かつみさんは、ねこがすき

にっきょ

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二人に増えた、ぬいぐるみ

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「あーうんうん、平気よー。ゆっくり休んでなね」
「はい……すいません……それで、次の人、なんですが、まだ……?」
「あーそれねえ、募集はかけてるんだけどねえ。まあ、別部署から借りて来るなり皆で分担するなりやりようはあるから、それも雛芥子さんは気にしなくて大丈夫だよ」
「すみません……では……失礼します」

 うわ言のように答えながら、直属の上司に当たる籠田との電話を切る。じくじくと熱を持って傷む体には、それだけでも重労働だ。

(まだ正月休みも開けたばっかりなのに)

 ここにきて強毒期とは、と思う。発作のようなもので、克己にも来るタイミングなど分からないからどうしようもないが、ついていない。
 あらかじめ話をしてあるからか、籠田の対応があっさりしているのも今はしんどかった。いつ休まれても平気、という態度を取られると、結局自分はいなくてもいいんだな、と思ってしまう。休まれると困る、と言われるのも辛いし、向こうにそんな意図はないんだろうと思いたいけど。

「うう……」

 どうせ僕なんていらないんだ、と思うだけで涙が止まらない。べそをかきながらベッドの横に置いた薬を飲もうとして、シートから押し出した時に取り損ねた薬が床に転がっていく。それを見て、ああ自分はついにこんなことすらできなくなってしまったんだ、とまた涙が溢れてくる。もう何もできない。無能だ。そりゃいらないわけだ。もう手首の骨の下まで黒くなってるし来週あたりには――

(お、落ち着け……)

 どうも今はすべてのことを悪く捉えてしまっていけない。大人しく寝て、できるだけ早くこの期間が終わるのを待つのが一番だ。少しだけ残っている冷静な部分でそう判断して、克己は枕元に置いてあったルドを抱きしめた。寝ていて本当に良くなるのか、という疑問は頭の外に追い出す。

(もう……コウさんは、呼べないんだし)

 ――十二月末、コウと「デート」をした日に逃げ出してから、克己はコウからの連絡を無視し続けていた。
 コウからは、数日後に電話がかかってきた。それを無視していると、メッセージが送られてきたのだ。
 そこには無事毒は抜けたこと、止められていたのに触ってしまったことへの謝罪、プレゼントへのお礼などが綴られており、話がしたいので落ち着いたら連絡が欲しい、と締められていた。

 克己はそれを読んだものの、返信することはしなかった。

 謝罪をしなくてはならないのは自分の方だ、とは理解している。だが、どんな言葉が返ってくるか怖かった。どうせもう長くはないのだし、このまま嫌いになってくれればいい、と思ったのだ。
 そうすれば、克己がいなくなっても、コウは傷つかないで済むから。克己はただの客の一人でしかないし、ただの思い上がりかもしれないけれど。
 だが、その後も数日に一回、コウはせっせとメッセージを送ってきた。その度に既読をつけてしまう克已もいけないのだが、いまだに連絡先を削除することはできていなかった。

(……会いたい、な)

 きっと、今ここにコウがいてくれたら、この心細さも不安感もなくなるのに。
 全部、全部、自分が壊してしまった。毒を食らわせておいて、もう一度家に来て欲しいなんて、寂しいからまた一緒にいて欲しいなんて、言えるわけがない。

 ぼろぼろと出てくる涙は涸れることを知らないようだった。ハチワレの白黒猫に顔を押し付けると、その向こうでクロが嫉妬した表情をしている気がした。手を伸ばしてクロも腕の中に抱き、唇を指先で撫でながら目を閉じる。
 眠りたい。だが、重苦しく全身がずきずきとする体ではそれすらもままならなかった。
 どれくらい経っただろうか。克己がただベッドの上で息をしていると、不意にスマホが小さく震えた。普段なら気づかないことすらある微かな振動なのに、今は頭に響いて頭痛を増幅させてくる。
 無視しようかと考えていると、バイブレーションはもう一回響いた。あり得ないとは思うが、仕事の質問か何かだろうか。充電ケーブルに刺さったままのスマホを引っ張る。だるさはあるが、いつの間にか薬が効いて来たようで朝ほどの痛みではなかった。

「あっ」

 通知に表示されていたのは、コウからのメッセージだった。

「店、辞めることにした」

 コウとのトーク画面には、簡潔にそれだけが書かれていた。そして、「メッセージの送信を取り消しました」が一つ。

「そっか……」

 誰にともなく呟く。
 辞める、ではなく、克己を――トキシックを相手にしていたことがバレて辞めさせられたのではないのか、借金はどうなったのか、次の仕事のアテはあるのか。説明のない文章を見ているうちに、克己の中に疑問が次々膨らんできた。
 いや、そんなことは聞いていいことではないかもしれない。だがせめて、これからの活躍をお祈りしますくらい返信してもいいのではないだろうか。今更何だ白々しい、でもこの機会を逃したらもう一生連絡なんてできないに違いない。

 克己が葛藤しているうちに、溶けるようにバックライトが暗くなった。ああ、とため息をつき、そのままぱたりとスマホから手を離す。
寝返りを打つと、机の上に飾った写真が見えた。この前コウに送ってもらったものをプリントしたものだ。顔が大きく映っていたし、珍しく笑顔だったので、父か母が遺影に使ってくれることを期待して目立つ場所に飾ることにしたのだ。

(コウさん、幸せになってね)

 心の中で、ただ祈る。
 克己が一緒にいても、誰かを幸せにすることはできない。それはもう、身に染みてわかっていた。でも、願うのだけは勝手だ。
 あの時計はどうしただろうか、とふと思った。売ったお金で、おいしいものでも食べてくれていたらいいんだけど。

「っ……うぅ……」

 また目の前が滲み、克己はぐすりと鼻をすすった。

「ね、でも、クロと……ルドは、ずっと一緒にいてくれるよね」

 涙が零れないように、抱いたぬいぐるみに鼻先を当てる。慣れ親しんだはずのふわふわとした感触は、けれども今の克己には物足りなかった。

 底の見えない崖に、一人で落ちていく気がした。
 支えていてくれた手は、もうない。
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