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23. 二世花の採取(夕)
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「ん……?」
気が付くと、目の前に赤茶色の目があった。何が起きたか分からずヴィクトールが硬直していると、「あ、よかった、熱はないみたいですね」とカイの顔が離れていく。頬に貼られたガーゼが見えて、じくりと心が痛む。いつの間にか空は紅く染まり、過ごしやすい気温になっていた。
「寝ちゃってましたよ、ヴィクトールさん」
「そうか、すまない……」
状況説明をされ、ようやく現状を認識する。目を閉じたせいでいつのまにか寝てしまっていたらしい。体中が痛かったが、代わりに体力は少し回復していた。立ち上がって体を伸ばし、湖で冷やされていたサイダーに口をつけると、しゅわしゅわとした冷たい甘さが体中に染み入るようで心地よい。
「遅くなっちゃったけど、パン食べようか」
「はい!」
予定では、ここについたらまず軽食を摂り、夜になって月が昇ってきたら採取を始めるはずだった。いきなり寝てしまって申し訳なかった、とカイを振り向くと、いそいそとバスケットの中から紙に包まれたパンを取り出すところだった。いつもの丸パンの中に、ハムとチーズが挟みこまれている。二世花を避け、草地の上に腰を下ろしてパンにかぶりつく。
ゆっくりと陽が沈んでいく中、ぴちゃぴちゃと小さな波音が響く。
「静かでいいところですね、ここ」
「気に入ってもらえてよかった」
早くも2つ目のパンに齧りつくカイ。今は二人きりなんだよな、とその横顔を見ながら考える。
例えば、ヴィクトールがカイを押し倒して無理やり事に及んだとしても、あるいはその滑らかな首に手をかけたとしても、それを目撃する人はいない。来世を契ることはできなくても、少なくとも今世のカイを自分だけのものにしてしまうことは、可能なのだ。
抱き合ったまま、ゆっくりと湖の底に沈む二人を想像する。きっと湖の精は哀れんでくれないだろうが、夏でも冷たい湖の底は穏やかで心地いいに違いない。永遠の眠りにはうってつけだ。
「あの……?」
「あ、う、うん、なんでもないよ」
控えめな声に意識を戻される。カイを見つめたままぼうっとしてしまっていたようだ。カイの心配そうな視線を感じながら、口の中のパンを慌てて咀嚼し、サイダーで流し込む。食事を終えたころには、あたりは暗くなってきていた。
「ヴィクトールさん、これから作るのって、その……惚れ薬、なんですよね?」
パンの包み紙を鞄にしまったカイは、鞄の中から普通のランプと大きな採取瓶を2つ取り出した。それぞれ1つずつをヴィクトールに手渡す。
「まあ……そうだね」
大分効果を弱めて言い訳しているとはいえ、惚れ薬以外の何物でもないことは事実である。やはり良心が咎めるか、そんなもの作ってる奴なんか尊敬できないよな、と意味もなくヴィクトールは遠くを眺めた。だが、カイから返ってきた言葉は予想外のものだった。
「ヴィクトールさんは、それ、自分用に使ったりしないんですか?」
「自分用?」
「えっと、自分の好きな人と……それで、こう……仲良くなったり、しないのかなって」
「……しないよ」
考えたことは、もちろんある。だが、実行に移したことはない。それは職業倫理的な高尚な理由からではなくて、単純に「そうしないと意識すらしてもらえない」という自分を認めたくないというつまらないプライドだった。それに、もしその薬を使っても上手くいかなかったとしたら。魔道具師として、男として、二度と立ち直れなくなってしまう自分がヴィクトールには容易に想像できた。
横目でカイのことを見ると、また苛立ちの籠った大きな目が、ヴィクトールのことをじっと睨みつけていた。
「好きな人が、いるんですね」
「んー」
鋭い。だが、君だよとは言えないのであいまいに微笑むしかない。ふん、と不機嫌そうなカイがランプをつけると、金色の魔力光にドングリのような瞳がきらめいた。周囲はすっかり暗くなっている。まあ自分が失恋したところに人の恋愛話なんて聞いても不快なだけだよな、とヴィクトールは自分のランプにも明かりを灯す。
「あ、もし薬が欲しいなら、できた時に分けようか。あまりお勧めはしないけど……」
「いりません」
返ってきたカイの声は冷たかったが、その回答にヴィクトールはほっとした。エックハルトを巡ってアルマとカイが争う姿は、どんな結末になるとしても見たくなかった。エックハルトに関する争いは、今までに巻き添えを食らってきた分だけで充分である。
「で、この二世花を摘めばいいわけですよね?」
「そう。できれば開く直前の蕾の、花びらだけを集めて。まあ蕾だけっていうのは難しいからもう開花してるのも採っちゃっていいけど、その場合は花粉を入れないように注意してほしい。取りつくさないよう、3本あったら1本の花は残す感じで」
言いながら、ヴィクトールはカイの持っている瓶に強めに冷気魔法をかけた。摘んだ後の花弁は、恐ろしいほど劣化が早い。夜に採取を行うのもそのためだ。昼に採取作業を行ったら、花びらより先に夏の日差しにやられたヴィクトールがへばってしまうという理由もあるが。
「分かりました」
何となく不機嫌な表情を崩さないまま、カイは足元にかがみこんだ。きょろきょろと見回し、今にも花開きそうな蕾に手を伸ばす。薄いシルクのような花弁を指に挟み、「こんな感じですか?」と摘み取った。
「そうそう、そんな感じで、瓶の八分目くらいまで摘んで欲しい」
ヴィクトールが言うと、もう一度「分かりました」と頷いたカイはもくもくと手を動かし始めた。背を向けるようにしゃがみ、ヴィクトールも同じように花びらを摘む。
気が付くと、目の前に赤茶色の目があった。何が起きたか分からずヴィクトールが硬直していると、「あ、よかった、熱はないみたいですね」とカイの顔が離れていく。頬に貼られたガーゼが見えて、じくりと心が痛む。いつの間にか空は紅く染まり、過ごしやすい気温になっていた。
「寝ちゃってましたよ、ヴィクトールさん」
「そうか、すまない……」
状況説明をされ、ようやく現状を認識する。目を閉じたせいでいつのまにか寝てしまっていたらしい。体中が痛かったが、代わりに体力は少し回復していた。立ち上がって体を伸ばし、湖で冷やされていたサイダーに口をつけると、しゅわしゅわとした冷たい甘さが体中に染み入るようで心地よい。
「遅くなっちゃったけど、パン食べようか」
「はい!」
予定では、ここについたらまず軽食を摂り、夜になって月が昇ってきたら採取を始めるはずだった。いきなり寝てしまって申し訳なかった、とカイを振り向くと、いそいそとバスケットの中から紙に包まれたパンを取り出すところだった。いつもの丸パンの中に、ハムとチーズが挟みこまれている。二世花を避け、草地の上に腰を下ろしてパンにかぶりつく。
ゆっくりと陽が沈んでいく中、ぴちゃぴちゃと小さな波音が響く。
「静かでいいところですね、ここ」
「気に入ってもらえてよかった」
早くも2つ目のパンに齧りつくカイ。今は二人きりなんだよな、とその横顔を見ながら考える。
例えば、ヴィクトールがカイを押し倒して無理やり事に及んだとしても、あるいはその滑らかな首に手をかけたとしても、それを目撃する人はいない。来世を契ることはできなくても、少なくとも今世のカイを自分だけのものにしてしまうことは、可能なのだ。
抱き合ったまま、ゆっくりと湖の底に沈む二人を想像する。きっと湖の精は哀れんでくれないだろうが、夏でも冷たい湖の底は穏やかで心地いいに違いない。永遠の眠りにはうってつけだ。
「あの……?」
「あ、う、うん、なんでもないよ」
控えめな声に意識を戻される。カイを見つめたままぼうっとしてしまっていたようだ。カイの心配そうな視線を感じながら、口の中のパンを慌てて咀嚼し、サイダーで流し込む。食事を終えたころには、あたりは暗くなってきていた。
「ヴィクトールさん、これから作るのって、その……惚れ薬、なんですよね?」
パンの包み紙を鞄にしまったカイは、鞄の中から普通のランプと大きな採取瓶を2つ取り出した。それぞれ1つずつをヴィクトールに手渡す。
「まあ……そうだね」
大分効果を弱めて言い訳しているとはいえ、惚れ薬以外の何物でもないことは事実である。やはり良心が咎めるか、そんなもの作ってる奴なんか尊敬できないよな、と意味もなくヴィクトールは遠くを眺めた。だが、カイから返ってきた言葉は予想外のものだった。
「ヴィクトールさんは、それ、自分用に使ったりしないんですか?」
「自分用?」
「えっと、自分の好きな人と……それで、こう……仲良くなったり、しないのかなって」
「……しないよ」
考えたことは、もちろんある。だが、実行に移したことはない。それは職業倫理的な高尚な理由からではなくて、単純に「そうしないと意識すらしてもらえない」という自分を認めたくないというつまらないプライドだった。それに、もしその薬を使っても上手くいかなかったとしたら。魔道具師として、男として、二度と立ち直れなくなってしまう自分がヴィクトールには容易に想像できた。
横目でカイのことを見ると、また苛立ちの籠った大きな目が、ヴィクトールのことをじっと睨みつけていた。
「好きな人が、いるんですね」
「んー」
鋭い。だが、君だよとは言えないのであいまいに微笑むしかない。ふん、と不機嫌そうなカイがランプをつけると、金色の魔力光にドングリのような瞳がきらめいた。周囲はすっかり暗くなっている。まあ自分が失恋したところに人の恋愛話なんて聞いても不快なだけだよな、とヴィクトールは自分のランプにも明かりを灯す。
「あ、もし薬が欲しいなら、できた時に分けようか。あまりお勧めはしないけど……」
「いりません」
返ってきたカイの声は冷たかったが、その回答にヴィクトールはほっとした。エックハルトを巡ってアルマとカイが争う姿は、どんな結末になるとしても見たくなかった。エックハルトに関する争いは、今までに巻き添えを食らってきた分だけで充分である。
「で、この二世花を摘めばいいわけですよね?」
「そう。できれば開く直前の蕾の、花びらだけを集めて。まあ蕾だけっていうのは難しいからもう開花してるのも採っちゃっていいけど、その場合は花粉を入れないように注意してほしい。取りつくさないよう、3本あったら1本の花は残す感じで」
言いながら、ヴィクトールはカイの持っている瓶に強めに冷気魔法をかけた。摘んだ後の花弁は、恐ろしいほど劣化が早い。夜に採取を行うのもそのためだ。昼に採取作業を行ったら、花びらより先に夏の日差しにやられたヴィクトールがへばってしまうという理由もあるが。
「分かりました」
何となく不機嫌な表情を崩さないまま、カイは足元にかがみこんだ。きょろきょろと見回し、今にも花開きそうな蕾に手を伸ばす。薄いシルクのような花弁を指に挟み、「こんな感じですか?」と摘み取った。
「そうそう、そんな感じで、瓶の八分目くらいまで摘んで欲しい」
ヴィクトールが言うと、もう一度「分かりました」と頷いたカイはもくもくと手を動かし始めた。背を向けるようにしゃがみ、ヴィクトールも同じように花びらを摘む。
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