13 / 24
竜王帰訪
しおりを挟む
「……殿下、佑殿下」
佑が目を開けると、部屋の中は明るい光に満ちていた。
(朝……いや、昼?)
さっきまで明月がいたはずなのに。なぜこんなに部屋の中は明るくて、聞こえるのは半崎の声なんだ。信じられない気持ちで佑が体を起こすと、「申し訳ございません」と半崎が枕元で体を縮こまらせていた。
「お目覚めになるまでお待ちしようと思ったのですが……」
「……いえ、こちらこそ眠りこけていてすみません」
あれは夢だったのだろうか。確かに明月が内裏まで夜這いに来るというのは荒唐無稽が過ぎる。そう考えながらぼんやりと部屋の中を見回した佑は、枕元の水差しに刺さっている桔梗の花を見つけた。寝る前にはなかったものだ。
寝起きの目を擦るふりをして、滲んできた涙をそっと袖で拭う。甘くて苦い匂いがした。
「佑様のお戻りになったのを聞いて、竜王様が行幸の予定を変更されたそうです。湯を沸かしましたので、さっぱりした状態でお迎えになってはいかがかと」
「……竜王様が……」
どこかに出かけていたのか。宮中のことなど興味もなくなっていたし、昨日は竜王のことまで考える余裕がなかった佑は、ようやく今まで彼の姿を見なかったことに思い至った。
「さあさ、早くなさいまし、殿下」
半崎に急き立てられるようにして湯浴みをし、香の焚きしめられた着物に袖を通す。部屋に戻ると、布団は片づけられ、桔梗の花は部屋の隅に活けられていた。
ぼうっと座りながら五角形の花を眺める。気づいた時にはすぐ横に半崎がいた。お盆の上に小さく切った西瓜を載せている。
「あ……半崎さん」
「こういうのだったらお召し上がりになられるかと思ったのですが、いかがですか?」
「ありがとう……ございます」
食べたいわけではなかったが、仙崎の手前無下にするのも気が引けた。一口大に切られた西瓜――内裏では櫛型に切ったものにかぶりつく、などという下品な真似はしないらしい――に黒文字を差し、口元に運ぶ。
しゃりっとした歯ごたえと共に、口の中に甘い汁が広がる。喉の奥に滑り落ちていく冷たさを感じながら、佑はようやく自分が空腹であることに気がついた。だが、胸の奥がつかえているようで、西瓜ですらうまく飲み込めない。
苦心しながら西瓜を齧っていると、やがてあたりが騒がしくなってきた。竜王が帰ってきたのだろう。
どんな顔をして彼に会えばいいというのだろうか。思案しているうちに重い足音が近づいてきてしまい、佑は慌てて顔を伏せた。
するり、と襖の開く音がして、濃紺の袴と青い尾を佑は久しぶりに見た。
「佑!」
「……お、お久しぶりでございま――」
駆け寄ってきた野分に抱きしめられ、体が強張る。
「良かった……てっきりもう……ああ、顔を見せてくれ」
「は……」
上目遣いでおずおずと顔を上げる。長く青い髪に、形の整った鼻。深い藍色の瞳と目があった瞬間、力強い手に顎を引き寄せられた。威圧感に目を逸らした佑の顔を、武骨で大きい手が撫でていく。
「ああ、髪を切られてしまったのか、可愛そうに……お前に似合うと思って簪を買っていたのに」
「それは……申し訳……」
「謝るな。こうしてお前が生きて目の前にいる、それだけで充分だ。髪なぞまた伸ばせばよい」
そう言って短くなった佑の髪をかき分けた野分の指先が、頭の傷に触れた。
「……なんだ、この傷は」
低く、威圧感のある声に背筋が冷たくなる。見られてはいけないものを見られてしまった気がした。
「あっ、それは、その……」
「誰だ、どこでこんな傷をつけられたんだ?」
「いえ、あの、誰、というわけでは」
「じゃあなんだ、答えろ!」
苛立ちを隠さない野分の声に、佑の体が震える。
「お、恐れながら申し上げますと……これは、私が鬼車から落ちた時にできた傷でして」
「ふん」
佑の髪をかき分けた野分が、不満そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。頭皮を辿る指先に傷跡を抉られるではないかという気がして、少しだけ佑は身を引く。
佑の頭から指を離した野分は、そのまま佑の肩に手を当てた。
「……それで、佑。車から落ちて、その後は……どうしていたんだ。どうして今まで戻ってこなかった?」
「あ……ええと……」
佑が返答に窮すると、視界の隅で竜王が目を細めた。頭の両側から生えた角と相まって、その形相は鬼のようにも見える。
「儂に言えないようなことでもしていたか?」
「そういう……わけでは……」
「なら言え」
「……その……」
どう言いつくろっても、宮中に戻りたくなかったから今まで記憶がないふりをしていた、という事実は変わらない。黙り込む佑の横で、野分の尻尾がバチンと床を叩いた。西瓜の入っていた鉢が跳ね、中身が飛び出す。
「昨晩誰かが侵入した跡があったが、それもお前の手引きだろう、佑!」
「っ」
怒気を孕んだ声に、佑はますます身を縮こまらせた。だが答えられない。答えたら、きっとこの人をもっと怒らせてしまう。
ただただ息を潜め、正座をした自分の膝の先あたりに視線を彷徨わせる。
佑が目を開けると、部屋の中は明るい光に満ちていた。
(朝……いや、昼?)
さっきまで明月がいたはずなのに。なぜこんなに部屋の中は明るくて、聞こえるのは半崎の声なんだ。信じられない気持ちで佑が体を起こすと、「申し訳ございません」と半崎が枕元で体を縮こまらせていた。
「お目覚めになるまでお待ちしようと思ったのですが……」
「……いえ、こちらこそ眠りこけていてすみません」
あれは夢だったのだろうか。確かに明月が内裏まで夜這いに来るというのは荒唐無稽が過ぎる。そう考えながらぼんやりと部屋の中を見回した佑は、枕元の水差しに刺さっている桔梗の花を見つけた。寝る前にはなかったものだ。
寝起きの目を擦るふりをして、滲んできた涙をそっと袖で拭う。甘くて苦い匂いがした。
「佑様のお戻りになったのを聞いて、竜王様が行幸の予定を変更されたそうです。湯を沸かしましたので、さっぱりした状態でお迎えになってはいかがかと」
「……竜王様が……」
どこかに出かけていたのか。宮中のことなど興味もなくなっていたし、昨日は竜王のことまで考える余裕がなかった佑は、ようやく今まで彼の姿を見なかったことに思い至った。
「さあさ、早くなさいまし、殿下」
半崎に急き立てられるようにして湯浴みをし、香の焚きしめられた着物に袖を通す。部屋に戻ると、布団は片づけられ、桔梗の花は部屋の隅に活けられていた。
ぼうっと座りながら五角形の花を眺める。気づいた時にはすぐ横に半崎がいた。お盆の上に小さく切った西瓜を載せている。
「あ……半崎さん」
「こういうのだったらお召し上がりになられるかと思ったのですが、いかがですか?」
「ありがとう……ございます」
食べたいわけではなかったが、仙崎の手前無下にするのも気が引けた。一口大に切られた西瓜――内裏では櫛型に切ったものにかぶりつく、などという下品な真似はしないらしい――に黒文字を差し、口元に運ぶ。
しゃりっとした歯ごたえと共に、口の中に甘い汁が広がる。喉の奥に滑り落ちていく冷たさを感じながら、佑はようやく自分が空腹であることに気がついた。だが、胸の奥がつかえているようで、西瓜ですらうまく飲み込めない。
苦心しながら西瓜を齧っていると、やがてあたりが騒がしくなってきた。竜王が帰ってきたのだろう。
どんな顔をして彼に会えばいいというのだろうか。思案しているうちに重い足音が近づいてきてしまい、佑は慌てて顔を伏せた。
するり、と襖の開く音がして、濃紺の袴と青い尾を佑は久しぶりに見た。
「佑!」
「……お、お久しぶりでございま――」
駆け寄ってきた野分に抱きしめられ、体が強張る。
「良かった……てっきりもう……ああ、顔を見せてくれ」
「は……」
上目遣いでおずおずと顔を上げる。長く青い髪に、形の整った鼻。深い藍色の瞳と目があった瞬間、力強い手に顎を引き寄せられた。威圧感に目を逸らした佑の顔を、武骨で大きい手が撫でていく。
「ああ、髪を切られてしまったのか、可愛そうに……お前に似合うと思って簪を買っていたのに」
「それは……申し訳……」
「謝るな。こうしてお前が生きて目の前にいる、それだけで充分だ。髪なぞまた伸ばせばよい」
そう言って短くなった佑の髪をかき分けた野分の指先が、頭の傷に触れた。
「……なんだ、この傷は」
低く、威圧感のある声に背筋が冷たくなる。見られてはいけないものを見られてしまった気がした。
「あっ、それは、その……」
「誰だ、どこでこんな傷をつけられたんだ?」
「いえ、あの、誰、というわけでは」
「じゃあなんだ、答えろ!」
苛立ちを隠さない野分の声に、佑の体が震える。
「お、恐れながら申し上げますと……これは、私が鬼車から落ちた時にできた傷でして」
「ふん」
佑の髪をかき分けた野分が、不満そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。頭皮を辿る指先に傷跡を抉られるではないかという気がして、少しだけ佑は身を引く。
佑の頭から指を離した野分は、そのまま佑の肩に手を当てた。
「……それで、佑。車から落ちて、その後は……どうしていたんだ。どうして今まで戻ってこなかった?」
「あ……ええと……」
佑が返答に窮すると、視界の隅で竜王が目を細めた。頭の両側から生えた角と相まって、その形相は鬼のようにも見える。
「儂に言えないようなことでもしていたか?」
「そういう……わけでは……」
「なら言え」
「……その……」
どう言いつくろっても、宮中に戻りたくなかったから今まで記憶がないふりをしていた、という事実は変わらない。黙り込む佑の横で、野分の尻尾がバチンと床を叩いた。西瓜の入っていた鉢が跳ね、中身が飛び出す。
「昨晩誰かが侵入した跡があったが、それもお前の手引きだろう、佑!」
「っ」
怒気を孕んだ声に、佑はますます身を縮こまらせた。だが答えられない。答えたら、きっとこの人をもっと怒らせてしまう。
ただただ息を潜め、正座をした自分の膝の先あたりに視線を彷徨わせる。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
【完結】黒兎は、狼くんから逃げられない。
N2O
BL
狼の獣人(異世界転移者)×兎の獣人(童顔の魔法士団団長)
お互いのことが出会ってすぐ大好きになっちゃう話。
待てが出来ない狼くんです。
※独自設定、ご都合主義です
※予告なくいちゃいちゃシーン入ります
主人公イラストを『しき』様(https://twitter.com/a20wa2fu12ji)に描いていただき、表紙にさせていただきました。
美しい・・・!
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
[BL]王の独占、騎士の憂鬱
ざびえる
BL
ちょっとHな身分差ラブストーリー💕
騎士団長のオレオはイケメン君主が好きすぎて、日々悶々と身体をもてあましていた。そんなオレオは、自分の欲望が叶えられる場所があると聞いて…
王様サイド収録の完全版をKindleで販売してます。プロフィールのWebサイトから見れますので、興味がある方は是非ご覧になって下さい
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
秘めやかな愛に守られて【目覚めたらそこは獣人国の男色用遊郭でした】
カミヤルイ
BL
目覚めたら、そこは獣人が住む異世界の遊郭だった──
十五歳のときに獣人世界に転移した毬也は、男色向け遊郭で下働きとして生活している。
下働き仲間で猫獣人の月華は転移した毬也を最初に見つけ、救ってくれた恩人で、獣人国では「ケダモノ」と呼ばれてつまはじき者である毬也のそばを離れず、いつも守ってくれる。
猫族だからかスキンシップは他人が呆れるほど密で独占欲も感じるが、家族の愛に飢えていた毬也は嬉しく、このまま変わらず一緒にいたいと思っていた。
だが年月が過ぎ、月華にも毬也にも男娼になる日がやってきて、二人の関係性に変化が生じ────
独占欲が強いこっそり見守り獣人×純情な異世界転移少年の初恋を貫く物語。
表紙は「事故番の夫は僕を愛さない」に続いて、天宮叶さんです。
@amamiyakyo0217
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる