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幕間 騎士の誓い~過激な香辛料は照れ隠し~
エピローグ~二人の剣士と願いを叶える月~
しおりを挟む昨夜の晩と同じく初夏の夜風は少し冷たく、シャワーを浴びたばかりの火照った肌を心地よく冷やしてくれていた。
見上げれば満天の星は高く、さらには僅かに欠け始めた一七夜月が東の空に明るく見える。
「また天窓を破って突入する気?」
背後から凜とした声。
「その必要はないだろ……」
ゆるめの傾斜がある屋根の上、そこにあぐらをかいて座したまま、ダーンは後ろを振り返ることなく応じた。
背後で少し笑ったような息遣いがし、その後、ダーンの右隣に歩いてきた少女が自然の動きで座り、両手で膝を抱える。
赤みのかかった銀髪から、宿の備え付けてあった洗髪料と同じ、優しい薔薇の香りがふわりと流れて、ダーンの鼻腔を擽った。
「となり、座っていいでしょ?」
「もう座ってるじゃないか……」
「あっ……あまりに隙だらけだから、つい聞く前に座っちゃったのよッ」
ダーンの突っ込みに、若干照れ隠しに語気を強めるルナフィス。
その彼女は、既にレイピアを腰に帯びていたが、座るときに腰から外してダーンとの間に無造作に置いていた。
二人が今いるのは、ガーランド親子が経営する宿の屋根の上だ。
二階建ての木造建築で、その屋根は合掌型で彼らが座っているところは、南側の僅かに傾斜し、不燃素材を圧縮して作られた平らで薄い瓦の上だ。
「隙だらけか……確かにそうかもな。それより、やっぱり宙に浮けるんだな」
ダーンの質問に、ルナフィスは一度きょとんとするが、彼の言っている意味が読めて口元を僅かに緩めた。
この場にダーンが自分の部屋の天窓からよじ登ってきたのに対し、ルナフィスはその反対側、北側の屋根の方に、建物の外の地面から直接浮き上がって登ってきた。
ルナフィスは、重力を操るサイキックを得意としているようだ。
その力で、今この場に難なくやってきたし、昨夜にこの宿の少年ノムが崖から落下した際に救助したのも、この力を使って出来たことなのだろう。
それをダーンは確認したのだった。
そして、ダーンはあえて口にしなかったが――――
ルナフィスの重力制御が魔法の発動によるものではなく、サイキックだと気がつき、それによりほぼ確信したことがある。
「ま、重力制御はお手の物よ……。あの坊やを救助したのも私が空を飛べるからだけど、今考えると、そもそもそれが発端だったかな……こんな変な戯れ合いのね」
自嘲気味に、それでいて特に後悔はしていないような感じのルナフィス、確かに彼女の言うとおり、これは変な戯れ合いだ。
「心配しなくても、ちゃんと決着は付けさせてもらうよ」
「当たり前でしょうが……もちろん、勝つのは私だけど」
お互い言葉を交わすついでに、視線と瞬間的な闘気を交わし、周囲の空気を本当に刹那の一瞬だけ硬化させたが――――
その後は再び纏う気を穏やかにさせて肩を竦める。
「やっぱ、強いな……ルナフィス」
「アンタもよ、ダーン。正直言って依頼のこととは関係なく、アンタだけはどうしても私の剣でねじ伏せたいって思っているわ」
と応じて、ルナフィスは奇妙な感覚になっていた。
今回の依頼について、あの悪魔から得られる報酬は自分自身の記憶だったが、それを強く欲するが為に、昨夜、自分らしくない方法でステフを襲撃したのではなかったか。
それが、改めて冷静になって自分らしくないと気づき、実際には襲撃した相手方であるステフに対し、負い目すら感じているという自分自身。
そして、今になっては、依頼のことなどどうでもよくなりつつある。
この自分の心情変化は一体なんなのか?
「依頼か……あの、異界の神か」
「へ? あ……ええ、そうよ。って、アンタもあの娘に雇われているのよね……。というかアンタ、さっきのアレ……傭兵だって話だったけど、もしかして騎士にでもなるつもりだったの?」
自問自答に陥っていたため、一呼吸呆けた反応を返してしまったが、何とか取り繕い、逆に先程の食堂の一件を持ち出してみた。
月明かりの中、蒼髪剣士の頬に朱が差し込むのを、ルナフィスは意地悪な気分で視界に捉える。
「う……ああ……そうだな……。何というか、べつにそういうつもりじゃなかったんだが」
「アンタたちが変な賭けをしていたのは、厨房であの娘から聞いているけどさ……。それにしたって、あそこまで……騎士の儀礼をやるって賭けだったわけじゃないでしょ?」
「やれやれ……ステフはそんなことも話したのか。まあ、そうだな……《約束》はいろいろあるんだ」
そっぽを向いてはぐらかし始めるダーン。
その姿を見て、さらに追い打ちとばかりにルナフィスは質問の方向を変えようと考えた。
「ふーん。……ところで、アレってアテネの騎士の儀礼なの?」
「いや………………アークのやつだ。子供の頃、その……少し興味があって調べた」
鼻先を指先で掻きながら、いまいち歯切れの悪いダーン。
「あっそう……まあ、そんなことはどうでもいいけど、私の前で見せつけてくれたんだから、その覚悟、しっかりと剣で見せてもらおうじゃないの」
白い指先をダーンの鼻先に向けて睨め上げるルナフィス、その緋色の瞳に映り込むダーンの表情がニヤリと笑む。
「……結局そこに結ぶのか。いいぜ、俺の《闘神剣》で完膚なきまでにたたきのめしてやるさ」
「……《闘神剣》ね」
その言葉を聞き、ルナフィスは昨夜のダーンからの話を思い出す。
人狼の戦士ディンが遺した言葉……ダーンの剣と自分の剣が似ているという。
今日一日、この宿の仕事をしつつ考えたが、その理由は全くわからない。
もしかしたら、自分の記憶に関わるものかも知れないが――――もしくは、それが依頼よりも彼との剣の勝負に興味をそそられる要因なのか?
ならばと思い、ルナフィスは口を開く。
「勝負の賭け、もう一つ追加よ。……私が勝ってさらにアンタが口のきける状態だったら、その《闘神剣》とかいう剣術の秘密を私に教えなさい。私の剣とやたら似てるみたいだけど、正直興味があるわ」
ルナフィスの申し出に、少し怪訝な顔をしたダーンだったが、すぐに表情を引き締めた。
「そうか……了承した。それで、何時どこで決着を付けるんだ?」
「そうね……場所はアークでいいわ。貴方達が向かう次の目的地で待つことにするから、必ず来なさい」
てっきり、明日の朝に街を出た森の中でとでも言うと思っていたダーンは、ルナフィスの言葉に二重の驚きを覚える。
「次の目的地? アークの首都で待ち構えているのか?」
「違うわよッ。アンタ達がこの世界の精霊王と契約しようとしているのは、私もステフを追って情報収集していたし、私達魔竜の仲間達も、この世界の活力の仕組みを研究してきたから、貴方達が向かった遺跡のことも含めて大体知っているの」
ルナフィスは一度言葉を切り、天空の星々を見上げる。
彼女は天頂を見つめたまま、言葉を続ける。
「さっきノムをとっちめて、ここの二人が精霊の化身だってことも聞いているしね。それで、次の精霊王で私が知っている情報は、アークにある《水霊の神殿》ってわけよ。ステフなら知っているんじゃない?」
「なるほどな……その情報をくれるかわりに、そちらの待ち伏せになるのか」
ニヤリと笑いながら視線を向けて言ってやるが、それを受けてのルナフィスは、特に動じる事もなく、涼しい顔で――――
「ご心配なく……罠なんか用意しないし、実力で吠え面かかせてあげるわ」
「なんだか釈然としないな……どうして、明日このあたりでやると言わない?」
ダーンのその申し向けに対しては、ルナフィスは眉根を上げて、さらに若干顔を紅潮させた。
「う……うるさいわねッ。アテネでは……この地ではやり合わないって約束したのよ……。だから、子供は正直苦手だし、なんであんなの助けちゃったかなッ」
この瞬間、ダーンは目の前の少女がやはり見た目通りの『少女』であると確信した。
やはり、彼女はどこまでもまっすぐで、正直な性格なのだろう……。
「そうか……了解したぞ。日取りは……」
心の片隅で、隣に座る少女に、琥珀の瞳を持つ少女に対するものと同じような感情を芽生えさせそうになりつつある自分を否定し、ダーンは改めて相手を『剣士』として捉えなおすつもりで決闘の約束をしっかりと決めてしまおうと考えた。
「一週間以内。というか、おそらく六日後よ。《水霊の神殿》で勝負というなら、そうなるわ……理由は、行けばわかるから、あえて教えないわ」
ダーンの思惑など知るよしもないルナフィスは、意地の悪い視線をダーンに向けて言う。
「……そこまで話しておいてか? サービスが中途半端だな」
芝居かかった風に大げさに肩を竦めるダーン。
「やかましいわねッ……敵にここまで情報提供しているのよ。少しは嫌がらせしてやらなきゃ大損なのよ」
「そんなもんなのか?」
からかうような声のダーンに、ルナフィスは緋色の瞳をまっすぐに向け、彼に鼻先がもう少しで触れそうな程に顔を寄せて
「そういうものよ。とにかく、必ず勝負に来なさい」
「わかった。俺との勝負がつくまでステフに手を出さないって約束、しっかり守ってくれているからな。必ず君との約束も果たそう……そうだな、丁度あの月にでも誓うか」
ルナフィスの思いがけない接近に、少し動揺しかけたのを隠し通しように、ダーンは微かに笑って、僅かにかけ始めた月を見上げる。
視界に映る月は、昨日や一昨日と同じく清廉な輝きを放っていた。
そのダーンにつられて、ルナフィスも月を見上げつつも尋ねる。
「は? なんなのよ一体……」
「いや、東洋の伝承でさ……十七日目の月には想いを叶えるっていうやつがあったのを思い出したんだ…………何故笑う?」
ダーンが半目で横を睨むと、ルナフィスが腹を抱えて肩を揺らしていた。
「随分と……ロマンチストね……っ……あー、ダメ……もう無理っ……あはははッ」
ダーンが顔を真っ赤にしてむすっとしながら俯く隣で、銀髪の少女が無邪気に笑い続けるのだった。
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