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煮干しをあげたら、駄目でした
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歩くこと十五分ほど、着いたショッピングモールの中は熱いほどに空調が効いていた。あつ、と呟いてマフラーを外したコウの襟元からは、白いシャツが覗いている。
さて映画館はどこかな、と見回した克己の目に、入り口横にあるペットショップが目に入った。ガラス張りになったショーケースの中で、毛糸玉のようなシルバータビーの子猫が飛び跳ねている。
(わ、かわいいっ……!)
中に入れられたネズミのおもちゃを齧り、蹴とばし、ごろりと床に転がったかと思うとガラスケースのこちら側を大きな瞳で見つめている。
愛くるしい姿に克己が見惚れていると、同じように感じたのだろう、「かわいい!」と甲高い声を上げた女性が克己の前を横切るようにショーケースに近づいて行った。連れだろう男性がその後に続く。
「見て! アメショの子だって」
ケースの中を覗く二人に、ペットショップの店員が近づいていく。
「可愛いでしょう、すっごく人懐っこい子なんですよ! 抱っこしてみませんか?」
えーっ、いいんですか! とさらに高くなる女性の声とは裏腹に、克己の心がすうっと冷えていく。
「克己さん……克己さん?」
「うわっ!」
視界にコウの顔が大写しで入ってきて、克己は思わず体をのけぞらせた。突然の美形ほど心臓に悪いものはない。
「どしたの、いきなり立ち止まったりして」
そう言ったコウは克己の視線を追うように振り返り、あ、と小さく声を上げた。
「……克己さん、映画館こっちだよ」
「あ、ありがと」
ペットショップに背を向け、コウの指さした方向に歩きはじめる。
「あのさ……産毒症って、直接接触しなきゃいいんだよな? なら、手袋とかさ、ちゃんと着けてれば、動物とか、他の人とか触ってもいいんじゃねえの?」
「それは、そう……なんだけど」
克己は自分の手を見下ろした。白い手袋にはシミ一つないが、だからといってこの手が安全かどうかは分からない。
「絶対じゃないから……怖いんだ」
「駄目なときがあるのか?」
「うーん……」
克己は小さく唸った。
「僕さ、子供の頃さ、どうしても猫が飼いたかったんだよね。ほら、なんか無性にペットが飼いたくなる時期ってあるじゃない? もちろん親には『産毒症だから無理』って言われたんだけど諦められなくて……それで、野良猫に餌付けして、なし崩しに自分の家の子にしちゃおう、って考えんだ」
「行動力すげえな」
頷くコウの顔には、それがどう手袋の話に繋がるのか、という疑問が浮かんでいる。
「子供の浅知恵だよね。で、ちょうど家の近くには人懐こい野良猫がいたから、僕は煮干しを持っていってその子にあげたんだよ。そしたら――」
ぐ、と喉に言葉が詰まるような感覚があった。あー、と克己は意味のない音を発し、一度息を吸った。
「――そしたら、齧った瞬間、白目になって倒れちゃって……」
本当に一瞬のことだった。叫び声を上げる間もなく猫はばたりと倒れ、痙攣しながら血の泡を吐き始めたのだ。
「……手袋は、してたんだ。でも、どこかで毒がついちゃったみたいで……」
子供の頃だから、まだ自分の体質に対する認識も甘かったのだ。無意識のうちに顔でも掻いてしまったか、あるいは克己が素手で触った――当時は暑い、邪魔と言ってはしょっちゅう手袋を脱ぎ散らかしていたのだ——ものに触れてしまったかしたのだろう。
「だから、うん……手袋してても、毒がついちゃってるときはあるから、極力……特に生きているものには触らないようにしてるんだ」
「そっ、か……」
猫がその後どうなったか克己は知らない。
パニックになりながら家に連れ帰った猫は母の手で動物病院に連れて行かれた。その後無事に回復して飼い主が見つかったと言われたが、それが本当のことかどうか、克己は知らないのだ。
「ていうか、コウさんだって僕に触ってもないのにかぶれたりしてただろ」
悲しそうな、どこか痛みを堪えるような顔をしているコウに笑いかける。それはそうなんだけど、といまいち納得していなさそうな顔でコウは首を傾げた。
「ん……ていうか、子供の時、って? そんな昔から病気だったの?」
「あ、言ったことなかったっけ。僕、生まれた時からこうなんだよね」
手袋をはめた両手を示す。
「なんか出産のときのストレス? とかで発症しちゃったらしくて」
克己は難産の末に産まれたらしい。「本当に『奥さんと赤ちゃん、どっちにしますか』って聞かれることあるんだね」とは父の言だ。
父がその問いにどう答えたのか、克己は知らない。だが、願ったことは分かる。そして、その願いが、おそらく彼の予想もしていなかった形で叶ったことも。
「……そう、なんだ」
ぽそりと呟いたコウは、正しい返答を探すように目を泳がせた。
そんな顔をしないでほしい、と思う。
――今日は楽しくなければならない日で、そして、決して克己は「気の毒な人」ではないから。
ワントーン高い声を出す。
「まあ、でも生まれた時からずっとだから、逆に不便さとかは感じないよね。小さいうちに発症したおかげでこれでも毒性は強くない方だし、ここまで生きてこれただけでありがたいしね」
産毒症は、当たり前だが大人になってから発症する人の方が多い。きっと、その方が大変だと克己は思う。「元からない」より「あったものがなくなってしまう」方が辛いだろうから。
そして、そう思うから、克己は大切なものを極力作らないようにしている。自分も、誰かも、悲しませたくない。
「……うん」
どこか引っかかったような顔をするコウに、話さなければよかったかもしれない、と少しだけ後悔する。この前やらかしたばかりなのに、反省が全く活かされていない。
無言のまま歩く。
さて映画館はどこかな、と見回した克己の目に、入り口横にあるペットショップが目に入った。ガラス張りになったショーケースの中で、毛糸玉のようなシルバータビーの子猫が飛び跳ねている。
(わ、かわいいっ……!)
中に入れられたネズミのおもちゃを齧り、蹴とばし、ごろりと床に転がったかと思うとガラスケースのこちら側を大きな瞳で見つめている。
愛くるしい姿に克己が見惚れていると、同じように感じたのだろう、「かわいい!」と甲高い声を上げた女性が克己の前を横切るようにショーケースに近づいて行った。連れだろう男性がその後に続く。
「見て! アメショの子だって」
ケースの中を覗く二人に、ペットショップの店員が近づいていく。
「可愛いでしょう、すっごく人懐っこい子なんですよ! 抱っこしてみませんか?」
えーっ、いいんですか! とさらに高くなる女性の声とは裏腹に、克己の心がすうっと冷えていく。
「克己さん……克己さん?」
「うわっ!」
視界にコウの顔が大写しで入ってきて、克己は思わず体をのけぞらせた。突然の美形ほど心臓に悪いものはない。
「どしたの、いきなり立ち止まったりして」
そう言ったコウは克己の視線を追うように振り返り、あ、と小さく声を上げた。
「……克己さん、映画館こっちだよ」
「あ、ありがと」
ペットショップに背を向け、コウの指さした方向に歩きはじめる。
「あのさ……産毒症って、直接接触しなきゃいいんだよな? なら、手袋とかさ、ちゃんと着けてれば、動物とか、他の人とか触ってもいいんじゃねえの?」
「それは、そう……なんだけど」
克己は自分の手を見下ろした。白い手袋にはシミ一つないが、だからといってこの手が安全かどうかは分からない。
「絶対じゃないから……怖いんだ」
「駄目なときがあるのか?」
「うーん……」
克己は小さく唸った。
「僕さ、子供の頃さ、どうしても猫が飼いたかったんだよね。ほら、なんか無性にペットが飼いたくなる時期ってあるじゃない? もちろん親には『産毒症だから無理』って言われたんだけど諦められなくて……それで、野良猫に餌付けして、なし崩しに自分の家の子にしちゃおう、って考えんだ」
「行動力すげえな」
頷くコウの顔には、それがどう手袋の話に繋がるのか、という疑問が浮かんでいる。
「子供の浅知恵だよね。で、ちょうど家の近くには人懐こい野良猫がいたから、僕は煮干しを持っていってその子にあげたんだよ。そしたら――」
ぐ、と喉に言葉が詰まるような感覚があった。あー、と克己は意味のない音を発し、一度息を吸った。
「――そしたら、齧った瞬間、白目になって倒れちゃって……」
本当に一瞬のことだった。叫び声を上げる間もなく猫はばたりと倒れ、痙攣しながら血の泡を吐き始めたのだ。
「……手袋は、してたんだ。でも、どこかで毒がついちゃったみたいで……」
子供の頃だから、まだ自分の体質に対する認識も甘かったのだ。無意識のうちに顔でも掻いてしまったか、あるいは克己が素手で触った――当時は暑い、邪魔と言ってはしょっちゅう手袋を脱ぎ散らかしていたのだ——ものに触れてしまったかしたのだろう。
「だから、うん……手袋してても、毒がついちゃってるときはあるから、極力……特に生きているものには触らないようにしてるんだ」
「そっ、か……」
猫がその後どうなったか克己は知らない。
パニックになりながら家に連れ帰った猫は母の手で動物病院に連れて行かれた。その後無事に回復して飼い主が見つかったと言われたが、それが本当のことかどうか、克己は知らないのだ。
「ていうか、コウさんだって僕に触ってもないのにかぶれたりしてただろ」
悲しそうな、どこか痛みを堪えるような顔をしているコウに笑いかける。それはそうなんだけど、といまいち納得していなさそうな顔でコウは首を傾げた。
「ん……ていうか、子供の時、って? そんな昔から病気だったの?」
「あ、言ったことなかったっけ。僕、生まれた時からこうなんだよね」
手袋をはめた両手を示す。
「なんか出産のときのストレス? とかで発症しちゃったらしくて」
克己は難産の末に産まれたらしい。「本当に『奥さんと赤ちゃん、どっちにしますか』って聞かれることあるんだね」とは父の言だ。
父がその問いにどう答えたのか、克己は知らない。だが、願ったことは分かる。そして、その願いが、おそらく彼の予想もしていなかった形で叶ったことも。
「……そう、なんだ」
ぽそりと呟いたコウは、正しい返答を探すように目を泳がせた。
そんな顔をしないでほしい、と思う。
――今日は楽しくなければならない日で、そして、決して克己は「気の毒な人」ではないから。
ワントーン高い声を出す。
「まあ、でも生まれた時からずっとだから、逆に不便さとかは感じないよね。小さいうちに発症したおかげでこれでも毒性は強くない方だし、ここまで生きてこれただけでありがたいしね」
産毒症は、当たり前だが大人になってから発症する人の方が多い。きっと、その方が大変だと克己は思う。「元からない」より「あったものがなくなってしまう」方が辛いだろうから。
そして、そう思うから、克己は大切なものを極力作らないようにしている。自分も、誰かも、悲しませたくない。
「……うん」
どこか引っかかったような顔をするコウに、話さなければよかったかもしれない、と少しだけ後悔する。この前やらかしたばかりなのに、反省が全く活かされていない。
無言のまま歩く。
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