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48. 共に歩む
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クラコット村に近づくにつれ、ぴたぴた、ちろちろという小さな音が響き始めた。溶けた雪が木や家の屋根から垂れ、地面を流れる音だ。そろそろ山の上にも春が来る頃合いらしい。
工房の裏手、住居側の玄関に降り立つ。ちょっとしんなりしたカイを樽から降ろしていると、開いた工房の窓から話し声が聞こえてきた。カイに目配せすると、「知らない」とばかりに首を振られる。不思議に思いながら扉を開けると、中ではレオンが腕を組み、紫の髪を高く括った妙齢の女性――レオンにくっついて移籍してきたアメリアを見下ろしていた。
「おう、おかえり」
「……レオンさん、今日店休日ですよ?」
「そうだよ!」
レオンは村内に家があるので通いである。店休日にまで来る必要はない。ヴィクトールが首を傾げると、憤慨したようにレオンは肩をいからせた。
「だから俺は今日はサウナにでも行ってのんびり過ごそうと思ってたの! なのによお、アメリアが『ど~しても幻影花火が上手く弾けないんですぅ~練習したいので付き合ってくれませんかぁ~』っていうから見てやってたんだよ」
幻影花火とは、衝撃を与えると中から花火などの小型幻影が飛び出すようにした、小石状の幻燈のことだ。魔石が割れるときに出る粒子に着想を得て開発したもので、子供のおもちゃのつもりでヴィクトールは売り出したのだが、最近はこれを食事の皿やケーキの上に乗せるのがやんごとなき人々の中で流行っているらしい。
「わ、私そんな言い方してませんよ!?」
「んだよ、大体一緒だろ」
迷惑そうな雰囲気を装ってはいるが、口の端はニヤついている。本当はアメリアに頼られて嬉しいのだろう。
「ありがとうございます、レオンさん」
「ま、それなりにはなったから見てやってくれよ」
アメリアと契約をした悪魔かのように凶悪な笑みを浮かべると、レオンは細い指の中に握られている透明の魔石にあごをしゃくった。少し強張った顔でアメリアが机の上に魔石を叩きつけると、パリンと高い音がして蝶々の幻影が工房中に溢れかえった。
「わっ、ちょ……!?」
腕にびっしりくっつき、視界を覆うほどに飛び回る色とりどりの蝶々を振りほどこうと、反射的にカイが両手を振った。その手が勢いあまって作業机にぶつかり、もう一度悲鳴を上げる。
「アメリアちゃん、ちょっと……これ、蝶々の数多すぎない?」
「ほれ言っただろ、やっぱ気持ち悪いってこれは」
「ええ? いっぱいいたほうが綺麗で幸せな気持ちになりません?」
「いや、ものには限度ってものが……」
ヴィクトールが言いかけたところで、一気に出力したせいだろう、出てきたときと同様に急激に蝶が光の粒になって消えていく。
「ほら、継続時間も短いし、これはもうちょっと蝶々の数絞ったほうがいいと思うな」
「そうですかねえ」
アメリアが不服そうに頬を膨らませると、食堂に続く廊下側の扉が空いた。赤毛を長く編んだ眼鏡の少女、リタが顔を出す。この秋来たばかりの新顔だ。
「ゆうはーん! 夕飯ですよみなさん! あ、戻られてたんですね、店長、カイさん、おかえりなさいませ。レオンさんも食べていかれますよね? ってもう準備しちゃったんで食べていく以外の選択肢はないんですけど」
「そんならいただいていくとするかね。メニューは何だ?」
「今日はロジウムさんが大きなマスを釣ってきてくれたので、それをシンプルにグリルしてみました! ほくほくですよー」
ダイニングに戻っていくリタに続き、ぞろぞろと皆移動を始める。ヴィクトールはあとに残り、工房の窓を閉めて戸締まりを確認して回った。窓や扉が施錠されていることを確認し、魔法錠を上からかける。
最後に部屋の明かりを消し、廊下に出たヴィクトールは室内を振り返った。
しん、と暗くなった工房内には、柔らかな人のさざめきが染み込んでいるようだった。壁のフックにかかるエプロンの数は6つになり、棚に入り切らない制作途中の角燈が空いた机の上に並んでいる。
「ヴィクトールさん!」
振り向くと、カイのどんぐりのような目がヴィクトールを見上げていた。
「どうしたんです? ぼうっとして……」
「ん? んー」
微笑みながらカイを見下ろしたヴィクトールは、少し考えた。この満ち足りたような、高揚するような、静かな決意のような気分をどう表現すればいいのだろうか。考え込んでいると、扉の間を金色の蝶がすり抜けてきた。ひらひらと飛んできた蝶はカイの左頬にとまり、ぱちりと光の粒になって消える。
「なんか……幸せだな、って」
そんな単純な言葉でこの気持ちを表していいのだろうか。だが、他にちょうどいい言葉が見つからない。
金の粒子がついたカイの痣を、手のひらで撫でる。言語化しきれなかった気持ちを伝えたくて、ヴィクトールはその上に背をかがめた。
ゆっくりと、唇を重ねる。
廊下には、雪解けの水音が静かに響いていた。
【終】
工房の裏手、住居側の玄関に降り立つ。ちょっとしんなりしたカイを樽から降ろしていると、開いた工房の窓から話し声が聞こえてきた。カイに目配せすると、「知らない」とばかりに首を振られる。不思議に思いながら扉を開けると、中ではレオンが腕を組み、紫の髪を高く括った妙齢の女性――レオンにくっついて移籍してきたアメリアを見下ろしていた。
「おう、おかえり」
「……レオンさん、今日店休日ですよ?」
「そうだよ!」
レオンは村内に家があるので通いである。店休日にまで来る必要はない。ヴィクトールが首を傾げると、憤慨したようにレオンは肩をいからせた。
「だから俺は今日はサウナにでも行ってのんびり過ごそうと思ってたの! なのによお、アメリアが『ど~しても幻影花火が上手く弾けないんですぅ~練習したいので付き合ってくれませんかぁ~』っていうから見てやってたんだよ」
幻影花火とは、衝撃を与えると中から花火などの小型幻影が飛び出すようにした、小石状の幻燈のことだ。魔石が割れるときに出る粒子に着想を得て開発したもので、子供のおもちゃのつもりでヴィクトールは売り出したのだが、最近はこれを食事の皿やケーキの上に乗せるのがやんごとなき人々の中で流行っているらしい。
「わ、私そんな言い方してませんよ!?」
「んだよ、大体一緒だろ」
迷惑そうな雰囲気を装ってはいるが、口の端はニヤついている。本当はアメリアに頼られて嬉しいのだろう。
「ありがとうございます、レオンさん」
「ま、それなりにはなったから見てやってくれよ」
アメリアと契約をした悪魔かのように凶悪な笑みを浮かべると、レオンは細い指の中に握られている透明の魔石にあごをしゃくった。少し強張った顔でアメリアが机の上に魔石を叩きつけると、パリンと高い音がして蝶々の幻影が工房中に溢れかえった。
「わっ、ちょ……!?」
腕にびっしりくっつき、視界を覆うほどに飛び回る色とりどりの蝶々を振りほどこうと、反射的にカイが両手を振った。その手が勢いあまって作業机にぶつかり、もう一度悲鳴を上げる。
「アメリアちゃん、ちょっと……これ、蝶々の数多すぎない?」
「ほれ言っただろ、やっぱ気持ち悪いってこれは」
「ええ? いっぱいいたほうが綺麗で幸せな気持ちになりません?」
「いや、ものには限度ってものが……」
ヴィクトールが言いかけたところで、一気に出力したせいだろう、出てきたときと同様に急激に蝶が光の粒になって消えていく。
「ほら、継続時間も短いし、これはもうちょっと蝶々の数絞ったほうがいいと思うな」
「そうですかねえ」
アメリアが不服そうに頬を膨らませると、食堂に続く廊下側の扉が空いた。赤毛を長く編んだ眼鏡の少女、リタが顔を出す。この秋来たばかりの新顔だ。
「ゆうはーん! 夕飯ですよみなさん! あ、戻られてたんですね、店長、カイさん、おかえりなさいませ。レオンさんも食べていかれますよね? ってもう準備しちゃったんで食べていく以外の選択肢はないんですけど」
「そんならいただいていくとするかね。メニューは何だ?」
「今日はロジウムさんが大きなマスを釣ってきてくれたので、それをシンプルにグリルしてみました! ほくほくですよー」
ダイニングに戻っていくリタに続き、ぞろぞろと皆移動を始める。ヴィクトールはあとに残り、工房の窓を閉めて戸締まりを確認して回った。窓や扉が施錠されていることを確認し、魔法錠を上からかける。
最後に部屋の明かりを消し、廊下に出たヴィクトールは室内を振り返った。
しん、と暗くなった工房内には、柔らかな人のさざめきが染み込んでいるようだった。壁のフックにかかるエプロンの数は6つになり、棚に入り切らない制作途中の角燈が空いた机の上に並んでいる。
「ヴィクトールさん!」
振り向くと、カイのどんぐりのような目がヴィクトールを見上げていた。
「どうしたんです? ぼうっとして……」
「ん? んー」
微笑みながらカイを見下ろしたヴィクトールは、少し考えた。この満ち足りたような、高揚するような、静かな決意のような気分をどう表現すればいいのだろうか。考え込んでいると、扉の間を金色の蝶がすり抜けてきた。ひらひらと飛んできた蝶はカイの左頬にとまり、ぱちりと光の粒になって消える。
「なんか……幸せだな、って」
そんな単純な言葉でこの気持ちを表していいのだろうか。だが、他にちょうどいい言葉が見つからない。
金の粒子がついたカイの痣を、手のひらで撫でる。言語化しきれなかった気持ちを伝えたくて、ヴィクトールはその上に背をかがめた。
ゆっくりと、唇を重ねる。
廊下には、雪解けの水音が静かに響いていた。
【終】
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