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8 運命
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ちょうど受かりそうな偏差値で、就職がそこそこ良さそうだったからだ。それも本当は法学部がよかったのだが落ちて、なんとなく第二志望に書いていた社会学部に合格が出ていたのでそこに入ってしまった。
「でも、本当にここに来てよかったよ。なにせ柊斗に会えたんだからな」
そう言ったアルハヴトンの目元がふっと緩む。くるりとペンを回した指先が、柊斗が机の上に出していた手の上に重なった。少しだけ汗ばんだ太い指先が、その武骨さに似合わぬ繊細さで、花の蕾でも扱うかのように柊斗の手を撫でる。ゆっくりと動く指先と、それに合わせてかすかに浮き上がる手の骨に、ざわざわと心の底がくすぐられるようだった。
「うん、俺も……アルに会えて、よかった」
口をついた言葉は思ったよりだいぶ甘ったるい響きで、はっとなった柊斗は手を引っこめた。
(な……なにを言っているんだ、俺は)
話題を反らそうと慌ててノートを引っ張る。確かいくつかアルに聞こうと思っていた部分があるはずだ。
「これさ、testinka……『運命』って意味だと思うけど、男性、女性、中性の三つの変化があるよね? どう使い分けるの?」
ぺらぺらとページをめくり、ノートに書き写した『Leg pespheo lei testinkat.』の文字列を指さす。訳すると「私は我が運命を待っている」と妙に詩的な文章だ。そういう言語なのか、それとも作成者の好みなのか、アルハヴトンが持ってきた教科書は実用性の低そうな例文が多い。
似ているといっても英語よりグラルスは若干複雑で、そのうちの一つが「名詞に性があること」だった。なんだってそんな面倒なことになってしまったのか知らないが、名詞ごとに性別が付与されていて、格変化やくっつく動詞の活用が異なってくるのである。
「ああそれか。それはもう見たまんま男性の運命なら男性、女性なら女性……」
そこまで言いかけたところで「あっ待て」とアルハヴトンは手を打った。
「そういえば、人間には『運命』というものがないのか」
「?」
運命は運命ではないのか。柊斗が首を傾げると「ちょっと待ってくれな」とアルハヴトンは強くウェーブのかかった髪の毛をかきあげた。しばし考えて口を開く。
「『運命』というのは……そうだな、簡単に言ってしまえば『本能的に非常に強い繋がりを感じる相手』だな。魂の片割れを見つけるようなものだ」
「『運命の恋人』的な? そういうのならこっちにもあるよ」
「ううん……そうなんだが、多分、柊斗が考えているよりももっと重いものだ」
困ったように耳が揺れ、その横をアルハヴトンが掻いた。
「運命の番というのは出会った瞬間に分かるものなのだが……その瞬間から、すべてを差し置いて相手のことが一番になってしまうんだ。前世では二人はくっついていて、その片割れ同士であるから結びつきが強いのだとか、だから二人が出会うことで完全体になるとか言われてもいるな」
「それはなんともロマンチックな……」
そこまで夢中にお互いに求め合える相手がいるというのは羨ましい限りである。相槌を打ちながら、柊斗はどこか引っかかるものがあった。だが思い出せず首を捻る。
「フェロモンと獣人の臭覚のなせる業だ。そういいことばかりでもないよ、柊斗」
柊斗を見つめたまま、ふふ、とアルハヴトンは悲しげな笑みを浮かべた。
「すでに家庭のあるものが『運命』に出会えば大抵家庭は崩壊するし、相手に先立たれれば発狂したり自死に走ったりするものも少なくない。社会的地位を失うことだってある。幸せが大きい分、代償も大きいんだ」
「そう……なんだ……」
低く、苦しそうに語るアルハヴトンは、何かを諦めたかのように微笑んでいて、柊斗はそれ以上何も言えなくなった。
(なんで、アルがそんなに寂しそうな顔をするんだ?)
青い瞳は深く沈んでいて、自らの不幸になる宿命を知る予言者のようだった。視線は柊斗に向いているのにどこか遠くに意識が行っているようなアルハヴトンの姿に、柊斗の胸の中にもひたひたと冷たさが満ちてくる。
何かを言いたかったが、どんな言葉をかければいいのか分からない。
「……どうした、柊斗?」
「いや……」
だから、柊斗は全然違うことを言った。
「さっきの『大昔、人は二人で一つだった』っていうの、似たような話を聞いたことがあるな、と思って」
「そうなのか?」
「うん。ギリシャ神話かなんかだったかな、昔は人間は『男男』『男女』『女女』でくっついていた、って話があるんだ。神の怒りに触れて二つにされちゃったんだけど、今でも自分の半分を求めていて、だから恋をするんだって」
「ほお、確かに似ているな」
話が変わったからだろう、アルハヴトンの表情が興味深げなものに変わる。そのことにほっとした柊斗の頭に、ふとある思いつきが浮かんだ。
「でも、本当にここに来てよかったよ。なにせ柊斗に会えたんだからな」
そう言ったアルハヴトンの目元がふっと緩む。くるりとペンを回した指先が、柊斗が机の上に出していた手の上に重なった。少しだけ汗ばんだ太い指先が、その武骨さに似合わぬ繊細さで、花の蕾でも扱うかのように柊斗の手を撫でる。ゆっくりと動く指先と、それに合わせてかすかに浮き上がる手の骨に、ざわざわと心の底がくすぐられるようだった。
「うん、俺も……アルに会えて、よかった」
口をついた言葉は思ったよりだいぶ甘ったるい響きで、はっとなった柊斗は手を引っこめた。
(な……なにを言っているんだ、俺は)
話題を反らそうと慌ててノートを引っ張る。確かいくつかアルに聞こうと思っていた部分があるはずだ。
「これさ、testinka……『運命』って意味だと思うけど、男性、女性、中性の三つの変化があるよね? どう使い分けるの?」
ぺらぺらとページをめくり、ノートに書き写した『Leg pespheo lei testinkat.』の文字列を指さす。訳すると「私は我が運命を待っている」と妙に詩的な文章だ。そういう言語なのか、それとも作成者の好みなのか、アルハヴトンが持ってきた教科書は実用性の低そうな例文が多い。
似ているといっても英語よりグラルスは若干複雑で、そのうちの一つが「名詞に性があること」だった。なんだってそんな面倒なことになってしまったのか知らないが、名詞ごとに性別が付与されていて、格変化やくっつく動詞の活用が異なってくるのである。
「ああそれか。それはもう見たまんま男性の運命なら男性、女性なら女性……」
そこまで言いかけたところで「あっ待て」とアルハヴトンは手を打った。
「そういえば、人間には『運命』というものがないのか」
「?」
運命は運命ではないのか。柊斗が首を傾げると「ちょっと待ってくれな」とアルハヴトンは強くウェーブのかかった髪の毛をかきあげた。しばし考えて口を開く。
「『運命』というのは……そうだな、簡単に言ってしまえば『本能的に非常に強い繋がりを感じる相手』だな。魂の片割れを見つけるようなものだ」
「『運命の恋人』的な? そういうのならこっちにもあるよ」
「ううん……そうなんだが、多分、柊斗が考えているよりももっと重いものだ」
困ったように耳が揺れ、その横をアルハヴトンが掻いた。
「運命の番というのは出会った瞬間に分かるものなのだが……その瞬間から、すべてを差し置いて相手のことが一番になってしまうんだ。前世では二人はくっついていて、その片割れ同士であるから結びつきが強いのだとか、だから二人が出会うことで完全体になるとか言われてもいるな」
「それはなんともロマンチックな……」
そこまで夢中にお互いに求め合える相手がいるというのは羨ましい限りである。相槌を打ちながら、柊斗はどこか引っかかるものがあった。だが思い出せず首を捻る。
「フェロモンと獣人の臭覚のなせる業だ。そういいことばかりでもないよ、柊斗」
柊斗を見つめたまま、ふふ、とアルハヴトンは悲しげな笑みを浮かべた。
「すでに家庭のあるものが『運命』に出会えば大抵家庭は崩壊するし、相手に先立たれれば発狂したり自死に走ったりするものも少なくない。社会的地位を失うことだってある。幸せが大きい分、代償も大きいんだ」
「そう……なんだ……」
低く、苦しそうに語るアルハヴトンは、何かを諦めたかのように微笑んでいて、柊斗はそれ以上何も言えなくなった。
(なんで、アルがそんなに寂しそうな顔をするんだ?)
青い瞳は深く沈んでいて、自らの不幸になる宿命を知る予言者のようだった。視線は柊斗に向いているのにどこか遠くに意識が行っているようなアルハヴトンの姿に、柊斗の胸の中にもひたひたと冷たさが満ちてくる。
何かを言いたかったが、どんな言葉をかければいいのか分からない。
「……どうした、柊斗?」
「いや……」
だから、柊斗は全然違うことを言った。
「さっきの『大昔、人は二人で一つだった』っていうの、似たような話を聞いたことがあるな、と思って」
「そうなのか?」
「うん。ギリシャ神話かなんかだったかな、昔は人間は『男男』『男女』『女女』でくっついていた、って話があるんだ。神の怒りに触れて二つにされちゃったんだけど、今でも自分の半分を求めていて、だから恋をするんだって」
「ほお、確かに似ているな」
話が変わったからだろう、アルハヴトンの表情が興味深げなものに変わる。そのことにほっとした柊斗の頭に、ふとある思いつきが浮かんだ。
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