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70. ヤキモチ

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『ありがとう、佑。お姉ちゃん、なんか元気になってたみたいだ。助かったよ』
「いやいや、あれはほぼ雫自身で立ち直ったようなもんだよ。俺はそこに偶然居合わせてただけ。だから、礼を言うなら雫に言えよ」
 陽も完全に沈んだ、午後8時半。俺は隣に住む少女、茜と電話をしていた。なんでも、今日のことについて色々感謝したいとメールが来たからだ。
 電話越しにも分かるほどのため息をついたそんな茜はやれやれといった感じで話す。
『あのなぁ佑。君、謙遜しすぎだぞー?君はお姉ちゃんを救ったんだ!もっと誇れ!それくらい佑はすごいことをしたんだ!』
「…って言われてもよ。本当に雫自身で"戻った"感じなんだよな」
『……戻ったか。戻ったと言えば佑。こっちに帰ってきたお姉ちゃん、なんか様子が変なんだよ』
「ん?もしかしてまた先輩のことについて引きずってたのか?」
『ううん、それは佑のおかげでなくなったぞ。そうじゃなくて、家に帰って来たお姉ちゃんは僕に一言"ごめんね"って言ったんだ。別に僕はお姉ちゃんが遅く帰って来たことに関しては全然大丈夫だって言ったんだけど、それでもお姉ちゃんは謝ったんだ』
 しかも、と茜は続けて、
『なんか、幸せそうだったんだお姉ちゃん。少なくとも佑と会う前はあんな心から幸せそうなお姉ちゃん見てなかったからさ、なんか佑お姉ちゃんにしてあげたのか?』
「幸せそうだった…?ああ、それは多分迷子になってた女の子のおかげじゃないかな」
『迷子になってた女の子?』
「…聞いてなかったのか。海に行って、砂浜に座って。雫と話を始めようとしてた時に突然泣き声が聞こえたんだよ。それがその迷子になってた女の子さ。俺が助けようか迷ってた段階で雫はすぐに駆け寄ってその女の子に笑顔を見せていたんだ。多分、それがきっかけで雫は元気になったんじゃないかな」
『なるほど、いやな?お姉ちゃん本当に幸せそうなんだよ。僕がこんなに言うってことはよっぽどだって分かるだろ?』
 興奮気味に茜は俺にそう話す。ま、まあ。確かにそんなに幸せな雫は珍しいかもしれないけどさ。少なくとも帰りの電車内ではほとんど会話なかったし、ずっと俯いてたからな。あいつの性格上、そういうのを隠したがってただけなのかもしれないけど。
「…まあそうだな。でも、やっぱり簡単じゃなかった。だからこそ、茜にも来て欲しかったんだけど…。あ、そういえば茜はさ、今日どこか寄るところがあるって言ってたけど、どこ行ってたんだ?」
 ふと疑問に感じた俺は、茜に尋ねる。
『…そうだ。今日電話しようとしてたのはこのことを伝えるためでもあったんだよ』
 先ほどまでの興奮した様子とは一変、不自然なほどに冷静になって茜は言った。
『……僕が今日行ったのは、長山中央病院。まあこの場所でもう察したと思うけど、僕が今日お姉ちゃんと佑と一緒に海に行けなかったのは、あおちゃんに呼び出されたからなんだ』
「…呼び出された?」
『…まあ、正確にいえばメールで今日病院に来てって連絡が来てて。僕としても親が亡くなった後に一番連れ添ってくれてた存在のあおちゃんが入院したって聞いて、直接声を聞きたいってのもあって今日行ってきてさ』
「…そうか」
『それで、僕は今日。あおちゃんからある一つのことを聞いた。個人的には黙っておく方が吉かなって思ったんだけど…。あおちゃんから、佑と、そしてお姉ちゃんだけには伝えてって言われたから』
 ……伝えること?俺はもう十分星本先輩から、色々聞いたつもりだ。自分が喘息を患っていたこと。癌になってしまったこと。そして、俺のことが好きだったってこと…。
 今考えても信じられないという気持ちに一瞬なりかけたが、それはまた後だ。今はまた新しい先輩からの"伝えること"を茜から聞こう。
『──あおちゃん、今から約1週間後に手術するらしいんだ。かなり大きな手術になるらしい。少なくとも6時間は超えて、麻酔もかなり強力なものを使うらしい』
「…手術か。ってことは先輩の状態は悪くなってきてるってことか?」
『……そうだな。今日病院に行ってきて、僕が会ったあおちゃんは、前、花火大会の時に喋った元気なあおちゃんじゃなかった。色々点滴が付いてたし、なんかチューブみたいなのもあったし…』
 茜が説明する先輩の姿は、容易に想像ができた。しかも先輩はかなり重い段階の癌。それゆえ、話すのも精一杯だったのだろう。
『でも。僕と話す時は、いつもの笑顔を向けてくれてたよ。それをみると、やっぱりあおちゃんはあおちゃんなんだなって思った』
「…すごいなぁ、先輩は」
 素直にすごいと思った。仮に自分がその立場だったと考えると、そもそもとして自分の病室に人を呼べないと思うし、この先長くないという事実に絶望して、笑顔を浮かべられる余裕などないだろう。茜の言うとおり、先輩はやっぱり先輩だなって。
「…で、それを雫には言ったのか」
『ううん、今から言おっかなって。まあ、昨日までのお姉ちゃんの雰囲気なら絶対にそんな判断はしなかったんだけど、今日のお姉ちゃんにそのことを言っても大丈夫そうだから』
「…本当に大丈夫か?また、塞ぎ込んじゃうんじゃ…」
『…僕の勘を舐めるなよ?佑。前言っただろ、お姉ちゃんのことを一番よく知ってるのは僕だってさ!これだけは佑には譲れないよー』
「…そうかよ」
 思わず微笑しながら俺は、自信満々にそう語る茜にそう言った。本当、こいつはいつまで経ってもブレないな……。
『とまあ、本来はもう少しだけ佑と話していたいところだけど…。そろそろ切るな、さっきも言った通りこのことをお姉ちゃんに言わないといけないし』
「そうだな。雫を頼んだ、茜」
『うんっ!じゃあな、おやすみ!佑』
「おう、おやすみ、茜」
 そして通話は切れた。スマホを耳から離すと、遅れて俺が今いるのが部屋だと分かった。感覚的には、あ、ここ部屋だ。見たいな感じだろうか。
 あ、俺…そんなに話に夢中になってたのか。あいつとの会話に。雫のことの雑談に。
 さっきまでしてた電話は別に、どうってことない、ただの雑談なのに。不思議と今回に至っては感じるものが異なっているような気がした。なぜだろうか、どうしてそう思ったのか…。
 俺はベットにスマホをゆっくりと置いて、ふと気になったこのことについて少しだけ思考する。頭の中には茜と雫の姿が俺の記憶に覆い被さるように現れてくる。まるで、小さな人形と化したあいつらが、記憶の引き出しを開けるたびに常に入っているような。
 部屋に秒針の音だけが規則的に聞こえてくる中、俺はゆっくりと立ち上がりながらポツリと呟くのだった。
「…いや、うん。きっと──」
 と…。



「ふぅー」
 佑との電話が終わって、僕は部屋のドアを開けた。今、僕の心の中には二つの嬉しい感情が芽生えている。一つは、佑と喋れたってこと。そしてもう一つはお姉ちゃんがかつて僕の知るお姉ちゃんになってきているということだ。
 まあ、後者に至っては今のままのお姉ちゃんでも全然いいんだけど、比べるなら前のほうがいいかなってだけだから、そこら辺は誤解しないで欲しい。
「あれ、僕誰に説明してるんだ…?ま、いっか」
 自分でよく分からなくなった僕は階段を降りて、リビングのドアを開ける。見慣れきった少し広いリビングの奥、テレビと面向かって座っているお姉ちゃんの姿があった。ただじっと、お姉ちゃんにとってきっと何も面白く感じないであろう野球中継を眺めている。
「……見るものがないんだったら、テレビ消したらいいのに」
 そう言いながら僕はお姉ちゃんの座るソファの横にゆっくり腰を下ろした。お姉ちゃんは表情ひとつ変えずに、
「…うるさいわね。別にいいでしょ?」
「なんでそこでムッとなるかなぁー。まあ、それもお姉ちゃんらしいんだけどー」
 なぜか僕と目を合わせようとしないお姉ちゃん。んーなんだ?なんか数時間前に帰ってきた時のお姉ちゃんの様子とかなり違うぞ?なんか怒ってる…?ように見えるんだけど…。
「…なんか怒ってない?」
「……何がー?別に怒ってないしー」
「…そうか?ちなみにお姉ちゃんはいつからこの番組見てるんだ?」
「んーっと晩御飯食べ終わって茜が上に行った後くらいだから…。1時間くらい?」
「…ふーん。ずっとこれ見てたの?」
「ええ」
 真顔でそう答えるお姉ちゃんに僕は、やれやれといったポーズをとりながら彼女に伝える。
「…お姉ちゃんってそういうのずっと見るタイプじゃないじゃん。だからこれ、さっきつけたんじゃないのー?」
「……うぐっ。そ、そんなわけないでしょー?私はずっとここで野球見てたのよ!何か変かしら!?」
「…へぇー?んじゃ」
 僕は自分の近くにあったリモコンでテレビを消した。
「ちょっと!何するのよ!」
「ずっと見てたなら、今試合してたチーム同士のスコアが分かるはずだろー?ほらほら、何対何だったか言ってみなよー」
「そ、それは…。い、いや、分かるわ?え、えぇっと…。1、2か…?いやでも違うな…」
 先ほどまで試合を見てたという割にはかなり悩むお姉ちゃん。そして、数十秒後に答えを出す。
「5、5対3よ!5対3で今攻撃してたチームが勝ってたわ!」
「…じゃ、答え合わせだ」
 僕はポツリとそう言って、リモコンのボタンを押した。スコアは右下に表示されるため、僕たちはその部分を凝視する。
 瞬間、テレビが付いて、パッとスコアが表示された。そこには……。
「え?0対1?……えぇっと、お姉ちゃん?片っぽどころか両方当たってないし、ましてやホームチーム負けてますけど今…?」
「えーとうーんとこれは0だっけ3じゃなかったっけえーっと分かんない…」
「いや何も言い返せなくなってるし…。というかなんでそんなつんけんしてんのさ…」
「…だってそれはっ!茜が電──」
 そこまで言って、お姉ちゃんはハッと我に帰るようにして口元を手で押さえる。そんな様子のお姉ちゃんに僕はわざとらしく表情を崩して、
「あれー?僕上で何してたとかお姉ちゃんに一切何も言ってないんだけどなー?」
「………」
「墓穴を掘ったねお姉ちゃん。僕が電話してたの聞いてたんでしょ?もー盗み聞きなんて趣味悪ーい」
「…ご、ごめんなさい」
 そこで、変にシュンとするお姉ちゃん。やばい、いじめすぎてしまったか…?
「……だって、何話してたか気になったんだもん。佑と、茜が…」
「……なあなあ、これ僕のちょっとした仮説なんだけど…。言ってみてもいいかな」
 先ほどのお姉ちゃんの様子と、お姉ちゃんが佑と帰ってきたあとの様子と。それらを比べて、僕は思うことが一つあった。まあ突然なんだけど、お姉ちゃんが少し不機嫌な理由が分かった気がしたから。僕は少々不安な気持ちも込めて、お姉ちゃんに尋ねた。
「お姉ちゃんさ…。もしかして、佑のこと好きになっちゃったんじゃないの…?」
 刹那、お姉ちゃんの顔がボッと赤くなる。目は先ほどよりも開いていて、息遣いは少しだけ荒くなっているような…?
 そんな様子のお姉ちゃんは、自分自身の状態に気づいたからなのか、一度服の袖で顔を拭ったあと、まだ淡く火照っているように見える、可愛らしく思える表情で、告げた。

「……うん」

「…ふふっ、そっかあ」
「な、なんで笑うのよ!」
 お姉ちゃんのあんな顔を見たからなのか、お姉ちゃんが少し怒っているように見えた真実が分かったからなのか。いずれにせよ、不思議に自然と笑いが込み上げてきた。そんな僕を見て、お姉ちゃんは頬を膨らませる。
「…いや、だからお姉ちゃんは僕にごめんって言ったんだなって知ったらさ。なんか、絡まってたものがスッと解けた気がしたから…」
「…だって」
 人差し指をくっつけながらモゾモゾとそう言うお姉ちゃん。これまで照れてる様子のお姉ちゃんは何回か見たことはあったが、ここまでなのはまた珍しいかもしれないな…。
 そんな態度のお姉ちゃんに僕は一つ小さくため息をついて、
「……別にいいけどね、僕は」
「えっ?」
「…お姉ちゃんはどーせ、僕と同じ人を好きになっちゃったから、その負い目で謝ったんだろー?」
「…うぐ」
「…ま、ただでさえ姉妹ってのは好みが似るもんなんだし、双子なら尚更でしょ。僕は自分で頑張って佑を落としに行くし、お姉ちゃんもあいつのことが好きなんだったら、ライバル的な感じで燃えるよ」
「…茜」
「ま、そーゆーことで。僕はお姉ちゃんが佑を好きになったことは別に普通だと思うぞ。だから謝る必要なんて毛頭ないし、お姉ちゃんも最初あんなに否定してた佑の魅力に気づいてくれたんだから、ちょっぴり嬉しい気持ちもあるかな…あはは」
 自分の言葉で不意に恥ずかしくなってしまった僕は、頭を軽く触った。すると、妙に口数が少ないと感じていたお姉ちゃんが、突然僕の胸に飛び込んできた。
「えっ、ちょっ。お姉ちゃん…!?」
「もう、あんたってば…」
 僕の胸の中で、お姉ちゃんはまるで餌をねだる猫のように、ブツブツと何かを言っている。
「……大好き。茜」
「……ちょっ、やめて!?な、なんかトビラ開きそうになるからっ!」
「いいや、今は離さないわっ!」
「ちょっ、痛い痛い痛い!あっ、ほら!野球見ないの!?お姉ちゃん好きなんじゃないの!?ほら、今チャンスだよっ!?」
「今私が好きなのは茜だから。野球なんて見てなかったに決まってるでしょ?」
「も、もうとりあえずいいから!なんでここでデレデレになるのお姉ちゃんは!…と、とりあえず離れてくれーーー!!」
 久しぶりにこんなお姉ちゃんを。いや、初めてこんなお姉ちゃんを見た。こんなに素直に僕に甘えて、こんなにまっすぐ僕に気持ちを伝えることができて。きっと、お姉ちゃんがここまで"戻れた"のも、あいつのおかげなんだって考えると、胸がキュンと高鳴って。
 僕は、お姉ちゃんに強く抱きしめられながら、改めて恋という気持ちをむず痒く感じた。あいつにはあおちゃんの手術の件をお姉ちゃんにすぐ言うって話したけど、今は言う空気でもないし…。もう少しだけ落ち着いてからそうしようかな、と。未だお姉ちゃんに密着されながら、僕はそんなことを考えるのだった。
 でも頼むから、とりあえず一回離れてくれ、お姉ちゃん……。
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