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4. 犬と棒
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「ねえロジー、ロジーは落ち込んだ時、どうしてもらったら嬉しい?」
何か手掛かりがないかともふもふの巨犬に聞いてみると、ロジウムは「えっ急に何よ」と怪訝そうな顔をした。
「いや、その、あー」
ヴィクトールが無意味に指先をいじっていると、ロジウムは腰に手を当てて上を向いた。黒く濡れた鼻がぴくぴくと動く。
「そうね、アタシは棒を投げてもらったら嬉しいわ」
「棒?」
「まず公園行くでしょ? で、いい感じの棒を探すじゃない? そうしたらそれを投げてもらって、拾う! また投げてもらう! 拾う! 繰り返しているうちに嫌なことなんて全部忘れるわ」
「ああ、うん……ありがとう」
聞く相手を間違えた。
ヴィクトールが投げた棒を走って拾ってくるカイを想像するとかわいいが、「とってこい」で喜ぶのは多分犬だけだ。それにどうせなら違う棒で遊んでほしい。
店じまいをしに入り口に向かうふわふわの尻尾を見るともなしに見ていると、不意にポーン、とヴィクトールの腰に下げた小さな水晶球から音がした。離れたところの相手と会話できる通信球という魔道具で、これもヴィクトールが制作したものである。
「こんにちは、ゼーア工房のヴィクトールが承ります」
言いながらぱちん、と水晶球を軽くはじくと、ヴィクトールの目の前にエックハルトの映像が現れる。
「なんだエックハルトか。どうしたんだ?」
「ヴィクトール、ちょっと話したいことがあるんだけど、今いいかな?」
「あ、うん、もう店じまいするところだし」
店じまいと言っても入り口を閉め、軽く掃除をするくらいだ。売上の計算なども全部ロジウムがやってくれるし、任せておいて大丈夫だろう。ありがとう、と言ったエックハルトは、ふわふわと春のような笑みを浮かべる。
「あのさ、ヴィクター。弟子を取る気はないかな?」
「ないよ」
即答する。エックハルトの紹介といえども受ける気はなかった。ただでさえ注文が激減したところにヴィクトールが倒れたので、職人に皆辞めてもらうほど工房の状況は悪化していた。最近落ち着いてきたとはいえ、まだ人を増やせるほどの余裕はない。ロジウムが工房にいるのは、彼女が「アタシは工房を守るってリリーと約束したの!」と言い張り、賃金の代わりにミルクとパンを与えるということで話がついたからである。
ううん、と困ったように頬に手を当て、金髪の美丈夫は首を傾げた。この仕草に幾人の人が堕ちてきたのだろう、とヴィクトールは思った。一緒に住んでいたせいで彼の共犯や本命と間違われ、迷惑したのは一度や二度ではない。
「そうだよね……いやね、カイが『魔道具師になりたいからヴィクトールさんのところで修行したい』って言ってきたんだけど……ごめん、こっちから言っておくから」
「えま、え、え? 何?」
信じられない言葉が聞こえた気がして、ヴィクトールは我が耳を疑った。理解が追いつかず聞き返すが、それに構わず振り向いたエックハルトは「カイー」と画面外にいるであろうカイを呼んでいる。「はーい」と遠くにちらりとベスト姿が映る。
「カイ、やっぱりヴィクターは無理だって。他の魔道具師紹介してあげるから……」
「待って!?」
ヴィクトールが叫ぶと、「ん?」と画面の向こうのエックハルトがオレンジの目をヴィクトールに向けた。
「いや、っちょ……えっと……うん、カイ君は……カイ君は特別。いいよ。僕が教えられることがどれくらいあるか分からないけど……」
しどろもどろになりながらヴィクトールがなんとか言葉を絞り出すと、カイの顔が大写しでエックハルトの前に割り込んできた。
「えっ、本当ですか!?」
「う、うん」
自分が弟子を取れるほどの人間なのか、賃金は払えるのか、不安が微かに心中をかすめたがなんとしてでもこの機会を逃すわけにはいかない。後のことは後で考えればいいのだ。
「ありがとうございます! 掃除も帳簿付けも仕入れも、なんでもやりますから! よろしくお願いします!」
ぐいぐいと顔を近づけてくるカイは、空間を突き破ってヴィクトールの前に飛び出してきそうだった。のけぞりながら答えると、大きく輝くカイの目が見えた。
「あ、じゃあ、そういうことでいいかな」
細い手に押しやられ、焦げ茶色のカイの目が画面外へと移動していく。代わりに呆れたようなエックハルトの顔が映し出された。
「引っ越しはいつがいいとかある?」
「いや、こっちはいつでも構わない。職人用の空き部屋なら沢山あるから、そこに来るといい」
「わかった、じゃあ決まったらまた連絡するよ」
「ん、じゃ」
再度通信球を弾くと、エックハルトの姿がかき消える。
「う、あっ、うあぁ……」
一拍置いて、ヴィクトールは奇声を上げた。
信じられなかった。夢? いや、夢じゃない。工房の椅子に座ったまま、自分の体を抱きしめる。そうでもしないと心臓が飛び出てきてしまいそうだった。全身の震えが止まらない。
(カイ、カイが来る……!? この工房に……!?)
嬉しい、でも何故?
突然襲ってきた大きすぎる感情たちを宥めきれず、吐き気を催して口を押さえる。視界がくらくらした。
幸せすぎて怖い。明日あたり寿命が来そうだ。
「ヴィー!」
「ああロジー、ぼ、僕はもう、駄目かもしれない……」
駆け寄ってきたロジウムに支えられ、息も絶え絶えにヴィクトールは呟いたのだった。
何か手掛かりがないかともふもふの巨犬に聞いてみると、ロジウムは「えっ急に何よ」と怪訝そうな顔をした。
「いや、その、あー」
ヴィクトールが無意味に指先をいじっていると、ロジウムは腰に手を当てて上を向いた。黒く濡れた鼻がぴくぴくと動く。
「そうね、アタシは棒を投げてもらったら嬉しいわ」
「棒?」
「まず公園行くでしょ? で、いい感じの棒を探すじゃない? そうしたらそれを投げてもらって、拾う! また投げてもらう! 拾う! 繰り返しているうちに嫌なことなんて全部忘れるわ」
「ああ、うん……ありがとう」
聞く相手を間違えた。
ヴィクトールが投げた棒を走って拾ってくるカイを想像するとかわいいが、「とってこい」で喜ぶのは多分犬だけだ。それにどうせなら違う棒で遊んでほしい。
店じまいをしに入り口に向かうふわふわの尻尾を見るともなしに見ていると、不意にポーン、とヴィクトールの腰に下げた小さな水晶球から音がした。離れたところの相手と会話できる通信球という魔道具で、これもヴィクトールが制作したものである。
「こんにちは、ゼーア工房のヴィクトールが承ります」
言いながらぱちん、と水晶球を軽くはじくと、ヴィクトールの目の前にエックハルトの映像が現れる。
「なんだエックハルトか。どうしたんだ?」
「ヴィクトール、ちょっと話したいことがあるんだけど、今いいかな?」
「あ、うん、もう店じまいするところだし」
店じまいと言っても入り口を閉め、軽く掃除をするくらいだ。売上の計算なども全部ロジウムがやってくれるし、任せておいて大丈夫だろう。ありがとう、と言ったエックハルトは、ふわふわと春のような笑みを浮かべる。
「あのさ、ヴィクター。弟子を取る気はないかな?」
「ないよ」
即答する。エックハルトの紹介といえども受ける気はなかった。ただでさえ注文が激減したところにヴィクトールが倒れたので、職人に皆辞めてもらうほど工房の状況は悪化していた。最近落ち着いてきたとはいえ、まだ人を増やせるほどの余裕はない。ロジウムが工房にいるのは、彼女が「アタシは工房を守るってリリーと約束したの!」と言い張り、賃金の代わりにミルクとパンを与えるということで話がついたからである。
ううん、と困ったように頬に手を当て、金髪の美丈夫は首を傾げた。この仕草に幾人の人が堕ちてきたのだろう、とヴィクトールは思った。一緒に住んでいたせいで彼の共犯や本命と間違われ、迷惑したのは一度や二度ではない。
「そうだよね……いやね、カイが『魔道具師になりたいからヴィクトールさんのところで修行したい』って言ってきたんだけど……ごめん、こっちから言っておくから」
「えま、え、え? 何?」
信じられない言葉が聞こえた気がして、ヴィクトールは我が耳を疑った。理解が追いつかず聞き返すが、それに構わず振り向いたエックハルトは「カイー」と画面外にいるであろうカイを呼んでいる。「はーい」と遠くにちらりとベスト姿が映る。
「カイ、やっぱりヴィクターは無理だって。他の魔道具師紹介してあげるから……」
「待って!?」
ヴィクトールが叫ぶと、「ん?」と画面の向こうのエックハルトがオレンジの目をヴィクトールに向けた。
「いや、っちょ……えっと……うん、カイ君は……カイ君は特別。いいよ。僕が教えられることがどれくらいあるか分からないけど……」
しどろもどろになりながらヴィクトールがなんとか言葉を絞り出すと、カイの顔が大写しでエックハルトの前に割り込んできた。
「えっ、本当ですか!?」
「う、うん」
自分が弟子を取れるほどの人間なのか、賃金は払えるのか、不安が微かに心中をかすめたがなんとしてでもこの機会を逃すわけにはいかない。後のことは後で考えればいいのだ。
「ありがとうございます! 掃除も帳簿付けも仕入れも、なんでもやりますから! よろしくお願いします!」
ぐいぐいと顔を近づけてくるカイは、空間を突き破ってヴィクトールの前に飛び出してきそうだった。のけぞりながら答えると、大きく輝くカイの目が見えた。
「あ、じゃあ、そういうことでいいかな」
細い手に押しやられ、焦げ茶色のカイの目が画面外へと移動していく。代わりに呆れたようなエックハルトの顔が映し出された。
「引っ越しはいつがいいとかある?」
「いや、こっちはいつでも構わない。職人用の空き部屋なら沢山あるから、そこに来るといい」
「わかった、じゃあ決まったらまた連絡するよ」
「ん、じゃ」
再度通信球を弾くと、エックハルトの姿がかき消える。
「う、あっ、うあぁ……」
一拍置いて、ヴィクトールは奇声を上げた。
信じられなかった。夢? いや、夢じゃない。工房の椅子に座ったまま、自分の体を抱きしめる。そうでもしないと心臓が飛び出てきてしまいそうだった。全身の震えが止まらない。
(カイ、カイが来る……!? この工房に……!?)
嬉しい、でも何故?
突然襲ってきた大きすぎる感情たちを宥めきれず、吐き気を催して口を押さえる。視界がくらくらした。
幸せすぎて怖い。明日あたり寿命が来そうだ。
「ヴィー!」
「ああロジー、ぼ、僕はもう、駄目かもしれない……」
駆け寄ってきたロジウムに支えられ、息も絶え絶えにヴィクトールは呟いたのだった。
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