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世は強い者が得る
第3話
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主人が引き返してきた。白馬を止めるやひらりと飛び降りた。手綱を引いて空き地に入る。白い陣羽織。下に鎖帷子を着けている。鎖の布が膝の上まで垂れている。鉄の脛当てに拍車のついた長靴。騎士様だ。
鼻面をなでて褒めている。カイは見とれた。こんなにきれいな人はいまだに見たことがない。父さんがさぼるとみんなの前で鞭を打った。休みたいと言っても聞かなかった。父さんは脚を悪くした。
戦士たちは眠った黒エルフを縄で縛っている。白ローブの男は倉庫の壁に寄りかかって腕を組んでいる。こっそりアデルに目をやる。股引のぼろで前を隠している。黒エルフが引き裂いた。やられてしまったのだろうか。うつむいて頬を拭っている。泣いている。それに怒っている。
主人が目の前に立った。カイは驚いてあとじさった。
手袋を脱ぎながら言った。
「おまえは見たことがある。二匹とも始末したのか」
「一人だけです。背を刺しました」
アデルがすかさず口を挟んだ。
「わたしも一人倒しました。弓で」
主人は月の眉を持ち上げた。黒の髪が胸のあたりまで伸びている。染みも汚れもない肌。整った鼻に緑の瞳。きれいなのは偉い人だからだ。
脱いだ手袋をぱたぱたと振った。指の部分をつまんで伸ばす。
「ただ屋根の上にいればよかったものを。とにかく作戦どおり、黒エルフを生け捕りにできた。倉に麦を入れると、このようにのこのことやってくる。おかげで根城をつぶせる」
アデルが思わずといった調子で歩み寄った。カイも気づいた。囮だった。
「どうして教えてくれなかったんですか。こんなやつといたんですよ、ずっと」
「教えたら言うことを聞かなかっただろう。簡単な話だ」
カイは主人にたずねた。
「笛の音は聞こえましたか」
「聞こえた。だが遠くにいた。まあ、命が助かってよかったな」
不思議そうに見下ろしている。汚い顔をしているのだろう。カイの頬に触れた。掻き傷が痛んで思わず顔をしかめた。親指で目の下あたりをこする。カイは黙って耐えた。主人の手は温かい。革と鉄のにおいがする。
強くこすった。垢をこそげ落としている。
「ときに、どのようにして倒した。主人に教えてくれ」
カイは説明した。主人は口の中に指を入れた。上唇を持ち上げる。腰を折ってじっと見つめる。なにをやっているのだろう。豚の品評会か。
「いくつだ」
「十五です。たぶん」
「少し遅めだが、がんばれば騎士になれる。次の日曜から城で暮らせ」
カイは耳を疑った。騎士は村の王様だ。百姓が小麦やら卵やら雄鶏やらを持ってくる。働かずに食える。たっぷり食える。
アデルがカイを指さして言った。
「どうしてこいつなんですか。屋根の上で見てただけですよ。わたしがこんなになるまで」
「そしておまえを助けに下りた。そんな格好になったのは自業自得だ。わたしは勇気が欲しい。蛮勇はいらん」
「騎士になりたい。わたし、もうすぐ結婚するんです。商家の嫁なんていやなの。お願い」
そうだったのか。カイは主人を見上げた。
「アデルを城に連れていってください。ぼくはたぶん、無理です」
主人は唇をひん曲げて片眉を上げた。変な顔だ。思わず笑った。
「おまえのそれは優しさではないぞ。世は強い者が勝ち、強い者が得る。農奴ならわかっているはずだ。機会をつかんだら、他者を殺してでも幸せになるのだ。たとえ惚れた女だろうと」
アデルがわめいた。前を隠しながら主人に詰め寄る。カイは白い尻を見た。丸くて柔らかそうだった。考えたとたん眠くなってきた。腹が減った。
髭面の戦士が呼ばわった。針のような長い剣を担いでいる。
「おい小僧。だったら冒険者になるか。稼ぎは悪いが自由だ。儀礼など糞食らえ」
主人は振り向いて戦士を見た。気のない様子で肩をすくめた。
「わたしはあんな冒険者どもすら必要としている。まあ、弓使いの女が一人増えても問題ないだろう。はやく一人前になってくれ」
アデルが歓声を上げた。前が落ちた。あわてて拾って隠した。戦士たちが笑った。
鼻面をなでて褒めている。カイは見とれた。こんなにきれいな人はいまだに見たことがない。父さんがさぼるとみんなの前で鞭を打った。休みたいと言っても聞かなかった。父さんは脚を悪くした。
戦士たちは眠った黒エルフを縄で縛っている。白ローブの男は倉庫の壁に寄りかかって腕を組んでいる。こっそりアデルに目をやる。股引のぼろで前を隠している。黒エルフが引き裂いた。やられてしまったのだろうか。うつむいて頬を拭っている。泣いている。それに怒っている。
主人が目の前に立った。カイは驚いてあとじさった。
手袋を脱ぎながら言った。
「おまえは見たことがある。二匹とも始末したのか」
「一人だけです。背を刺しました」
アデルがすかさず口を挟んだ。
「わたしも一人倒しました。弓で」
主人は月の眉を持ち上げた。黒の髪が胸のあたりまで伸びている。染みも汚れもない肌。整った鼻に緑の瞳。きれいなのは偉い人だからだ。
脱いだ手袋をぱたぱたと振った。指の部分をつまんで伸ばす。
「ただ屋根の上にいればよかったものを。とにかく作戦どおり、黒エルフを生け捕りにできた。倉に麦を入れると、このようにのこのことやってくる。おかげで根城をつぶせる」
アデルが思わずといった調子で歩み寄った。カイも気づいた。囮だった。
「どうして教えてくれなかったんですか。こんなやつといたんですよ、ずっと」
「教えたら言うことを聞かなかっただろう。簡単な話だ」
カイは主人にたずねた。
「笛の音は聞こえましたか」
「聞こえた。だが遠くにいた。まあ、命が助かってよかったな」
不思議そうに見下ろしている。汚い顔をしているのだろう。カイの頬に触れた。掻き傷が痛んで思わず顔をしかめた。親指で目の下あたりをこする。カイは黙って耐えた。主人の手は温かい。革と鉄のにおいがする。
強くこすった。垢をこそげ落としている。
「ときに、どのようにして倒した。主人に教えてくれ」
カイは説明した。主人は口の中に指を入れた。上唇を持ち上げる。腰を折ってじっと見つめる。なにをやっているのだろう。豚の品評会か。
「いくつだ」
「十五です。たぶん」
「少し遅めだが、がんばれば騎士になれる。次の日曜から城で暮らせ」
カイは耳を疑った。騎士は村の王様だ。百姓が小麦やら卵やら雄鶏やらを持ってくる。働かずに食える。たっぷり食える。
アデルがカイを指さして言った。
「どうしてこいつなんですか。屋根の上で見てただけですよ。わたしがこんなになるまで」
「そしておまえを助けに下りた。そんな格好になったのは自業自得だ。わたしは勇気が欲しい。蛮勇はいらん」
「騎士になりたい。わたし、もうすぐ結婚するんです。商家の嫁なんていやなの。お願い」
そうだったのか。カイは主人を見上げた。
「アデルを城に連れていってください。ぼくはたぶん、無理です」
主人は唇をひん曲げて片眉を上げた。変な顔だ。思わず笑った。
「おまえのそれは優しさではないぞ。世は強い者が勝ち、強い者が得る。農奴ならわかっているはずだ。機会をつかんだら、他者を殺してでも幸せになるのだ。たとえ惚れた女だろうと」
アデルがわめいた。前を隠しながら主人に詰め寄る。カイは白い尻を見た。丸くて柔らかそうだった。考えたとたん眠くなってきた。腹が減った。
髭面の戦士が呼ばわった。針のような長い剣を担いでいる。
「おい小僧。だったら冒険者になるか。稼ぎは悪いが自由だ。儀礼など糞食らえ」
主人は振り向いて戦士を見た。気のない様子で肩をすくめた。
「わたしはあんな冒険者どもすら必要としている。まあ、弓使いの女が一人増えても問題ないだろう。はやく一人前になってくれ」
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