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おはようと、言える世界
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ピッ、ピッという小さな音が聞こえた。それから、しゅうしゅうという蒸気が噴き出すような音も。
(……うるさい)
とりあえずアラームを止めようと、枕元に置いてあるはずのスマホを探す。ない。
それどころか、一緒に寝ているはずのクロもルドもいないし、いつものシーツに比べてなんだか手触りがつるつるしている気がする。
(ううん……?)
違和感に目を開けると、明るいけれどものっぺりとした天井が広がっていた。薄緑色のカーテンがベッドの周りに吊るされ、脇には小さなテレビのような機械がある。機械からは何本もコードが伸びていて、そのうちのいくらかは克己の体に繋がっていた。アラームのような音の出所はそのモニターらしい。
(病院? なんで?)
克己の記憶は、コウに家に連れ帰ってもらい、一緒に寝たところで途切れている。それがなぜこんなところにいるのだろう。それにあの時は視力も失っていたはずだ。
(夢……だった、のか? なにが? どこから? コウさんは?)
持ち上げた腕は手首の下あたりまで黒く、そこから点滴のチューブが伸びている。混乱していると、がたりと扉の開く音がした。続いてカーテンが引き開けられる。
久しぶりに見る母の顔が、そこにあった。
「克己!」
名前を呼ばれ、さらに混乱が深まる。ニューヨークにいるはずの母が、なんでこんなところにいるんだ。
「え、母さん、なんで」
喋った声は思ったより掠れているうえにくぐもっていて、克己はそこでようやく自分の口に酸素マスクがついていることに気づいた。ずっと加湿器のような音を立てていたのはこれだったらしい。
「ああ、やっと起きた! よかったわー」
「うん……?」
状況について行けずにいると、「あ、先生に連絡してくるから」と母の顔が引っ込む。
「えっと……ごめん、何が……どうなって、僕はここにいるの?」
戻ってきてパイプ椅子を広げる母に、改めて質問をぶつける。それもそうか、と母は何となく克己に似た顔で腕を組んだ。
「いや、克己が倒れたって聞いたから急いで帰国したのよ。連絡しても繋がらないし、管理会社に鍵開けてもらったら部屋の中で虫の息になってたから救急車呼んで、でそのまま入院してる」
「……ああ、なるほど……?」
言われてみれば、突然の失明にどうにもならないと思い、親に連絡をしたような記憶はうっすらある。ということはあれから数日は経っているのだろう。
「いやー本当にびっくりしたわ、驚きすぎて危うく死体が五つになるところだったわよ」
「……五つ?」
「あなたとー、煌汰君でしょ、それから私とお父さんと管理会社の人」
「あっ、え、うん……?」
その発見時、もしや二人は全裸ではなかったか。だが、今はそこにコウの名前が出てきたことの方が重要だった。
「あの、コ……猫村さんは、そのっ」
「ああごめん、びっくりしたって悪い意味じゃないわよ、あなたにもそういう相手がいて親としては安心したし、何より――」
「そ、そうじゃなくて! ぶ、無事なの?」
克己が叫ぶと、「ああ」と母は頷いた。
「それなら大丈夫よ、さっき売店で――」
そこでまた、病室の戸の開く音がした。反射的に目を動かすと、先ほど母が開けたカーテンの隙間から、今一番会いたい顔が見えていた。
「あ……」
「克己さん!」
入院着を着たコウが、手に持っていたビニール袋を放り投げて駆け寄ってくる。
「よかった! やっと起きてくれた! ねえ、俺のこと見えるの?」
「コウさんこそ……よかった……」
もう見ることができないと思っていた顔がぼやけていく。もっとしっかり見たいのに。
「だから、大丈夫って言ったろ」
コウに手を握られそうになり、克己は慌てて指先を引っ込めた。追いかけてきたコウの手が、克己の肘を掴む。
「ちょっと!」
「ほら、見て克己さん」
するりと克己の指先まで撫でたコウが手を開く。
何も、変わっていない。
赤くもなっていないし、蕁麻疹が出る様子もない。
「え……?」
克己が目を見開くと、得意げに笑ったコウは克己の手のひらを自分の頬に当てた。やはり何も変化はない。
「どういうこと、なの……?」
指先は相変わらず黒いままなのに。何が起こっているかついて行けず克己が呟くと、コウは焦げ茶色の目を細めた。
「克己さんと俺が、ずっと一緒にいられるってこと」
ちゅ、と手の甲に軽くキスを落とされ、モニターの心拍数が跳ね上がる。背後で小さく噴き出す声が聞こえて、克己は母がそこにいることを思い出した。
(……うるさい)
とりあえずアラームを止めようと、枕元に置いてあるはずのスマホを探す。ない。
それどころか、一緒に寝ているはずのクロもルドもいないし、いつものシーツに比べてなんだか手触りがつるつるしている気がする。
(ううん……?)
違和感に目を開けると、明るいけれどものっぺりとした天井が広がっていた。薄緑色のカーテンがベッドの周りに吊るされ、脇には小さなテレビのような機械がある。機械からは何本もコードが伸びていて、そのうちのいくらかは克己の体に繋がっていた。アラームのような音の出所はそのモニターらしい。
(病院? なんで?)
克己の記憶は、コウに家に連れ帰ってもらい、一緒に寝たところで途切れている。それがなぜこんなところにいるのだろう。それにあの時は視力も失っていたはずだ。
(夢……だった、のか? なにが? どこから? コウさんは?)
持ち上げた腕は手首の下あたりまで黒く、そこから点滴のチューブが伸びている。混乱していると、がたりと扉の開く音がした。続いてカーテンが引き開けられる。
久しぶりに見る母の顔が、そこにあった。
「克己!」
名前を呼ばれ、さらに混乱が深まる。ニューヨークにいるはずの母が、なんでこんなところにいるんだ。
「え、母さん、なんで」
喋った声は思ったより掠れているうえにくぐもっていて、克己はそこでようやく自分の口に酸素マスクがついていることに気づいた。ずっと加湿器のような音を立てていたのはこれだったらしい。
「ああ、やっと起きた! よかったわー」
「うん……?」
状況について行けずにいると、「あ、先生に連絡してくるから」と母の顔が引っ込む。
「えっと……ごめん、何が……どうなって、僕はここにいるの?」
戻ってきてパイプ椅子を広げる母に、改めて質問をぶつける。それもそうか、と母は何となく克己に似た顔で腕を組んだ。
「いや、克己が倒れたって聞いたから急いで帰国したのよ。連絡しても繋がらないし、管理会社に鍵開けてもらったら部屋の中で虫の息になってたから救急車呼んで、でそのまま入院してる」
「……ああ、なるほど……?」
言われてみれば、突然の失明にどうにもならないと思い、親に連絡をしたような記憶はうっすらある。ということはあれから数日は経っているのだろう。
「いやー本当にびっくりしたわ、驚きすぎて危うく死体が五つになるところだったわよ」
「……五つ?」
「あなたとー、煌汰君でしょ、それから私とお父さんと管理会社の人」
「あっ、え、うん……?」
その発見時、もしや二人は全裸ではなかったか。だが、今はそこにコウの名前が出てきたことの方が重要だった。
「あの、コ……猫村さんは、そのっ」
「ああごめん、びっくりしたって悪い意味じゃないわよ、あなたにもそういう相手がいて親としては安心したし、何より――」
「そ、そうじゃなくて! ぶ、無事なの?」
克己が叫ぶと、「ああ」と母は頷いた。
「それなら大丈夫よ、さっき売店で――」
そこでまた、病室の戸の開く音がした。反射的に目を動かすと、先ほど母が開けたカーテンの隙間から、今一番会いたい顔が見えていた。
「あ……」
「克己さん!」
入院着を着たコウが、手に持っていたビニール袋を放り投げて駆け寄ってくる。
「よかった! やっと起きてくれた! ねえ、俺のこと見えるの?」
「コウさんこそ……よかった……」
もう見ることができないと思っていた顔がぼやけていく。もっとしっかり見たいのに。
「だから、大丈夫って言ったろ」
コウに手を握られそうになり、克己は慌てて指先を引っ込めた。追いかけてきたコウの手が、克己の肘を掴む。
「ちょっと!」
「ほら、見て克己さん」
するりと克己の指先まで撫でたコウが手を開く。
何も、変わっていない。
赤くもなっていないし、蕁麻疹が出る様子もない。
「え……?」
克己が目を見開くと、得意げに笑ったコウは克己の手のひらを自分の頬に当てた。やはり何も変化はない。
「どういうこと、なの……?」
指先は相変わらず黒いままなのに。何が起こっているかついて行けず克己が呟くと、コウは焦げ茶色の目を細めた。
「克己さんと俺が、ずっと一緒にいられるってこと」
ちゅ、と手の甲に軽くキスを落とされ、モニターの心拍数が跳ね上がる。背後で小さく噴き出す声が聞こえて、克己は母がそこにいることを思い出した。
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