24 / 53
24. 二世花の採取(夜)
しおりを挟む
「ヴィクトールさん、あの……俺、ずっと、思ってたことがあって」
「ん? なに?」
瓶が3分の1ほど埋まってきた時、不意にカイの声が聞こえてきてヴィクトールは振り向いた。カイはヴィクトールに背を向けてしゃがみこんでおり、ランプがそのシルエットを照らし出している。
「昔、師匠とヴィクトールさんが別れたのって、俺たちのせいですよね? あの日、俺が相手も確かめずにドアを開けちゃったせいで……今更なんですけど、どうしても謝りたくて」
「んん?」
なんの事だろう、と少しだけ考えたヴィクトールは、エックハルトの家に女が襲撃してきた日のことかと思い至った。
「いや、たまたまその時に母が行方不明になっただけで、別に君たちのせいで別居したわけではないよ。そもそもルームメイトなだけで別に付き合っていたわけではないし」
「そうなんですか? でも師匠は……」
何か言いたげな余韻を残したままカイが黙り込む。少し待ってみたが続きを話しそうにないので、ヴィクトールも花びら集めを再開する。
アルマに吹き飛ばされた後、目が覚めたヴィクトールは病室だった。動かない手足に驚き「カイとアルマは!?」と慌てるヴィクトールに、「大丈夫だよ、2人ともかすり傷程度だ」と隣に座っていたエックハルトは厳しい顔で答えた。
「本当か!? よかった……」
「それより、なんでローズをかばったりしたんだ!」
普段は何が起きてもふわふわとしているエックハルトの剣幕に驚きながら、ああ、あの女はローズといったのか、と理解する。聞き覚えはあるが、同じ人物かどうかは分からない。この世にローズなんて名前の奴は沢山いる。
「別にかばってはいないよ……ただ、アルマちゃんに人殺しになってほしくなかっただけで」
「自分が死ぬとは思わなかったのか!?」
「思わ……なかったなあ。まあ、こうして現に生きてるし」
固定され、曲げられなくなった腕を僅かに上げる。見たところ非魔法使いのようだったし、アルマの爆撃を受けたのが彼女の方だったら、今頃誰だか分からないくらい粉々になっているはずだ。
しばらくヴィクトールを睨みつけたエックハルトは、やがて諦めたように深く息を吐き、椅子に背中をもたせかけた。
「そうだ……引っ越しすることになったよ。出てけって」
「家ごと吹き飛んだもんな、仕方ないよ」
「すぐ直したんだけど。バレちゃったみたいだね」
そう冗談めいた顔つきで首を傾げる様子は、もう普段のエックハルトだ。
「引っ越し先は山深いところがいいね。嫉妬深い相手ですらそうそう来られないような場所にしてくれよ」
だからヴィクトールもそれに冗談で返したつもりだった。だがそうは思ってもらえなかったようで、数日後、エックハルトが「『熊の牙』山の麓あたりに家を購入したよ。今度はちゃんと目くらましの魔法もかけたから」と言ってきて、大いに驚くことになる。
そして、結局ヴィクトールはその家に住むことはなかった。傷が癒える前に、祖母と母が雪崩に巻き込まれたという連絡が入ったのだ。
(そういえば、彼女は結局どうしたのかな……)
エックハルトは襲撃してきた女性について「もう平気だから」としか言わなかった。エックハルトが復讐を企てられるだけのことを彼女にやったのか、それとも相手を悪者にしないために黙っていたのかは今もって定かではない。どちらも大いにあり得る話だ。
「……でも、あの後何年も家に来てくれなかったじゃないですか」
ヴィクトールが考えながら手を動かしていると、拗ねたような声が聞こえてきた。
「それは……ごめん。怪我しているところは見せたくなかったし……こっちに戻ってから、仕事が忙しかったのと……しばらく……病気で寝てたりしたから」
言い訳だよな、と思いつつ、もそもそと理由を口にする。ミイラのようになったヴィクトールを見たらカイとアルマはきっとショックを受けるだろうと思ったし、実家に帰る時もすぐに戻るつもりでエックハルトにしか話をしなかった。まさかそのまま工房を継がされて会いに行けないほど忙しくなるとも、そのせいで自分が何年も寝込むほど調子を崩す羽目になるとも想定していなかったのだ。
7年ほどの歳月を経てカイに再会し、すっかり成長した彼を見て恋に落ちる日が来るとも考えていなかったが。
「病気?」
怪訝な声に顔を上げると、振り向いたカイと目があった。驚いたような、怯えたような目が、それでもまっすぐにヴィクトールの方を向いていた。それにどことなく疚しさを感じ、白い花を持つカイの指先に目を落とす。
「なんで言ってくれなかったんですか」
「言ったら心配するだろ。もう大丈夫だし」
非難するような響きに、つい弁解めいた口調で返してしまう。実際そうだった。本当は、自分の世話すらできなくなって寝ているだけの姿をカイやアルマに知られたくなかったのだ。見舞いに来てくれたエックハルトに言わないでくれと頼んだ記憶がある。
「……俺たちは、心配すらさせてもらえなかったんですか。子供だから」
「そういう……わけじゃなくて」
だがカイの方から見ればそうだろう。悔しそうな、悲痛さすら滲む響きにヴィクトールはそれ以上の言葉を続けられなかった。互いに信頼していると思っていた相手に、それは一方的なものだったと突きつけられたに等しい。今ならわかる。だが、あの時は自分で手一杯で、他人を思いやれる余裕もなかったのだ。
答えられずにいると、カイは強く二世花の花弁を引っ張った。薄い花びらが途中でちぎれ、ひらりと宙に舞う。指先にまとわりつく花弁を瓶の縁になすりつけて取る様子に、心の奥が冷たく痛んだ。また自分の浅はかさのせいでカイを悲しませてしまっている。ただカイがあの日のことを気に病む必要はないと伝えたかっただけなのに、なぜうまくいかないのだろう。
何かで挽回したい、と思った。カイが許してくれるかは分からない。今ヴィクトールと一緒にいることに嫌気が差してきているのも承知していた。だが、できるだけのことはしたかった。
「ねえカイ君、もう結構角燈作りにも慣れてきたよね」
「え……あ、え、はい?」
手を動かしながら、カイの方を見ずに話しかける。突然のことだったせいか、カイの声は少し揺れているようだった。拒否されないよう、考える間を与えずに畳み掛ける。
「幻影角燈コンテスト、出てみようか」
「コンテスト? えっと……はい!」
明らかにコンテストがどんなものか分からないまま承諾するカイは、愛おしいと同時に少々心配でもある。
付近の花を取りつくしたので、立ち上がって少し移動する。カイの向こうに広がる湖面は、黒いインクのような水の上に月を浮かばせていた。
ただ気持ちを伝えるということが、なぜこんなに難しいのか。カイに聞こえないように、ヴィクトールは大きく息を吐いた。
「ん? なに?」
瓶が3分の1ほど埋まってきた時、不意にカイの声が聞こえてきてヴィクトールは振り向いた。カイはヴィクトールに背を向けてしゃがみこんでおり、ランプがそのシルエットを照らし出している。
「昔、師匠とヴィクトールさんが別れたのって、俺たちのせいですよね? あの日、俺が相手も確かめずにドアを開けちゃったせいで……今更なんですけど、どうしても謝りたくて」
「んん?」
なんの事だろう、と少しだけ考えたヴィクトールは、エックハルトの家に女が襲撃してきた日のことかと思い至った。
「いや、たまたまその時に母が行方不明になっただけで、別に君たちのせいで別居したわけではないよ。そもそもルームメイトなだけで別に付き合っていたわけではないし」
「そうなんですか? でも師匠は……」
何か言いたげな余韻を残したままカイが黙り込む。少し待ってみたが続きを話しそうにないので、ヴィクトールも花びら集めを再開する。
アルマに吹き飛ばされた後、目が覚めたヴィクトールは病室だった。動かない手足に驚き「カイとアルマは!?」と慌てるヴィクトールに、「大丈夫だよ、2人ともかすり傷程度だ」と隣に座っていたエックハルトは厳しい顔で答えた。
「本当か!? よかった……」
「それより、なんでローズをかばったりしたんだ!」
普段は何が起きてもふわふわとしているエックハルトの剣幕に驚きながら、ああ、あの女はローズといったのか、と理解する。聞き覚えはあるが、同じ人物かどうかは分からない。この世にローズなんて名前の奴は沢山いる。
「別にかばってはいないよ……ただ、アルマちゃんに人殺しになってほしくなかっただけで」
「自分が死ぬとは思わなかったのか!?」
「思わ……なかったなあ。まあ、こうして現に生きてるし」
固定され、曲げられなくなった腕を僅かに上げる。見たところ非魔法使いのようだったし、アルマの爆撃を受けたのが彼女の方だったら、今頃誰だか分からないくらい粉々になっているはずだ。
しばらくヴィクトールを睨みつけたエックハルトは、やがて諦めたように深く息を吐き、椅子に背中をもたせかけた。
「そうだ……引っ越しすることになったよ。出てけって」
「家ごと吹き飛んだもんな、仕方ないよ」
「すぐ直したんだけど。バレちゃったみたいだね」
そう冗談めいた顔つきで首を傾げる様子は、もう普段のエックハルトだ。
「引っ越し先は山深いところがいいね。嫉妬深い相手ですらそうそう来られないような場所にしてくれよ」
だからヴィクトールもそれに冗談で返したつもりだった。だがそうは思ってもらえなかったようで、数日後、エックハルトが「『熊の牙』山の麓あたりに家を購入したよ。今度はちゃんと目くらましの魔法もかけたから」と言ってきて、大いに驚くことになる。
そして、結局ヴィクトールはその家に住むことはなかった。傷が癒える前に、祖母と母が雪崩に巻き込まれたという連絡が入ったのだ。
(そういえば、彼女は結局どうしたのかな……)
エックハルトは襲撃してきた女性について「もう平気だから」としか言わなかった。エックハルトが復讐を企てられるだけのことを彼女にやったのか、それとも相手を悪者にしないために黙っていたのかは今もって定かではない。どちらも大いにあり得る話だ。
「……でも、あの後何年も家に来てくれなかったじゃないですか」
ヴィクトールが考えながら手を動かしていると、拗ねたような声が聞こえてきた。
「それは……ごめん。怪我しているところは見せたくなかったし……こっちに戻ってから、仕事が忙しかったのと……しばらく……病気で寝てたりしたから」
言い訳だよな、と思いつつ、もそもそと理由を口にする。ミイラのようになったヴィクトールを見たらカイとアルマはきっとショックを受けるだろうと思ったし、実家に帰る時もすぐに戻るつもりでエックハルトにしか話をしなかった。まさかそのまま工房を継がされて会いに行けないほど忙しくなるとも、そのせいで自分が何年も寝込むほど調子を崩す羽目になるとも想定していなかったのだ。
7年ほどの歳月を経てカイに再会し、すっかり成長した彼を見て恋に落ちる日が来るとも考えていなかったが。
「病気?」
怪訝な声に顔を上げると、振り向いたカイと目があった。驚いたような、怯えたような目が、それでもまっすぐにヴィクトールの方を向いていた。それにどことなく疚しさを感じ、白い花を持つカイの指先に目を落とす。
「なんで言ってくれなかったんですか」
「言ったら心配するだろ。もう大丈夫だし」
非難するような響きに、つい弁解めいた口調で返してしまう。実際そうだった。本当は、自分の世話すらできなくなって寝ているだけの姿をカイやアルマに知られたくなかったのだ。見舞いに来てくれたエックハルトに言わないでくれと頼んだ記憶がある。
「……俺たちは、心配すらさせてもらえなかったんですか。子供だから」
「そういう……わけじゃなくて」
だがカイの方から見ればそうだろう。悔しそうな、悲痛さすら滲む響きにヴィクトールはそれ以上の言葉を続けられなかった。互いに信頼していると思っていた相手に、それは一方的なものだったと突きつけられたに等しい。今ならわかる。だが、あの時は自分で手一杯で、他人を思いやれる余裕もなかったのだ。
答えられずにいると、カイは強く二世花の花弁を引っ張った。薄い花びらが途中でちぎれ、ひらりと宙に舞う。指先にまとわりつく花弁を瓶の縁になすりつけて取る様子に、心の奥が冷たく痛んだ。また自分の浅はかさのせいでカイを悲しませてしまっている。ただカイがあの日のことを気に病む必要はないと伝えたかっただけなのに、なぜうまくいかないのだろう。
何かで挽回したい、と思った。カイが許してくれるかは分からない。今ヴィクトールと一緒にいることに嫌気が差してきているのも承知していた。だが、できるだけのことはしたかった。
「ねえカイ君、もう結構角燈作りにも慣れてきたよね」
「え……あ、え、はい?」
手を動かしながら、カイの方を見ずに話しかける。突然のことだったせいか、カイの声は少し揺れているようだった。拒否されないよう、考える間を与えずに畳み掛ける。
「幻影角燈コンテスト、出てみようか」
「コンテスト? えっと……はい!」
明らかにコンテストがどんなものか分からないまま承諾するカイは、愛おしいと同時に少々心配でもある。
付近の花を取りつくしたので、立ち上がって少し移動する。カイの向こうに広がる湖面は、黒いインクのような水の上に月を浮かばせていた。
ただ気持ちを伝えるということが、なぜこんなに難しいのか。カイに聞こえないように、ヴィクトールは大きく息を吐いた。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
[BL]王の独占、騎士の憂鬱
ざびえる
BL
ちょっとHな身分差ラブストーリー💕
騎士団長のオレオはイケメン君主が好きすぎて、日々悶々と身体をもてあましていた。そんなオレオは、自分の欲望が叶えられる場所があると聞いて…
王様サイド収録の完全版をKindleで販売してます。プロフィールのWebサイトから見れますので、興味がある方は是非ご覧になって下さい
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)
藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!?
手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる