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16. 魅了角燈

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 だがヴィクトールの予想に反して、その日以降のカイの様子はいつも通りだった。特に変わったところもなく、よく笑い、よく食べ、ヴィクトールの指示に従って角燈作りをするカイを見て、どうやら自分の心配は杞憂だったらしい、とヴィクトールは胸をなでおろした。思いを寄せていた人が他の人、しかも自分の兄妹と付き合いはじめるというシチュエーションは、ヴィクトールが当事者なら3日はショックでベッドから出られない上に酒に逃げてロジウムにしこたま怒られるところである。
 カイの心が強いのか、ヴィクトールが思っていたほどエックハルトのことを好いていたわけではなかったのか、はたまた覚悟ができていたのかは分からなかったが、まさか本人に聞くわけにもいかない。

「なるほど、『魅了チャーム効果のある角燈』を作りたいということですね。ご希望のような『見た瞬間に恋に落ちる』ほどの効果のものは作成していないのですけれども、目が合った相手に少しドキドキするくらいの惚れ薬を拡散させる……そうですね、『おまじない』くらいのものでしたらお作りできますよ」

 珍しく店舗に出たヴィクトールは、幻影角燈を特注したい、という客と話をしていた。知らない人間と話すのも、商品を売り込むのもヴィクトールは苦手だったが、どんなことに対応できるかを伝えたり、客の持っているイメージや要望をより正確に把握するためには直接やり取りをした方が早い。

「おまじない、ですか」

 目の前にいる、どこそこ辺境伯だか伯爵だかの使いは考え込んでいるようだった。本当は最初にしっかり自己紹介されたのだが、緊張しながら話をしているうちにヴィクトールはすっかり目の前の男の名前も所属も忘れてしまっていた。
 おそらく「おまじない」程度の微弱な効果では不満なのだろう、と渋い顔をする四十路絡みの男を見ながらヴィクトールは考える。深く立ち入って聞くことはしなかったが、おそらくこの使いのご主人には懸想する相手がいて、その相手を落とすのに幻影角燈の力を借りようとしているのだな、ということは容易に想像がついた。
 ヴィクトールだって一応魔法使いの端くれなので、その気になれば魅了どころか催淫効果のある幻影角燈だって作れる。だがその下で騙し討ちのような恋愛や性交が始まってしまうものを作るのはゼーア工房の、そしてヴィクトールの信念に反していた。

「そうですね、どれくらいのものかお見せしましょうか」

 あまり下賤な用途に自分の角燈を使ってほしくなかったが、特注品は利益が大きいのも事実だった。魂を金で売り渡しているような荒んだ気持ちになりながらヴィクトールは立ち上がり、工房から軽い惚れ薬と試香紙ムエットを持って戻った。試香紙に凛とした香りの「おまじない」を吹き付け、目の前の客に渡す。

「この香りを嗅いでいただいて、それから僕を見てもらってもいいですか?」

 効果はてきめんだった。ヴィクトールと目が合った瞬間、客の目がきらり、と切なげに細められる。

「あ、ああ……なるほど、こういう感じですね。青春時代に戻ったようです」

 胸を押さえて呻く客の顔は、先程に比べてわずかに赤い。

「光栄です。効果はすぐに切れますのでご心配なく」

 ヴィクトールが笑いかけると、「わ、わかった」と使いの者はぎこちない動きで頷き、まるでラブレターかなにかのように慎重な手付きで試香紙を服の中にしまった。

「それでは、その、申し訳ないのですが、一度これを持ち帰って伯爵と相談してきても構わないでしょうか」
「ええ、もちろんですよ。他の工房ともぜひ比較されてください。あ、お見積書お出ししますね」

 算盤を弾き、使いの男に概算を記入した見積書を渡したヴィクトールは、彼の座っていた椅子を引いてやり、工房の玄関を開けた。ありがとうございます、と握手をして、乗合馬車の駅の方へ消えていく背中を見送る。握手の時間がちょっと長かったのは、多分まだ「おまじない」の効果が残っていたからだろう。
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