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62. 雰囲気
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「意外に近いんだな…。あ、ここ左か」
完全に日が沈んだ午後7時。俺こと佐野佑は、見知らぬ道を自転車で進んでいた。見知らぬ場所というだけで不安なのにこうまで真っ暗になっちゃ、不安を超えて恐怖まで感じる。
なぜこんなところにいるのかというと、まあ簡単に言えば先輩の家に行くからだ。理由は書類を届けるため。なんか明日までに提出しなければいけない大切なものらしい。なぜ帰りのショートホームルームの時に菊池先輩に渡しとかなかったんだ、全く…。まあ、それを含めてあの先生なんだけどな…。
今は、スマホの地図アプリに先生から教えてもらった星本先輩の住所を入れて、ヒットした場所に向かっているところだ。俺のスマホによると後10分ほどで着くらしい。俺の家から学校までは約20分オーバーかかるので先輩の家は意外と学校に近いところなんだな、と。前から走ってくる車のライトの光に思わず顔を顰めてながらそんなことを思う。
「…よくよく考えると。こっちって俺の家からは逆方向だよな…?あれ、でも。先輩は俺と帰った時、俺と家の方向は同じって言ってたはず…?あれ、違ったっけな?」
あれほど朝にぼっちの時に喋るのは控えるような考え方をしていたのに、結局は怖さを紛らわすために小さくだが独り言を発してしまった。まあ、今は人の気配はあまり感じないし、大丈夫か。
「……なんか、緊張してきたな」
先輩の家に書類を届けに行く、ただこれだけのことなのに自分の心臓の動きはいつもより微かに速くなっているように感じた。だけど、そこに疑問の感情はなかった。なぜこうなっているのか、その理由はもう俺の中にあったからだ。
やがて、俺は静かな住宅街に自転車を進める。自分の自転車を走らせる音が小さく耳に反響する。ここは俺の家からは割と離れているところだが、住宅街の雰囲気はまるで俺が引っ越してきたところそのものだった。長山町は都会だけど、都会だからといって決して驕らないんだな、と。半年前に引っ越してきたばかりであるが、俺はふとそう思った。
「…あとはここを右に曲がると…っと。ここか」
車がギリギリすれ違えるほどの狭い道の右の突き当たりに、一回の窓が黄色く灯った一軒家があった。その家の表札には"星本"と記されており、邪魔にならないよう、自転車を道の端に停める。
「…押すか」
ふと、一瞬だけデジャヴのようなものを感じたのだが、前の町にいた時もインターホンは何度も押してきてるのできっとそれと被ったんだろうと、そう俺は思って、
「……ふぅ」
一呼吸してから、俺はゆっくりとそのインターホンを押した。ピンポーン、ピンポーン。2回ほど鳴った後、目の前のインターホンから声が聞こえた。
「はい、どなたでしょうか?」
「あ、ええと…。ほし、じゃなかった。あ、葵衣さん…。いますか」
星本家で星本と呼んでも意味がないと途中で気づいた俺は、すぐさま名前で先輩のことを読んだのだが、この瞬間に呼ぶ時の練習をしていればよかったなと小さく後悔した。自分でも引くレベルに慌ててしまった…。
「…ん?え、佐野くん!?その声は、佐野くん…。だよね?」
「え、ああはい。…先輩ですか?」
「うんうん、そうだよー!とりあえず、ちょっと待ってて!」
ピッ、と。インターホンの通信が切れる音が聞こえたのち、目の前の一軒家からドタドタと何やら音が聞こえた。…別にそんなに急いで来てくれなくても俺はどこにも行かないんだけどな…。
数十秒後、ドアがガチャリと開いた。玄関の電気による逆光のせいで先輩の顔ははっきりとは見えなかったが、少し不思議そうな表情をしているのが分かった。そんな先輩は表札の前に立っていた俺のそばまで来て、言う。
「…こんばんは、佐野くん。突然家に来たからびっくりしちゃったよ。というか、君って私の家知ってたのー?」
「…えっと、このままだと俺が先輩の家を自力で特定したみたいな誤解を招きかねませんので、説明しておくとですね…」
苦笑いしながら俺は先輩に今回家に尋ねた理由を説明した。
「…なるほどね。というか本来は他の生徒にこういう個人情報は教えちゃいけないはずなんだけどねー?」
「それ、俺も思ったんですけど…。なんか先生は大丈夫、大丈夫って言って結局押し切られてしまって…」
「…本当に、あの先生はどこか抜けてるからねぇ」
やれやれといった感じで、ため息をついた先輩は、その直後に、大きく咳き込んだ。
「あぁ、とりあえず俺は先輩に書類を渡しに来たので…。これ渡したらすぐ帰ります。体調悪いところわざわざすみませんでした」
明らかな体調不良で休んでいると、先ほどの咳で理解した俺は、鞄からファイルに入れておいた書類を取り出した。
「どうぞ、先輩」
「…ありがとう!でも本当に、わざわざ悪かったね…。今回は先生と華(はな)が悪い!特に華は後でちょっとプチ説教だな!」
腕を組みながらムスッとする先輩。まあ言葉ほど態度に怒っている様子はまるで見えないが…。
「あはは、まあ菊池先輩はいつもすぐ卓球場からいなくなりますしね…。ま、とりあえず俺はこれで帰ります。体調悪いところ、わざわざすみませんでした。部活のみんなも待ってるので、早く体調治して戻ってきてくださいね!」
「…うん。ありがと」
先輩の体調が心配になった俺は、道の端に停めていた自転車にそそくさとまたがり、先輩の家を後にしようとした。すると、そこにかかる声が一つあった。
「…ねぇ、佐野くん」
つい最近も、このような言葉を聞いたデジャヴのようなものを俺は感じながら、先輩の方へと首を動かす。
「…なんでしょうか?」
あたりはもう真っ暗なので先輩の顔は先程同様見づらかったが、俺はそんな先輩にそう尋ねた。
「…今さ、家…。親いないんだよね。だから、その。よかったらさ…」
「…はい」
「…もうちょっと、ゆっくりしていかない?せっかく佐野くん私の家まで来てくれたんだし。それに、ちょっと…。佐野くんに伝えることがある…し。だから、ほら。上がってよ」
先輩は少し俯き加減になりながら俺にそう言った。俺が、先輩の家に上がる…?いやいやいや、先輩は体調が悪いんだ。俺なんかに構ってる暇なんか…。
「…ダメですよ、先輩。体──」
「──お願い、佐野くん」
「……。わ、分かりました」
ここまで頼まれてしまっては、ここで断れる勇気は俺にはなかった。今の先輩はここの家を訪ねた時の先輩とまた、雰囲気が少し違う気もしたし…。そ、それに…。俺に伝えることって、一体なんなんだろう…?
そんな疑問を頭の中でぐるぐると巡らせながら俺は自転車をもう一度、道の邪魔にならないところに停めるのだった。
「……ちょっと佐野くんー。もう少しくつろいでいいって…。なんでそんなにガチガチなの?」
「いや、あの。それは…」
そんな会話のやり取りをする俺と星本先輩は、小さな折り畳み机に向かい合うようにして座っていた。先輩は体を小さく丸めて体育座りをしているのに対し、俺はどう座ればいいか分からず、自然と正座をするような形になった。
ちなみに、ここは星本先輩の部屋だ。正直に言おう、俺は今めちゃくちゃ動揺している。だってそりゃそうだ、ファンクラブができているという噂がたつほど人気の星本先輩の家に上がって、ましてや本人の部屋にいるんだから。
部屋はいかにも先輩、といった雰囲気にあった部屋で、俺たちが座っている床にはふかふかの黄色の絨毯のようなものが敷かれていた。ベッドの横にある本棚には数学の参考書やら、日本史の参考書やら…。そういえば、この人は受験生だったなと遅れて理解が追いつく。
だけど、その上の棚には少女漫画に見えるものが揃えられているのを見ると、きっと受験に集中するために、あえて見えないような位置に漫画を置いてるんだなって。
他にもいろいろあるのだが、せっかく上げてもらった人の家をジロジロ見るのは正直失礼だし、このくらいにしておこう…。本音は緊張しすぎて、周りを見る余裕がもうないっていうのだけど…。
先程は日の落ちた真っ暗の場所だったので、先輩の姿はよく視認できなかったが、こうして明るい場所で見ると、なかなか破壊力抜群の服を着ている。上は、モコモコの白いカーディガンのようなものを着ていて、下はおそらく学校の体操ズボンだったような。下はともかく、上の服と先輩の組み合わせは本当によくマッチしていると勝手ながら心中でそう思った。
「と、とりあえず鞄下ろしなって。なんでまだ背負ってるの…」
「あ、すいません…。あの、どうすればいいか分からなくて…」
「なんで学校じゃ普通に喋れるのに、環境が変わったら佐野くんってそうなるの…。花火大会のとかもそうだったけど、ちょっと面白いね、あはは」
そりゃあなたは色々慣れてる様子だから平気でしょうね!と、心の中で魂のツッコミを入れる。
「鞄はそこに置いてくれたらいいよ。後、姿勢は普通に楽な体制で大丈夫だから、ね?」
「…ありがとうございます」
きっと、先輩の言う楽な体制とはあぐらとかのことを言っているのだろうが、先輩の家であぐらをかくほど、俺のメンタルは強くなかった。なので先輩と同じように体育座りをする。
「…ちょっと、真似しないでよー佐野くん」
「…だってこれ以外楽な姿勢がないんですもん」
「まあ、君がそこまで言うならそれでもいいけどさ」
直後、先輩は大きく咳き込んだ。ああ、本当に体調が悪いなら俺なんか家に上げずに、今すぐ電気を消して寝ればいいのにな…。
「…大丈夫なんですか?本当に」
「…うん、平気平気…。ちょっと喉の調子が悪いだけだよー」
「それを大丈夫じゃない状態って言うんじゃないですか?」
「んーまあ、そうとも言うよね。あはは」
この目の前の少女、星本先輩と俺は出会ってからまだ半年も経ってないが、先輩の先ほどの俺に見せた笑顔は、どこかいつもの先輩とは違うような雰囲気を感じた。例えるなら、無理矢理作っているような…、痛々しく感じるその笑顔に俺はそんなことを思った。
「…そういえばさ、佐野くん」
「はい、どうしました?」
「最近、茜ちゃんとどうなの?」
「え?茜と?」
「うん、茜ちゃんから聞いたんだけど。夏休み中に2人でコンビニデートしたんでしょ?ねえねえ、どうだった?どうだった!」
「ちょ、そんな食いつかないでください…。あと何で知ってるんですか、また電話かなんかして聞いたんですか?」
俺がそう先輩に尋ねると、先輩は首を小さく傾けて、
「いや、実は夏休み最終日にさ、私と茜ちゃんと雫ちゃんで遊びに行ったんだ!その時に私が聞いてみたらさ、コンビニまで一緒に歩いたって」
「え、遊びに行ってたんですか?そんなこと茜や雫から聞いてないぞ…?」
「当たり前だよー。私の方から言わないでねって言ったもん」
「え、何で…」
「まあまあー。なんでもいいじゃん!とにかく、またちゃんと喋るようになったんでしょ?じゃあ良き良き!」
何度か小さく咳をしながら先輩はそう言う。
「…と言うか、デートじゃないですから!普通に雫と茜のノート買いに行っただけですから!」
「何でそんなにムキになってるのかなー佐野くん?」
「べ、別にムキになってるわけじゃ!」
「べ、別にって…。ツンデレさんは雫ちゃんだけで十分だよ、あはは」
お腹に手を抱えながら可愛らしく笑う先輩。うーん、やっぱりいつものように笑ってるようには見えない…。考えすぎか…?
「──とまあ、雑談はこの辺で結構かな…」
「え?」
すると突然、先輩の雰囲気が変化した。今までは完全オフの先輩を見ている感じだったが、今目の前にいる先輩は、部活をしている時のような真剣な表情で、俺を見ていた。それにしても、いきなり雰囲気が変わったものだから、少し俺も身構えてしまう。
「…俺、なんかいけないことしましたか…?」
「え?あ、ああ違う違う。別に今から佐野くんに対して個人説教会みたいな感じじゃないよ?だからそんな身構えなくていいよ。ごめんね、言い方が悪かったねー」
そう言われた俺はホッと胸を撫で下ろした。まあ、別に心当たりとかはなかったんだけどね?いや、ほんとだよ?
「…で、突然どうしたんですか」
「…あのさ、私。佐野くんを半ば強引に私の部屋にあげちゃったわけなんだけどさ…」
「…はい」
「伝えたいことがあるって言ったよね?」
「…まあ、そうですね」
あまりにも目をじっと見てくるもんだから、俺は思わずその視線を外してしまう。
「本当は怖くて言い出せなかったんだけど…。せっかく佐野くんと話せたし、言っておこうかなって思って」
胸の鼓動が速くなっているのが分かった。何かに期待してるってわけじゃないんだろうけど、俺の心臓はまるで本来の動き方を忘れたかのような脈を打っていた。これから、俺は何を言われるんだろう。俺は何を聞くんだろう。
そんなことをぐるぐる考えている俺に、先輩はゆっくりと口を開いて、告げた。
「あのね、私──」
完全に日が沈んだ午後7時。俺こと佐野佑は、見知らぬ道を自転車で進んでいた。見知らぬ場所というだけで不安なのにこうまで真っ暗になっちゃ、不安を超えて恐怖まで感じる。
なぜこんなところにいるのかというと、まあ簡単に言えば先輩の家に行くからだ。理由は書類を届けるため。なんか明日までに提出しなければいけない大切なものらしい。なぜ帰りのショートホームルームの時に菊池先輩に渡しとかなかったんだ、全く…。まあ、それを含めてあの先生なんだけどな…。
今は、スマホの地図アプリに先生から教えてもらった星本先輩の住所を入れて、ヒットした場所に向かっているところだ。俺のスマホによると後10分ほどで着くらしい。俺の家から学校までは約20分オーバーかかるので先輩の家は意外と学校に近いところなんだな、と。前から走ってくる車のライトの光に思わず顔を顰めてながらそんなことを思う。
「…よくよく考えると。こっちって俺の家からは逆方向だよな…?あれ、でも。先輩は俺と帰った時、俺と家の方向は同じって言ってたはず…?あれ、違ったっけな?」
あれほど朝にぼっちの時に喋るのは控えるような考え方をしていたのに、結局は怖さを紛らわすために小さくだが独り言を発してしまった。まあ、今は人の気配はあまり感じないし、大丈夫か。
「……なんか、緊張してきたな」
先輩の家に書類を届けに行く、ただこれだけのことなのに自分の心臓の動きはいつもより微かに速くなっているように感じた。だけど、そこに疑問の感情はなかった。なぜこうなっているのか、その理由はもう俺の中にあったからだ。
やがて、俺は静かな住宅街に自転車を進める。自分の自転車を走らせる音が小さく耳に反響する。ここは俺の家からは割と離れているところだが、住宅街の雰囲気はまるで俺が引っ越してきたところそのものだった。長山町は都会だけど、都会だからといって決して驕らないんだな、と。半年前に引っ越してきたばかりであるが、俺はふとそう思った。
「…あとはここを右に曲がると…っと。ここか」
車がギリギリすれ違えるほどの狭い道の右の突き当たりに、一回の窓が黄色く灯った一軒家があった。その家の表札には"星本"と記されており、邪魔にならないよう、自転車を道の端に停める。
「…押すか」
ふと、一瞬だけデジャヴのようなものを感じたのだが、前の町にいた時もインターホンは何度も押してきてるのできっとそれと被ったんだろうと、そう俺は思って、
「……ふぅ」
一呼吸してから、俺はゆっくりとそのインターホンを押した。ピンポーン、ピンポーン。2回ほど鳴った後、目の前のインターホンから声が聞こえた。
「はい、どなたでしょうか?」
「あ、ええと…。ほし、じゃなかった。あ、葵衣さん…。いますか」
星本家で星本と呼んでも意味がないと途中で気づいた俺は、すぐさま名前で先輩のことを読んだのだが、この瞬間に呼ぶ時の練習をしていればよかったなと小さく後悔した。自分でも引くレベルに慌ててしまった…。
「…ん?え、佐野くん!?その声は、佐野くん…。だよね?」
「え、ああはい。…先輩ですか?」
「うんうん、そうだよー!とりあえず、ちょっと待ってて!」
ピッ、と。インターホンの通信が切れる音が聞こえたのち、目の前の一軒家からドタドタと何やら音が聞こえた。…別にそんなに急いで来てくれなくても俺はどこにも行かないんだけどな…。
数十秒後、ドアがガチャリと開いた。玄関の電気による逆光のせいで先輩の顔ははっきりとは見えなかったが、少し不思議そうな表情をしているのが分かった。そんな先輩は表札の前に立っていた俺のそばまで来て、言う。
「…こんばんは、佐野くん。突然家に来たからびっくりしちゃったよ。というか、君って私の家知ってたのー?」
「…えっと、このままだと俺が先輩の家を自力で特定したみたいな誤解を招きかねませんので、説明しておくとですね…」
苦笑いしながら俺は先輩に今回家に尋ねた理由を説明した。
「…なるほどね。というか本来は他の生徒にこういう個人情報は教えちゃいけないはずなんだけどねー?」
「それ、俺も思ったんですけど…。なんか先生は大丈夫、大丈夫って言って結局押し切られてしまって…」
「…本当に、あの先生はどこか抜けてるからねぇ」
やれやれといった感じで、ため息をついた先輩は、その直後に、大きく咳き込んだ。
「あぁ、とりあえず俺は先輩に書類を渡しに来たので…。これ渡したらすぐ帰ります。体調悪いところわざわざすみませんでした」
明らかな体調不良で休んでいると、先ほどの咳で理解した俺は、鞄からファイルに入れておいた書類を取り出した。
「どうぞ、先輩」
「…ありがとう!でも本当に、わざわざ悪かったね…。今回は先生と華(はな)が悪い!特に華は後でちょっとプチ説教だな!」
腕を組みながらムスッとする先輩。まあ言葉ほど態度に怒っている様子はまるで見えないが…。
「あはは、まあ菊池先輩はいつもすぐ卓球場からいなくなりますしね…。ま、とりあえず俺はこれで帰ります。体調悪いところ、わざわざすみませんでした。部活のみんなも待ってるので、早く体調治して戻ってきてくださいね!」
「…うん。ありがと」
先輩の体調が心配になった俺は、道の端に停めていた自転車にそそくさとまたがり、先輩の家を後にしようとした。すると、そこにかかる声が一つあった。
「…ねぇ、佐野くん」
つい最近も、このような言葉を聞いたデジャヴのようなものを俺は感じながら、先輩の方へと首を動かす。
「…なんでしょうか?」
あたりはもう真っ暗なので先輩の顔は先程同様見づらかったが、俺はそんな先輩にそう尋ねた。
「…今さ、家…。親いないんだよね。だから、その。よかったらさ…」
「…はい」
「…もうちょっと、ゆっくりしていかない?せっかく佐野くん私の家まで来てくれたんだし。それに、ちょっと…。佐野くんに伝えることがある…し。だから、ほら。上がってよ」
先輩は少し俯き加減になりながら俺にそう言った。俺が、先輩の家に上がる…?いやいやいや、先輩は体調が悪いんだ。俺なんかに構ってる暇なんか…。
「…ダメですよ、先輩。体──」
「──お願い、佐野くん」
「……。わ、分かりました」
ここまで頼まれてしまっては、ここで断れる勇気は俺にはなかった。今の先輩はここの家を訪ねた時の先輩とまた、雰囲気が少し違う気もしたし…。そ、それに…。俺に伝えることって、一体なんなんだろう…?
そんな疑問を頭の中でぐるぐると巡らせながら俺は自転車をもう一度、道の邪魔にならないところに停めるのだった。
「……ちょっと佐野くんー。もう少しくつろいでいいって…。なんでそんなにガチガチなの?」
「いや、あの。それは…」
そんな会話のやり取りをする俺と星本先輩は、小さな折り畳み机に向かい合うようにして座っていた。先輩は体を小さく丸めて体育座りをしているのに対し、俺はどう座ればいいか分からず、自然と正座をするような形になった。
ちなみに、ここは星本先輩の部屋だ。正直に言おう、俺は今めちゃくちゃ動揺している。だってそりゃそうだ、ファンクラブができているという噂がたつほど人気の星本先輩の家に上がって、ましてや本人の部屋にいるんだから。
部屋はいかにも先輩、といった雰囲気にあった部屋で、俺たちが座っている床にはふかふかの黄色の絨毯のようなものが敷かれていた。ベッドの横にある本棚には数学の参考書やら、日本史の参考書やら…。そういえば、この人は受験生だったなと遅れて理解が追いつく。
だけど、その上の棚には少女漫画に見えるものが揃えられているのを見ると、きっと受験に集中するために、あえて見えないような位置に漫画を置いてるんだなって。
他にもいろいろあるのだが、せっかく上げてもらった人の家をジロジロ見るのは正直失礼だし、このくらいにしておこう…。本音は緊張しすぎて、周りを見る余裕がもうないっていうのだけど…。
先程は日の落ちた真っ暗の場所だったので、先輩の姿はよく視認できなかったが、こうして明るい場所で見ると、なかなか破壊力抜群の服を着ている。上は、モコモコの白いカーディガンのようなものを着ていて、下はおそらく学校の体操ズボンだったような。下はともかく、上の服と先輩の組み合わせは本当によくマッチしていると勝手ながら心中でそう思った。
「と、とりあえず鞄下ろしなって。なんでまだ背負ってるの…」
「あ、すいません…。あの、どうすればいいか分からなくて…」
「なんで学校じゃ普通に喋れるのに、環境が変わったら佐野くんってそうなるの…。花火大会のとかもそうだったけど、ちょっと面白いね、あはは」
そりゃあなたは色々慣れてる様子だから平気でしょうね!と、心の中で魂のツッコミを入れる。
「鞄はそこに置いてくれたらいいよ。後、姿勢は普通に楽な体制で大丈夫だから、ね?」
「…ありがとうございます」
きっと、先輩の言う楽な体制とはあぐらとかのことを言っているのだろうが、先輩の家であぐらをかくほど、俺のメンタルは強くなかった。なので先輩と同じように体育座りをする。
「…ちょっと、真似しないでよー佐野くん」
「…だってこれ以外楽な姿勢がないんですもん」
「まあ、君がそこまで言うならそれでもいいけどさ」
直後、先輩は大きく咳き込んだ。ああ、本当に体調が悪いなら俺なんか家に上げずに、今すぐ電気を消して寝ればいいのにな…。
「…大丈夫なんですか?本当に」
「…うん、平気平気…。ちょっと喉の調子が悪いだけだよー」
「それを大丈夫じゃない状態って言うんじゃないですか?」
「んーまあ、そうとも言うよね。あはは」
この目の前の少女、星本先輩と俺は出会ってからまだ半年も経ってないが、先輩の先ほどの俺に見せた笑顔は、どこかいつもの先輩とは違うような雰囲気を感じた。例えるなら、無理矢理作っているような…、痛々しく感じるその笑顔に俺はそんなことを思った。
「…そういえばさ、佐野くん」
「はい、どうしました?」
「最近、茜ちゃんとどうなの?」
「え?茜と?」
「うん、茜ちゃんから聞いたんだけど。夏休み中に2人でコンビニデートしたんでしょ?ねえねえ、どうだった?どうだった!」
「ちょ、そんな食いつかないでください…。あと何で知ってるんですか、また電話かなんかして聞いたんですか?」
俺がそう先輩に尋ねると、先輩は首を小さく傾けて、
「いや、実は夏休み最終日にさ、私と茜ちゃんと雫ちゃんで遊びに行ったんだ!その時に私が聞いてみたらさ、コンビニまで一緒に歩いたって」
「え、遊びに行ってたんですか?そんなこと茜や雫から聞いてないぞ…?」
「当たり前だよー。私の方から言わないでねって言ったもん」
「え、何で…」
「まあまあー。なんでもいいじゃん!とにかく、またちゃんと喋るようになったんでしょ?じゃあ良き良き!」
何度か小さく咳をしながら先輩はそう言う。
「…と言うか、デートじゃないですから!普通に雫と茜のノート買いに行っただけですから!」
「何でそんなにムキになってるのかなー佐野くん?」
「べ、別にムキになってるわけじゃ!」
「べ、別にって…。ツンデレさんは雫ちゃんだけで十分だよ、あはは」
お腹に手を抱えながら可愛らしく笑う先輩。うーん、やっぱりいつものように笑ってるようには見えない…。考えすぎか…?
「──とまあ、雑談はこの辺で結構かな…」
「え?」
すると突然、先輩の雰囲気が変化した。今までは完全オフの先輩を見ている感じだったが、今目の前にいる先輩は、部活をしている時のような真剣な表情で、俺を見ていた。それにしても、いきなり雰囲気が変わったものだから、少し俺も身構えてしまう。
「…俺、なんかいけないことしましたか…?」
「え?あ、ああ違う違う。別に今から佐野くんに対して個人説教会みたいな感じじゃないよ?だからそんな身構えなくていいよ。ごめんね、言い方が悪かったねー」
そう言われた俺はホッと胸を撫で下ろした。まあ、別に心当たりとかはなかったんだけどね?いや、ほんとだよ?
「…で、突然どうしたんですか」
「…あのさ、私。佐野くんを半ば強引に私の部屋にあげちゃったわけなんだけどさ…」
「…はい」
「伝えたいことがあるって言ったよね?」
「…まあ、そうですね」
あまりにも目をじっと見てくるもんだから、俺は思わずその視線を外してしまう。
「本当は怖くて言い出せなかったんだけど…。せっかく佐野くんと話せたし、言っておこうかなって思って」
胸の鼓動が速くなっているのが分かった。何かに期待してるってわけじゃないんだろうけど、俺の心臓はまるで本来の動き方を忘れたかのような脈を打っていた。これから、俺は何を言われるんだろう。俺は何を聞くんだろう。
そんなことをぐるぐる考えている俺に、先輩はゆっくりと口を開いて、告げた。
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