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24. 二世花の採取(夜)

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「ヴィクトールさん、あの……俺、ずっと、思ってたことがあって」
「ん? なに?」

 瓶が3分の1ほど埋まってきた時、不意にカイの声が聞こえてきてヴィクトールは振り向いた。カイはヴィクトールに背を向けてしゃがみこんでおり、ランプがそのシルエットを照らし出している。

「昔、師匠とヴィクトールさんが別れたのって、俺たちのせいですよね? あの日、俺が相手も確かめずにドアを開けちゃったせいで……今更なんですけど、どうしても謝りたくて」
「んん?」

 なんの事だろう、と少しだけ考えたヴィクトールは、エックハルトの家に女が襲撃してきた日のことかと思い至った。

「いや、たまたまその時に母が行方不明になっただけで、別に君たちのせいで別居したわけではないよ。そもそもルームメイトなだけで別に付き合っていたわけではないし」
「そうなんですか? でも師匠は……」

 何か言いたげな余韻を残したままカイが黙り込む。少し待ってみたが続きを話しそうにないので、ヴィクトールも花びら集めを再開する。
 アルマに吹き飛ばされた後、目が覚めたヴィクトールは病室だった。動かない手足に驚き「カイとアルマは!?」と慌てるヴィクトールに、「大丈夫だよ、2人ともかすり傷程度だ」と隣に座っていたエックハルトは厳しい顔で答えた。

「本当か!? よかった……」
「それより、なんでローズをかばったりしたんだ!」

 普段は何が起きてもふわふわとしているエックハルトの剣幕に驚きながら、ああ、あの女はローズといったのか、と理解する。聞き覚えはあるが、同じ人物かどうかは分からない。この世にローズなんて名前の奴は沢山いる。

「別にかばってはいないよ……ただ、アルマちゃんに人殺しになってほしくなかっただけで」
「自分が死ぬとは思わなかったのか!?」
「思わ……なかったなあ。まあ、こうして現に生きてるし」

 固定され、曲げられなくなった腕を僅かに上げる。見たところ非魔法使いのようだったし、アルマの爆撃を受けたのが彼女の方だったら、今頃誰だか分からないくらい粉々になっているはずだ。
 しばらくヴィクトールを睨みつけたエックハルトは、やがて諦めたように深く息を吐き、椅子に背中をもたせかけた。

「そうだ……引っ越しすることになったよ。出てけって」
「家ごと吹き飛んだもんな、仕方ないよ」
「すぐ直したんだけど。バレちゃったみたいだね」

 そう冗談めいた顔つきで首を傾げる様子は、もう普段のエックハルトだ。

「引っ越し先は山深いところがいいね。嫉妬深い相手ですらそうそう来られないような場所にしてくれよ」

 だからヴィクトールもそれに冗談で返したつもりだった。だがそうは思ってもらえなかったようで、数日後、エックハルトが「『熊の牙』山の麓あたりに家を購入したよ。今度はちゃんと目くらましの魔法もかけたから」と言ってきて、大いに驚くことになる。
 そして、結局ヴィクトールはその家に住むことはなかった。傷が癒える前に、祖母と母が雪崩に巻き込まれたという連絡が入ったのだ。

(そういえば、彼女は結局どうしたのかな……)

 エックハルトは襲撃してきた女性について「もう平気だから」としか言わなかった。エックハルトが復讐を企てられるだけのことを彼女にやったのか、それとも相手を悪者にしないために黙っていたのかは今もって定かではない。どちらも大いにあり得る話だ。

「……でも、あの後何年も家に来てくれなかったじゃないですか」

 ヴィクトールが考えながら手を動かしていると、拗ねたような声が聞こえてきた。

「それは……ごめん。怪我しているところは見せたくなかったし……こっちに戻ってから、仕事が忙しかったのと……しばらく……病気で寝てたりしたから」

 言い訳だよな、と思いつつ、もそもそと理由を口にする。ミイラのようになったヴィクトールを見たらカイとアルマはきっとショックを受けるだろうと思ったし、実家に帰る時もすぐに戻るつもりでエックハルトにしか話をしなかった。まさかそのまま工房を継がされて会いに行けないほど忙しくなるとも、そのせいで自分が何年も寝込むほど調子を崩す羽目になるとも想定していなかったのだ。
 7年ほどの歳月を経てカイに再会し、すっかり成長した彼を見て恋に落ちる日が来るとも考えていなかったが。

「病気?」

 怪訝な声に顔を上げると、振り向いたカイと目があった。驚いたような、怯えたような目が、それでもまっすぐにヴィクトールの方を向いていた。それにどことなく疚しさを感じ、白い花を持つカイの指先に目を落とす。

「なんで言ってくれなかったんですか」
「言ったら心配するだろ。もう大丈夫だし」

 非難するような響きに、つい弁解めいた口調で返してしまう。実際そうだった。本当は、自分の世話すらできなくなって寝ているだけの姿をカイやアルマに知られたくなかったのだ。見舞いに来てくれたエックハルトに言わないでくれと頼んだ記憶がある。

「……俺たちは、心配すらさせてもらえなかったんですか。子供だから」
「そういう……わけじゃなくて」

 だがカイの方から見ればそうだろう。悔しそうな、悲痛さすら滲む響きにヴィクトールはそれ以上の言葉を続けられなかった。互いに信頼していると思っていた相手に、それは一方的なものだったと突きつけられたに等しい。今ならわかる。だが、あの時は自分で手一杯で、他人を思いやれる余裕もなかったのだ。
 答えられずにいると、カイは強く二世花の花弁を引っ張った。薄い花びらが途中でちぎれ、ひらりと宙に舞う。指先にまとわりつく花弁を瓶の縁になすりつけて取る様子に、心の奥が冷たく痛んだ。また自分の浅はかさのせいでカイを悲しませてしまっている。ただカイがあの日のことを気に病む必要はないと伝えたかっただけなのに、なぜうまくいかないのだろう。
 何かで挽回したい、と思った。カイが許してくれるかは分からない。今ヴィクトールと一緒にいることに嫌気が差してきているのも承知していた。だが、できるだけのことはしたかった。

「ねえカイ君、もう結構角燈作りにも慣れてきたよね」
「え……あ、え、はい?」

 手を動かしながら、カイの方を見ずに話しかける。突然のことだったせいか、カイの声は少し揺れているようだった。拒否されないよう、考える間を与えずに畳み掛ける。

「幻影角燈コンテスト、出てみようか」
「コンテスト? えっと……はい!」

 明らかにコンテストがどんなものか分からないまま承諾するカイは、愛おしいと同時に少々心配でもある。
 付近の花を取りつくしたので、立ち上がって少し移動する。カイの向こうに広がる湖面は、黒いインクのような水の上に月を浮かばせていた。
 ただ気持ちを伝えるということが、なぜこんなに難しいのか。カイに聞こえないように、ヴィクトールは大きく息を吐いた。
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