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71. 変化

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「あ、来たぞ」
「ほんとだー。もう、遅いぞお姉ちゃん!」
「しょ、しょうがないでしょ。帰りのショートが長くなっちゃったんだから…。わ、悪かったとは思ってるのよ?」
 駐輪場で茜と待つこと約10分。やや駆け足で俺たちの元へと雫がやってきた。練習が休みの部活が多いこの水曜日は、帰路へ向かう生徒の足がいつもよりも早く感じる。
「まあいいか。たった10分のことだし」
「よくないぞ佑!病院のあおちゃんを待たせてるんだぞ!?」
「茜は雫に厳しすぎないか?」
「そうよ茜!厳しすぎるわ!厳しすぎるの反対!反対!」
「はいお姉ちゃん今夜晩御飯抜きな」
「あなたがすべて正しいと思います」
「あのー、行かなくていいのか?」
 いつまでも自転車に乗る様子のない2人に、俺はそう声をかける。このまま放置しておけば、この2人は夜明けまでずっと喋っているのではないだろうか?
「ああごめん佑。お姉ちゃんがさー」
「いやコンビニのスイーツ奢る話はどこから出てきたのよ茜!」
「えーっと晩御飯を──」
「喜んで奢らせていただきます」
「いつまでやってんだよもう…。早く行くぞ!」
 ここまでプライベートな茜と雫の会話を見れるのは珍しいなと感じながら、俺は彼女らと共に校門をくぐって行く。
 下校をしていく生徒を見ると、何か制服に羽織っていたり、学校のカーディガンを着ていたりと、やや肌寒くなっている季節のように感じる。俺はまだ上に羽織るようなものは持ってきていないが、後ろをついてくる佐伯姉妹は学校のカーディガンを着ていた。
 ただまあ、当然と言えば当然だ、今は10月上旬。秋がようやく挨拶し始める季節なのだから。そして今日は、先ほど茜の口からもちょろっと出てきた星本先輩が、長山中央病院に入院してから約3週間経った頃である。
「それにしても、本当に良かったよなー。あおちゃんの手術が成功してさ」
「本当よ…。というか茜はなんで直前になってそのことを言うのよ!」
「いやーなんか色々と言いそびれて……」
 今から約2週間前、卓球部の元部長、星本先輩は自身が患った癌の手術があった。ちなみにいうと、雫はこのことを知った時やや顔を曇らせたが、この前2人で海に行ったことが功を奏したのか、そこまで落ち込んでいる様子はなかった。雫自身、色々と変わりつつあるのだろうか。
 先輩の家に上がらせてもらった時、先輩は自分が患っている癌のレベルから言うに、成功確率は低いと見積もっていた。だけど、6時間にも及ぶ手術の末、先輩は無事手術の成功を掴み取ったのだ。
「ほんと、成功したってメールがあおちゃんから届いた時、飛び跳ねそうになったぞ僕」
「これであおちゃんまで死んじゃったら私たちどうなっちゃっていたんでしょうね…」
 後ろで2人が話し合ってるのが聞こえる。先輩の手術結果を聞くまでは本当に不安だったろう。俺は茜たちほど先輩と深く関わってたわけじゃないけど、それでもやっぱり頼りにできる先輩だから、亡くなってほしくないって気持ちの方が圧倒的に大きかった。実際、結果を聞いた時にはよかったという安堵の気持ちが湧き上がったのを覚えている。
「僕はこの3週間、ものすごく長く感じたな…」
 すると突然、茜がそんなことを言い出した。
「いつもと同じような3週間だったんだけどさ、なんかいつもよりも…深くて密度の濃い3週間に感じた」
「まあ確かに…。それはそうかも」
 茜のそんな言葉に俺は前を向きながらそう呟く。そう言われてみれば、最近は色々なことがあったような気がする。そう思いながら、ここ3週間で身の回りに起きたことを、俺はゆっくりと思い巡らせてみることにした。
 まず、先輩の手術が行われた約2週間前。先輩の手術の日の翌日に、俺たち卓球部の新人戦があった。先輩がラケットを振ってきた理由の一つでもあるこの大会。俺の心情は色々と複雑だった。でもまだよかったのは、新人戦当日の前に先輩の手術が成功したという吉報が届いたこと。そんな先輩の陰ながらの支えもあってか、俺はシングルスで県4位に入賞した。ラケットにうまく球が乗って、なんでもできるような感覚。先輩なら常日頃からあの感覚を体験してるのかなと考えると、少し羨ましくなった。
 そして、これは3週間前とかどうとかいう話ではないのだが、俺の周りに一つの変化が訪れた。言ってみれば、俺の中での非日常な出来事が。それは、
「…それにしてもなんだけどさ、お姉ちゃん」
「ん?どうしたの茜」
「お姉ちゃんってさ、集団でいるの嫌いじゃなかった?こうやって僕たちと登下校するようになってからだいたい3週間ほど経つけど、今思えばなんで一緒に登下校するようになったんだ?」
 そう、雫が俺たちと3人で登下校をするようになった。今までなら1人で先に家を出て、1人で先に帰るような人間だったのに、ここ3週間は俺たちと一緒に登下校をしているのだ。
 それをするようになった初日はただなんとなく受け入れていたが、俺は少なからずとも気になっていた。日が変わるたびに明日聞こう明日聞こうと先延ばしにした結果、今日に至ってもまだ聞けていないままなのである。
「…俺の記憶だと、確か海行った次の日くらいからじゃなかったか?」
「ま、まあそうだけど…」
 雫がしどろもどろしているのを横目に、茜はなぜかつーんとした表情をして、
「んま、僕はなんでお姉ちゃんが僕たちと一緒に登下校をしているのかの理由は知ってるんだけどねー」
「え、そうなの?」
「うん、気になってるなら教えようか?」
 彼女のそんな言葉に、俺は二つ返事で首を縦に振ったのだが…
「……………」
「……やっぱやーめた」
「えっ?」
 再び雫の方を見るや否や茜は表情を変えずにそう言った。疑問に思いつられて雫を見ると、
「…な、何見てるのよバカ!」
「いたっ!」
 なんで茜は良くて俺はダメなんだよ…。と拳を突きつけられた肩を軽くさすりながら俺は心の中でツッコむ。
 でも考えてみれば、彼女が俺たちと一緒に登下校しているのはなんだか変で非日常に感じるけど、雫に何かがきっかけで軽く叩かれるみたいなことは不思議とちゃんと日常として感じられる。これじゃ、どっちが普通と違うのか訳がわからないままだ。
 気がつくと、自転車を走らせる俺の前に茜と雫が横に並んでいて、何やら話していた。んー、よく聞こえないが、一体何を話してるんだ…?
「(ほんと…。お姉ちゃんは分かりやすいんだから)」
「(うるさいわね…、あとしれっと佑の前でバラそうとするのやめてくれる!?)」
「(えーでもライバルは1人減った方がいいしなぁ。というかさっきも何気にパンチすることによって佑に触ろうと考えてただろ、お姉ちゃんの変態)」
「(なっ…!?へ、変態じゃないし!)」
「(うるさいバカお姉ちゃん。あ間違えた、バカ変態お姉ちゃん)」
「(それだと私がめちゃくちゃ変態みたいになるじゃないの!)」
「ごめん、今なんの話だっけ?」
「「えっ」」
 茜と雫が同時に振り向く。まあ、何やら声の大きさ的にも2人で何か話してたのは分かるが…。
「あ、いや。なんでもないわよ!ね?茜」
「そうそう、まあ強いていうならお姉ちゃんが変態だって話してたくらいで」
「えっ」
「いや違う違う違う!誤解だから!そんな素で引いてるような態度出さないで佑ー!」
 雫の慌てっぷりに俺は思わず顔の表情を崩す。
 俺はきっとこいつらといると、自慢のコミュ障を発症しない。それだけ今の俺にとっては話しやすい相手なんだろうとそう感じた。最初こそ雫は特にとっつきにくいやつだったけど、今は俺の前でもこうやって笑顔を見せている。
 ほんと今更だけど。あいつの言葉を信じて、彼女のことを見切らないでよかったなって。決して口には出さないけど、俺は心の中で目の前でまた何か言い争いをしている佐伯姉妹を見てそう思った。
 俺たちの自転車はもう間も無く、長山中央病院へと到着する──。



 鼻を少しつんざくような匂いのする病院に入って数分。横スライド式の、部屋番号313の部屋の前に俺たち3人はやってきた。
「ここだよな?入院してる部屋って」
「うん、番号の横に名前書いてあるし」
「…よし、じゃあ開けるぜ」
 そう言った後、俺は右手で軽く3回ノックをした。もしかしたら寝てるかもしれないから、そうだった場合起こすのも悪いので気持ち小さめにドアを叩いた。すると、そんな心配も吹き飛ぶ、一つの声が俺たちの耳に入ってきた。
『はい』
 たったそれだけのただの返事なのに、俺は思わず口を押さえてしまった。久しぶりに聴くその声色に、少しだけ感極まってしまったようだ。そして、そうなってしまったのはどうやら俺だけではなかったらしく、
「……はは、お前らもかよ」
 振り向いた先には、目を潤わせている佐伯姉妹の姿があった。まあそうだよな、あの人のの癌の手術が成功して、一番嬉しいって感じるのはお前らだよな。
「んじゃ、開けるぜ」 
 そうして俺はゆっくりと扉を開ける。少しだけある通路を抜けた後に、俺たちの視界に、ある人の姿が飛び込んできた。点滴などのコードが数本身体に付けられていて、体調は絶好調まではいかないと思うが、そんな彼女は俺たちを視認するや否や、にぱっとまるでいつもの元気な様子を彷彿とさせる笑顔を浮かべて言った。
「──やほっ、3人とも!」
「「…あおちゃん!」」
 瞬間、俺の後ろにした佐伯姉妹が、ずっと会いたかったであろう存在へと駆ける。ベッドから身体を起こした彼女は、俺が卓球場で幾度となくみてきた笑顔を浮かべ続けながら、元気そうに佐伯姉妹を両手で抱きしめる。
 そんな様子を見ながら、入り口に突っ立っていた俺に先輩は気づき、そして言う。
「……ただいま、佐野くん」
 そんな言葉に、俺は、
「おかえりなさい、先輩」
 と、思わず少し照れ臭くなりながらそう言うのだった。
 やがて、先輩は俺たちをベッドの横のパイプ椅子に座らせて、少し申し訳なさそうに話し始める。
「……今日は来てくれてありがとう、3人とも」
「ううん、僕はあおちゃんに会えただけで嬉しいぞ!」
「ええ、元気そうで私も安心してる」
「ふふっ、ありがと。でも、悪かったね…佐野くん含め、茜ちゃんや雫ちゃんにもわざわざ来てもらって…」
「誰だってあおちゃんに呼ばれたら来るって!な?佑」
「…そうだな。特に今回は先輩の手術が終わった後のことだし、久しく先輩の姿とかを見れていなかったので…。俺たちは余計行こうと考えてましたよ」
「…そう。そっか……」
「当たり前じゃないですか。先輩は、俺含めみんなのキャプテンだったんですから」
「…うん」
 微笑しながら俺は先輩にそう言ったのだが、なぜか先輩はその後何も言わずに俺のことを直視し始めた。顔に笑顔はなく、怒ってる様子ではなさそうだが、どこか悲しそうな表情のように見受けられる。
 …え?俺何かしました?
「…あおちゃん?」
「──えっ?あ、ああっ。ご、ごめん!」
 刹那、ボッと顔を赤くする星本先輩。
「……ん?佑の顔に何かついてたのか?」
「…え、やば。昼飯の青のりとかついてました!?」
 お弁当に入っていた海苔弁のことを思い出して、俺は思わず口を手で覆う。
「いやいやっ、ち、違うの。ほんとに…」
 胸の前で手を振ったりと、病人とは思えない慌てふためき方をする先輩。なんか学校ではこんな様子の先輩を見なかったからなんか斬新だな…。そして一つ一つの行動が、またあざとく感じる。何でこう、環境が変わった先輩は魅力的に見えるんだろう…?
「あ、あの。佐野くん」
「え、は、はい…?」
 唐突に名前を呼ばれ、変な返事を返してしまった俺に、先輩は言った。
「…あのー、ちょっと。茜ちゃんとか、雫ちゃんと話したいことあるから…。少しだけ、席外してくれないかな…?」
「え、あ。わ…かりました」
 俺は、先輩の焦りが伝染したかのような喋り方になってしまったことを一瞬反省しながら、一人ゆっくりと先輩の部屋を後にするのだった。わざわざ俺を部屋から出させるってことは何か俺に聞かれちゃいけないこととかを話すのだろうか?
「…下のロビーで待ってよ」
 もし聞こえてしまえば、募る罪悪感に打ち勝てなさそうと感じた俺は、廊下の端にある階段へと歩を進めるのだった。念のため、トイレで顔を見てから下に降りることとしよう……。
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