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あなたのもとに、いくために
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「きゃああああああああ!」
不意に睡蓮宮の方から叫び声が聞こえた。続いて赤子の泣き叫ぶ声。天雷の泣く声は日に何度も聞こえてくるが、今回の声はその様子とは違い、もっと鬼気迫るものだ。
「あっ、ちょ、殿下!」
立ち上がった佑は、半崎を置き去りにして、廊下に出た。着いた部屋では、小さな角を生やした赤子が泣いていた。近くに倒れた火鉢があり、真っ青になった乳母が立ち尽くしている。
「失礼します」
部屋に踏み込んだ佑は、床に落ちた炭と鉄瓶を拾い、天雷の横に座った。後から半崎や、声を聞きつけた他の女中たちがわらわらと集まってくる。
おそらく、天雷が火鉢に掴まろうとして、鉢ごとひっくり返ってしまったのだろう。幸いなことに湯のかかった範囲は左手だけで、そんなに広くはなさそうだ。
「とりあえずたらいに水を、あれば氷も。あと誰か厨房から肉の脂と乳鉢を持ってきてください。半崎さん、私の部屋に紫――ええと、立涌文の鉢が庭にあると思うんですけど、その中にある根っこを掘り出してきてください」
佑が指示をすると、ばらばらと女中たちが駆け出す。火傷だけだろうか、と佑が天雷の小さな足を手に取っていると、「ちょっと!」と金切り声が聞こえた。
「あ、か、華玉様、その」
「天雷!」
走ってきた華玉に突き飛ばされ、床の上に転がる。見上げると、泣き叫ぶ天雷を抱えた華玉が全身の毛を逆立てていた。
「あんた何する気よ! 天雷に触らないで!」
「何って……火傷の処置、ですが」
「はあ? あんたが? 何で?」
「何で……?」
佑は顎に手を当てた。気づいたら体が動いていたのだ、何でと言われても分からない。
「……怪我をした人がいたら、助けたいと思いませんか?」
「なにそれ。あんた側室でしょ」
不可解だという顔をする華玉の横に、氷の入ったたらいや半崎の掘り出してきた根が届く。華玉は赤紫色の根っことまだ泣き止まぬ我が子を見てから、また佑に視線を戻した。
「あんた、薬の知識でもあんの?」
「……多少」
答えると、ピンと逆だっていた華玉の毛がふっと柔らかくなった。
「分かった。あんたに任せる……けど、変なことしたら承知しないからね」
「ありがとうございます」
天雷を受け取り、赤くなった手を氷水につける。しばらくすると痛みが引いてきたのか、天雷の泣き声が弱まってきた。潰した紫根と肉の脂を混ぜたものを塗り、細く割いた布で小さな左手を巻いたときには、泣きつかれた天雷はすっかり寝入っていた。
「見事なもんだね」
「恐れ入ります。お役に立てて光栄です」
頭を下げると、小さな布団に寝かせた天雷を撫で、華玉はゆらりと尻尾を波打たせた。
「あんた、田舎もんの人間にしちゃやるじゃない」
「はあ」
褒められている……のだろうか。佑が微妙な返事をすると、「喜びなさいよ」と華玉は唇を尖らせた。そういえば、華玉の顔をこうして見たのは初めてのような気がする。意外と子供っぽい表情をする人なのだな、と思っていると、「なによ、人の顔をじっと見て」と睨まれる。
「いえ……」
「明月様がいらっしゃいました」
佑が答えようとすると、背後から侍女の声がした。飛び上がるようにして振り向いた佑の前で、襖がするりと開いていく。
その向こうから現れたのは――輝かんばかりに白く、美しい青年だ。
「め、っ……」
雪のように白く艶やかな髪、床に揃えられた白魚のような手。夢にまで見た姿に思わず佑が立ちあがりそうになると、ピクリとその耳が跳ねた。紅玉のような深い紅色の瞳が佑を捉え、一瞬だけ見開かれて——そして、また伏せられる。
「失礼いたします。王子様が怪我をされたとのことで参りましたが……これは、もう、どなたかが?」
百味棚を持って入ってきた明月が、佑の巻いた布を取りながら首を傾げる。柔らかなその声を聞くだけで、佑は目の奥が熱くなるのを感じた。
「そこの人間よ」
「……そうですか」
明月の振り向く気配に、慌てて目を逸らす。
火傷に布を巻きなおし、寝ぼけ眼の天雷をあちこち触ったあと、「今日のところは大丈夫そうですね」と明月は子竜を布団に戻した。
「追加の塗り薬を明日にでも持ってきましょう、お風呂は差し支えありませんが、手の部分は濡らさないように」
では、と頭を下げ、案内の侍女も断り、明月は逃げるように立ちあがった。そのまま佑の前を素通りし、部屋を出て行く。
ぱたん、という小さな音に、佑は我に返った。慌てて立ち上がり、後を追う。廊下の先に、棚を背負う後ろ姿が見えた。
「明月さん! 待って!」
「駄目」
振り向きもせずに返ってきた言葉に、走り出そうとしていた佑の足が止まる。
「め、明……」
「……練りが甘い。混ざりきってない部分があったじゃないか。あと脂も多すぎる。ちゃんと覚えてないのに見様見真似でやろうとするんじゃない」
「あ……その……」
予想外の叱責に佑が言葉を詰まらせると、ふう、と明月は上を見上げたようだった。そのままゆっくりと佑の方を振り返る。
「でも、初めてやったにしては上出来だ。十分な手当だったよ」
整った顔に浮かぶ微笑みは、一瞬で滲んで見えなくなった。
「頑張ったね、良夜」
「……明月さん!」
駆けだした佑は、そのままの勢いで明月に抱きついた。
「ちょ、っと、こんなところで……」
困ったような明月の声が聞こえたが、無視して胸に顔を押し付ける。「仕様のない奴だね」と頭を撫でる感触に佑はいつの間にか簪を落としてしまったことに気づいたが、もうそんなことはどうでもよかった。
「明月さん、好き……好きです」
しゃくりあげるたびに、明月の匂いを感じて胸が一杯になる。離れたくない、と力のかぎり抱きしめる。
「……いけないよ、そんなことを言っては」
「わ、分かってます、でも……俺、もう、耐えられません」
「良夜……」
「明月さんといられないのにただ生きながらえても、辛いだけです」
「……」
肩にかけられた手に力が入る。見上げると、明月の深紅の瞳もまた、艶やかに潤んでいた。
「だから、お願いです。明月さん。俺を――殺してください」
不意に睡蓮宮の方から叫び声が聞こえた。続いて赤子の泣き叫ぶ声。天雷の泣く声は日に何度も聞こえてくるが、今回の声はその様子とは違い、もっと鬼気迫るものだ。
「あっ、ちょ、殿下!」
立ち上がった佑は、半崎を置き去りにして、廊下に出た。着いた部屋では、小さな角を生やした赤子が泣いていた。近くに倒れた火鉢があり、真っ青になった乳母が立ち尽くしている。
「失礼します」
部屋に踏み込んだ佑は、床に落ちた炭と鉄瓶を拾い、天雷の横に座った。後から半崎や、声を聞きつけた他の女中たちがわらわらと集まってくる。
おそらく、天雷が火鉢に掴まろうとして、鉢ごとひっくり返ってしまったのだろう。幸いなことに湯のかかった範囲は左手だけで、そんなに広くはなさそうだ。
「とりあえずたらいに水を、あれば氷も。あと誰か厨房から肉の脂と乳鉢を持ってきてください。半崎さん、私の部屋に紫――ええと、立涌文の鉢が庭にあると思うんですけど、その中にある根っこを掘り出してきてください」
佑が指示をすると、ばらばらと女中たちが駆け出す。火傷だけだろうか、と佑が天雷の小さな足を手に取っていると、「ちょっと!」と金切り声が聞こえた。
「あ、か、華玉様、その」
「天雷!」
走ってきた華玉に突き飛ばされ、床の上に転がる。見上げると、泣き叫ぶ天雷を抱えた華玉が全身の毛を逆立てていた。
「あんた何する気よ! 天雷に触らないで!」
「何って……火傷の処置、ですが」
「はあ? あんたが? 何で?」
「何で……?」
佑は顎に手を当てた。気づいたら体が動いていたのだ、何でと言われても分からない。
「……怪我をした人がいたら、助けたいと思いませんか?」
「なにそれ。あんた側室でしょ」
不可解だという顔をする華玉の横に、氷の入ったたらいや半崎の掘り出してきた根が届く。華玉は赤紫色の根っことまだ泣き止まぬ我が子を見てから、また佑に視線を戻した。
「あんた、薬の知識でもあんの?」
「……多少」
答えると、ピンと逆だっていた華玉の毛がふっと柔らかくなった。
「分かった。あんたに任せる……けど、変なことしたら承知しないからね」
「ありがとうございます」
天雷を受け取り、赤くなった手を氷水につける。しばらくすると痛みが引いてきたのか、天雷の泣き声が弱まってきた。潰した紫根と肉の脂を混ぜたものを塗り、細く割いた布で小さな左手を巻いたときには、泣きつかれた天雷はすっかり寝入っていた。
「見事なもんだね」
「恐れ入ります。お役に立てて光栄です」
頭を下げると、小さな布団に寝かせた天雷を撫で、華玉はゆらりと尻尾を波打たせた。
「あんた、田舎もんの人間にしちゃやるじゃない」
「はあ」
褒められている……のだろうか。佑が微妙な返事をすると、「喜びなさいよ」と華玉は唇を尖らせた。そういえば、華玉の顔をこうして見たのは初めてのような気がする。意外と子供っぽい表情をする人なのだな、と思っていると、「なによ、人の顔をじっと見て」と睨まれる。
「いえ……」
「明月様がいらっしゃいました」
佑が答えようとすると、背後から侍女の声がした。飛び上がるようにして振り向いた佑の前で、襖がするりと開いていく。
その向こうから現れたのは――輝かんばかりに白く、美しい青年だ。
「め、っ……」
雪のように白く艶やかな髪、床に揃えられた白魚のような手。夢にまで見た姿に思わず佑が立ちあがりそうになると、ピクリとその耳が跳ねた。紅玉のような深い紅色の瞳が佑を捉え、一瞬だけ見開かれて——そして、また伏せられる。
「失礼いたします。王子様が怪我をされたとのことで参りましたが……これは、もう、どなたかが?」
百味棚を持って入ってきた明月が、佑の巻いた布を取りながら首を傾げる。柔らかなその声を聞くだけで、佑は目の奥が熱くなるのを感じた。
「そこの人間よ」
「……そうですか」
明月の振り向く気配に、慌てて目を逸らす。
火傷に布を巻きなおし、寝ぼけ眼の天雷をあちこち触ったあと、「今日のところは大丈夫そうですね」と明月は子竜を布団に戻した。
「追加の塗り薬を明日にでも持ってきましょう、お風呂は差し支えありませんが、手の部分は濡らさないように」
では、と頭を下げ、案内の侍女も断り、明月は逃げるように立ちあがった。そのまま佑の前を素通りし、部屋を出て行く。
ぱたん、という小さな音に、佑は我に返った。慌てて立ち上がり、後を追う。廊下の先に、棚を背負う後ろ姿が見えた。
「明月さん! 待って!」
「駄目」
振り向きもせずに返ってきた言葉に、走り出そうとしていた佑の足が止まる。
「め、明……」
「……練りが甘い。混ざりきってない部分があったじゃないか。あと脂も多すぎる。ちゃんと覚えてないのに見様見真似でやろうとするんじゃない」
「あ……その……」
予想外の叱責に佑が言葉を詰まらせると、ふう、と明月は上を見上げたようだった。そのままゆっくりと佑の方を振り返る。
「でも、初めてやったにしては上出来だ。十分な手当だったよ」
整った顔に浮かぶ微笑みは、一瞬で滲んで見えなくなった。
「頑張ったね、良夜」
「……明月さん!」
駆けだした佑は、そのままの勢いで明月に抱きついた。
「ちょ、っと、こんなところで……」
困ったような明月の声が聞こえたが、無視して胸に顔を押し付ける。「仕様のない奴だね」と頭を撫でる感触に佑はいつの間にか簪を落としてしまったことに気づいたが、もうそんなことはどうでもよかった。
「明月さん、好き……好きです」
しゃくりあげるたびに、明月の匂いを感じて胸が一杯になる。離れたくない、と力のかぎり抱きしめる。
「……いけないよ、そんなことを言っては」
「わ、分かってます、でも……俺、もう、耐えられません」
「良夜……」
「明月さんといられないのにただ生きながらえても、辛いだけです」
「……」
肩にかけられた手に力が入る。見上げると、明月の深紅の瞳もまた、艶やかに潤んでいた。
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