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17. 硝子は割れる

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 角を曲がって男が消えたのを確認すると、どっとヴィクトールの肩に疲れがのしかかってきた。工房の立ち並ぶ広場と、その真ん中にある古城を見回す。今の男しか客のいなかったヴィクトールの工房に対し、左右に立つ工房はどちらも客が数人入っているようだ。向かいの『アトリエ水無月』に至っては、ショーウインドーに人だかりができている。それもそのはず、アトリエ水無月は以前ゼーア工房にいて、そしてヴィクトールが解雇した職人たちが立ち上げた工房であり、技術力も表現力も敵う者はいない一流の職人集団なのだ。

(今年の夏祭りも、アトリエ水無月に話題を攫われて終わりかな)

 ショーウインドーを覗く人々と、その向こうの古城を見て考える。短い夏の終わりにある祭りでは、世界中の――と言ってもその大部分はクラコット村にあるのだが――幻影角燈制作者がその腕を競う「幻影角燈コンテスト」が開かれるのだ。
 夏祭りのフィナーレとして行われる人気投票。母と祖母が生きていたころは、ここで入賞するのはゼーア工房にとっては当たり前のことだった。ちょうど二世花が咲き始める今ぐらいの時期から、デザインやテーマ、ストーリーなどを皆で練り始めていたのを覚えている。だが、ヴィクトール1人になってしまってからは、入賞どころか出品すらしていない。

(今年は……頑張ってみようかな。でも……)

 毎日頑張っているカイを見ていると、自分も何かやらなくては、という気持ちになる。工房主として良いところを見せたかったし、入賞することは顧客数の増加にもつながる。営業の苦手なヴィクトールとしては数少ないアピールの場でもあるし、世間から忘れられかけているゼーア工房を思い出してもらうきっかけにもなる。
 だがヴィクトールはここで評価される自信がなかった。一応角燈専門の魔道具師としてやってきているから、人並みに技術はある……と思いたい。だが、母にも祖母にも追いつけていないことは自分が一番よく分かっていた。散々な結果を出して、ゼーア工房の凋落を印象付けた上にカイにも落胆される、それだけは避けたかった。

 自分のこういうところがダメなんだろうな、と思う。何かにつけてうじうじして意志薄弱。きっと母なら、祖母なら、恐らく開祖のリリーも、そんなことは気にせず出品したし、そして入賞するに違いない。俯きながら広場に背を向け、店舗の扉を開ける。カウンターに座ったロジウムがヴィクトールの顔を見ていた。

「どうだった?」
「どうだろう……そんなに感触は」

 悪くなかったけど、と言おうとした瞬間、どん、と建物が揺れた。よろけたヴィクトールはそのまま床に尻餅をつき、カウンターの向こうで椅子ごとロジウムが倒れるのを見た。ガシャン、パリンといくつかのランプが割れる音がする。
 揺れは、奥の工房が発生源のような気がした。

「なっ、何!?」
「……カイ君?」

 今工房内にいるのはカイだけである。立ち上がったヴィクトールは、工房に続く扉に震える手をかけた。爆発のような揺れが起きたきり、扉の向こうはしんとしている。開けたくない。中の様子を確かめたくなかった。
 そっと扉を押す。開かなかった。慌てて全体重でぶつかると、ずず、と何かが押される感触があって僅かに扉が開く。間に体をねじ込むと、つんとした酸の匂いが鼻をついた。
 最初に見えたのは、割れた窓ガラスと、床に転がった鍋だった。薬品を入れて五徳の上に置いていたものである。部屋の中の机や棚は軒並み倒れており、歩くたびにパリパリと音がした。

「カイ、くん……?」

 何が起きたか考えたくなかった。名前を呼んだ声は、ヴィクトール自身の耳にも微かにしか聞こえないほど弱々しい。
 工房の真ん中あたりまで来たヴィクトールは部屋中を見回した。割れた製作途中のランプ、散らばる筆。後ろでは、ずれた机が入り口をふさぐように立っている。先程ドアが開かなかったのはこれが原因だろう。
 カイの姿が見当たらない。視界が白黒になり、自分の鼓動の音しか聞こえなかった。倒れそうになりながら更に工房の奥へ進むと、壊れた棚の下から深緑のエプロンとブーツの先がのぞいていた。

「カイ!」

 手に木の欠片が突き刺さるのも構わず、ヴィクトールは棚に手をかけた。何が起きたかなんてもうどうでもよかった。その下にいるカイが、息をしているのを確かめなくてはいけなかったからだ。
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