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竜王帰訪
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「……殿下、佑殿下」
佑が目を開けると、部屋の中は明るい光に満ちていた。
(朝……いや、昼?)
さっきまで明月がいたはずなのに。なぜこんなに部屋の中は明るくて、聞こえるのは半崎の声なんだ。信じられない気持ちで佑が体を起こすと、「申し訳ございません」と半崎が枕元で体を縮こまらせていた。
「お目覚めになるまでお待ちしようと思ったのですが……」
「……いえ、こちらこそ眠りこけていてすみません」
あれは夢だったのだろうか。確かに明月が内裏まで夜這いに来るというのは荒唐無稽が過ぎる。そう考えながらぼんやりと部屋の中を見回した佑は、枕元の水差しに刺さっている桔梗の花を見つけた。寝る前にはなかったものだ。
寝起きの目を擦るふりをして、滲んできた涙をそっと袖で拭う。甘くて苦い匂いがした。
「佑様のお戻りになったのを聞いて、竜王様が行幸の予定を変更されたそうです。湯を沸かしましたので、さっぱりした状態でお迎えになってはいかがかと」
「……竜王様が……」
どこかに出かけていたのか。宮中のことなど興味もなくなっていたし、昨日は竜王のことまで考える余裕がなかった佑は、ようやく今まで彼の姿を見なかったことに思い至った。
「さあさ、早くなさいまし、殿下」
半崎に急き立てられるようにして湯浴みをし、香の焚きしめられた着物に袖を通す。部屋に戻ると、布団は片づけられ、桔梗の花は部屋の隅に活けられていた。
ぼうっと座りながら五角形の花を眺める。気づいた時にはすぐ横に半崎がいた。お盆の上に小さく切った西瓜を載せている。
「あ……半崎さん」
「こういうのだったらお召し上がりになられるかと思ったのですが、いかがですか?」
「ありがとう……ございます」
食べたいわけではなかったが、仙崎の手前無下にするのも気が引けた。一口大に切られた西瓜――内裏では櫛型に切ったものにかぶりつく、などという下品な真似はしないらしい――に黒文字を差し、口元に運ぶ。
しゃりっとした歯ごたえと共に、口の中に甘い汁が広がる。喉の奥に滑り落ちていく冷たさを感じながら、佑はようやく自分が空腹であることに気がついた。だが、胸の奥がつかえているようで、西瓜ですらうまく飲み込めない。
苦心しながら西瓜を齧っていると、やがてあたりが騒がしくなってきた。竜王が帰ってきたのだろう。
どんな顔をして彼に会えばいいというのだろうか。思案しているうちに重い足音が近づいてきてしまい、佑は慌てて顔を伏せた。
するり、と襖の開く音がして、濃紺の袴と青い尾を佑は久しぶりに見た。
「佑!」
「……お、お久しぶりでございま――」
駆け寄ってきた野分に抱きしめられ、体が強張る。
「良かった……てっきりもう……ああ、顔を見せてくれ」
「は……」
上目遣いでおずおずと顔を上げる。長く青い髪に、形の整った鼻。深い藍色の瞳と目があった瞬間、力強い手に顎を引き寄せられた。威圧感に目を逸らした佑の顔を、武骨で大きい手が撫でていく。
「ああ、髪を切られてしまったのか、可愛そうに……お前に似合うと思って簪を買っていたのに」
「それは……申し訳……」
「謝るな。こうしてお前が生きて目の前にいる、それだけで充分だ。髪なぞまた伸ばせばよい」
そう言って短くなった佑の髪をかき分けた野分の指先が、頭の傷に触れた。
「……なんだ、この傷は」
低く、威圧感のある声に背筋が冷たくなる。見られてはいけないものを見られてしまった気がした。
「あっ、それは、その……」
「誰だ、どこでこんな傷をつけられたんだ?」
「いえ、あの、誰、というわけでは」
「じゃあなんだ、答えろ!」
苛立ちを隠さない野分の声に、佑の体が震える。
「お、恐れながら申し上げますと……これは、私が鬼車から落ちた時にできた傷でして」
「ふん」
佑の髪をかき分けた野分が、不満そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。頭皮を辿る指先に傷跡を抉られるではないかという気がして、少しだけ佑は身を引く。
佑の頭から指を離した野分は、そのまま佑の肩に手を当てた。
「……それで、佑。車から落ちて、その後は……どうしていたんだ。どうして今まで戻ってこなかった?」
「あ……ええと……」
佑が返答に窮すると、視界の隅で竜王が目を細めた。頭の両側から生えた角と相まって、その形相は鬼のようにも見える。
「儂に言えないようなことでもしていたか?」
「そういう……わけでは……」
「なら言え」
「……その……」
どう言いつくろっても、宮中に戻りたくなかったから今まで記憶がないふりをしていた、という事実は変わらない。黙り込む佑の横で、野分の尻尾がバチンと床を叩いた。西瓜の入っていた鉢が跳ね、中身が飛び出す。
「昨晩誰かが侵入した跡があったが、それもお前の手引きだろう、佑!」
「っ」
怒気を孕んだ声に、佑はますます身を縮こまらせた。だが答えられない。答えたら、きっとこの人をもっと怒らせてしまう。
ただただ息を潜め、正座をした自分の膝の先あたりに視線を彷徨わせる。
佑が目を開けると、部屋の中は明るい光に満ちていた。
(朝……いや、昼?)
さっきまで明月がいたはずなのに。なぜこんなに部屋の中は明るくて、聞こえるのは半崎の声なんだ。信じられない気持ちで佑が体を起こすと、「申し訳ございません」と半崎が枕元で体を縮こまらせていた。
「お目覚めになるまでお待ちしようと思ったのですが……」
「……いえ、こちらこそ眠りこけていてすみません」
あれは夢だったのだろうか。確かに明月が内裏まで夜這いに来るというのは荒唐無稽が過ぎる。そう考えながらぼんやりと部屋の中を見回した佑は、枕元の水差しに刺さっている桔梗の花を見つけた。寝る前にはなかったものだ。
寝起きの目を擦るふりをして、滲んできた涙をそっと袖で拭う。甘くて苦い匂いがした。
「佑様のお戻りになったのを聞いて、竜王様が行幸の予定を変更されたそうです。湯を沸かしましたので、さっぱりした状態でお迎えになってはいかがかと」
「……竜王様が……」
どこかに出かけていたのか。宮中のことなど興味もなくなっていたし、昨日は竜王のことまで考える余裕がなかった佑は、ようやく今まで彼の姿を見なかったことに思い至った。
「さあさ、早くなさいまし、殿下」
半崎に急き立てられるようにして湯浴みをし、香の焚きしめられた着物に袖を通す。部屋に戻ると、布団は片づけられ、桔梗の花は部屋の隅に活けられていた。
ぼうっと座りながら五角形の花を眺める。気づいた時にはすぐ横に半崎がいた。お盆の上に小さく切った西瓜を載せている。
「あ……半崎さん」
「こういうのだったらお召し上がりになられるかと思ったのですが、いかがですか?」
「ありがとう……ございます」
食べたいわけではなかったが、仙崎の手前無下にするのも気が引けた。一口大に切られた西瓜――内裏では櫛型に切ったものにかぶりつく、などという下品な真似はしないらしい――に黒文字を差し、口元に運ぶ。
しゃりっとした歯ごたえと共に、口の中に甘い汁が広がる。喉の奥に滑り落ちていく冷たさを感じながら、佑はようやく自分が空腹であることに気がついた。だが、胸の奥がつかえているようで、西瓜ですらうまく飲み込めない。
苦心しながら西瓜を齧っていると、やがてあたりが騒がしくなってきた。竜王が帰ってきたのだろう。
どんな顔をして彼に会えばいいというのだろうか。思案しているうちに重い足音が近づいてきてしまい、佑は慌てて顔を伏せた。
するり、と襖の開く音がして、濃紺の袴と青い尾を佑は久しぶりに見た。
「佑!」
「……お、お久しぶりでございま――」
駆け寄ってきた野分に抱きしめられ、体が強張る。
「良かった……てっきりもう……ああ、顔を見せてくれ」
「は……」
上目遣いでおずおずと顔を上げる。長く青い髪に、形の整った鼻。深い藍色の瞳と目があった瞬間、力強い手に顎を引き寄せられた。威圧感に目を逸らした佑の顔を、武骨で大きい手が撫でていく。
「ああ、髪を切られてしまったのか、可愛そうに……お前に似合うと思って簪を買っていたのに」
「それは……申し訳……」
「謝るな。こうしてお前が生きて目の前にいる、それだけで充分だ。髪なぞまた伸ばせばよい」
そう言って短くなった佑の髪をかき分けた野分の指先が、頭の傷に触れた。
「……なんだ、この傷は」
低く、威圧感のある声に背筋が冷たくなる。見られてはいけないものを見られてしまった気がした。
「あっ、それは、その……」
「誰だ、どこでこんな傷をつけられたんだ?」
「いえ、あの、誰、というわけでは」
「じゃあなんだ、答えろ!」
苛立ちを隠さない野分の声に、佑の体が震える。
「お、恐れながら申し上げますと……これは、私が鬼車から落ちた時にできた傷でして」
「ふん」
佑の髪をかき分けた野分が、不満そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。頭皮を辿る指先に傷跡を抉られるではないかという気がして、少しだけ佑は身を引く。
佑の頭から指を離した野分は、そのまま佑の肩に手を当てた。
「……それで、佑。車から落ちて、その後は……どうしていたんだ。どうして今まで戻ってこなかった?」
「あ……ええと……」
佑が返答に窮すると、視界の隅で竜王が目を細めた。頭の両側から生えた角と相まって、その形相は鬼のようにも見える。
「儂に言えないようなことでもしていたか?」
「そういう……わけでは……」
「なら言え」
「……その……」
どう言いつくろっても、宮中に戻りたくなかったから今まで記憶がないふりをしていた、という事実は変わらない。黙り込む佑の横で、野分の尻尾がバチンと床を叩いた。西瓜の入っていた鉢が跳ね、中身が飛び出す。
「昨晩誰かが侵入した跡があったが、それもお前の手引きだろう、佑!」
「っ」
怒気を孕んだ声に、佑はますます身を縮こまらせた。だが答えられない。答えたら、きっとこの人をもっと怒らせてしまう。
ただただ息を潜め、正座をした自分の膝の先あたりに視線を彷徨わせる。
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