25 / 29
好きな人は、君です
しおりを挟む
しばらくしてやってきた森に、酸素マスクを外される。手袋をつけた手で克己の胸元をはだける。
そこにいくつもの――毒によるものではない――痣を見つけた克己は、もう少し目が覚めなくてもよかった、と本気で思った。
「恐らくなんだけど……猫村さんに抗体ができたんじゃないかと思うんだよね」
一通り克己の体を確認した森は、そう言って聴診器を首にかけた。
「抗体……ですか」
「詳しいことは調べてみないと分からないからあくまで仮説だけど。なにせ前例がないことだし。他の人にも効くのかとか、どれくらいの効果があるのか、とかこれから調べていきたいところだよね」
「はあ……」
克己がピンとこないまま生返事をすると、「とりあえず、今言えることは二つかな」と森は笑って人差し指を立てた。
「一つ、雛芥子さんの毒は――少なくとも今のところ、猫村さんには効いていない。二つ、猫村さんの体液には、雛芥子さんの毒の効力を弱める効果が認められた」
「えっ、あ、じゃあ……視力が戻ったのも、腕の黒いのが減ったような気がするのも、もしかして……?」
「そう、猫村さんのおかげだよ。猫村さんに毒があんまり効いてなさそうだったから、試しに血液を精製したやつを雛芥子さんに打ってみたんだ」
試しにって言ったよこの人。
「いやあ、ここまで劇的に回復するとは嬉しい誤算だったね」
「はい。それは……ええ」
克己が肯定すると、「このままいけば普通の生活ができるかもしれないね」とさらりと森が言った。
「えっ……えっ?」
「現時点ではあくまでも可能性だから、あまり喜ばないで欲しいんだけど。まあ少なくともすぐにどうこうってことはなさそうだし、落ち着けばまた仕事にも復帰できるんじゃないかな」
「普通の、生活って」
「マスクとか、手袋とかつけないで生活するってこと」
「なる、ほど」
いつもの白手袋をつけた手を見下ろす。克己にはこちらが普通だ。
戻っていく森を見送ってから、ベッドの横を見る。パイプ椅子に腰かけたコウが克己の方を見ていた。克己と一緒に運び込まれたコウは、先に回復したものの検査のために入院していたらしい。
「……克己さん、どうしたの?」
「いや……なんか、現実感が……」
もう駄目だと思っていたのに、目が覚めたらすべてが解決していた。それどころか、ずっと憧れていた、毒を気にしなくてもいい暮らしもできるかもしれない、なんて。
それもこれも、全部コウのおかげで。
ゲームをクリアしたと思ったらストーリーに続きがあったような、本を読み終わったと思ったらまだそれは第一巻だったことに気づいたような感じだった。
嬉しい。けれど、どうしたらいいか分からない、というのが本音だった。ここで終わりだと思っていたから、それ以降のことは何も考えていない。
「夢じゃないよ、克己さん」
ぼうっとしていると、コウが克己の頬を軽くつねった。
「そう、みたいだね」
頬をつねったままのコウの手を外そうとして、克己は手を引っ込めた。手袋を外し、黒い指先でコウの手を取る。
温かい感触が、嘘ではないことを保証してくれた。
「ねえ、コウさん」
「なに?」
甘ったるい声も、蕩けるような視線も、今は嬉しい。
「これからも、その……僕と、一緒にいてくれる?」
指先を握りしめ、コウの目を覗く。不思議そうな視線が返ってきた。
「当然だろ。つうか俺、さっきそう言わなかったっけ。大体俺がいなかったら克己さん病気悪化するんだろ」
「そ、そうじゃなくて」
いやそうなんだけど、ともごもごと言い訳をする。それから克己は、自分のできる最大限の感謝の言葉を口にした。
「コウさんのおかげで、もっと生きられるようになったから……だから、その、これからの人生はコウさんのために使いたいなって、思って……」
「え? うーん」
きょとんとしたコウは、整った顔のまま目を瞬かせた。
また何かを間違ってしまったのだろうか。心の底に穴が開いたように、一気に克己の体が冷えていく。
「ご、ごめん、重かった……?」
「いや、嬉しいよ。嬉しいし、そういうところも好きなんだけど」
冷たくなった克己の手が、コウの大きな両手で包まれる。その向こうにある顔は、はじめて見た時よりもさらに格好良く見えた。
「そうじゃなくて。克己さんの人生は、克己さんのために使ってほしい。やりたかったけどできなかったこととか、我慢してきたこととか、一杯あるんだろ?」
「やりたかったこと?」
「そう」
何だろう。克己が首を傾げると、「例えばさ」とコウの目が一瞬だけ上を向いた。
「……いや、今すぐに考えつかなくてもいいか。今まで我慢してきたこととか、克己さんが夢中になれることとか、ゆっくり探していこうぜ」
「……う、うん」
「まあ目下の目標は退院だけど」
茶化したように笑うコウの顔を見て、克己の中にすとん、と落ちてくるものがあった。
ただ一緒にいたいということではなくて。
幸せになってほしいということでもなくて。
一緒に幸せになりたい、ということ。
きっとこれが、そういうことなんだ。
「コウさん、好き」
心にピタリと嵌った言葉をそのまま伝えると、「いきなり何」と恥ずかしそうにコウは目を泳がせた。
「思ったから言ってみた」
「いや、前から知ってたけど」
「僕は今知ったよ」
「……え? ちょっ……どういうこと?」
きっとまだ、克己はコウのことも、自分のことも、この世界のことも知らないことだらけだ。
だが、コウとなら大丈夫――いや、コウと乗り越えていきたい。
えいっ、と近づけた唇は、コウの鼻のあたりにぶつかった。
そこにいくつもの――毒によるものではない――痣を見つけた克己は、もう少し目が覚めなくてもよかった、と本気で思った。
「恐らくなんだけど……猫村さんに抗体ができたんじゃないかと思うんだよね」
一通り克己の体を確認した森は、そう言って聴診器を首にかけた。
「抗体……ですか」
「詳しいことは調べてみないと分からないからあくまで仮説だけど。なにせ前例がないことだし。他の人にも効くのかとか、どれくらいの効果があるのか、とかこれから調べていきたいところだよね」
「はあ……」
克己がピンとこないまま生返事をすると、「とりあえず、今言えることは二つかな」と森は笑って人差し指を立てた。
「一つ、雛芥子さんの毒は――少なくとも今のところ、猫村さんには効いていない。二つ、猫村さんの体液には、雛芥子さんの毒の効力を弱める効果が認められた」
「えっ、あ、じゃあ……視力が戻ったのも、腕の黒いのが減ったような気がするのも、もしかして……?」
「そう、猫村さんのおかげだよ。猫村さんに毒があんまり効いてなさそうだったから、試しに血液を精製したやつを雛芥子さんに打ってみたんだ」
試しにって言ったよこの人。
「いやあ、ここまで劇的に回復するとは嬉しい誤算だったね」
「はい。それは……ええ」
克己が肯定すると、「このままいけば普通の生活ができるかもしれないね」とさらりと森が言った。
「えっ……えっ?」
「現時点ではあくまでも可能性だから、あまり喜ばないで欲しいんだけど。まあ少なくともすぐにどうこうってことはなさそうだし、落ち着けばまた仕事にも復帰できるんじゃないかな」
「普通の、生活って」
「マスクとか、手袋とかつけないで生活するってこと」
「なる、ほど」
いつもの白手袋をつけた手を見下ろす。克己にはこちらが普通だ。
戻っていく森を見送ってから、ベッドの横を見る。パイプ椅子に腰かけたコウが克己の方を見ていた。克己と一緒に運び込まれたコウは、先に回復したものの検査のために入院していたらしい。
「……克己さん、どうしたの?」
「いや……なんか、現実感が……」
もう駄目だと思っていたのに、目が覚めたらすべてが解決していた。それどころか、ずっと憧れていた、毒を気にしなくてもいい暮らしもできるかもしれない、なんて。
それもこれも、全部コウのおかげで。
ゲームをクリアしたと思ったらストーリーに続きがあったような、本を読み終わったと思ったらまだそれは第一巻だったことに気づいたような感じだった。
嬉しい。けれど、どうしたらいいか分からない、というのが本音だった。ここで終わりだと思っていたから、それ以降のことは何も考えていない。
「夢じゃないよ、克己さん」
ぼうっとしていると、コウが克己の頬を軽くつねった。
「そう、みたいだね」
頬をつねったままのコウの手を外そうとして、克己は手を引っ込めた。手袋を外し、黒い指先でコウの手を取る。
温かい感触が、嘘ではないことを保証してくれた。
「ねえ、コウさん」
「なに?」
甘ったるい声も、蕩けるような視線も、今は嬉しい。
「これからも、その……僕と、一緒にいてくれる?」
指先を握りしめ、コウの目を覗く。不思議そうな視線が返ってきた。
「当然だろ。つうか俺、さっきそう言わなかったっけ。大体俺がいなかったら克己さん病気悪化するんだろ」
「そ、そうじゃなくて」
いやそうなんだけど、ともごもごと言い訳をする。それから克己は、自分のできる最大限の感謝の言葉を口にした。
「コウさんのおかげで、もっと生きられるようになったから……だから、その、これからの人生はコウさんのために使いたいなって、思って……」
「え? うーん」
きょとんとしたコウは、整った顔のまま目を瞬かせた。
また何かを間違ってしまったのだろうか。心の底に穴が開いたように、一気に克己の体が冷えていく。
「ご、ごめん、重かった……?」
「いや、嬉しいよ。嬉しいし、そういうところも好きなんだけど」
冷たくなった克己の手が、コウの大きな両手で包まれる。その向こうにある顔は、はじめて見た時よりもさらに格好良く見えた。
「そうじゃなくて。克己さんの人生は、克己さんのために使ってほしい。やりたかったけどできなかったこととか、我慢してきたこととか、一杯あるんだろ?」
「やりたかったこと?」
「そう」
何だろう。克己が首を傾げると、「例えばさ」とコウの目が一瞬だけ上を向いた。
「……いや、今すぐに考えつかなくてもいいか。今まで我慢してきたこととか、克己さんが夢中になれることとか、ゆっくり探していこうぜ」
「……う、うん」
「まあ目下の目標は退院だけど」
茶化したように笑うコウの顔を見て、克己の中にすとん、と落ちてくるものがあった。
ただ一緒にいたいということではなくて。
幸せになってほしいということでもなくて。
一緒に幸せになりたい、ということ。
きっとこれが、そういうことなんだ。
「コウさん、好き」
心にピタリと嵌った言葉をそのまま伝えると、「いきなり何」と恥ずかしそうにコウは目を泳がせた。
「思ったから言ってみた」
「いや、前から知ってたけど」
「僕は今知ったよ」
「……え? ちょっ……どういうこと?」
きっとまだ、克己はコウのことも、自分のことも、この世界のことも知らないことだらけだ。
だが、コウとなら大丈夫――いや、コウと乗り越えていきたい。
えいっ、と近づけた唇は、コウの鼻のあたりにぶつかった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜
水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。
そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー
-------------------------------
松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳
カフェ・ルーシェのオーナー
横家大輝(よこやだいき) 27歳
サッカー選手
吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳
ファッションデザイナー
-------------------------------
2024.12.21~
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる