11 / 61
世は強い者が得る
第11話
しおりを挟む
がらんとした小部屋で主人を待つ。部屋は広間の右手にあった。丸い卓に蝋燭が一本灯っている。壁際には長椅子がしつらえてある。
主人は来ない。城館は寝静まっている。少し迷ったあと長椅子に腰を下ろした。
入ってきた。まだ怒っている。革の靴が木の床をごつごつと鳴らす。
杯を卓に置いた。卓を持ち上げた。蝋燭の炎が揺らいだ。
「ここは女部屋だ。女がいないので使っていない。わたしも女だが、つまり、宮廷の女という意味だ」
目の前にどすんと置いた。懐に手を入れてなにかを取り出した。
手のひらを天板にたたきつけた。カイはびくりと震えた。
手を持ち上げる。紙が乗っている。鵞鳥の羽根が一本、紙の上に横たわっている。
カイは顔を上げた。主人は紙を指した。
「それがおまえの名だ。名を書く練習をしろ」
紙に目を落とした。上のほうに字が書いてある。もちろん読めない。
「どうしてですか。強くなればいいんでしょう」
「騎士は判事でもある。字を覚え、書を読み、頭も鍛えなければならん。騎士は平和を尊ぶ。婦人を愛し、弱きを助ける。いまのおまえは獣だ。獣の心を学びで和らげろ」
「ラロシュさんがやろうって言ってきたんです」
「女を斬って喜んでいるようなやつは獣だ。どのような悪罵を受けようが獣だ」
カイは気づいた。アデルが告げ口したのだ。
「剣の訓練などいらん。強くならずともいい。学べ。賢くなれ。戦うだけなら冒険者でもできる。強いだけの騎士などいらん。ましてや、怖じ気づくなど」
錫の杯をあおった。男のように口を拭った。
いきなり杯を壁に投げつけた。がしゃんと鳴って床に落ちた。かなり酔っている。
カイは主人を見つめた。
「なにがあったんですか」
「わが従士どもは、主君の命にいやだと答えた。どれもこれもだ。優しい聖女様にでも見えたのかな。寛大な心で許すとでも思ったのかな。地下祭壇の黒エルフを殲滅したのも冒険者だった。おまえに言っても仕方がないな。酒はどこだ」
よろめきながら長椅子に寄る。隣にすわった。カイは尻を浮かせて離れた。主人は菫のにおいがした。汗くさいアデルよりもいい。大人の女のにおいだ。
さっと寄ってきた。肩に頭を預ける。柔らかな髪が頬をくすぐる。
「聞け。あの従士どもは、働きもせず、おまえら百姓がこしらえた麦を食って生きている。すべては立派な騎士になるためだ。どうだ。どう思う」
答えられない。そういうものだと思っていた。城の人たちがなにをしようが関係ない。毎日生きていくだけだった。
紙に目を落とす。蝋燭の明かりがおのれの名を照らしている。
主人はさらに寄りかかってきた。目を閉じていた。酒くさい息を吐いた。
「魔物がもっと出てくればいい。この地を埋め尽くしてくれたらいい。そうすれば、やつらは男らしくなる。おまえも強くなる。わたしの騎士になる。わたしを守ってくれる」
主人は酔いつぶれて眠った。カイはきれいな寝顔をしばらく見つめていた。
目が覚めた。主人と肩を寄せ合いながら寝ていた。温かい。おそるおそる肩に触れる。そっと押した。まだ寝ている。かすかに微笑んでいた。従士たちは臆病者なのだろうか。主人の命令を聞かないなんて。
自分なら死んでもいいと思う。ベアトリーチェを守って戦の中で死にたい。
長椅子に横たえて中庭に出た。セルヴがいた。駆け寄って昨日の礼をした。
「魔法のおかげでまともに戦えました」
「ちがうぞ。短剣にかけたのは、相手を殺さない、って魔法だ。筋がいいよ。ご先祖様は立派な身分だったんじゃないかな」
「剣の使い方を教えてください。強くなりたいんです。戦に出て戦いたいんです」
顎髭を掻いた。短くうなった。
「師匠ってがらじゃないが、いくつかは教えてやれる。代わりにお願いしたいことがあるんだ。聞いてくれるか」
主人は来ない。城館は寝静まっている。少し迷ったあと長椅子に腰を下ろした。
入ってきた。まだ怒っている。革の靴が木の床をごつごつと鳴らす。
杯を卓に置いた。卓を持ち上げた。蝋燭の炎が揺らいだ。
「ここは女部屋だ。女がいないので使っていない。わたしも女だが、つまり、宮廷の女という意味だ」
目の前にどすんと置いた。懐に手を入れてなにかを取り出した。
手のひらを天板にたたきつけた。カイはびくりと震えた。
手を持ち上げる。紙が乗っている。鵞鳥の羽根が一本、紙の上に横たわっている。
カイは顔を上げた。主人は紙を指した。
「それがおまえの名だ。名を書く練習をしろ」
紙に目を落とした。上のほうに字が書いてある。もちろん読めない。
「どうしてですか。強くなればいいんでしょう」
「騎士は判事でもある。字を覚え、書を読み、頭も鍛えなければならん。騎士は平和を尊ぶ。婦人を愛し、弱きを助ける。いまのおまえは獣だ。獣の心を学びで和らげろ」
「ラロシュさんがやろうって言ってきたんです」
「女を斬って喜んでいるようなやつは獣だ。どのような悪罵を受けようが獣だ」
カイは気づいた。アデルが告げ口したのだ。
「剣の訓練などいらん。強くならずともいい。学べ。賢くなれ。戦うだけなら冒険者でもできる。強いだけの騎士などいらん。ましてや、怖じ気づくなど」
錫の杯をあおった。男のように口を拭った。
いきなり杯を壁に投げつけた。がしゃんと鳴って床に落ちた。かなり酔っている。
カイは主人を見つめた。
「なにがあったんですか」
「わが従士どもは、主君の命にいやだと答えた。どれもこれもだ。優しい聖女様にでも見えたのかな。寛大な心で許すとでも思ったのかな。地下祭壇の黒エルフを殲滅したのも冒険者だった。おまえに言っても仕方がないな。酒はどこだ」
よろめきながら長椅子に寄る。隣にすわった。カイは尻を浮かせて離れた。主人は菫のにおいがした。汗くさいアデルよりもいい。大人の女のにおいだ。
さっと寄ってきた。肩に頭を預ける。柔らかな髪が頬をくすぐる。
「聞け。あの従士どもは、働きもせず、おまえら百姓がこしらえた麦を食って生きている。すべては立派な騎士になるためだ。どうだ。どう思う」
答えられない。そういうものだと思っていた。城の人たちがなにをしようが関係ない。毎日生きていくだけだった。
紙に目を落とす。蝋燭の明かりがおのれの名を照らしている。
主人はさらに寄りかかってきた。目を閉じていた。酒くさい息を吐いた。
「魔物がもっと出てくればいい。この地を埋め尽くしてくれたらいい。そうすれば、やつらは男らしくなる。おまえも強くなる。わたしの騎士になる。わたしを守ってくれる」
主人は酔いつぶれて眠った。カイはきれいな寝顔をしばらく見つめていた。
目が覚めた。主人と肩を寄せ合いながら寝ていた。温かい。おそるおそる肩に触れる。そっと押した。まだ寝ている。かすかに微笑んでいた。従士たちは臆病者なのだろうか。主人の命令を聞かないなんて。
自分なら死んでもいいと思う。ベアトリーチェを守って戦の中で死にたい。
長椅子に横たえて中庭に出た。セルヴがいた。駆け寄って昨日の礼をした。
「魔法のおかげでまともに戦えました」
「ちがうぞ。短剣にかけたのは、相手を殺さない、って魔法だ。筋がいいよ。ご先祖様は立派な身分だったんじゃないかな」
「剣の使い方を教えてください。強くなりたいんです。戦に出て戦いたいんです」
顎髭を掻いた。短くうなった。
「師匠ってがらじゃないが、いくつかは教えてやれる。代わりにお願いしたいことがあるんだ。聞いてくれるか」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる