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61. Insight
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いつもの登校時間。その30分前に、俺はいつもの通りリビングへと降りてくる。テレビの前のソファには、ある家族の姿があった。その人は、いつもテレビで流れているニュースではなく、ある特集のようなものを見ていた。
「あ、父さんおはよう。…何見てるの?」
「…おはよう。これ、見てみ?」
父さんは、微笑しながらテレビの左上を指差した。そこを見てみると、
「"特集!──県、長山市のぶらり旅!"か。…ってこれ、ここじゃん!」
「あはは、眠気が覚めたか?…そうそう、ここ長山市もとい長山町が朝の特集に載ってるんだ。ま、と言っても俺たちはここに来てからまだ半年くらいなんだけどな…」
前にも言ったと思うが、ここ長山市もとい長山町はそこそこの都会。だから、前過ごしていた八十口町とは比べ物にならないほどの特集を組むネタが存在していたんだろう。長山町が属する長山市はそこそこ大きい市だしな。
「…とりあえず、課題テストも終わったんだし、もう少しゆっくりしていったらどう?ちょうどここの特集もしているんだし」
「…そうだな。そうすることにするよ、母さん。…じゃあ、いただきます」
母さんが机に置いた、THE・和食と呼べる朝ごはんに、俺は箸を入れて食べ進める。朝ご飯を食いながら見た特集に俺が思ったことはひとつ。それは、まだまだこの市に俺が知らない穴場と呼べるところがいくつも存在していて、その量に驚いたということだ。
「へぇ、やっぱまだ全然この町のことを知れていないんだなぁ」
そう呟いた時、テレビの画面がパッと移り変わった。左上にはまだ特集のテロップが出ているので、この特集が終わったわけではなさそうだが…。俺が一瞬、特集が終わったと勘違いしたのは、どうにも、本当に見慣れないものが画面に映っていたからだ。
「…うわ、すげぇ」
それは、夕日が綺麗に反射する、海辺だった。綺麗にグラデーションがかかった朱色の空は、満ち引きする海と見事に対比されていて、これだけで一つの絵が描けるんじゃないかと思うほどには美しい景色だった。
きっと、心が落ち込んでいたり、モヤモヤした時とかにこの景色を見ると、俺の場合心が落ち着いて、幸せで満たされるのだろうと、俺は1人そんなことを思った。
「──うっ!?」
刹那、その景色に見惚れている俺に、一つの頭痛が襲いかかってきた。一瞬、ズキっとそんな擬態語がふさわしいほどに頭に衝撃が走った。
「…え、大丈夫?佑」
頭を抑える俺に、母さんは心配そうに俺にそう言った。
「あ、うん…。なんか一瞬だけ、頭がズキってしたんだけど…。今はもう全然大丈夫みたいだ」
「…気をつけろよ?これからどんどん寒くなっていくんだし、体調とかは」
「うん、ありがとう父さん。…そんで、ご馳走様」
「はい、お粗末さま。で、学校行けるのね?」
「うん。全然いける!心配ごめんね」
俺は両親にそう謝ったのち、ゆっくりと今日の学校の準備を始めるのだった。いやほんと、なんの頭痛だったのか。俺の知らないところで、俺自身が疲れてるのかな…?
「…………」
信号が青に変わって、それに伴い止まっていた車や自転車が走り出す。車の後ろから排気ガスがたくさん出ているのを見ると、この世での"電気自動車完全化"のようなものはまだ無理なのかもしれない。
そんなことを1人ぼーっと考えながら俺は学校までの道のりを走る。今日、茜は学校を休むらしい。昨日一緒に帰っているのを見ると、あまり体調が悪そうには見えなかったが、今日休むってことはきっとどこか具合が悪かったのだろう。
茜がいないと俺はぼっちになる。特別誘う相手もいないので、1人で黙々と自転車を走らせてるってわけだ。雫は?という声が聞こえてきそうなので、ここで補足しておく。まあ、最初よりかは仲が良くなったとは言えるだろうが、結論から言うと、朝から雫と一緒に登校しているビジョンが見えないのだ。彼女との下校は茜と比べたら片手で数えるほどしかしてないが、その数回でも分かることといったら茜ほどテンションの高くない雫と、朝から一緒に登校した日には、そこに募るのはきっとその空間だけ時が止まったかのような気まずさだろう。だから、俺は今1人で登校しているのだ。
「…暇だなぁ」
朝の特集でもやってた通り、ここ長山町はそこそこの都会なので、周りを見渡すだけでも色々な発見がある。だけど、今の俺の目に映るものに興味がそそられるほどの大したものはなかった。正しくはそう感じなかった。やっぱり虚無感がすごい。その理由は…。
「…やっぱ、茜がいないと。登校時間は退屈だなぁ」
いつも彼女のお転婆なテンションと特有のポテンシャルに朝から引きずり回されてきた俺だったが、特別嫌だとは感じなかった。むしろ、これが俺の日常で、彼女が何か喋ったら俺が何かツッコむ。そういった会話のキャッチボールのようなものを俺は心の中で密かに楽しく感じていたのだ。
だけど、今はボールを投げても取ってくれる人もいなければ投げ返してくれる人もいない。1人でボソボソ言ってたらいい、そのような考えに陥る人もいると思うが、田舎の誰もいないところならまだしも、ここのような都会チックな場所で独り言を言う、つまり壁当てでもしようものならきっと、周りから冷たい目で見られるだろう。生憎と俺自身はそういうのがものすごく気になるタイプなので、ずっと黙々と心の中でこうやって1人で壁当てをしている。
とまあ、長々と喋ったが。結論、俺は寂しいのだ。前の学校は1人でずっと過ごしていたから、最初は茜や須山。雫や棚橋と言った友人の存在は俺にしちゃ稀有なものだった。でも、それが日常と化していく中で、それが当たり前になって、1人になれていた俺も、気がつけば人を求めるようになった。寂しい、そんな感情も生まれるようになった。
こんな昔の俺にとっちゃ非日常な出来事も、今の俺が感じている日常的な出来事も。どちらに置いても自分はそれを経験していて、これからは今の俺が非日常だと感じることに出会う日が来るのかもしれない…。まあ、あくまで完全なる憶測に過ぎないけど…。
「…と、もうここか。いつもよりかは長く感じたけど…。まあ、考え事しながら学校に行くってのも悪くないな」
自分の心境の変化に色々な想いが重なっていく中、俺は学校までもう数十メートルの道のりとなる、学校前の一本道へと自転車を進めていくのだった。
「えー今日も休みなんですかー?」
「ここでしか俺先輩に会えないのに~」
「目の保養が…。ああ…」
「しょうがないだろ?体調不良って言ってるんだから…」
何やら卓球場がざわざわしている放課後。顧問の住田先生を取り囲む生徒の割合が女子よりも男子の方が多いのを見るに、きっと星本先輩が休んでいる影響によるものだろうと、簡単に推測できた。
「…これで1週間近く来てないな。最後に見たのは始業式の日だったから、先輩ファンからすると、そろそろ餓死すると言ったところか?」
「ニヤニヤしながら言うなよ須山…。まあ確かにあの人に一定多数ファンが存在しているのは知ってるけど…」
その一定多数のファンというもののさらにほんの一部のファンがきっとこの卓球部員によるものなんだろうな。まあほんの一部っていってもここだけで10人近くはいるような気もするが…。
「…でも確かに、あの日結構咳してたもんな?」
「うーん、そうだな。何回か強く咳き込んじゃってる時もあったっけ…?」
俺がタオルを忘れたあの日。先輩は咳き込みながらサーブ練習に打ち込んでいた。俺が早く帰るよう促して、先輩に帰ってもらったわけなんだが…。
「…やっぱり、体調悪かったのかな。結構しんどそうに見えたし…」
「…お前、俺とのサーブ練の時どこ見てんの?ちゃんと俺の方見てんのかー?須山」
「ちょちょちょ怒んなよ佐野ー。見てるから安心しろって!いつぞやのお前じゃないんだから」
「あれはいじんなよ…。結構大変だったんだぞー?」
茜との関係を今ほど戻すまでの俺は、須山曰くもう俺が俺ではなかったらしい。まるで卓球を始めて数十秒経ったやつみたいな。例えるならそんな感じだと須山は言っていた。
「あはは、ごめんごめん。その詳細を俺は知らないけど、最近のプレーを見るに、大丈夫になったんだろ?」
「ま、まあ…。そうれはそうだけども」
「…とりあえず今は、先輩が戻って来ないってことに対して飢えてるこいつらを見て楽しんでよーぜ!あーメシウマメシウマ!」
「(こいつ密かに絶対性格悪いわ…)」
須山に聞こえないように俺は苦笑しながらそう言うのだった。
やがて、部活が終わった。夏に比べるとやっぱり日は少しだけ短くなっているようで、窓から見える外の景色はやや橙色に染まっていた。
「はーい、それじゃ。おつかれー、早く帰れよー」
今日はいつも部活を締める星本先輩がいなかったので、顧問が代わりに締めていた。あれ、副部長ってこういうことしなかったっけ…?ま、まあ。それはどうだっていいか。
それぞれみんな帰る用意をして、卓球場を出て行く。今日も疲れたなーと、笑顔をこぼしながら帰る人もいれば、マジで疲れて何も喋らずに帰る人とかもいる。ていうか、帰るのが早い人ってのは本当に早いんだな。なんだろう、見たいアニメとかあるのかな?
「なんか佐野ってさ」
「ん、どした」
不意に隣から須山が尋ねてきた。
「いつも用意片付けるの遅くね?」
「別にいいだろ…。部活終わった後くらいゆっくりしたいんだよ」
「そうなのか?…まあ、俺は先に帰ってるぜ」
「うん、じゃあなー」
先に言っておく。別に須山と仲が悪いというわけではない。須山とは元々別方向なので一緒に校門まで行っても、結局は別れてしまうのだ。だから、一緒に帰らないってだけ。まあそもそもとして、いつもは茜と下校してるしな…。
まあ、今日茜は来ていなかったが、須山は別の卓球部員と帰るんだろう。1人黙々と帰るなら、行きもそうだったが、帰りもこれは1人で悶々と色々なことを考えてしまいそうだなぁ…。
「佐野ー、早く片付け終わらせろー」
「…え、あ。やばっ」
気がつけば、この卓球場に残っているのは俺1人だけだった。須山の言う通り、やっぱり俺って用意するの遅いのかも…。
「す、すいません。もう出れます!」
「はいよー。…ん、あ、しまった!」
「え?」
鞄を背負って出入り口に向かう俺の耳に、先生のこんな声が入ってきた。
「どうしたんですか?」
先生は、やってしまったなぁ。と、そんな言葉が似合いそうな顔をしながら、俺に話す。
「いやあ、佐野も知っての通り今日星本休んでるだろ?で、実は…。明日、進路関連の書類をお偉いさんのところへと送らなきゃいけないんだ。そのプリントを星本に渡すのをすっかり忘れていて…。クラスで提出する締切日は今日にしてるから、家の近い菊池に持っていってもらうとしてたんだが…」
菊池、というのは星本先輩といつもラリーの練習をしている先輩。メールで星本先輩と会話している限りの情報では、5歳くらいからの幼馴染で、家の距離も目と鼻の先なんだとか。
「…でも菊池先輩、帰っちゃいましたよ?練習終わった途端そそくさと」
「あいつはいつも部活が終わればすぐ家に帰るんだよ。今日はここから出る前にその書類を渡そうと思ってたんだが…。いやあ、すっかり忘れてた」
「…先生が持っていけばいいんじゃないですか?生徒の住所は知ってるんですよね?」
確か顧問の住田先生は星本先輩のクラスの担任だったはずだ。だからなおさら、その方法をとれば全てが万事解決だと思って、俺はそう言ったが。
「いや、それがな?俺この後ちょっと遠くの方まで出張に行かないといけないことになってるんだよ…」
「ええ、こんな時間からですか?」
「うん…。だからすぐに帰って来れそうにない。早くても夜中は回るだろうし、そんな時間から星本の家に言ったならば大迷惑になってしまうだろ?」
「ま、まあ。確かにそれはそうですね」
「だからどうしたもんかって思ってるんだ…」
うむむと先生は顎に手をやり本気で悩みこんでしまった。まあ、先輩は2学期が始まった最初の日しか学校に来ていないから、書類を渡せていないのはしょうがないのかな。でも明日までって考えると…、確かにやばいかも。
やがて先生はあたりをぐるぐる見回し始めた。
「ど、どうしました?」
「あーいや。まだもしかしたら菊池学校いるんじゃないかなーって。って、流石にいないよな…」
「流石に帰っちゃったと思いますけど…。もう自分と先生しか多分いないんじゃないですかね?」
そうだなぁ。と言いながらまだ首を振る先生。いやもう諦めては…?んーでも相手はお偉いさんだもんな…。どうするのだろうか。
「うーん…。ん?」
「え?」
刹那、周りをぐるぐる見ていた先生の目線が俺の目線と合った。そして、先生は俺のことを凝視してくる。…ちょっと嫌な予感がしてきた。
「…では、俺は帰るので──」
「──佐野、頼む!星本の家までこれを持っていってくれ!お前しか頼める人がいないんだ!」
帰ろうとした俺の方をガッと掴んで、先生は俺にそう言った。痛い痛い痛い肩割れちゃう肩割れちゃう。
「……でも、俺先輩の住所知らないですよ?」
「…本来なら個人情報は人に教えてはいけないんだが…。今回は特別に佐野に教える。緊急事態だからきっと大丈夫だろう」
「えぇ…。本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。佐野はそういう情報の漏洩とかするような性格に見えないし、あれならスマホにメモしておいて、書類を渡し終わった後、その情報を消せばいい」
先生のこの必死さを見るに、よっぽど先輩の進路というのは大切なことなんだという気がした。最初はめんどくさいなと感じていた俺だったが、流石に今は善意の心というのが芽生えて…。
「…分かりましたよ、行きます。…ここからどれほど遠いのかは分かりませんが…、そんなに大切な資料なら今日中に届けないといけませんよね」
「…ありがとう!佐野!」
まるでこっちに突っ込んでくるんじゃないかと思うほどの勢いで俺は感謝をされた。まあ、礼を言われるのは別に悪い気はしない。ただ、やっぱり今考えるとちょっとめんどくさいな…と、俺は心の中で自分の決断をちょっぴり後悔するのだった。
「あ、父さんおはよう。…何見てるの?」
「…おはよう。これ、見てみ?」
父さんは、微笑しながらテレビの左上を指差した。そこを見てみると、
「"特集!──県、長山市のぶらり旅!"か。…ってこれ、ここじゃん!」
「あはは、眠気が覚めたか?…そうそう、ここ長山市もとい長山町が朝の特集に載ってるんだ。ま、と言っても俺たちはここに来てからまだ半年くらいなんだけどな…」
前にも言ったと思うが、ここ長山市もとい長山町はそこそこの都会。だから、前過ごしていた八十口町とは比べ物にならないほどの特集を組むネタが存在していたんだろう。長山町が属する長山市はそこそこ大きい市だしな。
「…とりあえず、課題テストも終わったんだし、もう少しゆっくりしていったらどう?ちょうどここの特集もしているんだし」
「…そうだな。そうすることにするよ、母さん。…じゃあ、いただきます」
母さんが机に置いた、THE・和食と呼べる朝ごはんに、俺は箸を入れて食べ進める。朝ご飯を食いながら見た特集に俺が思ったことはひとつ。それは、まだまだこの市に俺が知らない穴場と呼べるところがいくつも存在していて、その量に驚いたということだ。
「へぇ、やっぱまだ全然この町のことを知れていないんだなぁ」
そう呟いた時、テレビの画面がパッと移り変わった。左上にはまだ特集のテロップが出ているので、この特集が終わったわけではなさそうだが…。俺が一瞬、特集が終わったと勘違いしたのは、どうにも、本当に見慣れないものが画面に映っていたからだ。
「…うわ、すげぇ」
それは、夕日が綺麗に反射する、海辺だった。綺麗にグラデーションがかかった朱色の空は、満ち引きする海と見事に対比されていて、これだけで一つの絵が描けるんじゃないかと思うほどには美しい景色だった。
きっと、心が落ち込んでいたり、モヤモヤした時とかにこの景色を見ると、俺の場合心が落ち着いて、幸せで満たされるのだろうと、俺は1人そんなことを思った。
「──うっ!?」
刹那、その景色に見惚れている俺に、一つの頭痛が襲いかかってきた。一瞬、ズキっとそんな擬態語がふさわしいほどに頭に衝撃が走った。
「…え、大丈夫?佑」
頭を抑える俺に、母さんは心配そうに俺にそう言った。
「あ、うん…。なんか一瞬だけ、頭がズキってしたんだけど…。今はもう全然大丈夫みたいだ」
「…気をつけろよ?これからどんどん寒くなっていくんだし、体調とかは」
「うん、ありがとう父さん。…そんで、ご馳走様」
「はい、お粗末さま。で、学校行けるのね?」
「うん。全然いける!心配ごめんね」
俺は両親にそう謝ったのち、ゆっくりと今日の学校の準備を始めるのだった。いやほんと、なんの頭痛だったのか。俺の知らないところで、俺自身が疲れてるのかな…?
「…………」
信号が青に変わって、それに伴い止まっていた車や自転車が走り出す。車の後ろから排気ガスがたくさん出ているのを見ると、この世での"電気自動車完全化"のようなものはまだ無理なのかもしれない。
そんなことを1人ぼーっと考えながら俺は学校までの道のりを走る。今日、茜は学校を休むらしい。昨日一緒に帰っているのを見ると、あまり体調が悪そうには見えなかったが、今日休むってことはきっとどこか具合が悪かったのだろう。
茜がいないと俺はぼっちになる。特別誘う相手もいないので、1人で黙々と自転車を走らせてるってわけだ。雫は?という声が聞こえてきそうなので、ここで補足しておく。まあ、最初よりかは仲が良くなったとは言えるだろうが、結論から言うと、朝から雫と一緒に登校しているビジョンが見えないのだ。彼女との下校は茜と比べたら片手で数えるほどしかしてないが、その数回でも分かることといったら茜ほどテンションの高くない雫と、朝から一緒に登校した日には、そこに募るのはきっとその空間だけ時が止まったかのような気まずさだろう。だから、俺は今1人で登校しているのだ。
「…暇だなぁ」
朝の特集でもやってた通り、ここ長山町はそこそこの都会なので、周りを見渡すだけでも色々な発見がある。だけど、今の俺の目に映るものに興味がそそられるほどの大したものはなかった。正しくはそう感じなかった。やっぱり虚無感がすごい。その理由は…。
「…やっぱ、茜がいないと。登校時間は退屈だなぁ」
いつも彼女のお転婆なテンションと特有のポテンシャルに朝から引きずり回されてきた俺だったが、特別嫌だとは感じなかった。むしろ、これが俺の日常で、彼女が何か喋ったら俺が何かツッコむ。そういった会話のキャッチボールのようなものを俺は心の中で密かに楽しく感じていたのだ。
だけど、今はボールを投げても取ってくれる人もいなければ投げ返してくれる人もいない。1人でボソボソ言ってたらいい、そのような考えに陥る人もいると思うが、田舎の誰もいないところならまだしも、ここのような都会チックな場所で独り言を言う、つまり壁当てでもしようものならきっと、周りから冷たい目で見られるだろう。生憎と俺自身はそういうのがものすごく気になるタイプなので、ずっと黙々と心の中でこうやって1人で壁当てをしている。
とまあ、長々と喋ったが。結論、俺は寂しいのだ。前の学校は1人でずっと過ごしていたから、最初は茜や須山。雫や棚橋と言った友人の存在は俺にしちゃ稀有なものだった。でも、それが日常と化していく中で、それが当たり前になって、1人になれていた俺も、気がつけば人を求めるようになった。寂しい、そんな感情も生まれるようになった。
こんな昔の俺にとっちゃ非日常な出来事も、今の俺が感じている日常的な出来事も。どちらに置いても自分はそれを経験していて、これからは今の俺が非日常だと感じることに出会う日が来るのかもしれない…。まあ、あくまで完全なる憶測に過ぎないけど…。
「…と、もうここか。いつもよりかは長く感じたけど…。まあ、考え事しながら学校に行くってのも悪くないな」
自分の心境の変化に色々な想いが重なっていく中、俺は学校までもう数十メートルの道のりとなる、学校前の一本道へと自転車を進めていくのだった。
「えー今日も休みなんですかー?」
「ここでしか俺先輩に会えないのに~」
「目の保養が…。ああ…」
「しょうがないだろ?体調不良って言ってるんだから…」
何やら卓球場がざわざわしている放課後。顧問の住田先生を取り囲む生徒の割合が女子よりも男子の方が多いのを見るに、きっと星本先輩が休んでいる影響によるものだろうと、簡単に推測できた。
「…これで1週間近く来てないな。最後に見たのは始業式の日だったから、先輩ファンからすると、そろそろ餓死すると言ったところか?」
「ニヤニヤしながら言うなよ須山…。まあ確かにあの人に一定多数ファンが存在しているのは知ってるけど…」
その一定多数のファンというもののさらにほんの一部のファンがきっとこの卓球部員によるものなんだろうな。まあほんの一部っていってもここだけで10人近くはいるような気もするが…。
「…でも確かに、あの日結構咳してたもんな?」
「うーん、そうだな。何回か強く咳き込んじゃってる時もあったっけ…?」
俺がタオルを忘れたあの日。先輩は咳き込みながらサーブ練習に打ち込んでいた。俺が早く帰るよう促して、先輩に帰ってもらったわけなんだが…。
「…やっぱり、体調悪かったのかな。結構しんどそうに見えたし…」
「…お前、俺とのサーブ練の時どこ見てんの?ちゃんと俺の方見てんのかー?須山」
「ちょちょちょ怒んなよ佐野ー。見てるから安心しろって!いつぞやのお前じゃないんだから」
「あれはいじんなよ…。結構大変だったんだぞー?」
茜との関係を今ほど戻すまでの俺は、須山曰くもう俺が俺ではなかったらしい。まるで卓球を始めて数十秒経ったやつみたいな。例えるならそんな感じだと須山は言っていた。
「あはは、ごめんごめん。その詳細を俺は知らないけど、最近のプレーを見るに、大丈夫になったんだろ?」
「ま、まあ…。そうれはそうだけども」
「…とりあえず今は、先輩が戻って来ないってことに対して飢えてるこいつらを見て楽しんでよーぜ!あーメシウマメシウマ!」
「(こいつ密かに絶対性格悪いわ…)」
須山に聞こえないように俺は苦笑しながらそう言うのだった。
やがて、部活が終わった。夏に比べるとやっぱり日は少しだけ短くなっているようで、窓から見える外の景色はやや橙色に染まっていた。
「はーい、それじゃ。おつかれー、早く帰れよー」
今日はいつも部活を締める星本先輩がいなかったので、顧問が代わりに締めていた。あれ、副部長ってこういうことしなかったっけ…?ま、まあ。それはどうだっていいか。
それぞれみんな帰る用意をして、卓球場を出て行く。今日も疲れたなーと、笑顔をこぼしながら帰る人もいれば、マジで疲れて何も喋らずに帰る人とかもいる。ていうか、帰るのが早い人ってのは本当に早いんだな。なんだろう、見たいアニメとかあるのかな?
「なんか佐野ってさ」
「ん、どした」
不意に隣から須山が尋ねてきた。
「いつも用意片付けるの遅くね?」
「別にいいだろ…。部活終わった後くらいゆっくりしたいんだよ」
「そうなのか?…まあ、俺は先に帰ってるぜ」
「うん、じゃあなー」
先に言っておく。別に須山と仲が悪いというわけではない。須山とは元々別方向なので一緒に校門まで行っても、結局は別れてしまうのだ。だから、一緒に帰らないってだけ。まあそもそもとして、いつもは茜と下校してるしな…。
まあ、今日茜は来ていなかったが、須山は別の卓球部員と帰るんだろう。1人黙々と帰るなら、行きもそうだったが、帰りもこれは1人で悶々と色々なことを考えてしまいそうだなぁ…。
「佐野ー、早く片付け終わらせろー」
「…え、あ。やばっ」
気がつけば、この卓球場に残っているのは俺1人だけだった。須山の言う通り、やっぱり俺って用意するの遅いのかも…。
「す、すいません。もう出れます!」
「はいよー。…ん、あ、しまった!」
「え?」
鞄を背負って出入り口に向かう俺の耳に、先生のこんな声が入ってきた。
「どうしたんですか?」
先生は、やってしまったなぁ。と、そんな言葉が似合いそうな顔をしながら、俺に話す。
「いやあ、佐野も知っての通り今日星本休んでるだろ?で、実は…。明日、進路関連の書類をお偉いさんのところへと送らなきゃいけないんだ。そのプリントを星本に渡すのをすっかり忘れていて…。クラスで提出する締切日は今日にしてるから、家の近い菊池に持っていってもらうとしてたんだが…」
菊池、というのは星本先輩といつもラリーの練習をしている先輩。メールで星本先輩と会話している限りの情報では、5歳くらいからの幼馴染で、家の距離も目と鼻の先なんだとか。
「…でも菊池先輩、帰っちゃいましたよ?練習終わった途端そそくさと」
「あいつはいつも部活が終わればすぐ家に帰るんだよ。今日はここから出る前にその書類を渡そうと思ってたんだが…。いやあ、すっかり忘れてた」
「…先生が持っていけばいいんじゃないですか?生徒の住所は知ってるんですよね?」
確か顧問の住田先生は星本先輩のクラスの担任だったはずだ。だからなおさら、その方法をとれば全てが万事解決だと思って、俺はそう言ったが。
「いや、それがな?俺この後ちょっと遠くの方まで出張に行かないといけないことになってるんだよ…」
「ええ、こんな時間からですか?」
「うん…。だからすぐに帰って来れそうにない。早くても夜中は回るだろうし、そんな時間から星本の家に言ったならば大迷惑になってしまうだろ?」
「ま、まあ。確かにそれはそうですね」
「だからどうしたもんかって思ってるんだ…」
うむむと先生は顎に手をやり本気で悩みこんでしまった。まあ、先輩は2学期が始まった最初の日しか学校に来ていないから、書類を渡せていないのはしょうがないのかな。でも明日までって考えると…、確かにやばいかも。
やがて先生はあたりをぐるぐる見回し始めた。
「ど、どうしました?」
「あーいや。まだもしかしたら菊池学校いるんじゃないかなーって。って、流石にいないよな…」
「流石に帰っちゃったと思いますけど…。もう自分と先生しか多分いないんじゃないですかね?」
そうだなぁ。と言いながらまだ首を振る先生。いやもう諦めては…?んーでも相手はお偉いさんだもんな…。どうするのだろうか。
「うーん…。ん?」
「え?」
刹那、周りをぐるぐる見ていた先生の目線が俺の目線と合った。そして、先生は俺のことを凝視してくる。…ちょっと嫌な予感がしてきた。
「…では、俺は帰るので──」
「──佐野、頼む!星本の家までこれを持っていってくれ!お前しか頼める人がいないんだ!」
帰ろうとした俺の方をガッと掴んで、先生は俺にそう言った。痛い痛い痛い肩割れちゃう肩割れちゃう。
「……でも、俺先輩の住所知らないですよ?」
「…本来なら個人情報は人に教えてはいけないんだが…。今回は特別に佐野に教える。緊急事態だからきっと大丈夫だろう」
「えぇ…。本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。佐野はそういう情報の漏洩とかするような性格に見えないし、あれならスマホにメモしておいて、書類を渡し終わった後、その情報を消せばいい」
先生のこの必死さを見るに、よっぽど先輩の進路というのは大切なことなんだという気がした。最初はめんどくさいなと感じていた俺だったが、流石に今は善意の心というのが芽生えて…。
「…分かりましたよ、行きます。…ここからどれほど遠いのかは分かりませんが…、そんなに大切な資料なら今日中に届けないといけませんよね」
「…ありがとう!佐野!」
まるでこっちに突っ込んでくるんじゃないかと思うほどの勢いで俺は感謝をされた。まあ、礼を言われるのは別に悪い気はしない。ただ、やっぱり今考えるとちょっとめんどくさいな…と、俺は心の中で自分の決断をちょっぴり後悔するのだった。
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