かつみさんは、ねこがすき

にっきょ

文字の大きさ
上 下
18 / 29

同僚は、家まで送る?

しおりを挟む
「なん……でしょうか」

 ちらりとパソコンの端に表示された時刻を見ると、少し前に終業時刻は過ぎていた。逃げ損ねた、と克己は柚木に若干の苛つきを覚えた。なんで今送ってきたんだ。明日の昼間でいいだろ歓迎会なんて。

「ねえ、克己さんはまだ帰らないの?」
「……私はまだ、少しすることがあるので」
「何するか教えて。俺も覚えたいから」

 そうだった、この人は自分の後任として入ったんだった。あー、と克己は諦めて横を向いた。帰り支度をすっかり整えたコウが立っている。

「それじゃあ……あ、明日にしましょう」

 言いながら、パソコンの電源を落とす。
 ぱっと消えた黒い画面に、克己と後ろから覗くコウの顔が映った。自分にまとわりつく、粘るような視線を感じる。はあとため息をついた克己は意を決して椅子を引いた。

「……あの」
「克己さん、ごめん!」

 丁度自分の横に来た克己に、がばりとコウは頭を下げた。なにを、という前に続きが聞こえてくる。

「ずっと、謝りたくて……克己さんが嫌がるって分かってたのに、触っちゃったこと」
「あれは……事故でしょう。コ……猫村さんが悪いわけじゃありませんよ。私こそ、あの時は逃げてしまって……申し訳ありません」
「いや、俺がちゃんと分かってなかったんだ。克己さん普通っぽく見えるし、一回くらいなら、ちょっとくらいなら平気だろうって。油断したというか……克己さんの病気のこと、舐めてたんだと思う。自分の都合のいいように考えてた」
「そうですか」

 広げた両手を見下ろす。ワイシャツと手袋の隙間から、僅かに黒い部分が覗いている。これを見せていたら良かったのだろうか。
 立ち上がって窓を閉め、一人だけ違うラックにかけられているコートを羽織る。一昨日教えたとおりにエアコンを消したコウが、しゅんとした顔で入り口に立っていた。

「……怒ってませんよ、別に」

 しおらしい姿に克己が声を和らげると、ちろり、と不安げにコウの目が動いた。

「なら、なんで連絡返してくれなかったんだよ。会社一緒になってからだってずっと他人行儀っていうか……仕事で必要な会話以外してくれないし、俺と絶対に二人になろうとしないし、もう明らかに避けてるじゃん、俺のこと」
「それは」

 怒ってはいない。ただ――ショックだったのだ。
 コウが自分のせいで倒れたことも、そこから逃げるという選択肢を選んだ自分のことも。

「……同僚と慣れ合う趣味はないからですよ。そんなことしたって……何一つ、いいことなんてありませんから」

 結局、トキシック……というか自分は、他人と深くかかわっていい人間ではないのだ。
 猫村さんだって分かったでしょう、と呟く声が少し上ずりそうなのを押さえる。

「毒持ちと仲良くしたって、迷惑を被るだけじゃないですか」
「俺は、そんなこと思ってない」
「そうですか」

 室内の電気を消し、エレベーターホールに向かう。営業の方にはまだ人がいるようなので廊下は消さない。
 こういう時に限って遅々として動かないエレベーターの階数表示を見ていると、横からまたコウが話しかけてくる。

「ねえ克己さん、なんで俺がここ受けたと思ってんの」
「……知りませんよ」

 わざわざ聞いてくるということは、やはり偶然ではない、のだろう。克己がいると知っていて来たのだ。

「羽振り良さそうに見えた、とかですか?」
「んなわけないじゃん、あんなボロいワンルームでぴいぴい泣いてる奴見て『うわ金持ちそう!』ってなるわけないだろ。ってか募集要項見た時点でそうでもないのは分かるし、夜職より稼げるわけないし」
「働きやすそうだった……?」
「まあ、それはちょっとある、けど」

 来たエレベーターに乗る。降りていく箱の中で克己が黙っていると、隣でコウが大きく息を吸った。

「一番の理由は……克己さんに、また会いたかったからだよ」
「なんで」
「好きになったから」
「は? し……仕事舐めてるんですか?」

 驚きのあまり克己の声が大きくなる。ちょうど開いた扉の向こうに声が反響した。とりあえず降りた克己はそのまま数歩歩き、立っていた観葉植物の隣で立ち止まった。

「なっ……そんな、中学生の部活決めみたいな。サッカーに興味ないけどサッカー部の子に興味あるからマネージャーになりたいみたいな、そんなんで転職したんですか」
「何とでも言えばいい、俺がただ後悔したくなかっただけだ」

 上から降ってくるコウの声は、さすがにいくらか苛立ってはいるようだった。

「っていうか俺は、面接で何一つ嘘はついてねえぞ。それでも採用したんだから、文句なら社長に言ってくれよ。ちょうど辞め時だったし、入ったからには真面目に働く覚悟もあるし」
「開き直らないでもらえますか。……いや、待ってくださいよ、そもそも私の勤務先どうやって知ったんですか」
「克己さん本名で予約してたからな。名前で検索したら社員インタビューが出てきたから、そこから。写真あったし、雛芥子なんて苗字そうそういないし、その上トキシックとなったら確定だろ」
「うわ」

 覚えはあった。採用者向けにインタビューを受けたり会社の紹介コメントを書かされたことは何度もある。予想外の機序ではあるが、当初の目的通りそれが応募動機になったというのは皮肉である。

「いや……それ、採用されなかったらどうするつもりだったんですか」
「そうなったらそうなった時に考えるつもりだったよ。直接会いに行くか、近くに引っ越すか……まあそんなとこだろうな」
「なんで、そこまで」

 自分はコウにそんなに纏わりつかれるようなことをした覚えはない。克己が当惑していると、屈みこんだコウの顔がひょいとその視界の中に入ってきた。だからそれはやめて欲しい。

「克己さん、今から俺の家来れる? 俺が克己さんの家行くのでもいいけど」
「は、はあ? い……行きませんよ。来る必要もありません。なんですかいきなり」
「いや、ずっと立ち話なのもなあ、っていうのと」

 するりと伸びてきたコウの指先が、克己の手を握る。

「克己さん、今日はちょっと体調悪そうだから、一人にしたくないなって思って。近づくと肌がピリピリしてくるし」
「は、離してっ!」

 振りほどいた克己の手が観葉植物にぶつかった。もさりと揺れるねじれた木を慌てて押さえる。

「け、結構です。もう私はあなたの客でもなんでもありませんし、同僚と慣れ合う趣味はない、と言ったはずです」
「うん。聞いたよ」
「じゃあもう」
「でも、克己さん俺のこと好きでしょ? なら客でも同僚でもなく『彼氏』になればいいだろ」
「な……なんで、そうなるんですか」

 勝手な決めつけに克己の声が裏返るが、コウは当たり前のような顔をしている。

「俺も、克己さんのこと好きだから」
「だからなんで……ああもう」

 まっすぐに見つめられて、克己はそれでも逃げ場を探して視線を彷徨わせた。一回話を逸らしたはずだったのに、またここに戻って来てしまった。
 何でこんなことになっているんだ。頭を抱えそうになった克己は、それだと手袋の上に毒がついてしまうことに気づいて途中で動きを止めた。怒りなのか狼狽なのか、とにかく爆発しそうな全身を落ち着けようと深呼吸をする。

「じゃあ克己さん、せめて家まで送らせて。それぐらいならいいだろ?」
「えっと……」
「同僚でも家に送るくらいはするでしょ」

 そう、なのだろうか。分からない。少なくとも克己は柚木を家に送ったことはない。最寄り駅も知らないし就業時間も違うし、一緒に会社を出たこともない。

「う、うん……?」

 考え込んでいるうちにコウが背後に回ってくる。押し出されるように、克己はビルのエントランスを出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。 そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー ------------------------------- 松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳 カフェ・ルーシェのオーナー 横家大輝(よこやだいき) 27歳 サッカー選手 吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳 ファッションデザイナー ------------------------------- 2024.12.21~

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

処理中です...