これからの僕の非日常な生活

喜望の岬

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67. 衝動

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「…着いた」
 軽く息を切らしながら、俺は自転車を停める。目の前には、ある一軒家があった。そして俺は、表札の横にある、インターホンを躊躇いなく押す。少しの間の後、小さな黒い箱から、聞き慣れた少女の声が聞こえた。
『…はい』
 その声は、まるで説教を受けている時のような重く、深い声だった。だけど、俺は動揺する暇もなく、話し始めた。
「…あ、茜か?悪い、ちょっと話があるんだけど…。よかったら出て来てくれないか?」
「…っ、佑か。分かった、ちょっと待っててくれ」
 意外にもすんなり了承してくれた様子の茜がドアを開けて姿を現したのは、インターホンが切れてわずか数十秒後のことだった。
 彼女の表情には、いつものような笑顔はなく、少しでも気を抜くと崩れ落ちてしまいそうだと感じさせるような、そんなギリギリの表情を保っていた。
 このまま、やっぱり何もなかったと言って家に返してあげたいという気持ちと葛藤しながら、俺は彼女の目を見ながら話し始める。
「……その、聞いたんだよな?先輩から」
「…うん、聞いた」
 小さくため息をついて、茜は続ける。
「…ごめん佑。僕が今日先に帰ったのは、用事でもなんでもないんだ。……放課後、部活に行こうとしたら、あおちゃんから急な電話がかかってきたんだ」
「…うん」
「それで、いきなりなんだけどねって前置きの後、僕はあおちゃんが癌を患っていることを聞いた。その時、僕は目の前が真っ暗になったよ。自分たちと長く連れ添った家族のような存在のあおちゃんがそんなのになっちゃうだなんて……」
 先輩と電話している時は、雫が雫がと言った感じだったが、考えてみれば、雫ほど感情のブレが激しくないとはいえ、普通に茜もショックを受けるよな…。
 すると、茜はそんな俺の心を読み取ったようなことを言った。
「……あでも、僕よりもショックを受けてるのはお姉ちゃんで…」
「…やっぱりか?」
「……うん。今は自分の部屋に閉じこもっちゃってるかな」
 先輩と俺の予想していたことは概ね当たっていたみたいだ。きっと雫は自分と先輩が関わったことによって、不幸が舞い降りたと自分で深く感じているのだろう。ついこの前に、先輩との仲が戻ったばかりなのに、少し時間が経てば、先輩の癌。雫自身が感じてるものというのは俺が思ってることよりも深く、重いものだと俺は悟った。
 いつもの茜の調子とは異なるが、もう精神がぶっ壊れるというほどではないと感じた俺は、少しだけ胸を撫で下ろした。そうなると、やっぱり不安なのは雫だな…。
「なぁ茜。雫を呼んできてもらえるか?」
「…お姉ちゃんと話をしようといているんだろうけど、残念ながらそれは無理だと思うぞ。というよりも、今はそっとしていたほうがいい」
 自分のしようとしたことを先読みした茜から発された言葉は、あまりにも俺にとって無慈悲と感じるものだった。
「……そんなになのか」
「…うん。少なくとも、今日は無理だ。仮に玄関まで来てくれたとしても、会話という会話ができないと思う」
「──でも!」
「……お姉ちゃんと同時に生まれて、お姉ちゃんのことを誰よりも知ってる僕がこう言ってるんだ。佑はそれでも無理ってことに対して抗うのか?」
 茜のそんな言葉に俺は無言を返した。確かに、彼女が言ってることは正しくて、根拠もしっかりとある。自分の反論の余地もない。
 でも、なぜだろうか。最も説得力のある茜が最も説得力のある話をしているのに、どこかあいつを助けられるんじゃないかって。心の中でそう感じるんだ。
 徐々に日が暮れかかっているのを、茜は横目に見ながら、
「…とりあえず今日はありがとう、佑」
「……えっ?」
 すると、先ほどまでの曇ったように見えた茜の表情に、まるで太陽の光が少しだけ差したかのような小さな笑顔が浮かんだ。
「……自意識過剰なら恥ずかしいけど。多分佑は、僕たち双子のことを心配したからわざわざ僕たちの家を訪ねてくれたんじゃないのかな…?」
「…うん。先輩からの電話にも、そうあったし…」
「だから、僕はさっきありがとうって言ったんだ。多分、佑にとっても先輩の癌の発症はショックだったと思うのに…」
「……まあ、確かにびっくりしたけどな」
 先輩の家に上がったことを思い出しながら俺はそう言った。
「……今日はもう家に帰りな、佑。ごめんけど、今日はお姉ちゃんには会えないと思うから…」
「…じゃあ明日、学校帰りに話したいから、茜も付き添いでいてくれよ。いくらテンションの低い雫でも、茜が一緒なら来てくれるかもしれないだろ?」
 俺のそんな提案に、茜は残念そうに告げる。
「……ごめん。僕、明日寄るところがあるんだ。さっきは精神的なものでウソついちゃったけど、今回は本当に寄るところが…いや、寄らなくちゃいけないところがあるんだ。だから、本当にごめん」
「…そ、そうか」
「……でもな、佑」
「……?どうした?」
「僕は、佑に期待してるからな!」
「えっ?」
 いきなりのそんな言葉に、俺は思わず素っ頓狂ない声が出てしまった。
「…さっきまでの言動だと、まるで僕は塞ぎ込んじゃったお姉ちゃんのことをほったらかしにしている、みたいに捉えられてもしょうがないんだけど、実を言うと、四六時中お姉ちゃんのそばにいたいってほど、とっても心配なんだ…。明日、寄らなくちゃいけないところがあるってさっき言ったけど、本当はお姉ちゃんのそばにいたいって気持ちも強くて…」
 俺の目をじっと見据えながら、茜は続ける。
「佑も知っての通り、お姉ちゃんはほとんどの人に心を開かない。だから、今お姉ちゃんが心を開きかけている佑に、塞ぎ込んじゃってるお姉ちゃんを任せたいんだ。それを踏まえて、ってことだよ。……僕自身も、前までの笑顔の多いお姉ちゃんが好き。だから、そんなお姉ちゃんに“戻して“ほしい」
「…茜」
「……心配しないでほしいのは、明日は僕もお姉ちゃんも学校に行くってこと。今日はお姉ちゃんは家から出てこないと思うけど、明日は普通に学校に行くと思うから、あれならその時にでもお姉ちゃんに声かけてくれると嬉しいかな」
「…分かった。任しとけ、茜」
 彼女の目をじっと見ながらそう言った俺に、茜は今までに幾度となく見てきた、笑顔をにぱっと浮かべるのだった。



「じゃあな、佑。お姉ちゃんを頼むぞ」
「おう、じゃあな茜」
 週半ばとなった水曜日の放課後。本来なら彼女と一緒に駐輪場まで行って2人で下校する日常なのだが、今日彼女はどこか寄るところがあるらしい。昨日も感じてたけど、茜が一緒にいることの心強さは異常じゃないんだけどな…。
「…よし」
 教室を後にした茜を見送った俺は、茜が出ていった方向とは逆の方へ歩んでいく。そして、隣の教室を俺はそっと覗いた。
「……いた」
 静かな2年3組の教室に、1人ポツンと座って、ペンを走らせている少女の姿があった。別に今はテスト期間でもなんでもないんだが、ああやって日頃からのように勉強している姿を見ると、やっぱりあいつって賢かったんだなって。
 ゆっくりと教室に入り、そんな彼女の肩を軽く叩く。
「……っ!?あ、佑」
「…そんなびっくりする?茜から聞かされてたんだろ?」
 思ったより面白い反応が返ってきたので、俺は思わず吹き出しそうになりながら、そう言う。雫は少しだけムッとした表情をしながら、
「…でも、急にはびっくりするじゃない」
「…それならすまんかった。同じことを聞くが、今回雫がここに残ってたのは、茜からそう言われてたからだよな?」
「うん。朝茜に、放課後佑が私に用があるって言ってたから…。そっちのショートが終わるまでこうやって自習してたのよ」
 雫はノートをカバンにしまいながら、俺の方を向く。
「…そうか。でもとりあえず、今日ちゃんと学校に来てくれてて安心したよ」
「……まあ、ほんとは来たくなかったけどね…」
 はぁ、と小さなため息をついた雫の様子はいつも見るただ単にテンションの低い雫とはまた違った人のように感じた。
「…それで、なんの用かしら?ただこんな雑談をするためだけに呼び出したのなら、もう私は帰りたいんだけど?」
 今雫はこうした態度をとっているが、内心はかなり先輩のことについて落ち込んでいるはずだ。なんせ雫はプライドが高いので、故に“いつも通りの自分“を演じるつもりなのだろう。
 そんな雫に、俺は優しく彼女な声をかける。
「…はじめに言っておくけど。先輩が病気にかかってしまったことに、雫は何も関係ないからな」
「……そんなの、私だってそう思いたい。だけど」
 一拍おいて、雫は俺の目をじっと見て訴えるように、
「…だけど、流石に。こうまでなっちゃったら、もう自分とか、周りとかを信じられなくなるよ…」
 前のように怒鳴りだすと思った俺の予想は180度外れ、俺の目の前にはまるで試合に負けた時のようなしょぼくれ方をした雫の姿があった。
「…雫」
 まだ陽の高い、放課後の教室に。落ち込む少女とそばに立つ、しがない男子高校生。俺は今、なんて彼女に声をかけるのが正解なんだろう。どう言えば彼女を元に“戻す“ことができるんだろう。
 だけど、一つ言えるのは、前の雫の状態よりかは遥かにマシだということ。前は逃げ出されてしまったが、今はただ落ち込んでいるだけで、椅子から立とうとはしていない。でも、“ただ落ち込んでいるだけ“である状態が雫にとってそれほど辛いことなんだなって俺は密かに感じた。
「……で、それだけ?さっきも言ったけど、ただ単に落ち込む私を見てるだけなら、普通に何もない時間になるだけだし、私帰るわよ?」
 先ほどまでとの思惑とは一変、ガタッと椅子から立ち上がりながら、雫はそう言った。
 ダメだ。ここで雫を家に帰したならば、俺は彼女に対して何もしていないことになってしまう。茜や先輩との約束を果たせなくなってしまう。前の時から何も変わっていないって、そんな証明が完了してしまう。
 でも、どうすればいいんだ。ここから、雫を説得するすべが全く頭の中に湧いてこない。アイデアが、方法が。一つも…。
「……どうしたのよ、固まって。でもその様子だと、本当に何もないみたいね。せっかく呼び出してくれたところ悪いけど、私は家に帰るわよ」
 そんな俺の葛藤も知りもしない雫は、カバンを背負って、教室を後にしようとする。どうすればいい。どうすれば彼女を──
 …………あっ。
「…っ、雫!」
 刹那、無意識に俺は彼女の名を呼んでいた。
「……なに」
「この後…。暇か?」
「…うんまあ、今日は部活もないし。暇っちゃ暇だけど」
 雫は帰ろうとしたところを呼び止められたからなのか、やや不機嫌そうにだったが、暇だと返事をしてくれた。
 そんな彼女の言葉に、
「……じゃあ、着いてきてくれ」
「…着いてきてくれって。帰らないの?」
「本当に雫が帰りたいと思ってるなら、俺には無理矢理着いてこなくていいよ。ただ、俺は雫に着いてきて欲しいって思ってる」
「……分かったわよ。着いていけばいいんでしょ、着いていけばっ!」
 ややムキになりながらも、雫は教室を出ようとした俺の後をゆっくりと着いてくる。
 先輩が癌になって、気持ちがどん底に落ちているのにも関わらず、こうして言うことを聞いてくれるところを見ると、雫ってやっぱりいいやつだよな。
 頬を小さく膨らませながら、そう言った雫に俺は頃い外れの微笑を浮かべて、雫と2人で西陽が差し込もうとしている教室を後にするのだった。
 これは、いわば賭けだ。上手くいくかも分からないし、下手すれば雫は再び塞ぎ込んでしまう。そんな危険な賭け。だけど、ある程度そのようなリスクを冒さないと雫を救うことなんてできっこない。
 あの瞬間。四面楚歌に陥られていた俺の頭の中に、一つの救いの蜘蛛の糸が垂れてきた。正直、これが彼女を救う最善解なのかは分からないけど、やらないよりかは一度行動に起こした方がいいと感じた。もう今は、自分の中にある、この衝動に身を乗せて、とりあえず自分が一番いいと思う行動を起こしてみよう。もっとも、結果なんて予想もつかないけど──。
 校門を出た俺たちは、生温く感じる微風にそよがれながら、最寄りの駅へと自転車を走らせるのだった。
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