かつみさんは、ねこがすき

にっきょ

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頼んでないものは、いらない

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 嫌い――ではない。
 そもそも、コウのことは好みの見た目だったから選んだのだ。

 じゃあ好きか――と言われると、分からない、というのが正直なところだった。人として一定の好意があることは否定しないが、じゃあそれが恋愛的なものか、と言われると克己には判断できなかった。そして、判断する必要もないと思っている。
 性愛だろうが友愛だろうが親愛だろうが、大切で離れがたいものができるのは変わりがないからだ。今更そんな関係性を築いたって、お互い別れが辛くなるだけだ。

 また、同じことにならないとも限らないし。

 ついてくるコウとは、何を話せばいいのか分からない。共に電車に揺られているうちに、大きなターミナル駅についていた。克己の乗り換える路線はここが始発となる。ホームに並ぶ電車の中からあえて次々発の電車を選び、端の座席に座る。

「寒ぃな」

 電車の中は暖房が一生懸命に稼働していたが、開けっ放しのドアの前ではそれも無力である。当然のように克己の鞄を取って網棚の上に置いたコウは、そのままふらりとホームに出て行った。すぐに戻ってきたその手には、小さな缶が握られている。

「コーヒーとココア、どっちがいい?」
「えっ」
「じゃあこっちな」

 克己がぽかんとしていると、膝の上にココアの缶が置かれる。そのまま転がり落ちていきそうな缶を、克己は慌てて手で押さえた。
 じわりとした温かさが、手袋越しに伝わってくる。

「あの」

 つい受け取ってしまったココアの処遇に困っていると、克己の隣にコウが腰を下ろした。身を竦める克己に構わずコーヒーのタブを開ける。
 漂ってくる香ばしい匂いを嗅ぎながら、克己は手の中で缶を転がした。ありがとう、と素直に受け取ることもできないけれど、いらない、と突き返すこともできない、押し付けの好意。
 特に意味もなく成分表示を読んでいると、横でコウが未練がましい声を上げた。

「俺の家に来てくれたら、粉からもっとおいしいの作ってやるよ」
「行きませんって」
「サイフォンもあるのに」

 あるから何だ。「え、サイフォンあるの? じゃあ見に行くわ!」と克己が言うとでも思っているのだろうか。
 確かに少し気にはなるのが悔しい。

「ああ……喫茶店、やってたんでしたっけ」

 缶で手を温めているうちにコウの経歴に思い至った克己がそう言うと、「まあね」とコウが口の端で笑った。

「やってたっつーか、潰しただけだけどな」
「そうなんですか」
「うん。元々父さんと母さんの二人で店をやってたんだけど、母さんが病気になって、で、父さんがその介護するようになって続けられなくなっちまって。店がなくなるのが嫌だったから大学辞めて後継いだんだけど、なんていうかもう、これが全然うまくいかなかった」
「はあ」
「当時は一生懸命やってたつもりだったけど……甘かったんだよな。店にかまけてたせいで母さんの死に目にも会えなくて、気づいたらただ借金だけが残ってた。まあ当時の精一杯はやったから後悔はしてないけど」

 薄く笑ったコウが、缶にまた口をつける。

「全部自分のせいだし、借金くらい全部自分の力で返したくてデリヘルはじめたんだ。でも、稼ぐどころかリピーターすらつかなくて。どうしよう、って思ってた時に克己さんに会ったんだ」
「……僕?」

 身の上話の最中に突然出てきた自分の名前に克己が反応すると「うん」と肯定される。

「克己さんさ、あの時すっごく嬉しそうな顔してくれただろ。それがかわいくて……キュンと来たというか、一目惚れというか、ようやく自分のことを必要としてもらえて嬉しかったというか……とにかく一人にしたくない、って思ったんだ」

 出発時刻の近づいた電車の中は、段々と混んできていた。横に立つ人を避け、熱気がこもってきたコートの中に顔を埋めた克己は不意に苛立ちを感じた。
 何でこんな、大勢の人間が聞いているだろうところで自分への想いを語られなければならないのか。
 克己の前に立とうとした人が、さりげなく場所を移動していく。普段ならトキシックのせいだと思うところだが、今は違う。コウのせいだ。絶対にそうだ。

「だからって、会社まで追いかけてきたんですか?」
「うん。やりすぎだっていうのは……分かってる。でも、時間ないかもって思うと居てもたってもいられなくて……後悔したくなかったんだ」
「……それ、された方の気持ち考えたことあります? 私が喜ぶと思いました?」
「それ、は……」

 横目で睨むと、コウがコーヒーを握りしめるのが見えた。熱っぽく揺れる目も、今は鬱陶しい。

「普通に考えてみてくださいよ。人が嫌だっていうことをやってきておいて、そのあと連絡がなかったらそれは『お前とは二度とかかわりたくない』ってことでしょうが。なのにそう思っている相手が職場に来たら気持ち悪いと思いません? しかも自分の後任。逃げ場ないですよ」
「そうだけど、でも克己さん」
「あなたは直接謝って……そして私を助けているつもりになって、それでいい気分かもしれませんけど、やられた方はたまったもんじゃないんですよ」
「違う、そんなつもりじゃ」
「あなたがどんなつもりなのかなんて関係ないですよ。いつもそうやって私のことなんか考えていないって言ってるんです。最初会った時ももちろん、今だってそうだ。私が何か飲み物が欲しいと言いましたか? ココアがいいって言いましたか? 全部あなたが押し付けてきたんだ」
「でも、じゃあなんで俺のこと――」
「私はただひっそりと、し、死にたかっただけなのに、どうしてそれをあなたは邪魔するんですか!」

 立ちあがった克己は、すっかり冷めたココアを隣の席に放った。呆然としたコウの胸元に当たった缶が、手元のコーヒーとぶつかって鈍い音を立てる。
 網棚の荷物を引きずり下ろし、電車から逃げ出す。
 改札を出て振り向くが、後ろからコウが追ってくる姿は見えなかった。代わりに電車の発車ベルが聞こえる。

「……はは」

 家まで送るとか、嘘っぱちじゃないか。
 ひやりと冷たい空気が克己の顔に触れた。いつの間にかかいていた汗が冷たくなっていく。

(……何で、怒ってたんだろう)

 冷えてきた頭で自問自答する。確かにコウの気持ちは受け入れられないし、離れたいとも思っていた。そして彼のしてきたことは自分勝手だとも思う。だが、そこまで怒るような、克己にとって不快なことだっただろうか。
 ただコウを傷つけたくてたまらなくて、口から出る言葉をぶつけてしまっただけのような気がした。その証拠に、捨てられた猫のようなコウの表情を見た時には優越感と満足感があった。コーヒーとココアだって、本当はどちらが好きというほどのものでもない。

(……何で、傷つけたいなんて……)

 自分の中に、そんな醜い加虐性があるなんて、思ったこともなかった。深く考えようとして、不意に息が苦しくなる。

(とにかく今日は……疲れたな)

 考えるのをやめた克己は、近くのベンチに腰を下ろし、星の見えない空を見上げる。吐き出した息が、白く広がっていった。
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