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40. 帽子の客
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その客が来たのは、ロジウムが休憩に入ってすぐのことだった。代わりにレジに座ったヴィクトールがラッピング用の飾りリボンを作っていると、ドレス姿の女性が店内をガラス越しに眺めていることに気づいた。豊かな黒い巻き毛が高級そうな帽子からはみ出ているところを見るに、この村の人ではなさそうだ。
こういう時積極的に話しかけに行った方がいいのだろうか、でも自分だったら嫌だしな、と店に立って何年にもなるが一向に解けない疑問をこねくりまわしているうちに、女性は店の前を通り過ぎて広場の向こうの方へ行ってしまった。まあそんなこともあるよな、と思っているとまた戻ってくる。何が気になっているのだろうか、と目線を追って店舗内を見回し、また視線を戻した時にはいなくなっていた。
三回目にしてようやく、ヴィクトールは店舗の扉を開けて外に出る選択をした。
「こんにちは。ええと、よろしければ中でご覧になっていかれませんか?」
「あ、あの、ここ、ゼーア工房……ですよね? 『大きな犬がいる店』って聞いて来たんですけど……」
不安げに巻き毛を引っ張る女性を見下ろし、ああ、とヴィクトールは納得した。そこら中似たような角燈店ばかりなので、ロジウムを目印にしたのだろう。犬ではなくコボルトなのだが、このあたりは獣人が少ないのできちんと区別がつく人のほうが稀だ。
「ゼーアはうちで合ってますよ。犬……ロジウムは休憩中ですが」
ヴィクトールが笑みを浮かべて扉を大きく開けると、女性はホッとした顔で店内に入ってきた。
「呼んできましょうか、フワフワの毛が気持ちいいですよ」
「あ、いえっ、そうではなくて、ですね」
家に向かおうとしたヴィクトールが振り向くと、ええと、と女性は恥ずかしそうに口元に手を当てた。
「ほら、夏の……夏祭りで、ゼーア工房さんが出品された角燈があるじゃないですか。湖の言い伝えの……あれ、売ってます?」
「は」
思わず間抜けな声が出た。自分たちの作ったものを買いたいといってくれるのは嬉しかったが、「売りたくない」と反射的に思ってしまったのだ。
普段は仕事だし、どんなに上手くできたと思っても早く売れないかなとしか思わないのだが、あれだけは手元に置いておきたかった。その証拠に、あの角燈だけは店に出さず、ずっと食堂に置いたままにしていた。
「えっと……相談してきますので、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
とはいえ、ヴィクトールの一存だけでは決められない。工房の扉を開けると、ランプを組み立てていたカイに声を掛ける。
「あの、さ、カイ君。夏祭りの角燈、欲しいって言っている人が来てるんだけど……どうする?」
なんともあいまいな問い方だったが、その意味するところは伝わったらしい。作業の手を止めたカイが、神妙な顔で「んんん」と唸って腕を組んだ。どうやらヴィクトールと同じく、あの角燈はカイにとっても大切なものらしい。それが分かってヴィクトールは嬉しくなった。
「売ってもいいかってことですよね? その、俺としてはあれは非売品にしたいんですが、あー、でも、うーん、そうですよねー、欲しいって言ってもらえるなら、んー」
「うん、僕もあれは残しておきたい。だから、複製を提案してみるっていうのはどうかなって思うんだけど。いいかな?」
幻影角燈は魔法で「型」を作ることで、同じようなものが量産可能である。普段は大量に同じ角燈が必要な時、例えば広い範囲に幻影を発生させたい時や人気があるものを量産するときなどに使われる手法だが、すでにある角燈の複製を作ることもできる。一回型を経由するせいで、なんとなく仕上がりが違った雰囲気になるのはご愛敬だ。
手元に角燈は残しておきたい、だが、客の希望にも答えたい。その妥協点としてヴィクトールが挙げた案に、カイは数秒考え、それから手を打った。
「いいですね、ちょっと直したい部分もありましたし、そうしましょう」
店舗に戻って客の女性に複製でもよいかと尋ねる。ぱっと顔をほころばせた女性は「もちろん構いません!」と小躍りでもしそうだった。
「ご無理を申し上げてしまったみたいですみませんね。お祭りで見かけたときから素敵だと思っていたんですが、友人がゼーアさんの角燈を一緒に見た方と懇意になれたという話を聞いて、どうしても欲しくなってしまって」
「そうなんですか? それはそれは……お客様のお役にも立てるとよいのですが」
その話、当店の角燈は関係ないのでは。喉まで出かかった言葉を飲みこんでヴィクトールは真面目な顔をした。恐らく順序が逆で、角燈を一緒に見たから仲良くなれたのではなく、仲がいいから一緒に角燈を見たという話だろう。さもなければ、と考えたところで初夏のころに作った辺境伯だか伯爵だかの角燈を思い出す。
(まさか、ね……)
注文票を書き、女性を送り出したところでロジウムが戻ってきた。店番を交代して工房に戻る。早くもカイがコンテストに出した角燈を手に持ち、花の飾りのついた表面を眺めていた。
「そうだ、せっかく型を作るんだから、エックハルトとアルマにも複製した角燈を持っていってあげようよ。あの二人をモデルにしたんだろう?」
「へ?」
ヴィクトールがカイの後ろから言うと、素っ頓狂な声を上げてカイが振り向いた。訳が分からないという風に目をぱちぱちとさせる。
「何のことです?」
「えっ」
どうやらなにかを盛大に勘違いしているらしい。ヴィクトールも目を見開いた。
「ええっと、エミールはエックハルトを、クリスティーネはアルマをイメージしていたわけじゃないのかい? 髪色が似てたし、僕も『最初は身近な人から考えてみるといい』って言ったし……違った?」
「違います」
「あ、そ、そうなんだ!? ごめん、勘違いしてた」
てっきり二人のことをイメージして作っていたと思い込んでいただけにこれは恥ずかしい。よけいなことを言うんじゃなかった、とカイに背を向け、椅子に腰を下ろす。工房内を、なんだかそわついた気まずい沈黙が支配した。
こういう時積極的に話しかけに行った方がいいのだろうか、でも自分だったら嫌だしな、と店に立って何年にもなるが一向に解けない疑問をこねくりまわしているうちに、女性は店の前を通り過ぎて広場の向こうの方へ行ってしまった。まあそんなこともあるよな、と思っているとまた戻ってくる。何が気になっているのだろうか、と目線を追って店舗内を見回し、また視線を戻した時にはいなくなっていた。
三回目にしてようやく、ヴィクトールは店舗の扉を開けて外に出る選択をした。
「こんにちは。ええと、よろしければ中でご覧になっていかれませんか?」
「あ、あの、ここ、ゼーア工房……ですよね? 『大きな犬がいる店』って聞いて来たんですけど……」
不安げに巻き毛を引っ張る女性を見下ろし、ああ、とヴィクトールは納得した。そこら中似たような角燈店ばかりなので、ロジウムを目印にしたのだろう。犬ではなくコボルトなのだが、このあたりは獣人が少ないのできちんと区別がつく人のほうが稀だ。
「ゼーアはうちで合ってますよ。犬……ロジウムは休憩中ですが」
ヴィクトールが笑みを浮かべて扉を大きく開けると、女性はホッとした顔で店内に入ってきた。
「呼んできましょうか、フワフワの毛が気持ちいいですよ」
「あ、いえっ、そうではなくて、ですね」
家に向かおうとしたヴィクトールが振り向くと、ええと、と女性は恥ずかしそうに口元に手を当てた。
「ほら、夏の……夏祭りで、ゼーア工房さんが出品された角燈があるじゃないですか。湖の言い伝えの……あれ、売ってます?」
「は」
思わず間抜けな声が出た。自分たちの作ったものを買いたいといってくれるのは嬉しかったが、「売りたくない」と反射的に思ってしまったのだ。
普段は仕事だし、どんなに上手くできたと思っても早く売れないかなとしか思わないのだが、あれだけは手元に置いておきたかった。その証拠に、あの角燈だけは店に出さず、ずっと食堂に置いたままにしていた。
「えっと……相談してきますので、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
とはいえ、ヴィクトールの一存だけでは決められない。工房の扉を開けると、ランプを組み立てていたカイに声を掛ける。
「あの、さ、カイ君。夏祭りの角燈、欲しいって言っている人が来てるんだけど……どうする?」
なんともあいまいな問い方だったが、その意味するところは伝わったらしい。作業の手を止めたカイが、神妙な顔で「んんん」と唸って腕を組んだ。どうやらヴィクトールと同じく、あの角燈はカイにとっても大切なものらしい。それが分かってヴィクトールは嬉しくなった。
「売ってもいいかってことですよね? その、俺としてはあれは非売品にしたいんですが、あー、でも、うーん、そうですよねー、欲しいって言ってもらえるなら、んー」
「うん、僕もあれは残しておきたい。だから、複製を提案してみるっていうのはどうかなって思うんだけど。いいかな?」
幻影角燈は魔法で「型」を作ることで、同じようなものが量産可能である。普段は大量に同じ角燈が必要な時、例えば広い範囲に幻影を発生させたい時や人気があるものを量産するときなどに使われる手法だが、すでにある角燈の複製を作ることもできる。一回型を経由するせいで、なんとなく仕上がりが違った雰囲気になるのはご愛敬だ。
手元に角燈は残しておきたい、だが、客の希望にも答えたい。その妥協点としてヴィクトールが挙げた案に、カイは数秒考え、それから手を打った。
「いいですね、ちょっと直したい部分もありましたし、そうしましょう」
店舗に戻って客の女性に複製でもよいかと尋ねる。ぱっと顔をほころばせた女性は「もちろん構いません!」と小躍りでもしそうだった。
「ご無理を申し上げてしまったみたいですみませんね。お祭りで見かけたときから素敵だと思っていたんですが、友人がゼーアさんの角燈を一緒に見た方と懇意になれたという話を聞いて、どうしても欲しくなってしまって」
「そうなんですか? それはそれは……お客様のお役にも立てるとよいのですが」
その話、当店の角燈は関係ないのでは。喉まで出かかった言葉を飲みこんでヴィクトールは真面目な顔をした。恐らく順序が逆で、角燈を一緒に見たから仲良くなれたのではなく、仲がいいから一緒に角燈を見たという話だろう。さもなければ、と考えたところで初夏のころに作った辺境伯だか伯爵だかの角燈を思い出す。
(まさか、ね……)
注文票を書き、女性を送り出したところでロジウムが戻ってきた。店番を交代して工房に戻る。早くもカイがコンテストに出した角燈を手に持ち、花の飾りのついた表面を眺めていた。
「そうだ、せっかく型を作るんだから、エックハルトとアルマにも複製した角燈を持っていってあげようよ。あの二人をモデルにしたんだろう?」
「へ?」
ヴィクトールがカイの後ろから言うと、素っ頓狂な声を上げてカイが振り向いた。訳が分からないという風に目をぱちぱちとさせる。
「何のことです?」
「えっ」
どうやらなにかを盛大に勘違いしているらしい。ヴィクトールも目を見開いた。
「ええっと、エミールはエックハルトを、クリスティーネはアルマをイメージしていたわけじゃないのかい? 髪色が似てたし、僕も『最初は身近な人から考えてみるといい』って言ったし……違った?」
「違います」
「あ、そ、そうなんだ!? ごめん、勘違いしてた」
てっきり二人のことをイメージして作っていたと思い込んでいただけにこれは恥ずかしい。よけいなことを言うんじゃなかった、とカイに背を向け、椅子に腰を下ろす。工房内を、なんだかそわついた気まずい沈黙が支配した。
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