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3 山の中へ
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狐に手を引かれ、玄関に回り込む。家の前の道に、土埃舞う村には不釣り合いな人力車が一台だけとまっていた。提灯持ちどころか車夫すらいない。修造が呆気に取られていると、ぼっぼっと火の玉がいくつも浮かび、辺りが明るくなった。浮かんできた踏み台が、ひとりでに車の前に置かれる。
「修造、荷物は?」
後ろから所在なげにそろそろとついてくる親戚たちを見た狐が、不思議そうに口を開いた。草履の高さもあり、若干修造より目線が下にあるようだ。
「そんなものはない」
冷たく言い返す。本来はこの人力車の後に親類が続き、最後尾に長持や箪笥を一緒に嫁ぎ先に運んでいくのが嫁入り行列だ。だが修造は嫁入り道具を準備しよう、というトヨの申し出を断っていた。どうせいらないからである。狐に食われに行くのに、服や家具までくれてやる必要はない。
「そう……」
狐の声が少し沈んだように聞こえた。利得が減ったのが残念なのか、それとも行李一つ準備してもらえない男だと哀れんでいるのだろうか。なんとでも好きに思えばいい、と白無垢の裾をたくし上げて車に乗り込もうとすると、「あ」と狐が声を上げた。
「待って、着崩れちゃうよ」
ぬるりとした身のこなしで修造の横を通り抜けると、狐はととっ、と軽い足音を立てて人力車に乗り込んだ。それから修造を抱き上げるようにして自分の隣に座らせる。
「どうも」
予想外の力の強さに驚きながら座席に腰を落ち着けると、ふへっ、と笑うような鳴き声が聞こえた。視界の端で、ぱたりぱたりと尻尾が動いている。
無人のまま、車の支木が持ち上がる。ふわりふわりと飛んだ狐火が先導するようにその前に浮き、数を増して左右二列に並ぶ。叔父叔母夫婦、貞宗たちの刺さるような視線を修造は感じていたが、頑なにそちらは見ない。未練があるなどと思われたくなかった。
誰も、一言も喋らなかった。虫の声だけが響く中、ゆっくりと車が動きはじめる。見慣れた家の塀が後ろへ流れ、そして消えていく。連なる狐火と、車一台だけの嫁入り行列。確認してはいないが、その後に親類たちはついてきていないはずだ。
あたりの家から見物に出てきた人達すらもしんとしたまま修造と狐を見送った。長持唄も、列を囃して停めようとする子供や若者もいない。
葬列のようだ、と修造は思った。
いつか、嫁をもらうこともあるかもしれない、とは思っていた。だが、こんな形になるとは考えたこともなかった。誰に祝福されることもなく、見世物のように連れ去られる日が来るとは。
(全部、狐のせいだ)
燻ぶるような苛立ちが、胸の奥にたまっていく。
目を落とすと、炎の明かりに照らされ、真っ白な袖から手首の上まで不格好に飛び出ている太い腕が見える。新しく仕立てる時間もなかったし、必要性も感じなかったのでトヨに譲ってもらったものをそのまま着ているのである、裄など合うはずもない。繊細で柔らかな生地から伸びる黒く無骨な手は、不釣り合いにもほどがあった。そっと腕を引っ込め、袖を引っ張って指先まで隠す。
その修造の手の上に、狐が前脚を置いた。黒い羽織の袖には炎を象った紋が入っている。
「綺麗だよ、修造」
小さく不思議な声が聞こえた。全身の毛を剃られた上に顔を白く塗られ、挙句大きさの合っていない女物の服など来ているこの状態の何が綺麗なものか。女形でもあるまいに、ただただ滑稽なだけだ。鬱陶しい綿帽子の下から覗くと、紅色の目が修造を見ていた。縦長の瞳孔が円く開いている。
「そうかい」
何かを期待するような眼差しに耐えきれなくなり、修造はそれだけ返してまた前を見た。
しばらく村の中を走った車は、やがて道を曲がり、山に入った。石ころだらけの山道ですらすいすいと進む無人の車に、さすが妖術だなと修造は妙なところで少し感心した。慣れているとはいえ、白無垢姿で山道を歩けと言われたらたまったものではない。
道はいつしか見慣れないものになっていた。木々の間から時折見える満月と村の家。何気ない景色のはずなのに、今日はとても輝いて見えるそれを眺めていると、「修造」と狐が腿の上に手をずらしてきた。思わずぎょっとして振り向くと、狐が潤んだ目で修造のことを見つめていた。
「ああ……修造、凄く嬉しいよ。ずっと石の中から見てたんだ。修造は優しいから、きっと来てくれると思ってた」
「オレが優しいだって?」
うん、と軽く耳を伏せた狐が修造の肩に鼻先を寄せた。ヒゲの先が顔にあたってこそばゆい。
「だって、修造は煙草も呑まないし、鉄砲だって撃たないだろ?」
「別に、それは……」
狐に優しくしようと思ってそうしているわけではない。ただ修造の個人的な問題の結果そうなってしまっただけである。
「ありがとうね、修造」
「修造、荷物は?」
後ろから所在なげにそろそろとついてくる親戚たちを見た狐が、不思議そうに口を開いた。草履の高さもあり、若干修造より目線が下にあるようだ。
「そんなものはない」
冷たく言い返す。本来はこの人力車の後に親類が続き、最後尾に長持や箪笥を一緒に嫁ぎ先に運んでいくのが嫁入り行列だ。だが修造は嫁入り道具を準備しよう、というトヨの申し出を断っていた。どうせいらないからである。狐に食われに行くのに、服や家具までくれてやる必要はない。
「そう……」
狐の声が少し沈んだように聞こえた。利得が減ったのが残念なのか、それとも行李一つ準備してもらえない男だと哀れんでいるのだろうか。なんとでも好きに思えばいい、と白無垢の裾をたくし上げて車に乗り込もうとすると、「あ」と狐が声を上げた。
「待って、着崩れちゃうよ」
ぬるりとした身のこなしで修造の横を通り抜けると、狐はととっ、と軽い足音を立てて人力車に乗り込んだ。それから修造を抱き上げるようにして自分の隣に座らせる。
「どうも」
予想外の力の強さに驚きながら座席に腰を落ち着けると、ふへっ、と笑うような鳴き声が聞こえた。視界の端で、ぱたりぱたりと尻尾が動いている。
無人のまま、車の支木が持ち上がる。ふわりふわりと飛んだ狐火が先導するようにその前に浮き、数を増して左右二列に並ぶ。叔父叔母夫婦、貞宗たちの刺さるような視線を修造は感じていたが、頑なにそちらは見ない。未練があるなどと思われたくなかった。
誰も、一言も喋らなかった。虫の声だけが響く中、ゆっくりと車が動きはじめる。見慣れた家の塀が後ろへ流れ、そして消えていく。連なる狐火と、車一台だけの嫁入り行列。確認してはいないが、その後に親類たちはついてきていないはずだ。
あたりの家から見物に出てきた人達すらもしんとしたまま修造と狐を見送った。長持唄も、列を囃して停めようとする子供や若者もいない。
葬列のようだ、と修造は思った。
いつか、嫁をもらうこともあるかもしれない、とは思っていた。だが、こんな形になるとは考えたこともなかった。誰に祝福されることもなく、見世物のように連れ去られる日が来るとは。
(全部、狐のせいだ)
燻ぶるような苛立ちが、胸の奥にたまっていく。
目を落とすと、炎の明かりに照らされ、真っ白な袖から手首の上まで不格好に飛び出ている太い腕が見える。新しく仕立てる時間もなかったし、必要性も感じなかったのでトヨに譲ってもらったものをそのまま着ているのである、裄など合うはずもない。繊細で柔らかな生地から伸びる黒く無骨な手は、不釣り合いにもほどがあった。そっと腕を引っ込め、袖を引っ張って指先まで隠す。
その修造の手の上に、狐が前脚を置いた。黒い羽織の袖には炎を象った紋が入っている。
「綺麗だよ、修造」
小さく不思議な声が聞こえた。全身の毛を剃られた上に顔を白く塗られ、挙句大きさの合っていない女物の服など来ているこの状態の何が綺麗なものか。女形でもあるまいに、ただただ滑稽なだけだ。鬱陶しい綿帽子の下から覗くと、紅色の目が修造を見ていた。縦長の瞳孔が円く開いている。
「そうかい」
何かを期待するような眼差しに耐えきれなくなり、修造はそれだけ返してまた前を見た。
しばらく村の中を走った車は、やがて道を曲がり、山に入った。石ころだらけの山道ですらすいすいと進む無人の車に、さすが妖術だなと修造は妙なところで少し感心した。慣れているとはいえ、白無垢姿で山道を歩けと言われたらたまったものではない。
道はいつしか見慣れないものになっていた。木々の間から時折見える満月と村の家。何気ない景色のはずなのに、今日はとても輝いて見えるそれを眺めていると、「修造」と狐が腿の上に手をずらしてきた。思わずぎょっとして振り向くと、狐が潤んだ目で修造のことを見つめていた。
「ああ……修造、凄く嬉しいよ。ずっと石の中から見てたんだ。修造は優しいから、きっと来てくれると思ってた」
「オレが優しいだって?」
うん、と軽く耳を伏せた狐が修造の肩に鼻先を寄せた。ヒゲの先が顔にあたってこそばゆい。
「だって、修造は煙草も呑まないし、鉄砲だって撃たないだろ?」
「別に、それは……」
狐に優しくしようと思ってそうしているわけではない。ただ修造の個人的な問題の結果そうなってしまっただけである。
「ありがとうね、修造」
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