だから、だから……お願いです、明月さん。失敗したとしても、あなたの手で死ねるなら本望です」
大きく息を吸い、覚悟を決めて目を開ける。思ったより近くにあった明月の顔は歪んでいて、熱く煮えたぎっているような頭とは裏腹に佑の心は冷たく締め付けられた。その奥にある優越感に戸惑っていると、明月が佑の手を握り返してきた。
「僕は……随分と、罪深いことをしてしまったみたいだね。君をこんなに苦しませるなんて……」
もう片方の手が、佑の背中に巻き付く。抱き寄せる力に逆らわず、佑は明月の胸にしなだれかかった。
「……分かったよ、良夜」
落ち着いた声とは裏腹に、佑に伝わってくる明月の心音は早鐘のように打っている。
「少しだけ、時間を貰ってもいいかな。数日も眠らせる薬は……経験がないから」
「……はい!」
頷いた佑が見上げると、その唇に明月の唇が重なった。
「ん……」
少しざらりとした舌先が、佑の口内を優しく愛撫する。頭が蕩けていくような感覚に呆けていると、やがて顔を離した明月が耳元で小さく囁いた。
「大丈夫、絶対に成功させるよ」
佑というよりも自分に言い聞かせているようなその言葉に、佑は小さく頷いた。
そして、待つことしばらく。佑のもとに松の枝と薬が届けられたのは、しんしんと雪の降る年明けのことだった。
(……ついに、来た)
疑われるといけないから、と明月とはあれから一切の連絡を取っていなかった。久しぶりの連絡なのに、松に結びつけられた文には「寝る前にお飲みください」としか書かれておらず、それがまた明月らしいと言えばらしかった。
就寝前、こたつに入った佑が松の葉を撫でまわしていると、行火を持ってきた半崎が小さく噴き出した。
「殿下、そんなに松をいじめてはなりませんよ。……お手紙に何か嬉しいことでも書かれていましたか?」
「そう見えますか?」
「ええ。少しお元気になられたようで、半崎は嬉しゅうございます」
それでは、と去って行こうとする半崎を佑は呼び止めた。
「はい、何でございましょうか」
「半崎さん、あの……今まで、ありがとうございました」
「……どうなされました、佑殿下」
「いえ、なんとなく……ただ、それだけです」
「……はあ」
釈然としない顔のまま去って行く半崎の足音が聞こえなくなってから、佑は湯呑に入った水を手に取った。明月から届いた薬を開けると、絡みつくような匂いが広がった。
薬包紙の端が震える。自分の手が震えているのだと気づくまでに少しかかった。
(……これを、飲んだら)
二度と目が覚めないかもしれない。あるいは、目が覚めたとしても無事ではいられないかもしれない。
どうなるにしても、もう元には戻れない。
(ここにきて、何を弱気になっているんだ、俺は)
佑は大きく息を吸った。自分が言い出したことではないか。明月は佑の気持ちに応えてくれたのだ、なら、それを信じるしかない。
水を口に含み、粉を口の中に入れる。むせかえりそうな苦さだったが、佑にとってそれは甘い砂糖菓子よりも更に美味だった。
上を向き、一気に飲み下すその瞬間。誰が何と言おうとも――佑は、今までで一番幸せだった。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説

ぼくは男なのにイケメンの獣人から愛されてヤバい!!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

【完結】俺の身体の半分は糖分で出来ている!? スイーツ男子の異世界紀行
うずみどり
BL
異世界に転移しちゃってこっちの世界は甘いものなんて全然ないしもう絶望的だ……と嘆いていた甘党男子大学生の柚木一哉(ゆのきいちや)は、自分の身体から甘い匂いがすることに気付いた。
(あれ? これは俺が大好きなみよしの豆大福の匂いでは!?)
なんと一哉は気分次第で食べたことのあるスイーツの味がする身体になっていた。
甘いものなんてろくにない世界で狙われる一哉と、甘いものが嫌いなのに一哉の護衛をする黒豹獣人のロク。
二人は一哉が狙われる理由を無くす為に甘味を探す旅に出るが……。
《人物紹介》
柚木一哉(愛称チヤ、大学生19才)甘党だけど肉も好き。一人暮らしをしていたので簡単な料理は出来る。自分で作れるお菓子はクレープだけ。
女性に「ツルツルなのはちょっと引くわね。男はやっぱりモサモサしてないと」と言われてこちらの女性が苦手になった。
ベルモント・ロクサーン侯爵(通称ロク)黒豹の獣人。甘いものが嫌い。なので一哉の護衛に抜擢される。真っ黒い毛並みに見事なプルシアン・ブルーの瞳。
顔は黒豹そのものだが身体は二足歩行で、全身が天鵞絨のような毛に覆われている。爪と牙が鋭い。
※)こちらはムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
※)Rが含まれる話はタイトルに記載されています。
婚約破棄された婚活オメガの憂鬱な日々
月歌(ツキウタ)
BL
運命の番と巡り合う確率はとても低い。なのに、俺の婚約者のアルファが運命の番と巡り合ってしまった。運命の番が出逢った場合、二人が結ばれる措置として婚約破棄や離婚することが認められている。これは国の法律で、婚約破棄または離婚された人物には一生一人で生きていけるだけの年金が支給される。ただし、運命の番となった二人に関わることは一生禁じられ、破れば投獄されることも。
俺は年金をもらい実家暮らししている。だが、一人で暮らすのは辛いので婚活を始めることにした。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
秘めやかな愛に守られて【目覚めたらそこは獣人国の男色用遊郭でした】
カミヤルイ
BL
目覚めたら、そこは獣人が住む異世界の遊郭だった──
十五歳のときに獣人世界に転移した毬也は、男色向け遊郭で下働きとして生活している。
下働き仲間で猫獣人の月華は転移した毬也を最初に見つけ、救ってくれた恩人で、獣人国では「ケダモノ」と呼ばれてつまはじき者である毬也のそばを離れず、いつも守ってくれる。
猫族だからかスキンシップは他人が呆れるほど密で独占欲も感じるが、家族の愛に飢えていた毬也は嬉しく、このまま変わらず一緒にいたいと思っていた。
だが年月が過ぎ、月華にも毬也にも男娼になる日がやってきて、二人の関係性に変化が生じ────
独占欲が強いこっそり見守り獣人×純情な異世界転移少年の初恋を貫く物語。
表紙は「事故番の夫は僕を愛さない」に続いて、天宮叶さんです。
@amamiyakyo0217
鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?
桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。
前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。
ほんの少しの間お付き合い下さい。
かくして王子様は彼の手を取った
亜桜黄身
BL
麗しい顔が近づく。それが挨拶の距離感ではないと気づいたのは唇同士が触れたあとだった。
「男を簡単に捨ててしまえるだなどと、ゆめゆめ思わないように」
──
目が覚めたら異世界転生してた外見美少女中身男前の受けが、計算高い腹黒婚約者の攻めに婚約破棄を申し出てすったもんだする話。
腹黒で策士で計算高い攻めなのに受けが鈍感越えて予想外の方面に突っ走るから受けの行動だけが読み切れず頭掻きむしるやつです。
受けが同性に性的な意味で襲われる描写があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる