かつみさんは、ねこがすき

にっきょ

文字の大きさ
上 下
17 / 29

猫村煌汰、入社する

しおりを挟む
 猫村煌汰、二十五歳。五月十三日生まれ。中堅の大学を中退したのち実家の喫茶店を継ぐが二年前に廃業、フリーターに。所持資格は運転免許と日商簿記三級、それから食品衛生責任者。趣味はカフェ巡り、長所は協調性があること、短所は感情が顔に出やすいこと――それが、コウの履歴書に書かれたプロフィールだった。

 同い年だったのか、と思う。だからタメ口だったのだろうか。五歳とはまあまあのサバ読み具合だが、全く気付かなかったのはコウが童顔だからなのか、それとも克己の対人経験値が足りないのか。

(……き、気まずい)

 そしてあっさりと最終面接まで突破したコウは、今通路の向こう、柚木の隣でカタカタとキーボードを叩いていた。入社してきてもう二週間になるが、その姿はずっと前からいたかのように馴染んでいる。
 こうなるんだったら、せめてメッセージくらい返信しておけばよかった。

(そりゃ、この状況の半分くらいは自分のせいかもしれないけど)

 ついコウの方に向いてしまいがちな意識を自分の目の前の仕事に戻し、追加依頼された名刺データを探す。出てきたファイルを入稿していると、からりとコウが椅子を引く音がした。克己の全身が緊張でこわばる。

「雛芥子さん、ちょっといいですか」
「……はい、なんでしょうか」

 できるだけ平静を装って、コウのネクタイの結び目あたりを見ながら答える。

「プレスリリースの入力が終わったので、設定が間違ってないか確認していただきたいんですけど」
「ああ……わ、かりました、URL送ってもらってもいいですか?」

 席に戻っていくコウの背中を見ながら、ふうっと肩を撫でおろす。すぐに社内チャット経由で会社のブログとプレスリリース配信サービスのURLが送られてきた。

(やれやれ……)

 克己の後任なのだから、当然引継ぎや業務の指示のほとんどは克己が出すことになる。仕事は仕事だ、と思うがやりづらいことこの上ない。籠田に「あいつは駄目ですね」と嘘を言わなかったことがいまさらながら悔やまれる。救いなのはなぜかコウの側も克己に対してビジネスライクにふるまってくれている点だ。
 プレスリリースを確認し、問題ないのでそのまま配信してください、とチャットで送り返す。

 やがて六時を過ぎると、退勤時刻になった社員たちがどんどんと帰宅していく。

「そいじゃー、お先! また明日ね!」
「お疲れ様です」

 幼稚園の先生のように手を振る柚木に頭を下げると、途端に室内がしんとなった。
 克己は元々の出勤時刻が遅いので退勤も遅い。視線をパソコンに戻すと、その向こうにいるコウが見えた。「克己さんから引き継ぎ受けるなら、同じ時間の方がやりやすいよね」と籠田がいらない気付きをしてしまったせいで、克己と出退勤が同じ時間に設定されているのだ。
 残念なことに、今日は残業する人はいないらしい。不要な部分の電気が消されたせいで、なんとなく薄暗くなった室内は克己とコウの二人だけになっていた。しんとしたオフィスの中に、やたらと打鍵音が響く。

(は、早く帰ろう)

 常識的に考えれば、新人を先に残して帰宅するのはどうかと思う。だが、コウとできる限り接触しないようにするにはそうするしかない。閉め方は一昨日教えたし大丈夫だろう。
 手元のメモを見ながら、問い合わせに対する返信メールを打つ。モニターに視線を戻すと、いつの間にか意味が通じないほど誤字脱字の並んだ怪文書ができていた。
 ああもう、とキーボードから手を離し、両手の指を揉む。むくんだように感じられる指先も、段々と克己の思ったように動かなくなってきている気がする。
 ゆっくりとメールを打ち直していると、ポン、と社内チャットの通知が飛んできた。

「@柚木とうかさんが、あなたをチャットルーム『猫村さん歓迎会&雛芥子さん送別会』に招待しました」
(なんだ……つか、送別会て)

 まだ辞表は出していない。いやまあ、そのうち出すことにはなるんだけど。通知をクリックすると、「猫村さん歓迎会」のチャットが表示された。

(あれ?)

 気のせいだったのだろうか。克己が首を傾げているうちに、また柚木からチャットが飛んでくる。

「ねえ、歓迎会の店決めたいんだけど、猫村さんの好きな料理知ってる?」
「知りません」
「イタリアンと和食、どっちがいいかな」
「だから知りませんって。隣の席なんだから本人に聞いたらいいでしょう」
「えー、じゃあ雛芥子さんはどっちがいい?」
「どっちでもいいですよ、どうせ私行きませんし」
「なんでよ。猫村さん、雛芥子さんの紹介で入ってきたんでしょ」
「紹介してません、勝手に入社してきただけです」
「金一封貰ってたくせに」

 うっ、と克己の指が止まる。リファラル採用で入社した人には紹介した人とされた人、両方に金一封が出る。どこかでコウが克己の紹介扱いになったらしく、昨日それを二人は受け取ったばかりだった。

(それは仕方ないだろ、だって僕が受け取らなきゃコウさんだって受け取れないんだから)

「克己さん」

 何と返したものか克己が考えあぐねていると、すぐ横からコウの声がした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。 そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー ------------------------------- 松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳 カフェ・ルーシェのオーナー 横家大輝(よこやだいき) 27歳 サッカー選手 吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳 ファッションデザイナー ------------------------------- 2024.12.21~

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

処理中です...