竜王の妃は兎の薬師に嫁ぎたい

にっきょ

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薬師の明月

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「う、うーん……」

 佑が最初に感じたのは、鼻をつく薬の匂いと、ごりごりと何かを摺る音だった。何回か瞬きをするうちに、ぼんやりとした視界が像を結ぶ。見慣れない部屋に寝かされているようだが、黒く年季の入った梁や煤けた天井から見るに、大内裏の一部屋というわけではなさそうだ。

「うう……」

 頭が重く、ずきずきと痛い。それでもゆっくりと体を起こすと、部屋の奥で薬研をひく人影が目に入った。はたと音がやみ、立ち上がった男が近づいてくる。

「起きたね。気分はどうかな」
「あ……はい……」

 ぼうっとしたまま、佑は目の前に座った男を見つめた。年の頃は二十半ばごろといった所だろうか。肩口で切りそろえられた髪の、雪のように白く冴え冴えとした様子が印象的だ。肌の色も同じく淡く、触れるだけで溶けてしまいそうな質感をしている。頭の天辺からは髪と同じ色の兎の耳が飛び出し、ゆっくりと揺れていた。
 恐ろしく、綺麗な人だった。本当にこの世のものかどうか怪しくなるほどに。

「ええと……」

 何がどうなっているのだろう。痛む頭はうまく働かない。佑が目を瞬かせていると、白い肌と髪の中、そこだけ紅玉のように鮮やかに色づいた瞳が細められる。木漏れ日のような眼差しに、心の中で混乱と不安が落ち着いていくのを佑は感じた。

「ああ、そう警戒することはない。僕は明月、ここで薬師をしているものだ」
「あ……」

 少し高い、澄んだ声。痛む頭にも心地よく染み入るような響きに、徐々に記憶が戻ってくる。そうだ、爆竹の音に驚いた牛鬼が暴走したんだった。

「あ、ありがとうございます。あの……他に、怪我した人は?」
「ん? 他はかすり傷程度しかいなかったと思うけれど……連れの人でもいたかい?」
「……いえ」

 それならよかった、と思いながら頭に手をやる。細く布が巻かれ、薬を塗られているようだ。くるりと耳を動かした兎の青年――明月が、小さく首を傾げた。

「ところで、君は? 名前を教えてもらってもいいかな」
「名前……」

 佑は口ごもった。佑、あるいは水芭蕉の宮。そう答えればいいだけのはずだったが、言葉が出てこない。竜王の妃だと言う資格が自分にあるとは思えなかったのだ。

「ひょっとして、思い出せない……のか?」
「え、えっと……」

 佑の沈黙を違う意味に取ったのか、パタリと明月の耳が垂れる。心配そうな視線に耐えられず、佑は布団の上に視線を落とした。頭の傷に気を取られていたが、こちらにも布が当てられている。
 その手の上に、白い明月の手が重なった。

「大丈夫。頭を強く打ったから、そのせいで記憶が混乱しているんだろう。しばらくしたら思い出せるはずだよ」

 そうではない、とも言えず佑が黙り込んでいると、明月のもう片方の手が佑の肩に触れた。優しく促され、再び布団に横になる。

「たまにあることだから安心して。ひとまず今日はここから動かないで、何かあったら僕を呼ぶといい」
「……はい」

 佑の頭を撫でる明月の手は優しく、それだけで傷の痛みが和らいでいく。だがきっと、佑の身分を知ったら彼はこの手を離してしまうだろう。うしろめたさを抱えながら佑はそのまま目を閉じた。

(今だけ……少しだけだから……)

 起きたら本当のことを話そう。そして帰らなくては。だって、それが自分の役目だから。
明月の袖からは、ほのかに甘い薬の香りがした。ふんわりと全身を包まれるような安らぎを覚えながら、とろとろと佑の意識はまた沈んでいった。
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