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第四章 ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~
第三十六話 彼女の真実
しおりを挟む左胸から左脇にかけて、ざっくりと自分の肉体が刻まれている。
ダーンは、自分の肉体が急速に熱を失っていくのを感じていた。
出血の量が多く、一気に体温が低下しているのだろう。
いや、むしろ――――
――傷口が凍てついている?
気付けば先程まで吹き出していた鮮血は不自然に止血していて、熱く焼けるような痛みが麻痺し、身体の中に氷を突っ込まれたような感覚になった。
消えそうになる意識をなんとかつなぎ、ダーンは自分の身体を抱きかかえるルナフィスを見上げる。
その頬に彼女の熱をもった滴が落ちた。
「おい……おい……なに……泣いているんだ? 君が勝ったんだぜ」
ダーンの弱々しい軽口に、ルナフィスは首を横に振った。
「違う……こんなの認めない。絶対に認めないんだからぁッ」
ルナフィスは泣きながらダーンの言う彼女の勝利を否定した。
あの瞬間――――
ダーンが秘剣を放つ標的を変えた瞬間に、彼女も、自分の背後にリンザーが放った魔法の矢の存在に気がついた。
彼が必殺の一撃を、彼女からその矢に標的を変えたのは、彼女が魔物化した場合に厄介なことになると咄嗟に判断したからだろう。
でも、彼女は納得できない。
「なんでよ? あのまま私ごと撃ち抜けば全て解決だったじゃない。アンタの一撃なら、それができたでしょ? なのに……」
ルナフィスの言うとおりだった。
確かにあのタイミングで、ルナフィスが魔物化すれば、恐ろしい事態になっていたことだろう。
だが、ダーンはあの時既に凄まじい威力を誇る秘剣を放とうとしていた。
その威力は、ルナフィスの身体など紙を穿つかのように容易く貫き、その背後に迫る魔法の矢も、完全に破壊することができた。
しかし、彼はわざわざ空間を蹴って跳ねた技を応用して、左腕を大きく振り、その反動で自身の身体を僅かに右へずらし、秘剣の威力がルナフィスを避けて魔法の矢だけに技が炸裂するようにしたのだ。
結果、秘剣の発動は僅かに遅れ、その直前に放っていたルナフィスの必殺の突きが彼の無防備な胸を貫いた。
さらに彼の身体が右にずれる動きと突きを放つための身体をねじる動きのせいで、貫いた剣がそのまま彼の肉体を横薙ぎにしたのだ。
レイピアはギリギリ心臓を避けていたが、左の肺を貫き、横薙ぎにされたため、左の肺を横に引き裂いた上、重要な血管を分断し刃は脇から体外へ飛び出している。
本来ならば完全な致命傷で、今意識がある事が不思議でならない。
彼の持つ圧倒的な闘気が功を奏し、その生命に驚異的な耐久性を持たせているかもしれないが……どちらにしても、このままではいずれ……。
そんな結論に至って、身震いするしか無いルナフィスは、ふと自問する。
――どうして、私は泣いているの?
ダーンは敵だ。
先ほどまで自分は本気で殺意を持って剣を交えていたはずなんだ。
――本当に?
さらに追求するかのように自問する。
果たして、その剣に殺意を込めていたのかと問われれば、ルナフィスに自信がなかった。
もちろん、本気で剣を交えていた。
だが、心のどこかで安心していたのかもしれない。
この決闘で自分がダーンの命を奪うような結果にはならないと。
そうだ。
対峙した瞬間からわかっていた。
私では彼には勝てないと。
そして、本気の剣をぶつけても勝てなかった、という納得する『負け』を望んでいたのではないか?
そもそも、この勝負に勝つことができれば、嫌悪しているあの赤い髪の女がステフを手に入れることとなる。
リンザーが何故彼女を欲しているのかは知らないが、あの眩しいほどの笑顔が奪われることに心の奥でいやな痛みを感じていた。
ルナフィスにとって、アテネ王国アリオスの町でステフに夜襲をかけた時から、この決闘に至るまで、ずっと心に引っかかっていた違和感。
兄のサジヴァルドが受けてその後自分が引き継いだ、リンザーからの依頼内容は、ルナフィスにとって嫌悪感を抱くものでしかなかったのだ。
その上、成り行きで彼女たちに随分ふれあうことがあり、すっかり毒気を抜かれてしまった。
もはや成功報酬である自身の記憶も、不思議と今となってはそれほどこだわりを感じなくなっている。
ましてやリンザーが本当に自分の記憶をよみがえらせることが出来るか怪しいところだ。
しかし、それにしてもこんなにも取り乱してしまったのは何故なのか?
兄を失ったことにすら涙しなかったのに。
そんな風に自問自答するルナフィスの視界に、銀をまぶした蒼い髪が映り込んだ。
鼻腔を微かに甘酸っぱい香りが擽り、視線を上げる形でその主の方を覗う。
自分が抱きかかえているダーンの方を凝視しているステフの琥珀の瞳が涙を微かに滲ませていた。
「大丈夫よ……そのまま支えていて」
ルナフィスにそう告げて、ステフは右手をダーンの胸元にかざすと、その手の中に白銀の光が灯った。
「治癒……でも、それじゃあ……」
治癒のサイキックが放つ癒やしは、他者の傷を癒やすことはできない。
そんなルナフィスの常識を覆すかのように、ステフの《治癒》がダーンの傷を急速に癒やし始める。
驚きと安堵を混ぜ合わせたような表情をするルナフィスに、ステフは一度だけ意地悪な視線を向けて、彼女に話し始める。
「こんなになるまでして敵である貴女をかばったコイツも大概だけど、ルナフィス……貴女も同じね。傷口の凍結処理……おかげで手遅れにならずに済んだわ」
ダーンの傷口が止血したのは、ルナフィスが咄嗟に氷結のサイキックで彼の傷口を凍結させたからだ。
彼の傷口は、左胸の肺を貫かれて、左脇まで重要な動脈などを切り裂かれた状態だ。
いくら膨大な闘気による治癒力や生命力があったとしても、すぐに出血多量による死が訪れていたことだろう。
それをここまでくい止められたのは、ルナフィスの応急処置のおかげである。
「そ、それは私はただ必死で……って、違う! そうじゃないわ! こんな決着じゃ夢見が悪いのよ」
一瞬素直な言葉が出てしまったルナフィスだが、思い直したように悪態を吐く。
そんなルナフィスに、ステフはちょっと意地悪に微笑んで、
「……まさか、こんなに泣くとは」
とポロリと呟く。
「な……違ッ……それは……」
ステフの意地悪な呟きに、先ほどとは違った狼狽を見せ、ルナフィスの顔が真っ赤になって耳までも赤くなっていた。
慌てて袖で涙を拭うが、もはや手遅れだ。
ただし、ステフはそれ以上ルナフィスをからかうことはなく、そのまま無言でダーンの治療に専念する。
しばらくして、ダーンの傷口が完全に塞がり、見た目でも彼の顔色がよくなってきた。
「さてと……そろそろいいかな。ダーン、調子はどう?」
治癒のサイキックの光が消えたと同時にステフはダーンの顔を覗き込んだ。
「ああ。大丈夫だ」
ダーンが答えて、ステフに笑い返すが……彼はステフの目を見るなり心臓が凍り付く気分に陥った。
「こんの嘘つき男、何が大丈夫だ……よ。明らかに致命傷でしょうが」
「す……すまない。実はルナフィスの一撃もなんとかして躱そう思ってたんだけど、思いの外レイピアが早くて……グッ」
言葉の途中でダーンがくぐもった声を上げる。
彼の鳩尾にステフの右肘がめり込んでいた。
完治したはずの胸元を押さえて、先程以上に悶絶するダーンは、あっけにとられるルナフィスの腕の中から岩床へと転がっていく。
そんな蒼髪の剣士をほっとき、ステフはルナフィスに向き直る。
「ところで、ルナフィスは体調とかどうなのよ?」
ステフの問いに、ルナフィスはしばし瞳をしばたたかせて――――
「へ? 私? なんでそんなこと……そりゃあ、戦っているときから剣を握っている右手の方がだいぶ消耗しているけど、自然治癒するレベルよ」
「そういうことじゃないわ。ねえ、ルナフィス……貴女さ、さっきの戦闘中一切魔法を使わなかったよね。どうしてなの」
「そ、それは……」
「貴女、今魔力残ってないでしょ? 多分、エナジードレインもできないんじゃなくて?」
ステフの追及にルナフィスは息を呑む。
確かに、ここ数日魔力がどんどん減少し、エナジードレインなどもできなくなっている。
現に、今さっきステフがルナフィスの抱きかかえたダーンをサイキックで治療したが、本来ならその活力はエナジードレイン体質であるルナフィスに吸収されて、効果が無いはずなのだ。
しかし、今回エナジードレインは発動しなかった。
その辺をステフに看破されたのだろう。
ならば、もう誤魔化す必要もない。
「ええその通りよ。それがどうかしたの」
ルナフィスは少しぶっきらぼうに答え、逆に疑問で返した。
だが、次にステフから返ってきた言葉に、彼女は愕然とすることとなる。
「じゃあ、なんで貴女は消滅しないの?」
「え?」
気の抜けた疑問調の声を漏らしながら、ルナフィスは自分の中にその質問の答えを見いだせなかった。
ステフの言うとおりなのだ。
本来竜の巨体を持つ魔竜達が、異界の神々と契約し、巨体を捨てて魔力による人間のような肉体を得たのが魔竜人だ。
その魔竜人の弱点として、保有する魔力を完全に失うと、その肉体を維持することができずに消滅するのだ。
以前、ルナフィスの兄、サジヴァルド・デルマイーユがステフを襲撃した際も、ステフは魔竜人のこの弱点を突く形で、サジヴァルドの魔力を根こそぎ消失させて、彼を打ち破っている。
それなのに、今や完全に魔力を失っているルナフィスがその肉体を維持していることがおかしい。
思い悩むルナフィスにまるで助け船を出すかのように、負傷から立ち直ったダーンが言葉を差し込む。
「ネタばらしするとな……神殿の中で妙な運動会やったろ? あれさ、単なる娯楽じゃないぜ。あの場には《魔》を浄化する霧が微かに発生していたんだ」
さらに、いつの間にかルナフィスのそばまでやってきていた金髪の優男までもが、まるで何かを講義するかのように、ルナフィスに向けて話し始める。
「その後の温泉も同様、君の身体に残った僅かな魔力を洗い流す効果があったのさ、ルナフィス君。それなのに君、随分気持ちよさそうに入浴していたね。本来なら魔竜人にとってはあの温泉は猛毒なのに」
ケーニッヒの言うとおり、確かにルナフィスはその温泉で気分よく湯に浸かっていた。
しかし、ルナフィスには未だよく判らない。
彼らは結局何が言いたいのかを。
じれてきて、ルナフィスは少々苛立ちを覚えて、彼らに問いただす。
「だから、それが一体どういうことなのよ?」
その問いかけに、岩床の上であぐらをかいていたダーンが答える。
「最初に剣を交えた時、君がサイキックを使っていた時点で気がついたんだ。
本来この世界に縁のない魔竜人がサイキックを使えるはずがないんだよ。そして、魔力を失っても君は消滅しない。
……考えてみれば簡単なことさ、ルナフィス。サイキックが使えて魔力を失ってもその身体は消失しない。それは君が魔竜人ではなくこの世界で生を受けた正真正銘の人間だからだよ」
ダーンの言葉に、ルナフィスはしばらく思考が停止したように固まってしまうのだった。
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