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猫村煌汰、入社する
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猫村煌汰、二十五歳。五月十三日生まれ。中堅の大学を中退したのち実家の喫茶店を継ぐが二年前に廃業、フリーターに。所持資格は運転免許と日商簿記三級、それから食品衛生責任者。趣味はカフェ巡り、長所は協調性があること、短所は感情が顔に出やすいこと――それが、コウの履歴書に書かれたプロフィールだった。
同い年だったのか、と思う。だからタメ口だったのだろうか。五歳とはまあまあのサバ読み具合だが、全く気付かなかったのはコウが童顔だからなのか、それとも克己の対人経験値が足りないのか。
(……き、気まずい)
そしてあっさりと最終面接まで突破したコウは、今通路の向こう、柚木の隣でカタカタとキーボードを叩いていた。入社してきてもう二週間になるが、その姿はずっと前からいたかのように馴染んでいる。
こうなるんだったら、せめてメッセージくらい返信しておけばよかった。
(そりゃ、この状況の半分くらいは自分のせいかもしれないけど)
ついコウの方に向いてしまいがちな意識を自分の目の前の仕事に戻し、追加依頼された名刺データを探す。出てきたファイルを入稿していると、からりとコウが椅子を引く音がした。克己の全身が緊張でこわばる。
「雛芥子さん、ちょっといいですか」
「……はい、なんでしょうか」
できるだけ平静を装って、コウのネクタイの結び目あたりを見ながら答える。
「プレスリリースの入力が終わったので、設定が間違ってないか確認していただきたいんですけど」
「ああ……わ、かりました、URL送ってもらってもいいですか?」
席に戻っていくコウの背中を見ながら、ふうっと肩を撫でおろす。すぐに社内チャット経由で会社のブログとプレスリリース配信サービスのURLが送られてきた。
(やれやれ……)
克己の後任なのだから、当然引継ぎや業務の指示のほとんどは克己が出すことになる。仕事は仕事だ、と思うがやりづらいことこの上ない。籠田に「あいつは駄目ですね」と嘘を言わなかったことがいまさらながら悔やまれる。救いなのはなぜかコウの側も克己に対してビジネスライクにふるまってくれている点だ。
プレスリリースを確認し、問題ないのでそのまま配信してください、とチャットで送り返す。
やがて六時を過ぎると、退勤時刻になった社員たちがどんどんと帰宅していく。
「そいじゃー、お先! また明日ね!」
「お疲れ様です」
幼稚園の先生のように手を振る柚木に頭を下げると、途端に室内がしんとなった。
克己は元々の出勤時刻が遅いので退勤も遅い。視線をパソコンに戻すと、その向こうにいるコウが見えた。「克己さんから引き継ぎ受けるなら、同じ時間の方がやりやすいよね」と籠田がいらない気付きをしてしまったせいで、克己と出退勤が同じ時間に設定されているのだ。
残念なことに、今日は残業する人はいないらしい。不要な部分の電気が消されたせいで、なんとなく薄暗くなった室内は克己とコウの二人だけになっていた。しんとしたオフィスの中に、やたらと打鍵音が響く。
(は、早く帰ろう)
常識的に考えれば、新人を先に残して帰宅するのはどうかと思う。だが、コウとできる限り接触しないようにするにはそうするしかない。閉め方は一昨日教えたし大丈夫だろう。
手元のメモを見ながら、問い合わせに対する返信メールを打つ。モニターに視線を戻すと、いつの間にか意味が通じないほど誤字脱字の並んだ怪文書ができていた。
ああもう、とキーボードから手を離し、両手の指を揉む。むくんだように感じられる指先も、段々と克己の思ったように動かなくなってきている気がする。
ゆっくりとメールを打ち直していると、ポン、と社内チャットの通知が飛んできた。
「@柚木とうかさんが、あなたをチャットルーム『猫村さん歓迎会&雛芥子さん送別会』に招待しました」
(なんだ……つか、送別会て)
まだ辞表は出していない。いやまあ、そのうち出すことにはなるんだけど。通知をクリックすると、「猫村さん歓迎会」のチャットが表示された。
(あれ?)
気のせいだったのだろうか。克己が首を傾げているうちに、また柚木からチャットが飛んでくる。
「ねえ、歓迎会の店決めたいんだけど、猫村さんの好きな料理知ってる?」
「知りません」
「イタリアンと和食、どっちがいいかな」
「だから知りませんって。隣の席なんだから本人に聞いたらいいでしょう」
「えー、じゃあ雛芥子さんはどっちがいい?」
「どっちでもいいですよ、どうせ私行きませんし」
「なんでよ。猫村さん、雛芥子さんの紹介で入ってきたんでしょ」
「紹介してません、勝手に入社してきただけです」
「金一封貰ってたくせに」
うっ、と克己の指が止まる。リファラル採用で入社した人には紹介した人とされた人、両方に金一封が出る。どこかでコウが克己の紹介扱いになったらしく、昨日それを二人は受け取ったばかりだった。
(それは仕方ないだろ、だって僕が受け取らなきゃコウさんだって受け取れないんだから)
「克己さん」
何と返したものか克己が考えあぐねていると、すぐ横からコウの声がした。
同い年だったのか、と思う。だからタメ口だったのだろうか。五歳とはまあまあのサバ読み具合だが、全く気付かなかったのはコウが童顔だからなのか、それとも克己の対人経験値が足りないのか。
(……き、気まずい)
そしてあっさりと最終面接まで突破したコウは、今通路の向こう、柚木の隣でカタカタとキーボードを叩いていた。入社してきてもう二週間になるが、その姿はずっと前からいたかのように馴染んでいる。
こうなるんだったら、せめてメッセージくらい返信しておけばよかった。
(そりゃ、この状況の半分くらいは自分のせいかもしれないけど)
ついコウの方に向いてしまいがちな意識を自分の目の前の仕事に戻し、追加依頼された名刺データを探す。出てきたファイルを入稿していると、からりとコウが椅子を引く音がした。克己の全身が緊張でこわばる。
「雛芥子さん、ちょっといいですか」
「……はい、なんでしょうか」
できるだけ平静を装って、コウのネクタイの結び目あたりを見ながら答える。
「プレスリリースの入力が終わったので、設定が間違ってないか確認していただきたいんですけど」
「ああ……わ、かりました、URL送ってもらってもいいですか?」
席に戻っていくコウの背中を見ながら、ふうっと肩を撫でおろす。すぐに社内チャット経由で会社のブログとプレスリリース配信サービスのURLが送られてきた。
(やれやれ……)
克己の後任なのだから、当然引継ぎや業務の指示のほとんどは克己が出すことになる。仕事は仕事だ、と思うがやりづらいことこの上ない。籠田に「あいつは駄目ですね」と嘘を言わなかったことがいまさらながら悔やまれる。救いなのはなぜかコウの側も克己に対してビジネスライクにふるまってくれている点だ。
プレスリリースを確認し、問題ないのでそのまま配信してください、とチャットで送り返す。
やがて六時を過ぎると、退勤時刻になった社員たちがどんどんと帰宅していく。
「そいじゃー、お先! また明日ね!」
「お疲れ様です」
幼稚園の先生のように手を振る柚木に頭を下げると、途端に室内がしんとなった。
克己は元々の出勤時刻が遅いので退勤も遅い。視線をパソコンに戻すと、その向こうにいるコウが見えた。「克己さんから引き継ぎ受けるなら、同じ時間の方がやりやすいよね」と籠田がいらない気付きをしてしまったせいで、克己と出退勤が同じ時間に設定されているのだ。
残念なことに、今日は残業する人はいないらしい。不要な部分の電気が消されたせいで、なんとなく薄暗くなった室内は克己とコウの二人だけになっていた。しんとしたオフィスの中に、やたらと打鍵音が響く。
(は、早く帰ろう)
常識的に考えれば、新人を先に残して帰宅するのはどうかと思う。だが、コウとできる限り接触しないようにするにはそうするしかない。閉め方は一昨日教えたし大丈夫だろう。
手元のメモを見ながら、問い合わせに対する返信メールを打つ。モニターに視線を戻すと、いつの間にか意味が通じないほど誤字脱字の並んだ怪文書ができていた。
ああもう、とキーボードから手を離し、両手の指を揉む。むくんだように感じられる指先も、段々と克己の思ったように動かなくなってきている気がする。
ゆっくりとメールを打ち直していると、ポン、と社内チャットの通知が飛んできた。
「@柚木とうかさんが、あなたをチャットルーム『猫村さん歓迎会&雛芥子さん送別会』に招待しました」
(なんだ……つか、送別会て)
まだ辞表は出していない。いやまあ、そのうち出すことにはなるんだけど。通知をクリックすると、「猫村さん歓迎会」のチャットが表示された。
(あれ?)
気のせいだったのだろうか。克己が首を傾げているうちに、また柚木からチャットが飛んでくる。
「ねえ、歓迎会の店決めたいんだけど、猫村さんの好きな料理知ってる?」
「知りません」
「イタリアンと和食、どっちがいいかな」
「だから知りませんって。隣の席なんだから本人に聞いたらいいでしょう」
「えー、じゃあ雛芥子さんはどっちがいい?」
「どっちでもいいですよ、どうせ私行きませんし」
「なんでよ。猫村さん、雛芥子さんの紹介で入ってきたんでしょ」
「紹介してません、勝手に入社してきただけです」
「金一封貰ってたくせに」
うっ、と克己の指が止まる。リファラル採用で入社した人には紹介した人とされた人、両方に金一封が出る。どこかでコウが克己の紹介扱いになったらしく、昨日それを二人は受け取ったばかりだった。
(それは仕方ないだろ、だって僕が受け取らなきゃコウさんだって受け取れないんだから)
「克己さん」
何と返したものか克己が考えあぐねていると、すぐ横からコウの声がした。
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