Blackheart

高塚イツキ

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偽りの絆

第8話

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 応接室に落ち着いた。モディウスは厨房で食事の用意をしている。鎧姿のまま薄い酒を飲む。体が火照っているが城の外では脱ぐ気になれない。どこでだれといようと。
 卓に薄い本が乗っている。表紙は磨いた木の板。表題も作者名もない。
 表紙をひらいた。色鮮やかな絵があらわれた。ひざまずいた騎士が純白を纏った乙女に手を差し伸べている。乙女はたおやかにしなをつくって頬を赤く染めている。
 似ていないのだが。まったくひとつも。
 モディウスが皿を持って戻ってきた。小魚が乗っている。塩けと脂の混じった湯気を立てている。
「鰯が戻ってきたよ。これも奇跡かな。お裾分けをもらったので煮てみた。食べてくれ」
 濡れた人差し指を立てながら皿を受け取った。モディウスは正面に腰を下ろした。
 ベアは小刀で魚を切った。
「カイの教育係を用意していただけますか。貴人の心は眠っているだけです。心あるならば必ず教養を身につけるでしょう」
「おおかた先祖が財を失い、農奴に成り果てたのだろう。あの顔ならでっち上げの系図でもみな納得する。まさか本気で惚れたわけではないだろうね。子が欲しいのであれば、求婚に応じる男はいくらでもいると思うが」
「親の処分もお願いいたします。真の母は王代官ミュレーの妹です」
「もったいないが、まあ、だいぶくたびれているようだから」
 モディウスは魚をつまんでかじった。まずそうに顔をしかめた。ベアもひとついただいた。思わず皿に吐き出した。塩辛くて食えたものではない。なぜ料理人をつけないのか。
「悪い話が三つある。聖女の噂は確実に広まっている。王は陸路で来いと言われた」
「そして魔物が増えつづけている」
「いや、三つ目は演劇だ。向こうの修道士が台本を持ってきた。旅すがら練習してくれ」
 ため息が出る。頁をめくった。相手役の騎士が言う。わたしは狂人です。あなた様のせいで狂ってしまった。どうかその手で癒やしてください。ベアが言う。わたしの心は神とともにあります。この古着をお持ちになって。わたしだと思って肌身離さず。騎士が言う。ああ、わたし自身があなた様の下着であったなら。夜ごとあなた様に寄り添えるのに。
 聖女は民を癒やす。だが騎士の心だけは癒やせなかった。騎士は誓う。ならばあなた様のために死にましょう。どうかわたしを癒やさないでください。いざ聖都へ。おしまい。
 本を閉じて考えた。陸路で来い。聖女は奇跡を起こす。よだれで。
 そういうことか。
 モディウスの顔をうかがう。司教は驚いたように目を見開いた。
「どうかしたか。魚の件は謝るよ」
「ご承知でしょうが、わたしは怪我や病を癒やせません」
「なんの話だ。奇跡を起こすのは劇の中でだ。魚をよこしてくれ。塩を抜いてこよう」
 窓からケッサの顔がのぞいた。
「連れてきたよう」
 顔が消えた。玄関から入ってくる。数人いる。
 開いた戸口に修道服があらわれた。先ほど遠巻きにしていた二人組だ。一人がみすぼらしい男に肩を貸している。片足を引きずっている。噂を流せば当然巡礼者がやってくる。当然癒やしを求めて。そして都合よくケッサがそばにいた。
 ベアはゆっくりと立ち上がった。人差し指はすでに乾いている。巡礼者は修道士の手を借りながら床に尻を下ろした。修道士二人は男を元気づけたあと意味ありげに目配せした。王の銀貨をまわさないので根に持っている。癒やし手を騙った罪で糾弾するつもりかもしれない。
 ケッサが戸口の陰からのぞき込んでいる。じつにうれしそうだ。
 男は足を投げ出した。しばらくこちらを見上げたあと言った。
「本当に聖女様なんすか。似姿じゃ、薔薇の頬に雪のような白い肌だった」
 ベアは無視して片膝をついた。聖画の女を思い浮かべながら語りかけた。
「わたしの顔ではなく、主のお導きをこそ信じなさい。あなたは奇跡を求める旅により、すでに赦しを得ているのです」
「旅っていってもカサはすぐそこだよ。脚も悪いままだ。治してくださいよ」
「あなたに友はおりますか。友に話しなさい。その身に起きた奇跡を話しなさい。今日よりあなたは二本のよい脚で大地に立ち、よく働き主を敬い、多くの蝋燭を神の家に捧げる。さあ、あなたの脚は癒えた」
 ベアはくるぶしを両手で包み込んだ。聖女の顔を保ちながらなでる。ふくらはぎ、膝、腿。癒えなかったら一晩寝て待てと言おう。
 目の前に男がいた。一瞬だれだろうと考え、一瞬で思い出した。巡礼者が司教の居館にやってきた。脚に触れて癒やそうとした。
 巡礼者は悪いほうの脚を曲げた。そろそろと腰を浮かせる。立ち上がった。修道士の一人が目を丸くして驚いている。もう一人が兄弟にささやく。やらせだ。元から悪くなかったのだ。
「坊様、嘘じゃありません。ほんとに悪かったんすよ。これで漁に出れる」
 巡礼者は泣き出した。ベアはモディウスの顔を盗み見た。平然としている。
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