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髪を切る

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 障子の向こうでは、朝から早くもツクツクとセミが鳴き始めていた。
 ここしばらく雨の気配はない。もう梅雨明けだろうか、今日も蒸し暑くなりそうだ、と考えながら、佑は鏡台の前で髪の毛をつまんだ。右手に持った鋏を動かすと、しゃく、と小さな音とともに髪の毛の束が床に落ちる。

「んー……どうかな」

 左右に頭を振って確認する。鏡の中には、首元で髪を切りそろえた佑が映っていた。もう少し短い方がいいような気もするが、あまり切ると今度は縫った跡が見えてしまう。

「よし!」

 もう一度鏡で髪の様子を確認した佑は、頷いて立ちあがった。胸元まであった髪を一気に切り落としたせいか、頭が軽い。
 板張りの床に散らばった髪の毛を片付ける。鏡台に布を掛けようとした佑は、臙脂色の夏物を纏った自分の全身をもう一度眺めた。
 明月と往診に行ったり、薬の採取に出たりしているうちに焼けてきた肌、短くなった黒い髪。診療所に来てから三食しっかり食べているせいか、最近は体に厚みが出てきたような気もする。

(……もう、姉さんとそっくりというわけにはいかないな)

 少し寂しくもあるが、それでいいと思う。良夜として生きるなら、以前の自分には似ていない方がいい。
 庭に出ると、ちょうど明月が花の水やりを終えたところだった。庭にはこの前買ってきたばかりの白い朝顔が増えている。朝顔、という割につるでもないし一日中咲いている変な花だが、明月によると麻酔の素になる毒を持っているそうだ。

「おはようございます、明月さん!」
「おは……よ?」

 振り向いた明月が、紅い目を見開く。同じように外出しているはずなのに、明月は一向に日焼けしない。相変わらず目以外は白いままだ。

「髪切ったんだ」
「はい! ちょっと……伸びてきたので」

 照れながら見上げると、細い明月の指先が佑の頭に触れた。そのまま髪の上を滑り、頬の上で止まる。

「長いのも愛らしかったけど、今ぐらいの長さも元気な感じがしていいね。似合ってるよ」
「ふへ」

 まっすぐ見つめられながら褒められると、どうにもにやけてしまう。恥ずかしくなってきて顔を逸らすと、佑の耳たぶを軽くなぞり、明月の指が離れていく。

(……もっと、触れてくれてもいいのに)

 明月に触れられると胸が高鳴って、逃げ出したくなる。なのに、離れると寂しい。自分でも勝手だと思うが、どうしようもない。
 蛍を見ながら帰ってきたあの日から、明月は佑に触れてくることが多くなった。こうしてふとした拍子に、さりげなくふわりと佑を撫でていくのだ。控えめながら、彼なりに佑に気持ちを返してくれている様子に、毎回これは夢ではないかと頬をつねりたくなる。
 簡単に朝食を摂り、注文されていた薬の調合をする。

「えっと、これと……これと」

 佑が処方を見ながら百味箪笥の引き出しを開けていると、ふふ、と耳元で明月の笑い声が聞こえた。

「な、なんですか」

 振り向くと、案の定すぐ横に明月の顔がある。

「いやー、随分と頼もしくなったなあと思って」
「そんな……へへ」

 とてもではないがまだそんな領域には達していない。気を引き締めなくては、と思うが、明月に褒められるとどうしても嬉しさの方が勝ってしまう。
 熱くなってきた頬を隠そうと手を持ち上げると、その手首を明月が握った。細い指が佑の脈に触れる。この動悸が伝わっているのだ、と思うと、更に佑の心臓が暴れ出す。

「な……何か、分かりますか」
「んー。そうだねえ」

 裏返りそうな声で佑が問うと、にやりと明月は目を細めた。

「いろいろなこと、かな」

 含みのある言い方に、佑は自分が丸裸にされたような心持ちがした。全身が火照る。

「おや、耳まで赤くなった」
「うう……」

 言わずもがなのことを指摘しないで欲しい。硬直していると、明月の指先が佑の唇に触れた。佑の反応を確かめるように薄い皮膚の上をなぞる感触は冷たくて、ずるいと思う。

「かわいいね。最初見た時から……ずっと思ってたよ、良夜」

 すべてを見透かすような瞳が近づいてきて、佑は思わず目を瞑った。
 薄い花弁のような感触が、佑の唇に触れる。

「先生! 兎先生!」

 ばたばたと駆けてくる足音が玄関から聞こえ、明月が体を離す気配がした。

「はい、どうされました?」
「早く来てくれ! うちのばっちゃがいきなり倒れたんだ!」

 ようやくそろそろと佑が目を開けると、玄関先でやり取りする明月の後ろ姿が見えた。ちらりと佑を見る目線に頷き返す。

「薬は俺が届けに行きます!」
「ありがとう、お願いするよ」

 跳ねるように戻ってきた明月が、ぽんと佑の頭に触れた。その横顔はもう凛々しい薬師のものになっている。
 百味棚を背負って走っていく足音が消えてから、佑は薬の袋に書かれた名前を確認した。どこも一度行ったことがある家なので、迷うことはないだろう。自分も風呂敷に包んだ薬を背中にかけ、薬の入った棚に鍵をかける。
 家を出たところで、佑はそっと自分の唇に触れた。

(さっきのって……)

 いきなりの来客に驚いていた体が、また火のついたようになる。

(うう……そんな場合じゃないのに)

 人の家族が大変だというのに、そして明月はその人を助けに行ったというのに。自分だけ浮かれている場合ではない。
 ぱん、と両頬を叩いて気合を入れ、ともすれば浮きそうになる足で地面を蹴る。
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