後ろ向きな工房店主は、泣き虫新人君にベタ惚れです! - 幻影角燈の夜 -

にっきょ

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31. 虹

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 考えながら鉛筆を走らせていると、ぱた、と頭上から音がした。

「ん?」

 顔を上げると、頭上の布からぱたぱたぱた、と小さな音が連続する。雨だ。

「カイくーん! 雨!」

 いつの間にか曇っていた空の下、さっきと同じ位置でスケッチブックを抱えていたカイが空を仰いだ。あ、という顔でスケッチブックを見下ろし、慌てて荷物をかき集めて走ってくる。
 天幕の中に避難してきたカイが振り返って外を見るのと、滝のような雨が降り始めるのは同時だった。

「うわ、危なかった……」
「山の天気は変わりやすいからね。特に夏は」
「大丈夫です? これ、帰れなくなったりしません?」
「すぐに止むよ、通り雨だから」

 目を丸くして猛烈に落ちていく雨粒を見つめたカイが天幕の外に手を出し、その勢いにびっくりしたように小さく跳ねた。笑いをこらえながらスケッチブックを横に置き、ヴィクトールは少し口をつけたきり忘れていたサイダーに手を伸ばした。すっかりぬるくなった微炭酸を味わう。

「あ、そうですヴィクトールさん! エミールとクリスティーネ描いてみたんですけど、これどうでしょう? 俺的には『これだ!』って感じなんですけど」

 ズボンの尻で雨を拭ったカイが、ぺらぺらとスケッチブックのページを繰りながらヴィクトールの横に腰を下ろす。肩を寄せ合うような距離感に少し緊張しつつ差し出されたスケッチブックを受け取ると、そこには細身の青年と、質素な身なりの――とはいえ創作なのでそれなりにかわいい――服を着た少女が描かれていた。軽く色がついており、青年は金色、少女は栗色の髪のつもりのようだ。
 その絵の髪色と顔立ちから、ヴィクトールはそこにエックハルトとアルマの面影を見出さずにはいられなかった。

(強いな、カイ君は)

 絵の中の二人は幸せそうに手を握り合っており、どういう思いでカイがこれを描いたのかと想像するだけでヴィクトールは苦しくなった。だが、エミールとクリスティーネに心を籠めたいのなら、カイにとってこれ以上のモチーフは多分、ないだろう。エックハルトの貴族然とした顔立ちに、領主の息子という肩書きもよく似合っている気がした。それでもアルマの「王子様」は言い過ぎだろうと思うけれど。

「どう、ですかね?」
「うん、いいと思う。これで行こう」

 不安げなカイにスケッチブックを戻す。ほっとした顔を見て、そのままカイのことを抱きしめたくてたまらなくなった。抱きしめるだけではなくて、できるならそのまま全てを忘れさせたい。不埒な思いのまま伸びていきそうになった手を慌てて方向転換させ、背後に置いていたバスケットに伸ばす。

「そうだ、今のうちにお昼ごはんにしようか」

 バスケットの蓋を開けると、中に放り込まれていた干し肉の塊とバゲットをヴィクトールは取り出した。今日は仕事ではないので自分で挟め、ということらしい。底からカッティングボードとナイフを取り出し、干し肉を薄く切る。

「あっ、俺やりますよ!」
「ん? 別に……あ、いや、頼もうかな」

 ナイフの柄を向けて渡すと、しばらくして厚切り干し肉のバゲットサンドが出来上がった。ヴィクトールが苦心しながらそれをかじっているうちに雨は小降りになり、やがてぱたぱたと天幕の端から垂れる雨粒だけになった。
 早々に自分の分のパンを食べ終え、カイは手慰みにクロスの近くに生えていた花を丸く編んでいた。雲間から差してきた光を見た瞬間に幕の外に飛び出す。ぱしゃぱしゃと葉についた水を飛ばして犬のように駆け回り、それから空を見上げて「あ」と声を上げた。

「ヴィクトールさん! 虹! 虹ですよ! 早く!」
「ま、待って……」

 厚すぎてどうにもこうにも嚙み切れない干し肉の最後の欠片を飲みこみ、胸を叩きながら急かすカイのもとへ向かう。指差す先を見ると、雨上がりの澄んだ空気の中、「熊の牙」山の向こうにくっきりとかかる虹が見えた。

「俺、久しぶりに見ましたよ、虹! 綺麗ですねえ」
「そうだね」

 魅入られたように虹を眺めるカイを見て、愛しいと思う。虹のどこに興奮して人を呼びつけるほどの魅力があるのかもうヴィクトールには分からなかったが、カイの子供っぽいところを見せてくれる部分に心を許されている気がしたし、感動を分かち合いたい相手だと思われていることにも特別感があった。
 もっと何か、彼が驚き、喜ぶようなことをしてやりたい。クロスの端で重石代わりに使われていた大樽に目が留まった。
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